スティルウォーターのレビュー・感想・評価
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すごく良かった
最後の決闘裁判での熱演によりマットデイモンが無理になりつつあったので、観て良かった!(褒めてます)
マットデイモンの抑えた演技、マルセイユの情景、人間関係、全部がよかった。たまにこういういい映画にであえるから、映画はやめられないね。
子役ちゃんが愛しくて愛しくて。なんて可愛いんでしょう...わたしがマットデイモンなら、やさぐれた娘よりマヤちゃんを守りたい。ってなりそうだ。
フランスのことはあまりよく知らないけど、フランス人ってフランス語しか喋ろうとしないっていう皮肉はよく聞いたことがある。やっぱそうなのかな?
そのわりにはいろんな肌色のひとたちが暮らしてる、不思議な国だよね。
そうそう、マルセイユに所属してた酒井宏樹の名前が出てきたの、地味に嬉しかったです。ここにもなんとなくフランスの多民族国家を感じた。
人間のすることはすべて間違いだと考えた方がいい。
少々太ったマット・デイモンもいいものだ。取り返しの衝かない過去を引きずりながらも懸命に娘のことを案ずるオヤジ。無様な生き方をしてきた中年男のふがいなさがその背中に滲み出ていた。ごく普通の家庭に充分に起こりえる悲劇は自分の人生を再構築するために身も心もズタズタにさせられる。それは孤独と屈辱を同時に味わせてくれるマルセイユ。言葉も通じぬ国で娘の無罪を証明するために孤軍奮闘する。その行動はまるで怠惰な野生動物のようでどこか滑稽に見える。
娘の言動を心底信じてはいないよう思える。父娘といえども信頼、支えあったりするというのは今では砂漠の中で落としたコンタクトレンズを探し出すようなものなのだ
人間は生きていれば間違いを犯す。それは年齢に関係なく間違える。二度と間違ったりはないと100の神様に誓いをたてたところであまり効果はない。しかし、許される間違いを選ぶ努力ぐらいはしなくてはならない。
そんなことをマット・デイモン演じるビルの寂し気な瞳が語り掛けてきた。
すごかった
自分にもほぼ生き別れの娘がいて、彼女を訪ねて遠くの施設に行ったことがあり、また現在は里子の娘がいて、この映画のマット・デイモンの立場に非常に重なる部分があり、オレを狙い撃ちするつもりで作っているのかと目を疑う。
ただ違うのは、オレの場合は娘が全く心を開いてくれず、他人扱いしかしない。こちらとしても父親面する立場にないことは重々承知しており、それがまた距離を広げるのだろう。娘が殺人に関与するほど悪い子ではないのだけど、マット・デイモンのように腹を割った会話が存在しているのは羨ましい。
作品としてめちゃくちゃ面白かったのだけどそれ以上に突き刺さるものがあり、揺さぶられてしまうため冷静に見ることができていない気がする。そのうちまた見よう。
さすが…
不器用すぎて娘からは無能くらいに思われている父と、それでもそんな父を頼らざるを得ず、失望感を募らせる娘。
それは舞台がフランスだから(アメリカ人にとっては究極のアウェイだから)でもあるんだが、じゃあ逆だったら?と考えると、アメリカで言葉が通じず酷い目に遭う物語は、アジア系にせよヒスパニック系にせよ、なんかいろいろあった気がする…
これはそういう感じが分からないアメリカ人向けなのかも…
物語は結局なんらか「ミスコミュニケーション」みたいなところに収束してくるんだが、それも含め正解がない感じがなんとも切ない…
マット・デイモンの駄目な感じも、アビゲイル・プレスリンのイラついてる感じもリアリティがあって素晴らしかった。
さすが…
真面目な人間ドラマ
題名はオクラホマの町の名前ですからアメリカ人ならタイトルから何らかのイメージが湧くんでしょう。邦画で「根室」みたいなカンジですね。
ディモン君別に二枚目でもないし、どっちかというとイモ兄ちゃんなのに年を経るごとによくなります。今回も難しい役柄を深刻に明快に演じています。子役もいいです。ストーリー展開に若干無理はありますが、二回泣きそうになりました。
ただ、2時間20分は長すぎ、普通の人間ドラマなんだから、せいぜい1時間50分でいいでしょう。
あとレズの設定不要、普通の友人関係でいい。まあ最近LGBT流行ってるからね。
そうきたかぁ!
最後になるほどねぇって最後になります!
マットデイモンと言うと、強くてって役かと思いきや、
ちょっとダメな父親。
娘を大切に想い、無実を信じて真っ直ぐに動く不器用な父親
現地の人と交流する中でうまれる穏やかな時。
その中でも父親は父親なのある。
自分が誰をどこまで信じることが出来るか。
このストーリーには、人々の信頼が描かれている気がする
最後に、
タイトルがどうして地名なのか。スッキリ出来るだろう
得たものと失ったもの
異国の地で投獄された娘の無実を証明する為に奮闘する父親を描いた作品。
現地の言葉も喋れず、ましてや仕事もなく底沼状態。ホテルで知り合った少々マヤと母親と知り合い交流や関係を深めながら、娘に面会に行く日々と犯人を追う父親の心情や不器用で泥臭い、地味で典型的な米国人オヤジをマット・デイモンが本当に上手いこと演じてて、素晴らしかった。
上映時間は少し長めながらも、人間ドラマや家族への愛!を丁寧に描いており。特に少女マヤと無表情のマット・デイモンとの英語と仏語でコミニュケーションシーンは癒されるものの
ラストの衝撃と余韻は凄かった。折角、得た幸せと引き換えの代償!然し、母の愛は無償というが父親でも愛する娘には無償なのだと感じさせ、失った。夢のひと時を1人背負うマット・デイモン親父の哀愁漂う姿はただただ素晴らしく、見終わったあと、暫し余韻に浸ってしまった。
優れた脚本 シリアスなのにユーモアとニュアンス
マット・デイモンが好きなので見に行きました。お金も地位も教育も仕事もろくにない、どうしようもないおじさん。見事に演じていると思います。マット・デイモンはもちろんですが、娘役のアビゲイル、ヴィルジニー役のカミーユ・コッタン、マヤ役のリル・シャアバウの、中心人物たちが、本当に魅力的。
そして私が一番気に入ったのは、この映画のセンスに他なりません。アメリカとフランスの文化の違い、青年と大人の感覚のズレ、あちこちにたくさん散りばめられたユーモアあふれるセリフやシチュエーション。でも、そうだからこそ強く感じられるそれぞれの愛情がたまらないです。
最後に観客が、父親の娘への愛と驚愕の渦に放り込まれてエンドロールを見ながらずっと考えてしまうという、初めてかもしれない経験をしました。
スティルウォーターという題名がどういう意味なのか、見る前はわかりませんでしたが、見た後、何重にも何重にも意味を感じて、「凄い題名!」と思ってしまいました。
人は目の前の幸せを失ってしまう?
マットデイモンが、娘の無実を信じて、言葉のわからないフランスで1人証拠を捜すサスペンス。トムマッカーシ監督作品。ビルは、石油会社に勤めている。言葉の通じないのは、ヒッチコックにもありましたね。引き裂かれたカーテン。ビルは、やりすぎましたね。
折角新しい幸せができたのに。娘さんは、リトルミスとゾンビランドのかたやね。なかなか考える作品でした。
人生は冷酷だ。
映画鑑賞の参考にする週刊文春の映画コメント欄で、コメンテーター達から高評価(四つ星以上)を貰っていたので、観てみた。
殺人罪でフランスマルセイユの刑務所に収監された娘の無実を信じる父親が犯人探しをする物語だ。が、私には父と娘の親子の物語だと思う。もう一度、親子関係を修復するかのように、フランス人の娘との交友が描かれていく。こちらがメインの映画かなとも思える。終盤に入って真犯人探しが再び始まるが、浮かびあがってくるのは、苦い真実だった。
表題は主演俳優が娘に語る終盤のセリフ。娘がフランスでは極悪人扱いだったのが、帰国したアメリカでは英雄扱いとなる。ミステリー映画だと思って見ると裏切られます。人生の皮肉を描いた映画だと思って観てください。
もっと掘り下げてもよかった?
だいぶ前に亡くした妻に対する考え方で疎遠になっていた娘が留学先のマルセイユで殺人の罪で投獄され、定期的に会いに行くオクラホマ州スティルウォーターの労働者階級の父親。面会に行ったある時、冤罪を証明するネタがあるから弁護士に言ってくれと頼まれるが、弁護士にはムダだと一蹴され、娘に事実を言えず、たまたまホテルの部屋が隣だったシングルマザーに通訳してもらいながら、自分で真犯人を探すことにした。
聞き込みの途中、マルセイユの元警官の移民なんてロクデナシだからみんな真犯人としてしょっ引いてやる、みたいな差別発言に激怒するフランス人シングルマザーと、それより真犯人確保を優先する主人公でケンカになる。この辺りがこの映画のポイントなのかと思ったが、全体的には確執のある父娘の関係を切り拓こうとする主人公の娘を愛する姿の方が印象に残る。
フランス映画「レ・ミゼラブル」に出てきたような荒んだ団地に住むらしい真犯人を、シングルマザーの娘と行ったマルセイユのサッカーチームの試合会場で見つけ、なんとか捕まえて地下室に繋ぐ。しかしおそらくDNA鑑定を依頼した元警察官から情報が漏れて主人公が居候しているシングルマザーのアパートに警察が捜査にやって来る。9歳の娘に地下室のことを聞くが、女の子は賢かった。
娘の無実が証明されて帰国となり、2人と別れる際のマット・デイモンの青くて強い瞳が印象的だった。
ヨーロッパの熱狂的スタジアムの観客席の風景も興味深いし、女の子が好きな選手として酒井宏樹を挙げるのも良い!
変われぬモノ
終わった後になんとなく「凪待ち」を思い出して、「あー、なるほどね。」なんて思った。受け入れ難い言動や行動が続くので個人的には大半が苦痛だったが、マヤの可愛さに救われた映画だった。
父も父だが娘も娘だな。なんて思いながら鑑賞しつつ、父も父だったが娘も娘だったなと感じた映画。これまでの説明が極端に少ない(その感じは好き)ので、各々の感情の揺らぎに「んんん??」なんて事にもなりがちだが、ドライでありつつも丁寧に演出されているので、端々で汲み取る事は出来る。そして観ている側の感情が分かれそうなラスト。話として好きかどうかは置いておいて、「良い余韻を残すなぁ…」なんて思いました。そして、ただただマヤの幸せを願いながら、劇場を後にしました。
火サス的な飽きなさ
マットデイモン×社会派サスペンスということで大いに期待。娘の嫌疑とその冤罪?の答えにもうひとつ深みが欲しかった。マットデイモンがマルセイユで働けるのはなぜか?ワーホリ制度でもあるのか、フランスは自由に観光ピザでも仕事ができるのか?実行犯をかくまうスラムアパートの連中の動機も今一つよく分からない。マットデイモンの妻が自殺した理由はマットデイモンがアル中だったからのようだが、これもやや説明不足。火曜サスペンス並みといっては失礼だがそんな印象です。批判ばかりですが、とりあえず場面展開があるので飽きずに見通せたことは感謝です
スッキリはしない
娘の無実を信じ自らの手で真犯人を挙げようと無茶をする父親の姿が、逞しくもあり痛々しくもあり、悲壮感を醸し出すマット・デイモンが印象的。
序盤こそビルを応援する気持ちで観ていましたが、物語が進むにつれどんどん行き着く先に幸せがあるとは思えず、なんともいえない感情に。
誰も幸せとは思えず、後悔ばかりが残るモヤモヤした結末に、なんともスッキリしない後味でした…。
また、長尺が故の中弛みも否めず、もう少しテンポ良く2時間尺くらいにまとめてくれると観やすかったなとも思います。
ジェイソン・ボーンの如く、リーアム・ニーソンが演じる父親のように、...
ジェイソン・ボーンの如く、リーアム・ニーソンが演じる父親のように、娘を救うために、悪漢をバタバタと薙ぎ倒すアメリカ人の強い父親の話かと思っていたら、全く違いました。
とても、せつない物語です。
マルセイユで、酒井は、スター選手だったのですね♪
答えを観客に委ねる
予告やwebのあらすじからてっきり、真犯人を追いかける直情型親父の奮闘記みたいなアクションものかと、予想して行ったのですが……
全然違って、脚本に唸りました。
米オクラホマ州の都市スティルウォーターに住む、貧乏で学もなく、保守的な肉体労働者=いわゆるホワイトトラッシュ系「オキー(Okie)」のおっさんが主人公。
粗暴で嘘つきで逮捕歴もある、元アル中。
常に自分が正しい・自分に正義があると思い込み、信じたいものを妄信して暴走する。
そう、まるでトランプ支持者や、反ワクチン活動家たちのように。
そんな彼が、移民の街であるフランス・マルセイユへ赴き、殺人罪で服役中の娘の無実を信じて、独自に事件のカギを握る人物を捜索するうち、真実に気づいていく……
主人公の中で時間が経つごとに、ゆるぎなかったはずの「正義」が揺れていく。
何が「正義」なのか、主人公が自分自身に問いかけ、そして観客にも問いかける。
この映画は善悪や正義についての結論を出さない。
答えを観客に委ねる。
あなたのその正義は、本当に正しいのですか?と。
アメリカの人々の抱えた大きな問題を、マット・デイモンが演じるビルが体現していく。
鑑賞後、なぜだか『由宇子の天秤』を思い出しました。
ディテールに見どころがある
マルセイユの人口は87万人で、東京の世田谷区の91万人よりちょっと少ないくらいだが、面積は世田谷区の4倍もある。水辺は、多摩川に少し接しているだけの世田谷区に比べて、マルセイユは地中海に面していて、美しいビーチがある。東のカンヌやニースと西のモンペリエの中間くらいにあり、フランス有数の港湾都市だ。ただ世田谷区と違って、治安がかなり悪い地域もある。
マット・デイモンが演じた主人公ビル・ベイカーは、準備もそこそこにマルセイユに飛ぶ。そして躊躇うことなく現地のどこにでも行く。大した勇気だ。もし当方が単身でマルセイユに行くとしたら、基本のフランス語を改めておさらいした上で、現地ガイドを入国から出国まで予約するだろう。ビルの勇気は、娘可愛さの親心もさることながら、フランスでは公共の場所で英語が通じるということが大きいと思う。同じように公共の場所で日本語が通じるなら、当方もマルセイユに単身で行くかもしれない。
刑務所でのアリソンの人相が悪い。性格も悪そうである。しかしフランスの大学に進んでひとりで渡仏するくらいだから、父親と同じように勇気と行動力はある。ということは犯罪を犯す勇気も行動力もあるということだ。アリソンの人相が悪いおかげで、本当にやったのかやっていないのか、迷いながら鑑賞することになった。演じたアビゲイル・ブレスリンの演技力は褒めていい。
マット・デイモンの抑制の効いた演技がいい。人相の悪い娘を見ても、ビルはたじろいだ様子も見せずに愛しく抱きしめる。親の愛は娘の人相など関係ない。娘が自分は無実だと言えば、絶対に無実なのである。
娘からはあまり信用されていないようだが、ビルの頭は悪くない。むしろ回転が速くて決断力に優れているように思えた。たったひとつの名前、たった一枚の写真だけを手がかりにして進んでいく。なんとしても娘の無実を晴らさなければならない。「英語がわかるのか?」と聞いて「はい、私です」と答えた私立探偵には笑ったが、ビルはムッとしてすぐに出て行ってしまう。笑っている場合ではないのだ。
様々な幸運に助けられたり、酷い目に遭ったりするビルだが、心のどこかでアリソンを疑う気持ちもあったのではないか。マット・デイモンの演技には、そう思わせるところがあった。99パーセント以上はアリソンを信じているが、1パーセントにも満たない僅かな心のしこりのように、疑問が残っている。ビルの視線や顔のそむけ方で、当方はそう感じた。
フランス映画を見る限り、フランス人の多くは個人主義である。質問している相手の老人がアラブ人は全員犯罪者だという考え方を披露して、それを聞いたフランス人女性がこの老人は差別主義者だとして質問を打ち切ったシーンがある。
相手の主義など気にせず、情報を聞き出す目的を優先しようとするビルに対して、フランス人女性は「あなたもアメリカ人ね」と言ってしまう。しかし多分あとで後悔したに違いない。自分がフランス人だからと決めつけられたくないように、アメリカ人だからという理由で人を決めつけてはいけないのである。これではアラブ人が全員犯罪者だと主張する老人と同じだ。このフランス人女性を演じたカミーユ・コタンは上手い。レディ・ガガ主演の「ハウス・オブ・グッチ」にも出演している人気女優である。
色白のアラブ人を説明するのに使った「ホワイト」という単語をビルが聞き返すシーンがある。白人を指す「ホワイト」をアラブ人の形容に使った違和感があったのだろう。違和感を持つビルに対して当方は違和感を持った。ビルをその単語に反応させた製作者の意図が気になったのだ。
スティルウォーターの近くにタルサ市がある。1921年に「タルサの虐殺」と呼ばれる黒人大量殺人事件が起きた。虐殺ではなく暴動だと主張する人もいる中、100年後の昨年、バイデン大統領は「暴動ではなく虐殺だ」と言った。深読みし過ぎかもしれないが、ビルにも人種差別の傾向が残っているのかもしれない。
本作品は、複雑な思いでマルセイユを動き回るビルと、彼と関わりを持つ人々の人間模様を描く。と同時に、娘のアリソンも含めた登場人物たちの人生観を浮き彫りにする。弁護士は法を振りかざしてなるべく楽な道を選ぼうとする。大学教授もそうだ。元警察官はビルが道を踏み外さないように心配する。親切な人は常に親切で、自分勝手な人はとことん自分勝手、無関心な人はどこまでも無関心だ。加えて、それぞれの人々に目に見えない差別意識がある。フランス人に「英語はわからない」と言われたら、バカにされたと思うアメリカ人は多いだろう。ビルもそうだった。そういったディテールにこそ、本作品の見どころがあると思う。
アメリカ肉体労働者階級の父親が娘の救出に挑む!!
アメリカの田舎、オクラホマ州スティルウォーターに住む、日中は肉体労働で汗をんがし、夜は家やバーで酒を飲みながらスポーツ観戦をするような典型的な労働階級の父親ビルが、単身で言葉の通じないフランスに無実で投獄されている娘を助けるために向かうところから物語は展開される。
娘のアリソンとは関係が決して良いものとはいえないが、母親はすでに亡くなっている。祖母も高齢ということもあり、頼れる人物が他にいないことから、ビルが行くことになったという状況である。
アリソンから手渡された手紙を弁護士に渡すが、返事は絶望的。しかし、アリソンに正直に言えないビルは上手くいった嘘をついて、独自で解決法を探っていくのだが、労働者階級で学のないビルにとって、言葉も通じない異国の地で、さらに法律も関わることもあり、協力者も現れるが、釈放にはほど遠い。
希望がないという事実を知り、アリソンは激怒し、絶望する。
不器用ながら、がんばっている父親に対して酷いようにも感じられるし、ビルの心境も考えると複雑でもあるが、この2人の関係は母の死によって大きくこじれた状態が続いているのだ。
信頼関係が欠如している父と娘の距離感をどう詰めていくのかも、今作の見所のひとつといえるだろう。
また舞台となるマルセイユは、『海辺の家族たち』でも描かれていたように、観光地として知られる一方で、移民や貧困層の多い場所でもあり、かなり治安が悪く危険も伴う。
たまたま出会った英語がわかる役者のヴァルジニーのサポートもあり、事件に関わりがありそうな人物を特定していく過程で、ビルはヴァルジニーと、その娘のマヤの間で奇妙ではあるものの「疑似家族」のような関係性が構築されていく。
そのことによって、アリソンのために捜索を続けるたい思いとは別にヴァルジニーたちの危険に繋がる可能性や、ビル自身もその疑似家族の中にある安心感を壊したくないと考えるようになっていくことで、自分の娘と新たにできた家族を天秤にかけなくてはならなくなってしまうのだ。
アリソンは投獄されて数年が経ち、模範囚でいれば、あと数年で出られるかもしれない。無難にそれを待ち擬似家族との生活をおくることが正しいことなのか、危険を冒して、擬似家族を崩壊に導くとしてもアリソンのために行動することが唯一の父親としては正しいことなのか……。
そしてビルの決断は正しかったのか、それとも間違いだったのか、娘を助けるためなら許されるのか。大切な人の人生を左右する決断を前にした時の人間として、親としてのモラルが試される作品といえるだろう!!
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