「1920年代という人間の転換期」パワー・オブ・ザ・ドッグ シューテツさんの映画レビュー(感想・評価)
1920年代という人間の転換期
やっと宿題だった本作を観ることが出来た。まずは再上映してくれたこの“塚口サンサン劇場”に感謝ですね。
今やこの劇場は(娯楽系・アート系含む)私の劇場で観たい作品の8割位は上映してくれるので凄く助かり、個人的にはなくてはならない存在になっている。(実は本作も再映するかもと期待というか予測していたのですが…)
で本作の感想ですが、まずは予想以上に複雑・多層的であり、精緻な人間ドラマという印象ですね。
鑑賞後これがアカデミー作品賞ではなく「コーダ~」の受賞で正解だと思いました。
だってアカデミー賞って他の国際映画祭とは違い、大衆映画の為の賞であり続けていたし、こちらは大衆映画と呼ぶにはちょっと高尚過ぎるし、本作を理解するには相当映画を観極めた人であろうし、“大衆”とは本作レベルの作品を理解出来る対象の呼称ではありませんからね。
私も1回だけの鑑賞だと全容を理解するには難しい作品でしたが、今流行りのテーマである“トランスジェンダー”や“多様性”などを含めつつ新時代の転換期である時代の舞台設定が面白しく感じられました。
アメリカ映画の純粋な西部劇の大半は1860~65年の南北戦争辺りの設定が多いのですが、本作の様な1920年代の西部が舞台の映画って私の記憶では「ジャイアンツ」('56)「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」('07)などがあり、それらは共に前時代と新時代のはざまに起きる価値観の変化に対する葛藤が内在する人間ドラマとなっていて、本作もそうしたテーマが核となっていた様に思いました。
ただ、頭の悪い映画宣伝部のよくあるミスリードを招くような解説文が本作でも見受けられ、レビューの中にもその解説に影響されたような的外れというか「木を見て森を見ず」的感想が多かった様に思えます。
例えば映画comの解説の一文に「無慈悲な牧場主と彼を取り巻く人々との緊迫した関係を描いた人間ドラマ」とありますが、恐らく本作を観る前に一般の人がこの文を読んでしまうと、この“無慈悲”という言葉に完全に引きずられてしまうでしょうね。私は観終わってから読んだので、的外れな単語だと思いましたよ。そんな単純なキャラ設定ではなかったでしょう。
まず本作の主人公って、本当にフィル(ベネディクト・カンバーバッチ)なのか?、私は鑑賞中、主人公無しの群像劇だと思い観ていました。
で、単純にフィルが悪役だとも全然思えませんでした。主な登場人物は全て少し異様な一面が描写されていましたからね…
特にピーター(ひょっとするとこちらの方が主人公)は完全にサイコパスでしたし、フィルはサイコパスではないが、彼の中に自分と同じ性質を見出していたと思われ、母親はピーターからすると(愛情とは別の)守るべきアイコン的存在に過ぎなかった様にも感じられ、母親はアルコール依存症であり、この3人は明らかに社会的マイノリティーであって、ただジョージというのは、どの時代のどの社会にもいる一番の弱者でもあり、一番のマジョリティーでもあり、マス(鈍感・自分勝手)の象徴的存在に思えました。
なので、フィルを主人公としたサスペンス映画としてだけ追って見ると非常に薄っぺらいドラマになる様な気がしますが、この作品の奥深さは、ある時代の社会の転換期を一つの家族の出来事として集約して描かれているという観方や解釈も出来る物語構成でした。
これ以上の事はまだ私も整理が出来ていせんが…、もう一度見直したい作品です。
追記,
しかし、画面にキルステン・ダンストが登場し(かなり年取ったなと思って見ていると)息子に「ピーター」って呼ぶのを聞いて、思わず笑ってしまった。