「蓼食う虫も好き好き」パワー・オブ・ザ・ドッグ @花/王様のねこさんの映画レビュー(感想・評価)
蓼食う虫も好き好き
見えるものが同じでも、立場や境遇によって感じ方はそれぞれ。
各物語は章立てになっていて、1つの章が終わる時にキャラクターの裏面が見えてくる。
幸せな結婚の裏側
インテリカーボーイの裏側
大富豪一家の次男の裏側
医学生の裏側
人には言えない、言いたくない側面が暴かれる瞬間に目が離せなくなる。
本作では、カンバーバッチの怪演が光る。
最初は堅物で粘質ネチネチ小姑ポジションブラコン兄かと思いきや、中盤では抑圧された自分の性や人間らしい一面も描れる。
序盤の不協和音と共に嬉々として嫁いびりをするフィルは、小姑の意地悪丸出し、嫉妬丸出しの醜いいやらしさがある。
一人秘密基地で布をすりすりする場面は神々しいくらいに美しい。きっとこっちが本体だと思ったのも束の間、禁制の園を見られて裸で爆走をするフィルのお尻にクスッと笑ってしまう。
そして、後半になるにつれて恐ろしかったフィルに愛着が湧いている。
皮をなめしてロープを編むが、たとえ皮が余っても、原住民には死んでも皮を渡したくないという差別意識が見える。そのへんがリアリティがあって良かった。
精神攻撃を受けて、追い詰められていくローズ。
生活は旦那の財産に依存
精神面はお酒に依存
母性は息子に依存している。
そしてどれも満たされていない。
うまく立ち回れていない、ギクシャクした居心地の悪い椅子に座っているような気持ち悪さがある。
息子のピーター役のコディ・スミットも物言わぬ狂気が漂っていて存在感がある。
受け入れられたと思うか
懐に入り込んで喉を掻き切ってやると思うか
同じ場所で同じ時間を共有していても、感じ方は違う。
人は自分の想像力の外側のことには意外と鈍感で、他人の気持ちなんて分かりっこない。
分かり合えたと思ったら要求が増えたり、傲慢さが出てきたりと厄介な代物が人間の感性というものなのだろう。
フィルがやピーターが見たという吠える犬がどうしても見つけられなかった。
犬が吠えるには二つの意味があるらしい
威嚇と要求だ
おそらく、フィルの見た「吠える犬」は要求だ
自分の抑圧されて生きている状況に対して吠えている。
自分ではどうしようもないセクシャリティの壁に向かって吠えている。
そして、ピーターの「吠える犬」は威嚇だ
余所者に向かって吠える犬とはフィルのことで、自分や母親は邪魔者扱いされていることが分かる。
相手が同じように物事を解釈している
と思い込んではいけない。
他者への期待を抱かずして、何が救いとなり得るのか?
スルメ映画なので、Netflixなど配信で堪能ください
こんにちは
とても奥深い解釈ですね。
抑圧された内面。
表面ではフィルと仲良く見えたーターは、内面では恨みを募らせていて、
いつか寝首をかこうと機会を狙っていた。
スルメ映画・・・Netflixで2回観ましたが、割と苦手な映画でした。