ある男のレビュー・感想・評価
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知らないほうがいいことは、知らないほうが良い
脚本が向井さんで、カメラが近藤さん。そう来たかとという感じで、熊切さんとか山下さんとか含めて同時期に同じ学校で出会っていた才能にただ驚きますね(鬼畜大宴会)。
安藤サクラさんの後半のセリフ「知らなくても良かった。あの楽しい時間は確かにあった」。わたしも、そう思います。今を此処で生きていることなんて偶然みたいなものなんだから、余計な過去を気にしたり、ひけらかしたり、また知ろうとしたりする必要はありません。
映画は、去年のキネマ旬報2位ですよね?正直、それ程の感銘はなかったです。
エンディングは好きです。
深く、重い
なんとも重い映画。複雑な戸籍の入れ替え。それぞれの人生が複雑に絡み合う。
谷口大祐は子持ちの里枝と結婚して子供も産まれて幸せに暮らしていたが仕事中の事故で死亡。(彼は人生の中で里枝達家族と暮らしたこの数年は幸せだったんだろう。)1年後に疎遠だった兄が来て、別人格とわかる。妻や子供からしたらショックだ。そこから調査を依頼して徐々に明らかになる真実。大祐は父親が殺人鬼で死刑囚。施設に預けられ、母方の姓に名を変えてもやはり周りには知られて差別を受け続けてきた。子供には罪もなく、つらい思いをしてきたのに世間は容赦ない。さぞつらい人生だっただろう。そりゃ名前も人生も変えたくなるよね。でも誠は顔まで父親にソックリで、鏡に映った自分を見るのもつらい。大祐ととなって里枝と一緒にいる時でもふとガラスに映った自分に怯える。まことの場合、整形した方が解決したかも。
まず誠は曽根崎という男になり変わったが、この曽根崎の人物像が判らず、本物の曽根崎はどうなったのか、殺人犯の息子の戸籍を手に入れたのか?死んでいるのか?そこも描かれているとよかった。本物の谷口大祐が自分の戸籍を変えてまでいやだったのは実家との確執だけだったのか?本物の大祐の心情ももう少し知りたかった。欲を言えば柄本明演ずる戸籍の仲介役とのやり取りもあると良かったのに。でもそこまで描いたら映画の枠では収まらないか、、、。
大祐たちの物語でも重いけど、この映画の面白いところはやはり主人公の城戸が在日3世であることの差別や妻との関係に悩みつつ、徐々に誠を理解し、同化していく様子。
ラスト、初めて会った男性に自分が谷口大祐であるような会話。恐ろしくもあり、悲しくもあり。顔の映らない男の後ろ姿の絵画を見つめる城戸の背中で終わる。それが冒頭の場面でもあるところが、とてもお上手な演出。
コレは原作を読んでみないとなあ。
出会って親しくなったかと思えば、次のシーンでいきなり結婚して娘が生...
本当のことを明かさない
もし、原誠が山で命を落とさなければ、今も
家族みんなで仲良く幸せに生活していただろう。原誠はもちろん、妻の里枝、息子の祐一、花、欠けていたものが埋められて充足した日々を送っていただろうに、な、と思う。
正真正銘凶悪犯の父親とは、似ても似つかぬ、
誠実で心優しい息子であるが故に、死刑囚の息子という事実を受け入れ難く、精神面のひ弱さも相まって心身共に弱まり、生活の場から姿を消し、非合法的に名前を変えて新生活を切り拓こうとした。
原誠が所属するボクシングジムの会長や同僚は、好意的に接し、出自を聞いても、親とは別人だと言ってくれる。
にもかかわらず、自殺行為をした末に飛び出して行く。
ジムの会長と養子縁組をして戸籍上も正式に苗字を変え、顔か気になるなら、整形しても良かった。
道は色々考えられたのである。
田所祐一の動機には納得いかない。
実兄が嫌なら、縁を切り、家を出て別に暮らせばいいのにと思うが、名前を変える相手として必要であったかと思うが、原に比べて理由が弱い。
本作タイトル『ある男』には、城戸弁護士も含まれる、と思った。
在日朝鮮人3世であり、裕福な家の女性を妻にしている。
詐欺で服役中の小見浦に、見抜かれ動揺する様や、TVで、在日朝鮮人へのヘイトスピーチの集会を観て苦虫を噛み潰したような様子には、
日本人であって日本人でないというわだかまりがしつこく付きまとい悩ませていることが窺える。
妻の不倫相手の存在を知っても知らないふりをして、今の生活を壊さない。
在日3世から帰化した身であることを知りながら、日本人の婿として受け入れてくれているからだ。だから、手放したくないのだ。
城戸の親や親族が全く描かれないのも、帰化と共に絶縁したのかと考えられる。
バーで会った初対面の男に言っている内容は、
原誠が、田口祐一に名を変え宮崎に来て里枝と知り合い、祐一の下に花ができ家族四人幸せに生きている様を自分のことのように話しているのだ。
<疑問に思うこと>
①離婚調停をしてもらったからと言って、横浜から宮崎まで呼ぶかなぁ。引き受ける方も。
②迎えに来た里枝の車中での会話、偽田所祐一について依頼する際、里枝との関係を話す筈。なのに話していなかった。
⓷②の車中、ハンドルを握っていた里枝の左手薬指の結婚指輪が長く映されていた。なぜか?
④城戸の義両親、皮肉に満ちながら、結婚を許した。城戸の妻に結婚前に何か瑕疵があり、城戸が結婚してくれて安堵しているのでは?
例えば、結婚できない男性の子を懐妊していたとか。
⑤自由奔放な城戸の妻、城戸が子供は可愛がるか、妻を相手にしないので夜遊び、不倫してまた懐妊。2人とも実子ではない。
結婚して亡くなった相手が別人だった。 原作は未読。自分の存在自体が...
家族のかたちとは
鏡のなかにいる自分が心の闇を映し出していた作品
悲しい過去がある心の壊れた男性、窪田正孝
演じる大祐が、事故で亡くなったことにより
判明した事実!
安藤サクラ演じる谷口里枝と、結婚して
前妻の長男、娘の花と幸せに暮らしていた
家庭に見えました。
他人の戸籍になる偽りの人生。
成り済まし。
アイデンティティー、自分の存在証明が
問われるストーリーでした。
妻夫木聡演じる、弁護士の城戸が
調査していくうちに自分の名前と違って
いても、自分自身が家族を愛していた
揺るぎない気持ちが伝わってきました。
『また、名前が変わるの?』
里枝の息子が嫌な気持ちで母親に質問していたけれど、
大祐が里枝と結婚してからの人生が
彼のすべてだった。
そんな台詞が心に響きました。
本物の谷口も美涼に会えて良かったと思いました。
名前が違っていても、新しい自分を取り戻して
いく、家族の愛情が通じ合うように
思えたストーリーでした。
対面にいる人はだれ?
窪田くんが素晴らしい
ラストが素晴らしい
ラストの主人公のセリフ「僕は」
で映画が終わり画面が真っ暗になるのが非常に素晴らしいです
あのラストにこの映画の全てが詰まっています。
原作を先に読んでいたのですが、あの長い小説をよくここまで綺麗にまとめて一本の映画に仕上げたのに感激しました。
映画のラストでは小説にはない「ある絵」が画面いっぱいに登場しますが、それもまた素晴らしい…
重たいなあ… サスペンスを装った(?)社会派メッセージの強いタイプ...
重たいなあ…
サスペンスを装った(?)社会派メッセージの強いタイプの作品でした。
”ある男”が誰だったのか?
確かにここは大切なのですが、”なぜある男になったのか?”が重要な感じ。
何かに似てるな~~と思ったのですが「凶悪」ですね。
第三者が当事者と関わることにより、大きく影響を受けてしまうというプロット。
この作品をただの物語として見るか、考えさせられる”テーマ”としてみるかで評価も変わるし難しい…
何度も見たい作品では全くないのですが、1度でおもしろい!と理解できるような作品じゃないんですよな~
こどもにとっての”苗字が変わる”という出来事がいかに苦しいか、愛した男のことを本当に理解していたのか?自分の築いた人格は、結局出生には抗えないのか、犯罪者の人権は?
語るべきことは沢山あるのでしょうが、私にはまだ消化しきれない部分が多い。
サブスクに見放題出来たらもう一回見ようかな。
安物のワインにヴィンテージのラベル
より3者の深掘りを期待した
2022年劇場鑑賞92本目 秀作 67点
2022年日本アカデミー賞を各部門総なめにした作品
正直箔がある風に並べて固めて持ち上げてヨイショした感が凄いし、名誉に見合ってないと思う
役者陣の演技派揃いの具合は頷けるんだけど、んー数十年後にに振り返った時に名前だけ残って、これに席を奪われた他の名作が語り継がれないのをその当時にちゃんと足を運んで見てた人間からするとなんとも不甲斐ない
別にそこまで悪くはないけど、絶妙に響かない
こちらの骨まで震えてこないんですよね、1年通して上映のタイミングもいい時に出来たし、演技派揃えてそれっぽいポーズした題材だから恵まれましたねって感じ
日本アカデミー賞に相応しいかは置いておいて、個人的に2022年邦画ベストは川っぺりムコリッタか猫は逃げたです
名刺も戸籍も公信力はない?
本作は別人に成りすました「ある男」の正体と過去をたどる物語。
戸籍の売買により、別人に成りすまし、己に巣食う過去やトラウマからは逃れようとする男はこう思ったはずだ。「酸味」の強すぎる自身の人生を変えたい。せめてラベルや名札だけでも。ただ、鏡に映る自分の姿がそれを許さない。
「ある男」の経歴をたどる物語をとおして
「別人の人生を生きられたなら」、「人生をリセットできたら」と思う心に共感するとともに、「真」の人生だろうが、「偽」の人生だろうが、その歩み方次第なのだと感じた。
今回の真相を追う弁護士城戸にもとあるコンプレックスを抱えており、
物語ラストにまさかの展開が待っている。
ミイラ取りはミイラになったのか?
どんな男なの❓
あなたは、あなた自身は、自分を名乗れますか…?
“別人ミステリー”は映画の題材でよくあるっちゃあある。
本作も話の入りとしては奇妙ながら実に興味惹かれる。
死んだ夫は別人だった。調査する内に明らかになっていく事実…。
謎が散りばめられ、少しずつ少しずつ事実に迫っていくミステリー仕立ての語りは最後まで目を離せない。
だが本作は、単なるミステリーだけに収まらない。
そこにいる人は本当にその人ですか? あなたは何者ですか? あなた自身は何者ですか?
ミステリアスで意味深で暗示めいたものを問い掛けていく。
加えて、差別や偏見、逃れたくても逃れられない自身の出生、何故別人として生きざるを得なかったのか、戸籍を巡る社会の闇、家族や夫婦の関係、幸せと不和…様々なテーマに斬り込んでいく。
エンタメ性と社会的メッセージ性と芸術性の見事な調和。
石川慶監督の一つ一つの緻密で深い演出、向井康介の巧みな脚本、キャストたちの名アンサンブル熱演。
昨年を代表する邦画の一本に偽りナシ。
ズバリ本作は、戸籍交換を題材にした作品。
ネットでちょっと検索しただけでも、戸籍交換に関する様々な項目が出てくるほど。
実際にそれがあり、実際にそれを請け負う仲介人もいる。
衝撃的でもあるが、私も戸籍で驚いた事がある。と言っても自分自身の事ではないが、
劇中で柄本明演じるかつて戸籍売買の仲介をしていた不穏な老人の台詞。“300年生きた人がいる”。
これを聞いた時、ピンときた。もう何年も前のニュースで、死亡届が出されず戸籍上生きている人がいるという。それも一人二人じゃない。把握出来ないくらい。
戸籍なんて言うと絶対的な自分の証明…と一見思う。が、実際は、どうとでも偽れる。
戸籍さえ名乗れば(偽っても)、相手はそう自分を見てくれる。
これ以上ない隠れ蓑。犯罪者にとっては。
戸籍を偽るのが全て犯罪者とは限らない。どうしても戸籍を偽らなければならない、そういった事情や人生に置かれた人も…。本当の自分を捨ててまで…。
窪田正孝演じる男がそれだ。
劇中と同じく、“X”と呼称しよう。
“X”は“谷口大祐”と名乗り、安藤サクラ演じる宮崎の片田舎町で文房具屋を営む里枝と出会い、やがて結婚。幸せな日々は4年と続かず、“X”は仕事中不慮の事故で死亡。“谷口大祐”の兄が一年後の法要に訪れるのだが、その時初めて全くの別人である事が発覚。死んだ夫は誰…? 里枝は離婚調停で世話になった弁護士・城戸に依頼。戸籍仲介人やある絵画展からようやく本物の“X”と彼の歩んできた人生に辿り着く…。
“X”の本名は“小林誠”。誠はどうしてもこの名前を捨てたかった。誠の父親は、凄惨な殺人事件を犯した犯罪者。犯罪者の息子。誠がどんなに偏見の目に晒されてきたか。
母親の旧姓で“原誠”へ。この頃誠はボクサーとなっていた。才能を開花させ、新人王も期待されていたが、何処の誰かが誠の出生を知る。逃げても逃げても、過去から逃れられない。
逃れられないのなら、別人になるしかない。そうして仲介人を通じて別人の戸籍を手に入れる。
最初は“曽根崎義彦”。そして“谷口大祐”。
“谷口大祐”としてようやく人並みの幸せを手に入れた矢先…。
“X”こと誠の人生は悲痛だ。何も自分自身に罪がある訳ではないのに、出生と名前のせいで…。
彼が車の窓ガラスに映った自分の顔を見た時、彼がボクシングを始めた理由、ロードワーク中の苦悶、“うっかり落ちた”はその苦しみ悲しみの表れ。
本作での戸籍交換は違法であろう。そもそも戸籍を交換する事自体、良し悪しは難しい所。
が、誠は戸籍を変えた事によって少なからず救われたと言えよう。ボクシングジムや林業の人たちにも好かれ、何より里枝と出会った事。里枝は前の夫との間に息子・悠人がおり、悠人も誠に懐いている。新たに娘も産まれた。
事実を全て知って、里枝たちは誠に嫌悪を抱いたか…? 否。
父親としての大祐が優しかったのは、自分が父親にそうして貰いたかったからなのか。そうであり、純粋に悠人の事が息子として好きだったから。
終盤での里枝の台詞。本当の戸籍など知る必要なかった。この町で彼と出会って、好きになって、4年にも満たないが幸せな家庭を築いた。それが全て。
この言葉に、誠の人生は報われたと言えよう。
里枝自身も離婚や亡くしたもう一人の息子の悲しみから救われたと言えよう。
あなたの目の前にいるその人は、愛した人自身なのだから。
この非常に難しい役所を、窪田正孝が素晴らしく演じ切った。
安藤サクラもいつもながらの名演、好助演。
本作は平野啓一郎によるベストセラー小説が原作。原作では微かな希望や幸せを感じさせる終わりだとか。
が、映画は違う。映画は何とも人の心の闇や意味深な含みを持たせた終わり方。
それを表すのが、妻夫木聡演じる弁護士の城戸。
城戸は人権派の弁護士で有能。
横浜の高級マンションで、美しい妻、幼い息子と満ち足りた上流暮らし。
全てが完璧のように思えるが、彼にも“陰”が時折覆う。
ズバリ、城戸は在日朝鮮人の三世。
義父母との会食でもそれを。別に差別的な意味合いはないだろうが、三世だからもうすっかり日本人…それは裏返せば差別そのものだ。
戸籍仲介人からは直球で“在日”と呼ばれる。侮辱される。三世でどんなに血が薄くとも、在日は在日。それを隠しおおせるものかとでも突き付けるかのように。(柄本明、さすがの怪演!)
調査の過程であるスナックでマスターの北朝鮮による日本人拉致陰謀論。
TVのニュースで報じられるヘイトスピーチ。
それらが少しずつ少しずつ、城戸の心を蝕んでいく。思えばこの件に携わってから、自身のアイデンティティーに直面する。
戸籍を偽って別人になるは、在日である事に触れさせず日本人で居続ける事に何か通じるとでも言うのか…?
“谷口大祐”の兄。ちょいちょい相手を侮蔑する事を言う。“本物の谷口大祐”が嫌になって縁を切りたかったのも分かるような…。
里枝と谷口兄を呼んで調査報告の場。“X”が犯罪者の息子と知るや否や、谷口兄は「犯罪者の息子は犯罪者の息子」と侮蔑。それに対し城戸は冷静にしつつも調査ファイルを机に叩き付ける。
城戸にはこう聞こえたのかもしれない。“在日の息子は在日の息子”。
生涯、在日として差別偏見に晒されなければならないのか。それも直球ではなく、うっすら陰ながら。時にそれは面と向かって差別されるより突き刺さる。
殊に日本人は差別や偏見に対して愚かで鈍感だ。性差別、人種差別、ジェンダー差別…それらへの見方があまりにも薄く、問題になる事もしばしば。
城戸が差別偏見に対して向き合い、己や周囲との関係が変わっていく…のならまだいいのだが、城戸は違う。
表面に出さない。が、怒りや憎しみを穏やかな顔の下に煮えたぎらせている。周囲だけじゃなく、それは在日である自分に対しても。
本作では戸籍仲介人や谷口兄など差別的な人物が登場するが、城戸が時折見せる“闇”はそのどれよりも深刻だ。いや、誰よりもヒヤリとさせるほど。
抑えながらも複雑な内面を含んだ役所を、妻夫木聡も見事に演じている。
ラスト、調査も終わり、城戸もまた家族との穏やかな生活に戻ったかに思えた。
ある時城戸は知ってしまう。たまたま操作した妻のLINEから妻が浮気している事を…。
妻を問い詰める事無く、何も見てないと平静を装う。また無理矢理自分を抑え込んで、偽りの顔を浮かべて。
ラストシーンが印象的。あるバーで、一人の男と話しているのは、城戸だ。
城戸は自分の事を話す。しかしそれは本来の自分の人生ではなく、“谷口大祐”としての“X”の人生を。それを自分の人生として。
差別偏見に晒され、妻にも裏切られ、城戸は自分と同じようでありながら最後は幸せな人生を歩んだ“X”の人生を欲したのだろうか…?
いや、別人になりたかったのは自分だったのだ。
開幕とこのラストシーンに登場する一枚の絵画。ルネ・マグリットの有名な絵画だという。
この絵画、何とも奇妙だ。一人の男が鏡で自分を見ているのだが、その鏡に写っているのは自分の後ろ姿。普通に考えれば変だ。
この絵画は『複製禁止』と言い、別人となり別の人生を複写した本作を表しているという。
それに自分を重ねる城戸。
別の人生、別の自分。
名を訊ねられ、答える寸前で映画は幕を閉じる。
城戸は“誰”と答えたのか…?
同時にそれは、我々に問い掛ける。
あなたは偽りなく、“自分”を名乗れますか…?
窪田正孝に胸を鷲掴みにされました
里枝の手を握り「りょうくん、りょうくん」とやさしく声に出す大祐。窓ガラスに映った自分の顔に反応し取り乱す彼をやさしく抱きしめ「大丈夫、大丈夫」となだめる里枝。
これからの二人の温かい人生を物語る大事なやりとりだった。
幸せとは、人生にこういう相手がそばに居てくれること。賑やかな朝食シーンが見事に語っていた。
親に似た自分の肉体とルーツに苦悩を抱えて生きてきた彼にとって、里枝と子どもたちと過ごした幸せな時間だけが、誰の複写でもない、彼自身の人生だった。
マグリットの「不許複製」。戸籍は複写可能だけど、愛は複写不可能だ。外面の幻ではなく内面の愛をもらったからこそ悠人は寂しい。
一方。立派な職業、上質な暮らし、美しい妻子を得た城戸の未来は順風満帆のはずだ。しかし、外面を整えることに懸命に生きてきた彼も、不安定な苦悩を抱えて生きている。差別主義の下衆親に抗議しない妻も、外面が大事な彼と似た者同志かもしれない。本音で繋がっていないような夫婦。
果たして今の自分の人生は本当に望んだ人生?
そこでラストを想像してみる。バーで通りすがりの人物に、城戸は、田口の人生を自分の人生として語る。
城戸は長期出張とかなんとか言って失踪するんじゃなかろうか。
自分の肩書きや過去に関係なく、里枝と大祐のように、ありのままの自分が惚れ合える相手と、明るい未来を歩みたいんじゃないかな。
和製レクター博士、最高だった。
「ある男」とは誰か
冒頭、そしてエンディングに映される、シュールレアリスムの画家:ルネ・マグリットの絵「王様の美術館」が本作を見事に象徴しています。
人は日常の中で知らず知らずのうちに、一定の固定観念に縛られて物事を見聞きしてしまっていて、ほんの少し視点をずらすと、実は全く異なる世界が広がっている、その危ういほどの微妙なバランスの上を綱渡りのように歩んでいるのが人生である、ということを感じさせる作品です。
本作は、芥川賞作家・平野啓一郎のベストセラー小説の映画化ですが、原作にはマグリットの絵は引用されておらず、このカットを入れる、而もファーストシーンとラストシーンに挿入することで、本作に世の中の不条理感と不可思議で無気味な空気感を漂わせることに成功しています。特にラストは奇怪さがより増幅され、背筋が凍る思いで慄然とさせられ、観終えた後、あまり愉快な思いはしませんでした。
前半は、安藤サクラ扮する武本里枝の視点でホームドラマ風に緩く進み、窪田正孝扮する谷口の事故死から、物語は一気にサスペンス調に切り替わります。ただサスペンスドラマのような体裁を取りながら、冒頭に述べましたように、本作は謎を解くことが主たるテーマではありません。それは窪田正孝の目に終始生気がなく、まるで生きている人でない、一種の亡霊のような感覚がするのが、後々への伏線になっていることにつながります。
そして、物語の転機では常に雨が降っているのも象徴的です。またアクションも美しい自然描写も一切ない、人と人との会話により進行する本作のようなストーリー展開では、つい人物の顔の極端な寄せアップを交互に映し、やたらと無意味に緊張感を強調するようなカット割りにしがちなのが、本作では寄せアップは殆どなく、やや引いた落ち着いたカットでつながれます。観客は寛いで観賞できながら、それゆえにいつの間にかスパイラルに社会の不条理性・不可解性の泥濘に取り込まれていきます。
ただむやみに手持ちカメラを多用しますが、これはあまり意味がありません。画面を揺らして不安感と緊張感を高めようとしているのでしょうが、本作に限っては不要です。私は手持ちカメラのカットのたびに平常心に戻り、却って興醒めしていました。
独特の怪しい空気感が漂う、不思議な趣の本作ですが、率直に言って社会問題を余りにも多く揃え広げて見せ過ぎており、その結果焦点がぼけてしまっています。人種差別・夫婦間の不信・親による差別/虐待・仮面夫婦・戸籍交換・・・、深刻で重篤な問題ばかりで、小説なら読みこなせても、2時間の映像にまとめねばならない映画では明らかに盛り込み過ぎており、脚色に大いに難ありと思います。
さて、タイトルにある「ある男」とは一体誰のことか、脚本通りに捉えれば、その正体を追い求めた、自称・谷口大祐のことなのでしょうが、実は主人公である、妻夫木聡扮する城戸章良のことのようにも、或いは柄本明扮する謎の囚人・小見浦憲男にも思えます。
そう、きっと世の人々は遍く仮面を被った日常と他人には見せない裏の顔を持った、“ある男”なのではないでしょうか。
お箸であんな風に食事を勧める人がいるかな?悩む人にあんな風に怒る人...
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