「ヨンヒ監督の願い」スープとイデオロギー 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
ヨンヒ監督の願い
「私はアナーキストだからどこの政府も信じないけど」とヨンヒ監督は言う。しかし母がこれほど韓国政府を憎んでいたとは、今度のことではじめて知った。
ヨンヒ監督の母親は北朝鮮の熱狂的な信奉者だ。その理由がやっとわかったのである。つまり母の北朝鮮への熱狂は韓国への憎悪の裏返しであり、その怒りが国家主義の熱狂に共振したのである。北朝鮮のイデオロギーに共感したのではない。
母自身もおそらくそのことに気付いている。北朝鮮の政治では、国民はいつまで経っても貧しいままだ。熱狂に任せて北朝鮮に三人の息子を送ったが、決して幸せとはいえない生活をしているに違いない。だから借金をしてまでも、息子たちに仕送りをする。それは母の後悔であり、罪悪感だ。
ヨンヒ監督は、しばらく母の気持ちが理解できなかった。どうして息子を北朝鮮に送ったのか、還暦前後の息子に何故いまだに仕送りをするのか。今回、済州島を訪れてやっと母の苦しみが理解できた。
途方もなく苦しい人生だった。済州島での虐殺を目の当たりにした母は、南朝鮮の権力を心の底から憎んだ。そして朝鮮総連の熱心な活動家となる。燃えたぎる憎悪の炎が活動の源となっていた。
しかしいま、母は明るく笑いながらスープを作る。親鳥のお腹の中にニンニクや朝鮮人参やナツメを詰めて、水でひたすら炊く。多分料理名は参鶏湯だ。滋味と旨味に溢れた料理で、調味料なしでも十分に美味しい。
恐怖と絶望の体験、南朝鮮の政治権力に対する憎悪、息子たちを北朝鮮に送った悔恨、そして罪悪感。ヨンヒ監督の母は、これらのことを60年以上、一度も口にすることなく黙って耐えてきた。北朝鮮のイデオロギーは母の心を救うことができなかった。しかし熱いスープは母の心の澱を洗い流してくれるかもしれない。ヨンヒ監督はそれを心から願っている。