「城戸が自分を見失う物語としての考察(空想)」ある男 ニコさんの映画レビュー(感想・評価)
城戸が自分を見失う物語としての考察(空想)
窪田正孝演じる谷口の描写に「出自や肩書きなどに囚われてはいけない、その人がどう生きているかが大切」というメッセージを読み取ることも出来る。だが、本筋は主人公城戸のアイデンティティが揺らぐ過程であるように思えた。(原作未読なので、あくまで映画本編のみでの個人的印象)
印象的に使われるマグリットの「複製禁止」の絵、それにそっくりな城戸の後ろ姿のカットがしきりに出てくることを考えると、あの絵は城戸の心の象徴だろう。鏡に正対しているのに、自分の顔が見えていない。
窪田正孝の作り出した闇が強烈でダブル主演のように見えてしまうが、彼の存在は城戸をアイデンティティの迷路に迷い込ませるための凝った舞台装置とも言えそうだ。
弁護士という社会的信頼度が高い職に加え、逆玉の輿と言っていい結婚(しかし最初からあまり幸せそうではない、谷口の家庭を見た後では特に)などを見ていると、城戸は自身の社会的アイデンティティに無意識のレベルで不安があって、絶対に崩されないレベルのスペックで身辺を固めたのでは、とも思えてくる。
それが谷口の件と関わるうち、彼の出自への絶望に知らず知らずのうちに共鳴している自分に気付いた。
戸籍交換という表沙汰に出来ない手段で辛い出自から逃れ、短期間だが真に心安らぐ幸せを手にした谷口。
一方、元在日三世の城戸は、正規の手続で帰化して社会的地位も評価も手に入れた。妻の実家も金銭的な安心感をくれる。時折聞く在日や北朝鮮への日本人の口さがない物言いも、気に留めないようにしてきた。しかし、妻は仕事に理解がなく夫の行動を疑って詮索し、家庭の空気はどこか空疎だ。
心が揺れ始めた状態の中、何度も小見浦を訪ねる。彼は即座に城戸の出自を見抜いた上、弁護士であることなど歯牙にもかけずからかい、城戸の言葉を最後まで聞こうともしない。
乱暴な物言いの人間には仕事上接した経験も多いはずだ。しかし安定を欠き始めた城戸の心に小見浦の言葉が、声を荒げてしまうほどクリティカルに刺さるようになってゆく。かつては苦々しく思いながらも聞き流していた、一部の日本人の在日や北朝鮮に対する心ない言葉も、次第に流せなくなってくる。
とどめは妻の浮気だ。城戸がそれを知ったことに妻は気付かないまま物語は終わるが、彼は妻に浮気を問い詰めることは出来ないのではと思う。
あの妻の実家の太さと付き合いの距離感は、夫婦関係の公平性にも影響を及ぼしていそうだ。それに彼ら義両親は、社会の中で城戸の不安定な自我を守る殻の一部でもある。
もとの自分の在り方に確信が持てなくなり、どんどん息苦しくなって、かと言って現実を打開する行動も取れないから、彼はバーにいた見知らぬ人間の前で谷口を複製し、ひとときの間現実逃避をした。谷口の得た幸せ、妻の里枝からの信頼への羨望があったのかも知れない。
出自や肩書きに囚われないことの大切さを谷口が表しているのに対し、城戸はそのことの難しさを体現しているとも言える。
贅沢なキャスティングで安心して演技を見ていられたが、やっぱり柄本明は別格。頬杖ついて睨まれただけで腰が抜けそう。面会室のシーンは「羊たちの沈黙」のアンソニー・ホプキンスを思い出した。キャラクターの品性はだいぶ違うけど(笑)。
窪田正孝は父親役も演じていたが、父親の時の目のギラつき方が谷口の時とは別人で驚いた。さすがです。