「誰も知らない 知られちゃいけ〜ない〜。 虚と実のあわいを彷徨う、良質なサイコホラー。」ナイト・ハウス たなかなかなかさんの映画レビュー(感想・評価)
誰も知らない 知られちゃいけ〜ない〜。 虚と実のあわいを彷徨う、良質なサイコホラー。
湖畔に佇む邸宅を舞台に、主人公ベスに纏い付く“見えざるもの“の恐怖を描いたサイコホラー。
不意に悪心が芽生える事を「“魔“が差す」、病を患うことを「病“魔“に冒される」と言いますが、本作で扱われているのはこの“魔“。抑えることのできない殺人衝動、そして抑うつなどの精神疾患が、文字通りの“悪魔“としてスクリーンに出現する。
序盤、観客にはほとんどの情報が与えられない。ボート付きの立派な邸宅と、苛立っている様にも、混乱している様にも見える女性。その女性は、どうやら最近夫を亡くしたばかりらしい。わかるのはこの程度で、一体この女性は何者なのか、そしてその夫に何が起こったのかは一切わからない。
その後、少しずつ状況が明らかになってくる。女性の名前はベスで、職業は教師であること。今住んでいる家は夫が設計し建築したものであること。その夫が数日前に突然自殺してしまったこと。長らくうつ病を患っており、最近では夫と同じ夢遊病も発症してしまったことetc。この情報を小出しにしてゆくという提示の仕方が実に上手い。
本作は『機動警察パトレイバー 劇場版』(1989)や『シン・ゴジラ』(2016)の様に、既に逝去している登場人物が映画全体の鍵を握っているパターンの作品であるが、これと徐々に物語の全体像が見えてくるという語り口とは相性がピッタリ。真実を覆い隠す膜が少しずつ破られてゆく感覚は、ダメだとわかっていてもつい膝のかさぶたを剥がしてしまう様なマゾヒスティックな快楽にも似ており、怖い怖い展開に目を覆いながらもそっと薄目で観てしまう。
本作がユニークなのは、果たして本当に“悪魔“が存在しているのか、最後まで曖昧だという点。悪魔との戦いを描いたスーパーナチュラル・ホラーとも、人間の心の闇を描いたサイコ・ホラーとも捉える事が出来る上、その両方の美味しさがキチンとキープされている。恐怖の演出が上手いので、これならどちらのジャンルのファンにも支持されるだろう。…まぁ個人的にはオバケものよりもサイコキラーものの方が好きなので、最後の大暴れはちょっと蛇足に感じてしまったのだが。ここは好みが分かれるところかも知れない。
大きな湖はまるで鏡面で、それを挟む様にしてシンメトリーな2つの建物が存在している。夢と現実を行き来するベス。優しさと嗜虐性を併せ持つ夫。空に浮かぶ青い月と赤い月。そして生と死。「鏡」というモチーフが全体を貫いており、映画の舞台となる邸宅の立地がそのまま物語を表している点が非常にスマートである。
家具や物陰が人の形に見えるという錯視を積極的に用い、姿なき存在に形を与えるという発想も洒落ている。夜の湖面を幻想的に捉えた撮影も美しく、視覚的な満足度の高い一作である。アート映画の様でもあるので、ホラー嫌いにも挑戦して欲しい。
