「不穏な気持ちを引きずらせる」ある男 nakadakanさんの映画レビュー(感想・評価)
不穏な気持ちを引きずらせる
原作は未読です。
淡々と静かな描写ですが、どこか不穏感の漂う、複雑な余韻の残る作品でした。
何より安藤サクラと窪田正孝、妻夫木聡の演技に引き込まれます。
何気ない日常の中で涙をこらえる表情に、息子を想う母親の表情など、リアルな存在感を放つ安藤サクラ。
穏やかな父親の表情から狂気じみた父親の表情のギャップ、過去に苛まれる無気力な絶望感を伝えてくる窪田正孝。
窪田正孝がランニング中に倒れる場面、この込み上げる感情をどう表現していいのか、当人にも観ている側にも分からないような、印象深い演技でした。
弁護士として安定した生活を送っているけれど、妙に不安定な佇まいを見せる妻夫木聡。
登場人物の日常を淡々と捉える中に、社会の中に根強くある差別意識も描かれており、理不尽さを強く感じます。
自分ではどうしようもない出自などから、他人に成りすまして逃れたいと追い詰められるのは、やるせないです。
それでも、名前や戸籍に関係なく、実際に接してその人間を知る、共に過ごして大切に思い合える人間だったという事実が重要なのだと、強く胸に響きました。
終盤の清野菜名と仲野太賀の再会の場面や、安藤サクラ親子の会話の場面などから、そういう想いが伝わります。
しかし、安堵できる穏やかな場面なのに、何故かそこには暗く響く音が入っており、そこはかとなく不安をあおられます。
ここでスッと終わるかと思いきや、そこからの不穏な気持ちを引きずらせる展開が、なんとも複雑でした。
本人を知り大切に思い合える存在、それが妻夫木にはないために、それらの場面では妻夫木の立場で心がざわつくような不穏さを表していたということなのか。
他の人に成りすましたいという気持ちがあり、自分の存在があいまいになっているということなのか。
冒頭の場面からすると、もしかしたら妻夫木は他人に成りすますような言動を繰り返しているのか。
そうやって自分を保っているのか。
差別意識は社会の中に根強くあるので、それに苛まれる人間はまだまだいて、不穏さは消えないということなのか。
などと、いろいろと考えさせられる、複雑な余韻のラストでした。