スープとイデオロギーのレビュー・感想・評価
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少しずつ解れていく解していくことの大切さ
スープとイデオロギー、
その間を行ったり来たら、おそらく人生のほとんどをそうされてきた(余儀なくされてきた)ヤンヨンヒ監督。
スープとイデオロギーの間にでんと座って、シーソーの真ん中みたいにバランスを保つカオルさん。
解き明かしの物語であり、出会いと別れと出会いの物語であり。
かぞくのくにをみてもやもやとしていた、わからなかったこともすこし繋がった。
解き明かし、とかそんな生ぬるいことではない済州島の四三事件の真相を解明し、調査し、死者を悼みこれからの民主主義に生かすこと。
オモニのような、韓国籍でない人も式典に参加できる、済州島に行ける、あのように立派なメモリアルを造成したこと、韓国はビーブルズパワーがあり、このようなことが可能なのだなと改めて思う。そう簡単なことではないが、クリーンなわけでもないことは承知の上でそれでもその時その時の民意はある程度反映され闇に葬られタブーとされていたことが取り上げられることには羨ましさと、この国のピープル不在を思い知る。
オモニが胸につけていた赤いバッジは、済州島の椿のバッジ。死者を、暴虐を忘れない。
ヤンヨンヒ監督とカオルさんのトークを上映後に拝聴した。監督は本作品をつくりなお溢れ出る止まらないトーク、言いたいこと、思いが底なしに出てくるようであり次の作品が楽しみであり、お二人の温かいそして強い思いは、パンフレットと、プレゼントとしていただいた椿のバッジと共に受け取った。もっと勉強しなければ。使者と共にある、死者のおかげで今を生きる私たちであることを。
イデオロギーと言うよりはアイデンティティと言ったほうがスッキリする。
ヤン・ヨンヒ監督の『かぞくのくに』(2012)を未見のままの鑑賞となりましたが、『ディア・ピョンヤン』(2006)でもかなり彼女の家族については語られていたので、多分問題はない・・・と思う。
朝鮮総連の活動家だったアボジが亡くなり、今度はオモニから固く禁じられていた日本人との結婚を告げるヤン・ヨンヒ。前半では「スープ」作りの映像が中心となり、トリの中に青森ニンニクを40個入れて5時間煮込む作業。民族が違っても家族は家族!スープレシピの直伝によって荒井さんも家族になったんだと感じるほのぼのした展開。
中盤以降はオモニが語る「済州島4・3事件」の体験。夫を亡くしたことにより記憶が蘇ったかのように、彼女は堰を切ったように語り始める。先祖が北朝鮮出身の在日だが、大阪大空襲を経験して済州島に疎開した家族。オモニは1948年のその事件のとき18歳。医者の婚約者もいたが、家族とともに軍の虐殺に遭ったのだった。オモニのオモニの計らいにより密輸船で辛うじて日本に逃げたオモニ。大阪で知り合った現夫と知り合い結婚するが、その事件をきっかけに南朝鮮を憎むようになった・・・等々。
1万数千人の大虐殺(未だ行方不明の者も多い)。清らかな川は血で染まり、生きたここちがしなかった住民たち。何しろ動いている者は撃てという命令があったとか。韓国の暗黒史は多分軍事政権によって隠蔽され、伝えられることもなかったのだろう。そして、どの国においても歴史修正主義者が跋扈するという現実。研究者たちが生存者を訪ね歩いて記録を作るしか道はないのだ。
オモニの家にはキムウィルソンやジョンウンの写真が飾られていたのも印象的だったけど、やがて新しい家族写真がそれに取って代わる。イデオロギーの対立はさほど感じられなかったけど、監督自身の「アナーキスト」感や、北朝鮮には入国できない現実と日本に馴染んでいく姿が民族を超えたアイデンティティを感じさせるのです。国籍なんて問題視しない。住み着いたところが故郷なのだから。
済州4・3事件
名古屋の伏見ミリオン座で開催された、
第24回 ダイノジ大谷ノブ彦 映画会
に、行ってきました。
毎月、開催されてる映画会ですが、7月度は、
『スープとイデオロギー』という、ドキュメンタリー映画でした。
自身を、どの国の政府も信じないアナーキストだと言う、
在日朝鮮人の女監督、ヤン・ヨンヒさんによる作品。
済州4・3事件という、軍事政権だった頃の韓国政府による、島民虐殺事件の話です。
簡単に説明すると、中国の天安門事件に近いと思います。
韓国では現在も、扱う事をタブー視されてる事件だそうです。
僕の好みだったらスルーしてた映画だと思います。
音楽でも、そうだけど、自分の趣味嗜好だけだと、どうしても片寄ってしまうので、
ジャンルに縛られず、なるべく色んな作品に触れた方がいいですよね。
勉強になったし、まあ面白かったけど、
映画としてだと弱いかな…
テレビ向けだと思うので、テレビでも流しては?
母へのわだかまりを解消する内容
韓国映画では当たり前のように登場する食事シーン。大人が子どもに「ご飯食べたか?」「たくさん食べな」と聞く姿も韓国映画でよく見る姿だ。在日朝鮮人のヤン・ヨンヒ監督の家庭の食事シーンも同じような印象を持つものだった。父と母と娘の会話に垣間見える父親の愛情と、朝鮮総連の活動家として働いてきたこだわり、そして夫婦の絆。あの家族を象徴するシーンだった。
3人の息子が北朝鮮に渡っていながら、出身は韓国の済州島という監督の母の生き様が語られるドキュメンタリー。現在の視点からするとなぜ北朝鮮の欺瞞を見抜けなかったのか?という気持ちになる。でも、当時の韓国政府は完全な軍事独裁。韓国政府憎し!から北朝鮮を支持する人も多かったということか。
監督の母が体験した済州島の4.3事件のことを深堀りしていく内容だが、その歴史的事実を明らかにすることが目的ではない。いや、もちろん4.3事件の事実はとても重いし、考えるべきことも多い。でも、あくまでこの映画は3人の息子を北朝鮮に送った母を、ヤン・ヨンヒ監督が認め許し受け入れる映画だった。
自分の母もアルツハイマー型認知症を患い亡くなっているってこともあって、色々と気持ちを揺さぶられてしまう内容だった。母の過去を表現するアニメ映像は好きではないが、それを問題にしてこの映画の評価を落とすのは本筋ではない。
スープとイデオロギーを見て感じたこと
1 監督ヤンヨンヒが母を、家族を見つめ、そして国が引き起こしたことを描く。
2 本作は、これまでのヤンヨンヒの作品と同様、家族のことが描かれる。中心は母。80歳台の母の姿を数年間にわたり記録する。母と娘とその連れ合いの団欒など何気ない日常を映し出す。
3 映画の冒頭、母が娘時代に済州島で大変な場面に遭遇したことが語られる。その内容は 、中盤で明らかになるが、当時の体験が彼女の国家感を形作る要因となり、そしてそのことで、子供たちの人生を大きく左右させてしまうこととなる。母は、息子たちを帰国事業に参加させていた。母は、息子たちに理不尽な生き方を強いたことを悔やむ。
4 その後の母は、認知症となり、記憶が抜けていく。済州島で見聞したことや当時婚約者に死なれたことさえも忘れてしまう。それでも母には、かつて家族が揃っていた昔の記憶だけは残っており、父や息子たちの名を呼ぶ。もはや戻ることも実現することもない幻の世界の中で、母は生きている。
5 本作でヤンヨンヒは、家族の日常と合わせ、堪えがたい家族の歴史さえも穏やかに直視した。作り手や登場人物の感情が剥き出しになることはなく、冷徹な画面作りにより、家族の悲しみが表面的ではなく深く伝わってきた。そして、ヤンヨンヒと連れ合いの母に対する接し方に温かみを感じた。ラストにでてきた北鮮にいる姪からの手紙に、監督はどのような言葉で応えるのであろうか?その答えは次作に繋がるのか知りたいと思う。
イデオロギーをめぐるスープの味
韓国にとっては歴史のタブーであった済州島四・三事件。
日本にとっては歴史の中にさえなかったと思ってる人々がほとんど。
現在は大韓民国であるその島。しかし、そこの元島民は、その国ではなく彼の島に帰属を求めた。
そして、彼らが帰属を願った彼の島の人間は、その帰属のあり方には全く無頓着であり、さらに言えば、排他的にさえ振る舞う、そんな島国だった。
양영희は오모니をストーリーテラーとして、このドキュメンタリーとしてのナラティブを進めている。
参鶏湯とまではいかないまでも丁寧に作られたスープの味は、오모니、そして아보지、二人が生きてきた時代とともに作り出されてきたのだろう。もしかしたら、そこには彼女の오빠もまたいたのだろう。
時が進むにつれ、時代の記憶が、今という現実が、오모니から剥ぎ取られていくのだが、양영희が語るように、このような過去を忘れることのほうが幸せなのかもしれないという願いと、しかしそうあっては、오모니の生から生きてきたその「恨」をみぬふりをしてしまうという負い目とが、118分の中で徐々に徐々に葛藤を生むことになる。
北の首領の肖像画が降ろされ、애국가を제주도で口にするとき、
複数の「国家」的アイデンティを経由し唯一の「民族」的アイデンティへと回帰する오모니の瞬間を、我々は見たのということになるのだろうか。
スープには、時間とそれを作りあう人々が混じり合っている。濃厚な混濁。それを介して言葉を交わし合う。しかし、自己の生存を、一見混じりけのないような政治イデオロギーにかけようとするならば、私たちは「スープの味」を知らないままでいるだろう。
韓国が嫌いな在日朝鮮人のオモニ
朝鮮総連の熱心な活動家だった在日朝鮮人のヤン監督の両親は、1970年代に帰国事業で3人の息子を北朝鮮へ送り出した。借金をしてまで息子たちへの仕送りを続ける母を、ヤン監督はどうしてそこまでするのかと責めてきた。年老いた母は、心の奥深くに秘めて誰にも語らなかった1948年の済州島での壮絶な体験について、父が亡くなってから初めて、ヤン監督に語り始めた。ヤン監督は、アルツハイマー病を患った母を済州島へ連れて行き、自ら済州4.3の現場で壮絶な虐殺の事実を知ることになり、母の韓国に対する嫌悪感や行動に理解が出来るようになったというドキュメンタリー。
サムゲタンばかりで作ってたが、確かに美味いが、もっと違う食事も見せれば良いのに、って思った。
済州4.3も韓国の不都合な真実だろう。
自分達は侵略をしたことがないと言ってる韓国人に、イデオロギーの違いにより自国民を虐殺した歴史についてどう思うのか聞いてみたい。
上映後のヤン監督と夫の荒井プロデューサーのトークショーとサイン会があり、その中で今年の1月にヤン監督のオモニは亡くなったそうだが、いつアボジの眠る北朝鮮に遺骨は届けられるのだろうか?って言われていたが、早く実現する事を祈ってます。
国は忘れても文化は忘れず 家族はいつも思い出の世界に... 韓国系2世の監督が母の過酷なルーツに向き合う覚悟のドキュメンタリー
政治が絡む作品は製作側の"怒り"をそのエネルギーとする作品が多いですが、梁監督の作品は一貫して”家族愛”に始まり”家族愛”で幕を閉じており、その愛を遮る有象無象への眼差しは怒りではなく哀しみであり、その物語推移は極めて日常延長的でオフトーンです。それがゆえに観ている側は対岸の火事ではなく、地続きの隣家の物語として惹き込まれざるを得ず、釘づけにされます。
"政治の暴力"に晒され続けながらも日々の生活を穏やかに生きた女性が認知症の中で迎えた安らぎと、それを支える娘である監督の涙。
監督自身による作中ナレーションが、淡々としながらも実体験と自分の思いを自分の声にした迫力で、ものすごく胸にストレートに訴えてきます。
娘も知らなかった母の経験
監督の母親は在日コリアンで息子3人を北朝鮮に送り、借金をしてまでも仕送りを続けている。
一体なぜ?日本にいる娘の苦労も考えてよと思っていた。
観ていると母と娘とその夫の日常を描いたシーンが案外長いなぁと思った。
中盤以降、済州4・3事件について母の口から、そしてクレイアニメを使って描かれる。
済州4・3事件について知識がない状態だったから、あまりの非道さにショックが大きかった。
母の行動の理由を娘(監督)と共に理解することができ、母に対するあるわだかまりが解消するシーンは感動した。
歴史は学べたが「かぞくのくに」より劣る
町山さんがラジオで紹介していたから見に行きました。正直?かな。カオルさんが葬式会社に汚い言葉でクレームを入れる所はヨンさんへの愛情を表現したかったのか?カオルさんの言葉の辿々しさに微笑めば良いのかいずれにしてもクレームは丁寧な言葉の方が在日の方への配慮になると思った。ヨンさんの「4.3の事は知らなかったから」の言葉にも映画監督の貴方が全く知らなかった筈はないでしょうとなんだか白けてしまった。あと画面が揺れるシーンが多かったので最後の方は酔った。
ただお母さんのキャラクターは良かった。病気になる前のオモニは逆境を耐え抜いた人にしかだせない明るさがあふれていた。病後は別人になる所もドキュメンタリーの醍醐味を感じた。
実はjejuには縁あって何度も行った事がある。ハルラ山に登った事はないが何度もあの辺を車で走ってる。アスファルトと新緑の清々しい所という印象しかない。次はやはりハルラ山に登ってみたい。
人生に寄り添い魂を受け継ぐ
これから鑑賞される方は「済州島 4.3事件」について事前に、何があったか?なぜ起こったか?は知っておいた方が良いと思います。
本作は主人公の娘である監督自身が、オモニ(母)の人生や心情(イデオロギーの部分ですかねぇ)の理解を深め、愛情を深くしていく(ように見えるんですけどね)様を描きつつ、悲しい歴史の当事者であるオモニの姿を通して忘れてはいけない事件を再認識させる良ドキュメンタリーだと思います。
「帰省して3日目には喧嘩する」と言っていた監督の心情の変化はとても興味深いものです。もちろんご自身の私生活環境の変化も相まって・・・だと思います。ですが、「寄り添い理解を深める」ということはこの監督親子だけの話ではなく、悲しい歴史に対する現代の社会と同じではないだろうか?なんて思いました。
さて、オモニの理解を深めていく上で重要な「済州島 4.3事件」。
なんとなく知ってはいましたが、その凄惨さや韓国政府の対応内容は知りませんでしたし(まぁ、興味が薄かったってことですよね、残念ながら)、もちろん当事者の方のお話なども見聞きすることはありませんでした。人間の思想や考え方自体に影響を与えるよなぁと納得するほどの大事件です。「それしか選択肢がない」「心を保つにはそれしかない」なんて・・・とっても悲しいことです。このような想いを抱えている(抱えていた)人々が一体どれだけいたのだろう?クライマックスの墓地のシーンは圧倒的な悲しみで胸が締め付けられました。
美味しそうなスープ(参鶏湯ですよね?)は朝鮮を代表する料理です(諸説あるみたいですが)。もしかしたらソウルフードと言って良いのかも?料理のレシピだけでなく、過去も語り継がれ風化させてはいけない、継承されていくべきと思います。良いもの悪いもの一緒に。少なくともオモニのイデオロギーの根源となったことは無かったことにしてはいけないと思うのです。それは、作品の後半にオモニに訪れるある体調の事象を見てさらに強く思いました。オモニは新しい世代に継承したんだなぁって、バトンを渡したんだろうなぁって。慰霊祭に参加するオモニの悲しみと安堵が入り混じるような表情を見ているとそう思わざるを得ないのです。だって、本当によくぞ生き抜いた!って思いますもん。お疲れ様でした、あとは任せてください!って言いたくなります。韓国は大統領が変わりましたが、どうか本事件の対処については変えないでほしいと思います。
ヨンヒ監督の願い
「私はアナーキストだからどこの政府も信じないけど」とヨンヒ監督は言う。しかし母がこれほど韓国政府を憎んでいたとは、今度のことではじめて知った。
ヨンヒ監督の母親は北朝鮮の熱狂的な信奉者だ。その理由がやっとわかったのである。つまり母の北朝鮮への熱狂は韓国への憎悪の裏返しであり、その怒りが国家主義の熱狂に共振したのである。北朝鮮のイデオロギーに共感したのではない。
母自身もおそらくそのことに気付いている。北朝鮮の政治では、国民はいつまで経っても貧しいままだ。熱狂に任せて北朝鮮に三人の息子を送ったが、決して幸せとはいえない生活をしているに違いない。だから借金をしてまでも、息子たちに仕送りをする。それは母の後悔であり、罪悪感だ。
ヨンヒ監督は、しばらく母の気持ちが理解できなかった。どうして息子を北朝鮮に送ったのか、還暦前後の息子に何故いまだに仕送りをするのか。今回、済州島を訪れてやっと母の苦しみが理解できた。
途方もなく苦しい人生だった。済州島での虐殺を目の当たりにした母は、南朝鮮の権力を心の底から憎んだ。そして朝鮮総連の熱心な活動家となる。燃えたぎる憎悪の炎が活動の源となっていた。
しかしいま、母は明るく笑いながらスープを作る。親鳥のお腹の中にニンニクや朝鮮人参やナツメを詰めて、水でひたすら炊く。多分料理名は参鶏湯だ。滋味と旨味に溢れた料理で、調味料なしでも十分に美味しい。
恐怖と絶望の体験、南朝鮮の政治権力に対する憎悪、息子たちを北朝鮮に送った悔恨、そして罪悪感。ヨンヒ監督の母は、これらのことを60年以上、一度も口にすることなく黙って耐えてきた。北朝鮮のイデオロギーは母の心を救うことができなかった。しかし熱いスープは母の心の澱を洗い流してくれるかもしれない。ヨンヒ監督はそれを心から願っている。
あなたの事を何も知らなかった
ヤン ヨンヒ監督の「スープとイデオロギー」を見た。
在日である自分自身と母親についての、セルフドキュメンタリー。
四人兄弟の末っ子である監督の母は、自分の3人の息子、つまり監督の兄を「帰国事業」で北朝鮮に送り、
仕送りを続けてきた。
前作の「かぞくのくに」では、その兄が日本にやってきた時のことをフィクションとして描いていたが、
今回はドキュメンタリー。今は亡き父親、そして母親と自らを写す。
お金がないなかでも北朝鮮の親族への送金をやめない母への苛立ち。12歳年下の日本人の男性と結婚する経緯。
徐々にボケていく母親。そして母親が北朝鮮に希望を託すようになったきっかけとなる若き日の痛ましい出来事について描かれる。
118分の映画。刺激的な部分もあれば、冗長な部分もあった。
映画としての、ドキュメンタリーとしての完成度、という評価で言えばわからない。
正直、わからない。それでも時間もお金も損をしたとは思わなかった。
語られない歴史があること。その空白の重みが伝わってきた。
空襲に襲われた大阪から済州島に疎開した監督の母親を襲った「四・三事件」と呼ばれる悲惨な出来事。
イデオロギー対立の中で起きた、同じ民族同士での虐殺事件。
その事を、母親は実の娘にもほとんど語らず、死の間際にようやく語り、
しかしすぐにアルツハイマーの闇に入っていった。
監督は、朝鮮籍の母親を手を尽くして済州島に連れていくが、
母親はもう何も語らない。穏やかに笑っているだけだ。
本当にボケているのか、あるいはそのふりをしているのか。
監督にも、見る人にもわからない。
虐殺によって許嫁を失い、密航船で日本に戻ってきたという母親。
その事を話すことは命の危険につながると信じて生きてきたという。
語られなかったことを、語られないままに終わらせたくない。
その焦りのようなものが、作品の基調低音として流れる。
特別な状況の家族の物語、ではある。
でも「自分は母のことを何も知らなかった」とヤンヨンヒ監督がモノローグで語る時、
その痛みは、自分の中にも覚えがある。
色々な問題をデフォルトとして与え、時に理不尽なことを投げかけ、
何も語らずに去っていく人に対して、心によぎるいくつかの思い。
複雑な読後感が残った。
イデオロギー、そこに至る理由
この映画を観て、開眼させられたことがあります。
「イデオロギー」がどうやって生まれるのか。
今までは、北朝鮮に負の感情しか持てませんでした。
北朝鮮の多くの人々には、逼迫した経済や抑圧された国家のもとで生きなければならないことに同情していましたが、狂信的に国家を崇拝する人々に嫌悪感を持っていました。
しかし、監督のご両親の、北朝鮮に傾倒していく不遇な運命を知り、人や国にはそれぞれの事情があり、イデオロギーが誕生するのだと思い知らされました。
特にお母さんは日本で生まれた韓国人で、大阪の戦火を逃れる為に韓国に渡り、そこで済州島4.3の事件で命からがら今度は日本に逃げ帰る。そしてその経験から北朝鮮に傾倒していく。お父さんは幹部まで上りつめていく。
息子さん達は北朝鮮に渡り、娘さんは学生時代に日本を離れリベラルな思想を持ち、この問題を監督として撮りあげました。国籍、思想はそれぞれ違っても、家族を作っていくことの象徴がスープ作り。ご両親も過酷な運命を辿りながらもとても明るくチャーミング、娘婿さんも優しく老いた義母の世話をし、娘さんも強く自分の人生を歩まれてる姿に感動しました。またひとり親の介護の問題も身につまされましたが、実の娘だからこそ本音を聞き出せたことで、この映画が誕生したのだと思います。(ボケますから宜しくお願いしますとも通じます)
済州島の事件は詳しいことを知らず、映画の途中のイラストの説明で大体は把握したものの、もっと深く理解するには下調べが必要かなと思いました。
できるなら映画の中でもう少し丁寧な説明があれば、もっと一般の方にも理解しやすく、多くの方々に観ていただける映画になったのではと思います。
先行する他の作品の関係で、済州4・3事件の説明が少なめ。
今年163本目(合計439本目/今月(2022年6月度)10本目)。
この作品、タイトルだけではわかりませんが、「済州4・3事件」(1948年)を描くものです。韓国の民主化まで韓国では順天・麗水事件などとともに隠蔽された歴史があるため、少しずつ解明されるようになったのは、30年ほど前からの1990年~になります(韓国の場合、大統領の意向によるところも大きい)。
映画としてみたとき、結局この映画は「監督の方の家族(オモニ=母親)との交流、葛藤」を描くのか、あるいは「済州4・3事件」そのものを描くのか…という部分がぶれているように思えます。前者の「家族との交流・葛藤」をメインにしたため、済州4・3事件自体の説明は少なめで(パンフ800円にはあるが、それだとパンフ抱き合わせ商法になってしまう…)、もっともシネマートやナナゲイ(シアターセブン)のような「コアな」ミニシアター(シネマートは特に韓国映画を多く扱う)に来る方は、それこそこの映画は「少なくとも最低限の知識はあるだろう」ということを前提にしているような気がします。
よって、このことについての知識が少ないと思われる「他地方」(ここでは、コリアタウンなどが発達していない、東京・大阪以外、という意味での「地方」)では本当にわかりにくい状況になっています。
映画内では触れられていませんが、済州4・3事件の後、済州島民が大阪市にやってきたのは、
・ (映画内でもちらっと出ますが)大阪空襲をへた大阪では、労働人口が不足していた
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※ 話はずれますが、何かと反対派のやり玉にあがる「パチンコ」のいわゆる「三店方式」も、戦後の大阪において、出兵に伴って男性が圧倒的に「いなかった」こと、さらに大阪空襲を経ていたことなど、「職業を探すこと自体が無理」という特異な状態において「障がい者(当時は身体障害者のみ)・寡婦」を対象にして始まったという、いわば福祉政策という観点における経緯がひとつあります(もう一つは、反社会勢力の徹底的排除)。
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・ 先行していたコリアタウンがあったため、受け入れの用意があった
・ 理由が何であれ、大量虐殺が疑われる事案で命からがらで逃げてきた船を適当に放置することは人道的に無理(日本は敗戦国であることにも注意)
★ (そもそも、大阪市の意向うんぬん以前に)GHQの意向も無視はできない(1948年時点ではGHQはまだいます。よって、日本国憲法だの地方自治法だのというのは、一応はあっても、GHQがやれと言われれば「はいそうですね」で、絵に描いた餅でしかありません)
…で、この受け入れが大阪市の鶴橋の形成過程につながっていくのですが、こうした部分の説明は「まるで」ないので、前述したように「監督とその家族(オモニ)との葛藤を描く映画」というように「しか」見られないんじゃないか…と思います。特にこの映画は舞台こそ明示はされない(東京と大阪を行き来している)ものの、性質上大阪市が舞台ともいえるので(受け入れ側の論点)、その受け入れの象徴として発展した鶴橋の説明もなければ、本当に「何を述べたいのか…」のはあります(鶴橋のコリアタウンをひたすら宣伝する映画、と解するのも変だし、そんな映画も作らないと思うのですが、鶴橋の「つ」の字も大半出ない(出ても1文くらい)という状況です)
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(鶴橋と済州4・3事件の関係)
・ 鶴橋で「甘鯛チヂミ」が多く売られている理由 → 済州島の名産品が甘鯛であることから
・ 同じく、「大根」「そば(粉)」が多く売られている理由 → 韓国全土を見たとき、済州島が生産量の大半を占めることから(いわゆる韓流ブームで「そばクレープ」などと言い換えられていますが、結局はここに帰着できます)
・ (ヤンニョムチキンを除いて)「豚肉」が多く置かれている理由 → 済州島では「肉」といえば断りがない限り「豚肉」を指す
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こういったことの説明が大半ない…といっても、上述通り、「コリアタウンの紹介映画」ではないのも理解はしますが、済州4・3事件を扱う上で鶴橋の形成過程は外せない論点で、この関連性の説明もなければ、まして、そもそも「済州4・3事件はいかにしておきたのか」という説明も大半ないので(要教科書復習レベル、というほど本当に説明はない)、正直この映画を大半理解しようと思うと、公開前からアンテナを張ってこの理解に知識をそそいでいた方(私はこの類型)か、大学で現代朝鮮史を専攻しています(しました)という方以外だと、それこそ「(今日は日曜日で鶴橋の各お店も活発なのに)休んで見に来ました」という当事者の方程度しかちょっと想定がしづらく、うーんどうなんだろう…という状況です。
ただ、人を不快にさせるような表現(ここでは便宜上、日韓の歴史認識の対立に関してあろうがなかろうがよいことを描くなども含む)はないので、そこは安心です。
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(減点0.3) 結局上記のことに尽きる部分があり、「スープとイデオロギー」だけでは何をさすか(タイトルだけで趣旨を)わかりにくく、かといって理解しようとすると「済州4・3事件」という、今ではそこそこ調べられるようになったものの日本語での収集には限界がある(受け入れ当事者となった大阪市の大阪市立図書館でさえこれなので、他地方だとさらに制約されると思います)のに、これは本当にわかりづらいです。
とはいえ、「済州4・3事件」事件は極めて特異な事件で(これが理由で韓国・北朝鮮(便宜上、当時の名称)との抗争が激しくなり、結果的に1950年の朝鮮戦争につながった」という一面もあり、ご存じの通り、毎日のようにミサイルをぶっ飛ばしてくる「お隣の国」がリアルで存在する以上、余りあれこれ描けなかった、というのもこれもまた事実であろうとは推認でき(結局、民主主義か共産主義か、という、映画で扱える範囲を超越してしまう)、減点幅は(リアル朝鮮半島事情を、一監督がどうこう変えられるわけではない状況では)限定的です。
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母の所に通うのは義務感だったという序盤から、新たな家族ができていく...
母の所に通うのは義務感だったという序盤から、新たな家族ができていく展開と、母がなぜ韓国政府を憎んだのかというヤン・ヨンヒ監督の謎が済州島4・3事件をキーワードに解けていくという展開が同時進行する傑作ドキュメンタリーでした。「チスル」を観た人にもおすすめ
あと、個人的に鶴橋と美幸通りに頻繁に買い出しにいく人間としては、「おー、あの店で鶏を買っているのかー」と鶴橋の市場のシーンが楽しかったのと、安田商店での家族写真撮影のシーンが素敵でした。
前々から4.3事件について知りたいと思っていたので 証言を聞けて良...
前々から4.3事件について知りたいと思っていたので
証言を聞けて良かった。
もっともっと学ばなければいけないと思った。
ドキュメンタリー映画としても
決して間伸びせず、
出演者の皆さんが魅力的で、充実していた。
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