「学校的日常への憎悪がループさせる儀式「カラダ探し」」カラダ探し マユキさんの映画レビュー(感想・評価)
学校的日常への憎悪がループさせる儀式「カラダ探し」
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殺された少女のバラバラにされた身体のパーツを探索して集める儀式「カラダ探し」は、その参加者6名が属するスクールカーストを無効化するゲームとして機能する。スクールカースト上位者と下位者が友だちになるための共同身体性の体験を与えるのだ。
「赤い人」は、社会の中で報われなかったり、冷遇されたり、疎外感を感じてきた者たちの「寂しさ」が生み出した怪物だ。バラバラに分割された身体を取り戻したいという願望を持つが、一方、スクールカーストに象徴される理不尽な構造を呪い無効化したいとも思っている。その葛藤が、「カラダ探し」を終わらせたい少女と、その永続を願う「赤い人」への分裂を引き起こす。
スクールカーストのどの階層に属していても、死は平等に訪れる。血塗られたデスゲームの中で、カーストは意味を失い、参加者は一体感に包まれ友だちになれる。そんな理想を保ち続けたいという思いが、「カラダ探し」を延々とループさせる。ブライアン・デ・パルマ監督『キャリー』が、スクールカーストを無効化するデスゲームというかたちで社会に復讐する姿を取ったのが本作『カラダ探し』だろう。だから、儀式は一度終わっても、また始まってしまうのだ。
「七人ミサキ」よろしく、「カラダ探し」の6人は、身体が完成して、殺害された者が成仏すると、次はその中のひとりが「赤い人」になり、儀式を開始する。それがカースト下位の明日香であるのは必然だろう。理不尽な構造を変えない社会が続く限り、呪者も「カラダ探し」を永遠に続けるのだ。
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