「それでもオリヴィアはアンヌのために臍帯を切った」あのこと きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
それでもオリヴィアはアンヌのために臍帯を切った
◆女子寮の、いけ好かない寮長のオリヴィア。
それでもオリヴィアはアンヌのために駆け付けて来てくれた。小さく叫びながらもハサミを持ってきて臍帯を切ってくれた・・
◆親友の黒髪のレティシアは、
アンヌの部屋をそっと訪ねてきて、窮地のアンヌに「自分も男性経験があること」を思い切って打ち明けた。
◆クラスの男子も、実はアンヌのために法を犯して“闇墮胎屋”を探し当ててくれた。
◆医者たちは狼狽。
◆墮胎屋(アナ・ムグラリス)は感情を押し殺して客の目を見据え、声を出さずに女たちに助けの手を差し伸べる。
彼女たち、そして彼らみんなが “それ”を感じていたのだ、
友人やそして自分自身が置かれているこの社会というものと、文化と法と、国民を縛る宗教の軛(くびき)とが、“どこか間違っている”ということ。皆がそれに気付いていた・・その頃の物語だ。
アンヌは、実家のお母さんに打ち明けられなくて、どんなに辛かっただろう。あの表情。
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【宗教】
フランスはカトリック教国なのです。
バチカンが認めるのはオギノ式だけ。
だから避妊は認められないし、墮胎は神の戒めへの「罪の行為」として、フランスでは許されていなかったのです。
皆さんご存じのあの絶世のボーカリスト セリーヌ・ディオン。彼女は、カナダの東部=フランス語圏(カトリック地域)=の15人きょうだいの末っ子。
同じくイージーリスニング界の寵児、ピアニストのアンドレ・ギャニオンは、17人きょうだいの末っ子。
もしも彼らの親たちが避妊をしていたら、または中絶をしていたなら、あの不世出のアーティストたちは文字通りこの世に生まれ出てくることはなかったわけなのですが、
単純に「そうかーそれは良かったねー」とならないのが この映画がえぐり出した陰の部分なのだと思う。
子沢山の家庭が誕生している反面、産まされる性という苦役や、闇墮胎によって命を落とした女たちがどれほど多く世界には存在していたのだろうかと、この映画の各シーンから想わされるから。
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【キリスト教会の課題と解放の神学】
50年ほどまえ、
アフリカや中南米でキリスト教界に革命が起こった。
それは教会組織主軸ではない「人間主軸のキリスト教への転換」への呼び掛けだった。
黒人のマリヤ像や黒人のイエス像を作る驚愕のムーブメントが生まれたのだ。
その名も「解放の神学」。
白人の王族や政治家、白人の宗教者や軍隊によって改宗させられ、土地を奪われ、それらがすべて力づくの「男の暴力」によって世界中に広められてきたキリスト教という仕組みを、彼ら支配者の御用宗教の座からではなく、「被抑圧者」の側から聖書を再度読み解いて、原点回帰を探ったムーブメント。それが「解放の神学」だ。
その核は、一言で言うと「不正義とは闘い」「共に」「生きる」生活。
・創世記の「生めよ増えよ地に満ちよ」はその文脈や書かれた時代背景と著者の正確な意図から「避妊を禁ずるものではまったくない」ことが明らかとなり、
・男だけがキリスト教会の指導者・聖職者であるべきであるかのようなこれまでの伝統も撤回されつつある。
⇒新約聖書の記者が男であり男性中心に事が進められていた時代的制約の中で、それにも関わらず新約聖書の本文の中に女たちが多数登場し、実のところ男たちを上回るほどに活動していた原始教会の様子が再発見された。
・男たちはそのような女性たちを正当に表現する語彙さえ持っていなかったことも判ってきた。
その流れで
・性差を超えて女性聖職者、女性司祭(聖公会)、LGBT牧師もぞくぞくと誕生してきている。
そもそもが
(神話風に書かれてはいるが)、
イエスの母マリヤは、《父親がわからない子を産んだ女》として、ユダヤ教の戒律によるならば「石打ちの裁き」=死刑になるところを助けられた村娘として、それこそが物語の端緒として、記憶・記録されていたことも再発見された。
すべてが「解放の神学」のビッグバンから始まり、原点復帰がなされた姿。
(※)
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【フランスは】
1975年の「ヴェイユ法」で人工妊娠中絶が合法化。
(映画の原作者アニー・エルノーは、アンヌと同い年の1940年生まれ、ヴェイユ法公布は35歳のとき)。
アメリカでは―
南部のバイブル・ベルトを中心に国論はいまだに右往左往、
以下引用
「2022年6月24日、アメリカの連邦最高裁が人工妊娠中絶の権利が憲法上の権利(修正14条から導かれるプライバシー権)であることを否定しました」。
(それに対しこの映画の舞台となった)
「フランスではその翌日である25日に早くも、大統領与党のルネサンスが国会に対し、中絶の権利を憲法に定めるための法案を提出し、政府もこれを指示(ママ)することを明確にしました」。
(弁護士金塚綾乃のフランス法とフランスに関するブログ 2022.07.18 Monday「フランスの人工妊娠中絶」より引用)。
↑これはフランスにおけるキリスト教の信者率の低下と、中絶合法化の受け入れ機運上昇が比例するゆえかもしれないのだけれど、人間の社会と宗教の世界が大きく改革され、様相を変えつつあることを感じさせる報告です。
(※)「解放の神学」運動に加わった神父やシスターたちが各地で抵抗を受け、殺害されているけれど。
【日本は?】
やむにやまれず、熊本のキリスト教病院慈恵病院は「こうのとりのゆりかご」をスタートさせた。
ところが我が国の厚労省・薬事審査会は、ピルやアフターピルの認可は一種異様に徹底的に渋っている。でも男に利する「バイアグラ」の審査〜認可がわずか6ヶ月とあっけなかったのは笑い話のような本当の話。
“家長である男が跡継ぎの子を産ませる”という生殖の特権は、未だに男だけの専権事項になっている。つまり生むこと・生まないことの権利と決定権を女には是が非でも渡さぬようにしているがごときだ。
そして嫡子ではない=認知しない妊娠については、男は逃げる。
【僕は?】
生命倫理および生殖科学の問題は、命は誰のものかという問いや、胎児は人間かという問いとも直結している。
これは「人間とは何か」という根源的な自己検証になるし、宗教や哲学の領域にまで踏み込むホモ・サピエンスに課せられた究極の命題だ。
そして同時に人間とは哺乳類の一種でもあるのだから、自然の摂理に導かれてアンヌやステディの彼のように、その瞬間は理性も分別も失って引力のままに行われるセックスは、生物として決して間違ってはいないのだとも僕は知っている。
観終わって数日・・
思いが定まらない。このレビューも こんなにもとっ散らかっているし。
頭はぐるぐると回って僕は混乱しているのだが、
①人間でもあり、かつ動物でもある私たちとしては自然な衝動に身を任せる事と、
②3週間後には判明する妊娠と出産と子育てに関して、
種付けだけの種(しゅ)や、ホトトギスのような他人任せの生殖でなく、人間の場合は(個体差は振れ幅が大きいのだけれど)、我々は本能を愛でつつ、またそれを超越して妊娠・出産・子育てを ①と②と両立して受け止める存在であれる筈だとは思う。
大人の男と女の、そしてその順位としては圧倒的に先ずは男の側の問題として、男が変えられて、男たちが染まってしまっている思い違いから彼ら自身が「解放」をされていくべき課題なのだと、僕は振り返り、自戒を込めて思うし、そして
女も、もっともっと、もっと!賢くならなければいけないのだと思う。
何れにせよ
人間は賢くなり過ぎたので、
こんなにも悩み、傷付き、迷い、絶望する。
意味づけをしようとしてしまうから苦しんでしまう。
たった「生き物の出産という当たり前で単純なお話」のはずだったのに。
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2022年ノーベル賞受賞アニー・エルノーの自著「事件」の映画化だそうです。
原作は読んだことはありませんが、1時間40分の素晴らしい出来。監督がどれだけ丁寧に原作に向き合ったかが判ります。女性監督が撮りました。
このラストで、試験に臨むアンヌがアニー・エルノーその人なのだと思うと、鳥肌が立ちます。
きつい告発映画でした。
映画館で
入場チケットをもらいながら
「また辛そうな映画ですねぇ」、
「ええ、しっかり観てください」。
言葉を交わす僕と支配人。
ハッとするほど、きょうの支配人の短い口調は、いつになく強めでした。容貌はあのアパルトマンの8階に住むアナ・ムグラリスを彷彿とさせて。
高野悦子亡きあと、片田舎ではあるけれど、信州・塩尻、東座の支配人=合木こずえさんには頑張ってもらいたいです。
この日、チケット販売は合木さん。小さなロビーの接客係はお母様。映写技師は妹さん。
観客は女性が多かった。
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おはようございます😃
寒いですね。
きりんさんのレビューが膨大過ぎてこちらも頭の中飽和状態です。
でも、15人とか17人産んだお母さん、凄いですね。
なんと言えばいいか。
また今後ともよろしくお願いいたします🤲
こんばんは♪
共感していただきましてありがとうございました😊
博識な上に、物事に対して、特に、命のこと、男女差、についてご自身にも返して真摯に向き合いお考えくださって述べていただきまして頭が下がります。
日本の官公庁も男性主体故の逃げかなと思います。
本作、とにかく難しかったです。
きりんさん、ありがとうございます。
きりんさんのレビューはすごいですね。何回読んでもアタシには難解。きりんさんの知識と洞察力はアタシのレビューとは対極にありながら、共感ぽちりに感謝です。単純な生臭いレビューを読んでいただきありがとうございます。新しい生命の誕生に際して男女の負担の差が大きいことは明確ですが、それだけ女性の喜びは大きく、男には経験できないものです。完全な平等はないところが男女の間に存在する万有引力のようなでものなのでしょうね。ところがそれを真っ向から拒否する権利を主張する女性の自由も認めなくてはいけないわけで、あの時代に強い意思で拒絶した女性がいたことを認容することを求められているのでしょう。それにしても塩尻のもぎりさんに対するきりんさんの思い入れがエモくて、共感ポイント5倍あげたいぐらいです。
うちの母が産婦人科で働いていたときの事は「モロッコ、彼女たちの朝」のレビューで触れました。
中絶に来た少々を介抱すること。
障害のある赤ちゃんが生まれたときはそれをお母さんに話す役割、
僕の母は引き受けていました。
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アニー・エルノー
ノーベル賞受賞年:2022年
受賞部門:ノーベル文学賞
受賞理由:個人的な記憶の根源と疎外、および集団的抑圧を暴いた勇気と分析的鋭敏さに対して
タイムリーな映画封切りでした。