「映像美が素晴らしい」ほんとうのピノッキオ SP_Hitoshiさんの映画レビュー(感想・評価)
映像美が素晴らしい
かなり原作に忠実に作っていると思った。
邦題の「ほんとうの」はいらないのでは。ピノッキオのストーリーそのものでべつにひねりはない。まあ、ディズニー版の改変したものではなく、「正統派の」といいたいのかな。
あおりの「ダークファンタジー」にも違和感。どのへんがダークなのだろう? 強いて言えば、人外のキャラの造形がグロテスクなのと、ピノッキオの時代の暗くて極貧の庶民の生活が描かれているところだろうか。
とにかく映像がすばらしい。こだわりにこだわっているように思う。キャラがグロいと言ったが、好みのグロさ。
もともと子供向けに書かれた童話だと思うが、この映画が子供に受けるかは疑問。ストーリー展開がたんたんとしすぎているし、キャラがグロくて受け付けないだろう。
でも内容は子供に見せたい内容だったりするので、対象年齢がややはっきりしない。大人が子供に、いい映画だから見なさい、といって見させる感じかな。
善い行いをすれば報われ、悪い行いをすれば罰を受ける、というシンプルだけど力強いストーリー。子供は耳タコで言われている道徳かもしれないが、あらためてこういうふうに分かりやすい教訓話として言われると、胸に響くものがある。
もちろんそれだけではなくて、子供の人身売買を思わせるところや、体罰を与える教師、貧しい家庭が教育を受けられない環境にあることなど、子供をとりまく社会問題を提起している側面もある。
脚本は序盤はすごく丁寧に作っているように思ったが、後半になるにつれて荒さがあるように思った。
ジェペットをとりまく人間関係のディティールの描き方がとても丁寧。人付き合いが苦手でプライドが高くて空気が読めない困りもののじいさんをみんなが困りながらも温かく助けている感じがとても良かった。
この映画の一つの特徴として、人物たちを多面的に描いているところだと思う。
ジェペットは単なる気の優しいおじいさんというわけではなく、おろかで困ったところもある。質屋、人形劇の団長、教師といった人物たちも、良い面と悪い面がある。
そしてこれらの多面性の軸となっているのは、お金と生活についての非情なまでのシビアさである。誰もが生活のためにお金を得ることについてはリアリストであり、そのためであれば厳しい顔をする。
ピノッキオは、単に道徳的な意味で成長していくのではない。実はこの映画においてはピノッキオははじめから善良なのであるが、お金や生活(社会)に対して無知であるために、容易にだまされてしまったり、勉強の価値がわからなかったり、お金のために人が悪人になることを理解できなかったりする。
そして、「お金の大切さ」「お金をかせぐためには地道に真面目にがんばる他はない」ということを経験を通して理解する。
悪役の代表として登場するきつねとねこはこの映画における最重要キャラだと思う。日本では彼らが視覚障害者と身体障害者であることが差別を助長するのではないかということで問題になったことがある。
おそらくこの映画を作る上でも、彼らをどう描くかはかなり議論されたはずだ。しかし最終的に原作通りになった。それは、あえて原作どおりにすることで、貧困について考える契機にする、というねらいがあったのでは、と思う。
きつねとねこはふだんは残飯をわけてもらったり、川で魚をとったりして食いつないでいる。そして人をだますことに躊躇がない。しかしそうなる理由をよく考えれば、彼らが障害者であり、それ以外に生活する手段が無いからだ。
この映画では動物のキャラはみな特殊メイクをしているのに、例外的にきつねとねこだけはほとんど人間の姿をしている。これは、きつねとねこはファンタジーのキャラではなく、人間なのだ、というメッセージだと思う。
この映画はすごく良い映画だと思うが、人にすすめられるか、と言われれば微妙だ。映画を見慣れていない人が観れば、退屈だった、とか、意味が分からなかった、と言われてしまうだろう。
ストーリーは唐突だったり意味が分からないところが多い。ピノッキオの成長が一番重要な主題だと思うが、成長の過程が分かりにくい。ピノッキオの悪行は、忠告に腹を立てて暴力をふるう、目の前の誘惑に負けて大切な教科書を売ってしまう、楽してかせげる儲け話にだまされてしまう、保身のためにウソをつく、遊びのために勉強から逃げ出す、といったところだが、これらひとつひとつをどう克服していったのか、分かりやすくは示されていない。
コオロギに謝罪するとか(そういえば原作ではコオロギを殺してしまうのだと思ったが、なぜ変えたんだろう?)、教科書を買い直すとかいう描写をちょっと入れるだけでずいぶん印象が変わると思う。
妖精がいきなり大人になっていたり、ジェペットを探していたはずなのにのんびり学校に通いはじめたり、思いつきのように人間の子供になりたいと言い出したり、原作どおりなのかもしれないが、脚本でもっと不自然さを補完できたのではないか。
世界観についても一貫性がない。ピノッキオは人形なのに話すことが驚かれる一方、なぜかあやつり人形たちも話すことができる意思をもつ存在である。
コオロギ、カタツムリ、マグロなどは「話すことができる」獣人のような存在だが、一方、ロバ、ウマ、サメ、羊は話すことができない本物の動物である。
脚本で補完するなら、獣人たちは妖精に関わる者たちだけで、ピノッキオにしか見えない、みたいな設定にすれば、混乱がなかったかも。