配信開始日 2021年9月10日

「物語性と警告との天秤」観察者 R41さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0物語性と警告との天秤

2024年12月2日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

割と最近の作品のようだが、意外に先が見えてしまうのが少々残念だった。
物語上さらにその先というどんでん返しを作っているものの、やはりそれは想像の範疇に納まってしまっている。
ただ、
取って付けた感はなく、最初からその設定で細部まで練りこんであったのは良かったと思う。
これこそがこの作品の最大の謎だろう。
さて、
主人公ピッパの思考というのか好奇心と、彼女のもっともらしい正義感は典型的な20歳前後のアメリカ人の考え方なのだろう。
設定は20代後半と言っているが、やっていることは10代後半だ。
下の階には端然とカーテンがあるのに、向かいの部屋と主人公らの部屋にカーテンがないのはやや無理があるように思う。
私も上京して大学の寮に入った最初の夜、部屋にカーテンがないことがこんなにも居心地の悪いものかと感じたことを思い出した。
しかしながら、
この物語を活かすための設定が細部に成されていて、後半の写真展までの中で、いったいどれだけ「偶然」を重ねているのかなと思っていたが、この作品の中の偶然は、誰があの部屋に引っ越してくるのかということだけだった。
観察者
観察するものは、観察されている。
これは多くの人が最初に想像することだ。
写真展のシーンまでセヴたちが知らなかったのかなと思わせることを引っ張っているに過ぎない。
また、ピッパの復讐劇も想定の枠内に収まっていた。
さて、、
この手の物語は割と作られている気がするが、最近になって何故監督は再びこのモチーフを使ったのだろう?
昨今の動画アップ技術によって、様々な瞬間の切り抜きが世界中にまん延した。
その中で気になるのが、他人の言動をアップする是非だ。
誰もが街中で行う些細な言動には、多少マナー違反なところもあるのは間違いないことだろう。
それを逆手にとって相手を陥れようとする動きが活発化しているように思う。
「Web 2.0 」=掲示板を超えた現代のやり方
これこそがポリコレと呼ばれている行為で、直訳すれば政治的な正しさだが、法的根拠に基づいて他人の「自由な言動」を弾圧するものだ。
LGBT法がまさにそれで、つまり逆差別で、差別するもの差別することを正当化している。
そして今やっている夫婦別姓問題で、家庭というものを中心から破壊する概念。
これらを背後で動かす何らかの利益団体があるのは間違いなく、政治家の「朝〇飲み」や両手をへその上に置いてお辞儀する「コンス」などを日本の礼儀作法として洗脳している団体がいる。
マスクによって始まった自粛警察
その延長線上にこれらがあるように感じる。
誰かの誹謗中傷をアップすることでさえ問題を感じるのに、マ〇ゴミがそんなことを取り上げ、国民の感情を操作しているように思えてならない。
この作品はこの1点のために作られたのではないかと考えてみた。
上記の話はちょっとだけ大げさな言い方だったが、
セヴとジュリアがしたことは、対象とする主人公らに契約書を書かせ合法チックにした上で、彼らのプライバシーを世間に晒すことだった。
これは単に写真だったが、写真で表現する以外にこれを映画にする術はない。
その行為は世界中で取り上げられ是々非々を争う事態となった。
セヴのセリフの中に「金は腐るほどある」というのがあるが、それはつまり、いわば作中の中のYouTubeの様なもので収入を得ているという設定だろう。
こうなりつつある世の中への警鐘こそが、この監督が言いたかったのだろう。
そして、
この物語の中には誰も勝者がいない。
ピッパはすべてを失い、トーマスは死に、セブとジュリアは視力を失った。
写真展でもそのやり方に嫌気を刺した客が何人も帰っている。
しかし、世間では大騒ぎとなった。
その対価もあった。
では、
悪いのは誰だ?
この観点で思考する場合、最初に問題のある契約書にサインさせたゼブ達とも思えるが、契約など知らなかった場合、実際にのぞき見をし続け盗聴器まで仕掛けた主人公らにも責任はあるだろう。
もし本当にトーマスの死が他殺であれば、それはもっと大きな問題だ。
これが「いいね」を稼ぐために必要な「エスカレート」した遊びなのだろう。
ピッパの復讐もまたおぞましいだけだった。
ピッパは最後に屋上に双眼鏡を置く。
しかしそれは視聴者に向けらている。
これこそが「罠」であると、この文明の利器に潜む罠だと監督は警告したかったのだろう。
テーマ性は十分にあったが、大どんでん返しはもっとひっくり返る仕様にしてほしかった。

R41