声もなくのレビュー・感想・評価
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確かさを求める時代に
明日は何して遊ぼうか。他愛のないことを考えて過ごす今日がなくなった。
不規則な起伏を描く感染者数は、押したり引いたりを繰り返し先が見えない。折角の計画があっけなく白紙になったり、楽しみにしていた公演が中止に追い込まれてしまうこともしばしば。明日が見通せないから、約束を交わすことも激減している。
こんな宙ぶらりんな状態を体現したのが、『声もなく』で15キロもの増量で役作りをしたユ・アインである。
映画のタイトルが示す通り、青年は声を発することが出来ないが、その理由は説明されない。ティンは親代わりのチャンボクと一緒に卵を売って暮らしている。養鶏場といえば『下女』が思い出されるが、ここは脱線しない。
このコンビには仕事がもうひとつある。鶏舎は悪党の粛正の場であり、ふたりは葬られた屍体を処理をしているのだ。
ある日、ヤクザのボスが「ある人物を匿ってくれ」と依頼する。犯罪組織からの命令とあれば絶対服従だ。指定された場所に行くと、ウサギのお面を着けた少女がいた。身代金を目当てに誘拐されたのだ。俺の家だと目立つからというチャンボクに押しつけられ、ティンは少女を自転車に乗せると衣類やゴミが散乱し足の踏み場もない荒ら屋に連れて帰る。
翌日、鶏舎では少女を匿えと依頼したヤクザが吊るされている。闇社会とは呆気がない。昨日の雄は今日の負け犬に成り下がり、無様な姿を晒している。
この先の展開はネタバレだらけになってしまうので抑えるが、約束主が屠殺されたふたりには次のプランがない。明日が見通せない宙ぶらりんな状態となった所で、物語は予期せぬ展開へとなだれ込んていく。
卵から始まり、自転車、散乱した衣類、キツネのお面、悪党が着ていた高級スーツ、荒ら屋を取り囲む田園地帯、思わぬ所から飛び出す周到な仕掛けが、後半にはきっちりと回収されていく描写の妙が冴える。
言葉を介することなく、不確かな今日を終わらせようとする青年の姿は、明日への確かさを求めながらも宙ぶらりんな日々をやり過ごす我々の今と重なるのではないか。確かさを求める時代に現れた異色のサスペンス『声もなく』は、上質な人間ドラマでもある。
その結末を残酷と観るか、明日への希望と受け止めるか。その答えは、映画館のスクリーンに浮かび上がる。
期待ハズレ
冒頭の雰囲気やおしの青年の顔つきから貧困故に犯罪を犯さざるをえない人々を描く良作だと期待してしまったんです。けど是枝よりさらにたちの悪い、人々に涙を流させるには、という観点だけで作られた凡作でした。キャラクター設定が中途半端で、仕事の相棒の人、青年を子供の頃から面倒見てるって言うけどじゃああの妹は湧いてでたのか?展開も行き当たりばったり、エピソードや登場人物も荒すぎてそれいる?って場面や人がてんこ盛り。誘拐された子がストックホルム症候群にならないのはエライななんて感心してたら、直後に中途半端に微妙なストックホルム感。青年と少女の心情がいちばん大事なのにいまいち決まってないんだよ、ユラユラしてるって言いたいならハッキリそう描かないと。これだと考えないで撮っちゃいました、にしか見えない。最後も何で血まみれの服で行くかね?とにかく下手な映画のお手本でした。
疑似家族は、やっぱり「疑似」ということだったのか
卵の移動販売は世を欺く仮の姿で、本業は、犯罪組織の下請けで、犯罪死させられた遺体の「後始末」―。
それでも、いつかはその稼業から足を洗いたいと考えてはいるが、世の中そうは儘(ま)ならない。
結局は、生業として、また次の仕事を引き受けてしまうという自己矛盾から、それでも少しでも「浅瀬」にたどり着こうとして、余計に深みに落ち込んでいってしまう…。
そんな境遇のなかでも(そんな境遇の中だからこそ?)血の繋がりもなく、まったくの偶然から身を寄せ合うことになった者同士の関係性が、突き刺さるように、胸に痛い一本でした。評論子には。
(それは、あくまでも「疑似家族関係」「疑似人間関係」に過ぎないのですけれども。)
犯罪の後始末を引き受けるような社会の底辺にいても…否、そういう底辺にいるからこそ、(自らの当座・当面の生存と安全とを得るために)互いに無意識に求め合う関係性なのでしょう。本当に「声もないような」やりきれない思いを拭えないのは、独り評論子だけではないと思います。
秀作としての評価に、疑いはないと思います。
(追記)
映画作品としては、画面の構図の取り方が特徴的というのか、面白いというのか、そんな一本でもあったとも思います。
平地の中に一本だけ長く延びる道を、登場人物が操るクルマや自転車が一台切りで走る、広い構図の中に建物・人物等がポッンと描写されるなどの、その構図は(それが真昼のシーンであったとしても)、あるいは本作の全編を通底する寂寥感が表現されていたのでしょうか。
まだまだ鑑賞力の乏(とぼ)しい評論子には、しかとは断定しかねるのですけれども、たびたび登場するので、そこには何か監督の意図が仕込まれているとは思います。
いつか、そういうことも感得できるようになると、映画を観る楽しみは倍加することでしょう。
その日(が来ること)を楽しみに。
(追々記)
本作は、以前にいちど劇場で鑑賞してた作品になりますが、レンタルで見かけて再度の鑑賞となりました。
気持ちの奥深くに沈んでいた劇場でのあの感慨が、また改めて浮き上がる思いです。
ひと時のしあわせ。韓国の万引き家族。
ヤクザの下請けだった男二人が、逆転して加害者とされ、同時に被害者の立場に墜ちてしまうという、ハートフル・ブラックコメディ。
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うちの会社にも喋れない男がひとりいて、本心困っている。
出先でうまくコミュニケーションが取れないのだ。だから出禁が増え、業務の幅が風前の灯状態なのだ。
奥さんもお子さんもいるらしいのだが、彼の失職や家庭崩壊の姿がチラついて どうして良いのかわからない。
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韓国はすごい。
エンタメの何たるかを知っている。
インドでは、ボリウッド映画はラブ・ストーリーをイケイケダンスで盛り上げるのだが、
この韓国映画界では、ノアールと、込み上げる可笑しみで物語を裏と表から盛り上げてくれる。
そしてSFには逃げず、地に足の付いたストーリーに徹していて、そこに加味される庶民の、そして下層階の人たちの、しみじみとした哀しみが (既視感もあって)、僕たちの胸を打つのだ。
是枝裕和の万引き家族も、韓国ふうに一捻りするとこうなるという良い見本だと思う。是枝へのオマージュは確実だろう。
トイレの扉の前で
「ここにいるよ」、
「怖くないよ」、
と手を叩いてくれたお兄ちゃんのために
警官殺しの土饅頭の前で、震えているお兄ちゃんのために、今度は11歳のチョヒが、そんなお兄ちゃんの弱点に気付かぬ風を装いつつ、ゆっくりと後ろ向きで手を叩いてくれるのだ。
小さいシーンなのだが
ああ、なんていいシナリオ。
「一旦家族になったら助け合わなきゃな」と、おじさんは言ってた。
【悪事を働く善人たち】とのDVD特典のコメント。言い得て妙です。
疑似家族となり、
守るべきかけがえのない存在を知ったお兄ちゃんが、愛すべきチョヒとのひと時の幸せを手放す ラストが、とても痛悲しい。
お兄ちゃんのあの「人物像の設定」は、
本当に喋れないのか、喋ることをやめた人間なのか、それはわからないけれど、
温かい家庭の光景を、理想を、元々は知っていた青年なのだろうと伝わってくる。
そして、セリフがゼロなのに、こんなにも彼の思いがたくさん聞こえてくることには本当に驚いた。
いったい何年ここに、妹ムンジュと二人で暮らしていたのだろうか・・。毎日疲れ果てて帰宅し、泥のように眠るテイン。
なんとかしなくてはと思いつつも、手立ても希望も見つけられずに過ぎていった日々なのだろう。
そんな死体ばかりを見て暮らしていたテインの小屋に、生きている人間チョヒが転がり込んできたわけで、
声の無いテインお兄ちゃんの、
・同居の戸惑い、
・初めて発見した生き甲斐、
・家庭のようなもの、
・けれども自分で決めた別れの哀しみ。
今度はこちらが言葉を失う番だ。
不器用なテインは、
叔父さんは死に、チョヒには捨てられ、早晩彼は、天涯孤独の一人ぼっちになるだろう。警察や児童相談所がやってくるはずだ。
生きていこうと決心をした若者から、瞬時に取り去られていく希望。
彼にどんな未来が用意されているのだろうか、様々に考えさせられる余韻があとを引く。
尻切れトンボでのこのエンディングも、語り過ぎない演出で優れていたのではないかな。
色彩調整がなされたどこか書き割りのような夕焼け空や田園風景。
絵本のように、寓話のように、笑いやグロテスクが交差していて、画面と物語にはグイグイと引き込まれるし、抑制されたBGMがテインの心象を邪魔しない。
”ノアール"って、暴力や死体の世界だけでなく、希望と愛情のついえる瞬間をも指すのだと思った。
ひと時のしあわせが嬉しくって、あわや ほころびそうになった若者の顔が、硬く強ばって、彼は泣きながら街から走って逃げるのだ。
脚本も書いた38歳、ホン・ウィジョンは、これが初監督仕事なのだそうだ。
天才あらわる。
・ ・
で、
我が営業所の、あの言葉を話せない同僚の幸せのためには、僕はどうすればいいのかと、この映画からも学びたいと思っている。
LINEは、半月後に既読になっていた。
男を手玉に取る!女子は強い!
まず、また薬のせいでユ・アインという才能が
見れなくなるのを悔やみます。
素晴らしい演技だった。
口が聞けず、だけど言いたい事がある時の苛立ちの顔と
所作は流石だなと思いました。
内容としては、男ってのはつくづくアホだなと言うこと、男同士のどっちが強いか弱いか、
上か下かの小さい世界で人生を無駄にして行く。
その間に女子はどんどん成長して行く。
男尊女卑の世界でどんどん女は男を手玉に取って行く
そんな映画でした。
僕的には「レオン」?なわけねぇだろバカ!
と言ってる様でラスト前の展開は気持ちよかったけど、
ラストはもう少し先を見たかった。
日常と非日常…
誘拐されている状況下で、誘拐犯の妹の面倒を見たり、死体処理を手伝ったり。かと思うと逃げ出したり。助けてもらっても、ラストは誘拐犯と先生にチクるし。。期待し過ぎて、もっと二人の関係が近づいていく様を分かりやすく描いてほしく、ラスト含めてかなり消化不良だった。
貧困だから成り立つ稼業(副業)
見終わったときは「ん~,ここで終るか・・・」
今回も期待を裏切らなかったけれど自分が思うような終わり方でなくちょっぴり残念。
誘拐された女の子のお面が後でポイントとなるのが面白かった。
死体遺棄を副業?にしているのに貧困、貧困だから死体遺棄を副業にしているのかよくわからないけれど現実のも韓国ではあるのだろうか?
誘拐犯じゃないのに誘拐犯になってしまう下りがむずがゆいし、
改心して学校に送り届けたのに逃げないとあかん羽目に。
なんともどかしいテインの人生。
みんな幸せになる方法はあったと思うのだが・・・
続きは鑑賞者任せになるのだが、妹が一番心配。
なんとか生き抜いて幸せになって欲しいと切に願う。
フェリーニの「道」を彷彿する抒情とペーソス
題名の「声もなく」
声を出せない、話せない男の純情。
哀切で言葉にならず、引き込まれました。
足を引き摺る相棒のチャンボクと共に、表向きの生業は玉子移動販売だが、
裏では組織の死体処理の汚れ仕事をしているテイン。
テインは言葉が話せない。
ある日2人は誘拐された11歳の少女チョヒ(ムン・スンア)を一日預かることになる。
ところがテインたちに仕事を斡旋する元締めが殺されて、
事は複雑になってしまう。
テインに頼らなければ生きられない少女の知恵と、
次第にチョヒに情を感じるテイン。
テインを演じるユ・アインは
フェデリコ・フェリーニの「道」のジュリエッタ・マシーナを彷彿する名演技。
知恵もない。学問もない。死体処理の仕事をただ黙々とこなすテイン。
しかしテインは少女の始末に手を焼く組織と自らの優しさの板挟みになり、
心は千々に乱れます。
ラストの展開は殆どコントのようになっていきます。
ラストで介入して来る女性警官の役割、男性巡査の頼りなさ。
もつれにもつれる誘拐騒ぎの顛末と決着。
犯罪映画と一括りに出来ないユーモアと深みのある終盤。
話せない男の純情と悲哀が押し寄せてきて、
なんとも言えない感動に包まれました。
どの視点で見るかによって感想も変わってくる。
片足が不自由な男と話ができない若い男は卵売りは表向き、裏では死体処理の仕事をしていたが、裏ボスから誘拐した11歳の女の子を預かって欲しいと頼まれ、若い男に押しつける。
そこから数日、話ができない男とその妹、誘拐された少女の3人の生活が始まる。
少女は加害者に共感し、隙あらば逃げようとも考えつつも、共同生活を楽しもうともしていく。
恐怖と孤独さと話ができない男の実は温かい眼差しを受けている誘拐された少女。
生まれつき発話ができない若い男のつらさ、無念さ。
足が不自由で貧しい生活から抜け出せないオッサン。
話は発話できない男目線で描かれ、誘拐された少女を思いつつも不器用なやり方でしか接することができないことに同情するようなストーリーになっているものの、最後で目が覚めるような展開で終わる。
やはり誘拐(実際は違うにしても)に関わった人物としての引き戻しがこの作品のバランスを保っている。
先輩と二人で昼は鶏卵を売り、裏の仕事として死体の処理をしているテイ...
先輩と二人で昼は鶏卵を売り、裏の仕事として死体の処理をしているテイン。ある日、誘拐してきた子供を預かることになり、声の出せないテインは渋々面倒を見ることになる。誘拐してきた女の子と歳の近いテインの妹は仲良くなり、テインとも会話は出来ないもののだんだんと心が通うようになる。
少女の親から身代金を受け取りに行った先輩が事故で死んでしまい、少女を人身売買の元に送り届けたテインだが、取り返しに行く様子が切ない。
少女を学校に送り届けたテイン、テインに親しみを感じながらも先生に誘拐犯と訴える少女。でも迎えにきた両親に飛びつくわけでもなく、頭を下げる。悲しい場面。お母さんお父さんには会いたいけれど、私に出す身代金は渋っていた。弟は大事だけれど、私はどうでもいいんだ。と思い込んでいるからこその行動だろう。この子はこれからしばらくは、そう思い込んだまま過ごすんだろうな、と思うと、なんともやるせ無い結末であった。
声を発したかった
卵の移動販売の傍ら、生活の為に犯罪組織の死体処理を請け負う口の利けない青年テインと相棒のチャンボク。ある日、ボスが身代金目的で誘拐した少女チョヒを預かる事に…。
裏社会、死体処理、誘拐…。
韓国作品らしいハードなサスペンスかと思いきや、
いい意味で予想を裏切られた。
シビアな設定、題材である。ラストもどう捉えていいか困るくらい、切ない。
そんな胸かきむしられる感情と共に、ユーモアやペーソスやハートフルといった感情も入り交じる。
見ていて不思議な心地にさせられた。
それを織り成すは、一人の青年と一人の少女…。
口が利けず、無愛想。唸り声でしか感情を表せないテイン。
唯一頼りにしているのは、チャンボク。赤ん坊だったテインを拾い、育て仕事の相棒にしてくれた恩人で親代わり。
でも、彼もまたいい加減。少女の面倒を押し付ける。さらに困った事に、ボスが何かやらかしたのか制裁を受ける立場になり…。
自分たちは死体処理の請け負いだけで、誘拐は専門外。そもそも誘拐にも関わっておらず、ただ少女を預かる事になっただけで、ボス亡き後、誘拐やこの少女をどうすればいい…?
何でこんな事に…とチャンボクは愚痴るが、テインは尚更。
嫌々抵抗しながらも、仕方なく少女を家に連れ帰る。
家と言っても、周りに何も無いド田舎の草むらの中にある、オンボロ家屋。
中もただ食事と寝泊まりするだけのような、布団乱雑の汚ならしさ。
突然布団がモゾモゾと動いたと思ったら、テインの幼い妹ムンジュ。腹を空かしている。
こんなド田舎のボロ家で、口の利けない兄と幼い妹の底辺も底辺、極貧暮らし。
ここに留まる事になったチョヒは…。
チョヒの処遇も不憫だ。
誘拐された事自体そうだが、それ以上に…
本当は誘拐犯は、長男である弟を拐う筈が、間違って姉のチョヒを誘拐。その為、父親は身代金を払うのに渋っている現状。
身内からは軽んじられ、誘拐した側からもたらい回し。
嘆き悲しんでいい所だが、なかなか気が強く、しっかり者のチョヒ。
家でも弟の面倒を見ていた姉だったのか、誘拐された身でありながらムンジュの面倒を見る。
家の中も綺麗に整理整頓。小さなテーブルを囲んで3人で食事を…。
孤独な青年と半ば見離された少女。
所謂“ストックホルム症候群”。被害者が加害者に、加害者が被害者にシンパシーを感じる。
だが、チョヒは隙あらば逃げ出す事を考えている。実際、行動を起こした事もしばしば。
そうでありつつ、この兄妹の事を見捨てられない気持ちもあったのではなかろうか。
テインも当初は嫌々だったチョヒを、次第に受け入れ始める。チョヒの処遇が決まり、人身売買の夫婦に引き渡すが、その直後思い直し、大胆にも奪い返す。
心が触れ合ったようでもあり、抵抗もある。
そんな微妙な関係性は、あのラストまで続く。
他の韓国サスペンスとは違うこの作風。
しかし、勿論インパクトは充分。
死体処理、誘拐、人身売買などの犯罪ビジネス。しかもそれらを行うのが、如何にもな悪人面ではなく、一見平凡そうな人たち。それがまた衝撃であり、戦慄。
テインの極貧暮らしは格差社会の象徴。
女の子だからという理由で身代金払いを渋られ、家父長制による男尊女卑を突く。
韓国現代社会の問題を巧みに溶け込ませている。
本作が長編作デビューとなった新鋭女性監督ホン・ウィジョンの手腕とオリジナル脚本は特筆もの。
見る側に解釈を委ねる結末は賛否別れそうだが、あの終わり方は嫌いじゃない。
体重を15㎏増やし、台詞の無い難役に挑んだユ・アインの熱演と体現は一見の価値あり。
人間臭い相棒チャンボク役のユ・ジェミョンは勿論の事、チョヒ役のムン・スンアはまた新たな天才子役が現れた逸材と存在感。
予測不可能な展開の行く末は…?
身代金受け渡しに加担させられる事になったチャンボク。しかし、まさかの事態が…。
人身売買の夫婦と一悶着。
誘拐実行犯がチョヒを追う。
ある事をきっかけに、女性巡査に嗅ぎ付けられる。って言うか、夜道のあの酔っぱらい親父、本当に警官だったのね…。
そんな中、テインとチョヒはチョヒが通っていた学校へ…。
この結末が何とも言えない。先述したが、どう捉えていいのか…。
先生がチョヒに気付く。
チョヒは先生に駆け寄ろうとするが、テインはチョヒの手を離さない。
チョヒはテインの手を振りほどき、先生の元へ。
先生はチョヒにテインの事を尋ねる。
この時チョヒは先生に何かを囁くが、何と言ったのだろう…?
私を誘拐した人…と言ったのだろうか…?
だとしたら、あまりにも残酷だ。そもそもテイン(とチャンボク)は誘拐の実行犯ではなく、面倒を押し付けられただけ。
家に連れ帰ったとは言え、チョヒに少なからず穏やかな場を与えた。それに、ここまで連れてきてくれた。
それとも、チョヒが何かモゴモゴ発せず、先生がその身なりからテインを“誘拐犯”と決め付けたのだろうか…?
一応チョヒは保護され、事件は解決。
…だが、この何とも言えぬ感情は何なのだろうか…?
テインはその場を逃げ出す。走って、走って。
叫び声を上げる。
あの一時でも、共に過ごした穏やかな日々は全て偽りだったのか…?
チョヒが次第に受け入れてくれたのは事実。
が、家族の元に帰りたかったのも事実。
だから一層、余計に…。
一度、家族(父親)から見離されたチョヒ。
再び家に帰って、居場所はあるのだろうか…?
いや寧ろ、気まずく居場所が無いのなら、そうならないようにしなければならない。
母親が迎えに来たチョヒの表情からそう読み取れた。
チョヒも時折思い出すだろうか。共に過ごした日々を…。
声もなく、翻弄させられ…
声もなく、共に過ごし…
声もなく、唐突の別れ…
声もなく、本心を伝えられず…
声を発したかった。
何故だか温かい誘拐犯罪ドラマ
主演のユ・アインの演技力が素晴らしい。特に声が出せない(出さない?)中で、動作と目、表情でその感情を表現しているところが素晴らしい。一言で言うと誘拐犯罪ドラマなのだが、幼児売買や障害者、貧困、など様々な要素を含んで、でも重くなりすぎずに描かれている。いい映画だった。
いろいろとれべち
軽トラで卵を売っている父子らしきふたりの男。
組織の屍体処理を副業にしている。
主収入はそっちだが、つましく生きている。
反社と田舎と底辺と暗愚。
韓国映画が得意とする描写だと思う。
在方とそこにいる教養のない人、かれらが依拠する闇の世界──を描かせたら韓国映画の右にでるものはない。
主人公はユ・アイン。
田舎の青年の雰囲気がじょうず。
投げやりで、短絡的で、ふてぶてしい──そんな人物像がバーニング(2018)にもこの映画にもあった。
アメリカ映画で障がい者が描かれるとき、それは多様性をあらわすために使われる。
韓国映画で障がい者が描かれるとき、それは何らかのいびつさをあらわすために使われる。
ユ・アインの役は唖者の設定で台詞がない。
さながら復讐者に憐れみのシン・ハギュンのようでもあり、映画のはじまりのノワール感はわくわくさせた。
が、身の代にあずかった少女を仮住まいさせている間に情がわいてくる──という話。
悪くないが筋を盛りすぎで、正直なところ主題はぼやけていた。と個人的には思う。
ストックホルム症候群のテーマを生かすにしては、込み入った話だった。
ただし監督ホン・ウィジョンにとってこれが初めての長編映画。女性である。
いうまでもないが基本的な映画技術もさることながら作家性が日本とはレベち。比べるひつようはないことだが、いつもながら愕然とさせられた。
日本に作家性をもった新人映画監督っているんだろうか?
(作家性の有無とは「どうしてもこれを作りたいという宿望」の有無、です)
ところで、日本映画だと、たとえばひとをコロすシーンで眉一つ動かさずに処置すると「おれはこんなに冷酷無比なんだぜ」というドヤりがあらわれる。
これは演者のドヤりでもあるが作り手のドヤりでもある。
もっと分かり易く言うと、たとえば、風呂場でためらいもなく屍体をバラバラにすると「(この描写)すげえだろ」という監督自身の承認欲求が入り混じったなんともいえないドヤりがあらわれる。
それらのドヤりは観衆からすると稚気だが、ぜったいにそれがあらわれてしまう。
ようするに日本映画は悪い奴を描写するのが絶望的にへたくそ。
反して韓国映画は悪い奴/事を描写するのがうまい。
雨合羽をきて、ビニールを布いて、道具をならべる、父子の日常性。とうてい拷問用の吊るしを設営しているとは思えない。
日本映画では韓国ノワールの模倣が潮流化しているが、やはり血は競えない──という話。
こんなユ・アイン見られると思ってなかった
Netflixの「地獄が呼んでいる」と、「バーニング劇場版」を見て、ユ・アインさんが気になり、「声もなく」を鑑賞。
作品によってビジュアルも全く別人、作品毎にその人間を生きている事に驚いた。
声を発さない役なのに、全身から感情が伝わってくるテイン🥺誘拐した側とされた側なのに、一緒に過ごす時間が増える事で絆が生まれ、テインが心救われた時間が確かにそこにあったと感じた。逃げられない現実から目を逸らす事が出来た安らぎは一瞬で、やはりラストは現実を突きつけられた。
【”疑似家族の絆・・。”ペーソスとユーモラスとを絶妙にブレンディングした一捻り半した誘拐映画。ラストシーンは、何とも言えないほろ苦い哀しみの感情が湧き出ます・・。】
ー 喉に障害があり、発声出来ないテイン(ユ・アイン:役作りの大増量のため、最初誰だか分からず・・)は親代わりのチャンボク(ユ・ジェミョン)と、鶏卵の移動販売をしながら、違法な遺体処理をして日々を過ごしている。
そんな二人の元に犯罪組織の依頼で、誘拐された11歳の女の子、チョヒ(ムン・スンア)が預けられる。渋々承知するチャンボクであったが・・。-
◆感想<Caution! 内容に触れています。>
・冒頭の縄につるされた男がリンチされ、挙句に殺され、テインとチャンボクに山中に埋められるシーン
- ”うーむ。いつもの韓国ヴァイオレンス映画かな・・。”と思いきや、イキナリチャンボクが、遺体を穴の中に入れた後に”イカン、南北を間違えた!北枕にしなくては・・。”と言いながら渋るテインに遺体の向きを変えさせるシーンを見て、”アレ?コメディ?”と脳内軌道修正を図る。-
・その後も、犯罪組織のテインとチャンボクを良いように扱き使っていた、キムが同じように殺される展開に戸惑いながら鑑賞続行。
・そして、二人に預けられた誘拐された11歳の女の子、チョヒ。本当は彼女ではなく長男を誘拐する筈だったのが間違われたチョヒ。彼女の父親は身代金を払おうとしないらしい・・。
- 男尊女卑を描こうとしているのか・・、と思いきや、またもや物語は予想の右斜め上の展開を始める。-
・チョヒはテインと髪の毛ボサボサのテインの妹と3人で山の中の粗末な家で生活を始める。利発なチョヒはテインの妹に服の畳み方を教える。それまで、足の踏み場もなかった部屋がとてもきれいになっているのを見たテインの驚きの表情。
テインの妹の髪もいつの間にか、綺麗に整えられている。
ー 三人は、一緒に餃子を食べ、写真を撮る。チョヒはテイン一家に馴染んだかと思ったが。-
・チョヒは、児童売買の対象になり、テインは愚かしき夫婦の元にチョヒを連れて行くが、突然自転車で眠らされた子供たちを乗せた愚かしき男が運転する車に乗り込み、チョヒを取り戻す。
- 理由は、分かるよね・・。-
・チョヒの身代金を取りに行かされたチャンボクは、金が入っていると思しきバックを手にするも、焦って階段から転げ落ち、動かなくなってしまう。
- その背後に映る言葉。”ようこそ・・”アイロニックだなあ・・。-
・もう、部屋に鍵を掛けなくなったテイン。だが、チョヒはこっそりと夜に逃げ出す。そして、酔っ払った警官の制止を振り切る。テインはやっとの思いでチョヒを連れ帰るが、彼の部下の婦人警官がテインの家にやって来て・・。
揉みあうテインと婦人警官。だが、弾みで頭を打った婦人警官は動かなくなり慌てて彼女を埋める3人。
- ここは「万引家族」のお婆さんを埋めるシーンを想起させる。-
・犯罪組織の男二人がテインの家にやって来るが、既にテインはチョヒを学校に連れて行ったあとだった・・。と思ったら、土の中から婦人警官の手が出て来て・・。
- コメディですか!-
<今作のラストシーンは切ない。
テインはチョヒを学校に連れて行くが、チョヒは女の先生に何やら耳打ちをしている。
顔つきが変わった先生は”誘拐犯よ!”と叫び、”事情を説明すべき声を持たない”テインは必死に逃げ出す。
街中を抜け、トンネルを抜け、テインが干してくれていたキムの背広を脱ぎ棄てて・・。
チョヒの元に”ゆっくりと”歩いてくる両親と、長男。表情はフォーカスされない・・。
チョヒを助けたテインは必死の形相で走って逃げだし、本来、走って娘の元に駆け寄るべき家族はゆっくりと歩いてくる・・。
今作は、喜劇でもあり、韓国社会の格差、歪みをじんわりと描いた社会派作品でもある。>
<2022年3月13日 刈谷日劇にて鑑賞>
景色は美しいが、心が見えない
闇社会の底辺で生きる男と、誘拐されてきた少女。二人が出会うことによって生まれる化学反応こそが、この映画の見どころとなるはずなのに、あろうことか、二人の心の交流というものがまったく描かれない。
男が話せないということも、男に妹がいるということも、男と少女のコミュニケーションを妨げるようにしか作用していない。だったら、なぜ、わざわざ、そのような設定にしたのか?
心の機微が分からないので、男が、なぜ、人身売買の現場から少女を救い出したのか、少女は、なぜ、それでも男のもとから逃げ出したのか、さらには、助けてくれた男を裏切ったのか、その理由もよく分からない。
終盤、唐突に、女性警官のくだりがあるが、なぜ、ストーリーの流れを阻害するような、こんな余分なエピソードを入れ込んだのか、その理由も分からない。
田園風景の美しさが印象に残る反面、そんな「分からないこと」だらけの映画であった。
サスペンスなのかな
サスペンスなのかな?サスペンスではあるが、コメディでもある。初監督作とはとても思えない、重層的な味わいのある作品。
登場する大人がまぁ一人残らず碌でもなくて、子供たちが愛らしくて、じんわりして、ほんのりして、そして切ない…
ユ・アインとカメレオン役者ユ・ジェミョンの演技が本当に素晴らしい。
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