「声を上げられず生きる人は誰」声もなく つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
声を上げられず生きる人は誰
ラストのチョヒに残念さを感じる方がいるようだ。まあ私自身もそうなのだが。
しかしちゃんと考えてみれば、チョヒは家に帰れるのだから当然といえる。
逆にいえば、ラストのチョヒが残念に感じてしまう程にいい感じに家族をやれていたと錯覚させられたということだ。
この作品の「巧さ」はそこに集約されていると言っても過言ではないだろう。
家族のような関係が築けていたと錯覚するドラマ。のように見えるけれど実は違う。
主人公は親もなく小さい妹と二人暮らしだ。妹が学校に行っていないことをみるに主人公もおそらく同じようなものだろう。
学がないだけではなく「生活」を教えてくれる人がいなかったので文化的な水準も低い。
部屋は散らかり放題、洗濯も適当、食事にテーブルも使わない。
そこに現れたのが文化的な生活を知るチョヒだ。チョヒは主人公と妹の生活を変えていくことになる。
チョヒは身代金が中々払われずに主人公の家で暮らすことになるのだが、中々払われない理由は、チョヒが女の子だから。つまり長男ではないからだ。
描写はないが父親が身代金の金額を値切ろうと交渉していたのだろう。
誘拐した側も、間違ってチョヒを連れてきてしまったことを分かっているので、長男に要求する額よりも低くしたはずだ。つまり父親は払えないような額ではなかったにもかかわらず要求額にごねたのだ。
立場が弱いという意味では主人公もチョヒも同じ境遇だといえる。
主人公と妹、チョヒの三人で、テーブルで食事をし始めるシーン。
早速食べ始めようとする妹に、家長である主人公が食べてからだとチョヒは制止する。
教育を受けているチョヒに刷り込まれている過剰な家父長制。実に複雑な気持ちになるシーンだ。
教育を受けていない主人公と悪しき教育を刷り込まれているチョヒ。
この共通点が疑似家族の錯覚を生む。
経済格差、教育格差、男女差、これら大きく隔たってしまっている溝を描くドラマ。
ラスト、チョヒを迎えにきた走る母親と、ゆっくり歩きながら遠くに見える父親と弟。チョヒの安否を大して気にしていないような態度にチョヒの哀しみが滲む。
悲劇的な状況に声も上げられず苦しんでいるのは、主人公だけでなくチョヒもまた同じなのだ。