「マッチョ主義がはびこる中での本当の強さとは?」パワー・オブ・ザ・ドッグ jollyjokerさんの映画レビュー(感想・評価)
マッチョ主義がはびこる中での本当の強さとは?
Deliver my soul from the sword; my darling from the power of the dog.
映画のタイトルは、聖書の「詩篇」第22章20節の「わが魂を剣から救いたまえ、わが愛しい人を犬の力から救いたまえ」から取られている。(原語のヘブライ語では、「my darling」は「my only」を意味し、孤独で大切な存在という意味で、「dog」は十字架にかけられたイエスを苦しめる者たちのことである) そのため、この映画のタイトルは、微妙なネタバレとなっている。 ~IMDbより抜粋~
さて、本作は愛の渇望と嫉妬、秘密の共有を描いており、ある意味復讐劇と言ってもよいだろう。カンピオン監督のねじ曲がった愛憎表現が光っている。
亡き父が言ったという「障害物を取り除けば強くなる」という教えに従って、母親を守るという固い意志に導かれた行動をとるピーター。繊細で女性的にも見えるピーターだが、劇中一番強いのはピーターであり、コディ・スミット=マクフィーは強烈なインパクトを与える目の動きと視線でその内面の優しさと強い意思を上手く演じていた。
また、登場はしないものの大きな存在であるBH(ブロンコ・ヘンリー)とフィルの語られていない物語にも想像力を掻き立てられる。崇拝すらしているBHが見たもの(崇高で繊細な人にしか見えないもの)をピーターにも容易に見えるというフィルの動揺とBHとのすり代わり(憧れ)。
フィルが牛を素手で去勢する行動は、自身への嫌悪感の表れでもあるのだろう。
リーダーとして君臨しているようだが実は弟を頼りにし、愛を求めてさまよう兄フィル(カンバーバッチ)、はいくつかのシーンで強さの表現は素晴らしかったが、秘密を隠しながら強くあろうとする淫靡でねじ曲がった心理描写は弱い。しかしBHの形見であろう布で体を包むシーンはもの悲しく孤独感があふれていた。
風呂に入りパジャマでベッドに入る弟ジョージは、上質なスーツに身を包み礼節をわきまえる。教育はありそうだが風呂どころか、着替えすらしない兄フィルとの対比も面白く、結婚したことでやっかいな兄から解放され一人ではなくなる幸福感と、寡黙だがまっすぐで不器用な男をジェシー・プレモンスはよく演じた。
キルステン・ダンストは、夫亡き後、息子を危険から遠ざけたいという母親ローズの心理描写や、安心と安定を手にはしたがそれを奪われるのではないかという恐怖心もよく演じていた。墓石に刻まれた「Dr. John Gordon」という文字から、ピーターの父親も医師であったと想像するが、医学を学ぶピーターの行動に、ローズは助けられるのだった。
第Ⅴ章は見せ場であり、エロティシズムにも溢れている。
・BHの鞍にまたがるということ
・ピートが吸ったタバコをフィルに吸わせるという(みせかけの)愛の交感
・馬の見通すような瞳と滑らかな体躯
これらはフィルの欲情とピーターに対する心の解放であり、一種の依存である。この一瞬の隙にピーターは入り込み意思を遂げるのだ。
「一人じゃないっていいな」。登場人物はみなそう思いたいのだ。ありのままの自分を安全な環境に置いておきたい。ただ、疎外感、孤立感、承認欲求、社会的立場に操られて行動してしまう。「障害物を取り除けば強くなる」、しかし、本当の強さとは何なのだろう。
カメラワークは、ニュージーランドでのロケとのことだが、広大なモンタナの荒野と山並み、牛たち、納屋の窓から見える広いけれども封鎖的抑圧的な風景、室内の暗めのライティングなど、素晴らしい雰囲気を醸し出している。
音楽も、ピーターのシーンでは繊細なピアノや、フィルの口笛やバンジョーなど印象的に使われている。
ところで、第Ⅳ章でフィルが棚にしまったものは何だったのか?よく分からなかった。