スティルウォーターのレビュー・感想・評価
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「人生は残酷だ・・・」という台詞
見事な演出の映画でした。
リベラル思考のフランスマルセイユの女性と、
保守的なアメリカオクラホマの男性のお話ですが、
オクラホマ男のマットデイモンは、
自分が保守的かどうかなんて考えてもいない人なんだと思う。
「ダメ男」として語られているが、そんなことはない。
武骨でまじめで正直な、「自分、不器用ですから・・・」という
日本の昭和男にそっくりだ。
そんな不器用日本人男、今もたくさんいるよね。
リベラル思考の人から見れば、そんな不器用人間は
情弱と言われ搾取されているのも気づかない可哀そうな人に
思えるかもしれない。しかし、当の本人は自分をそんな風に
まったく思っていない。
ただ、考え方が違うだけなのだ。
この映画の一番の面白さは、本来ならばけっして交わるはずがない、
そんなフランス女とアメリカ男が、二人の娘を通じて
少しずつ少しずつ心を通わせるところにある。
そのあたりの心の動きを表している編集の仕方と
物語の進め方が実に見事だった。
アメリカ男のサイドはほとんど語られない。
たとえば、金はおそらくシャロンおばあちゃんが賄っており、
妻の自殺の原因も語られず、
そもそもなんでマルセイユに行くのかも後から分かる。
フランス女のサイドは、どちらかと言えば先出しに見せて
後から分からせる感じ。
ショート映画や、あらすじだけを追っただけでは
決して分からない心の機微を見事な演出で
伝えている。
ラスト。
(一応)一件落着して、語らう親子。
「人生は残酷だ。」
「俺には全て違って見える。」
保守とかリベラルとか、どちらが良いというものではない。
ただ、考え方が違うだけなのだ。
そんな保守男の考え方が、少しだけ動いた。
マルセイユを舞台に描かれるのはアメリカ
そして人間の弱さと変わらなさ、というちょっともう観ると喰らってしまう感じの映画、でも見て良かった。
この重い出口のない作品に釘付けになったのはこの作品の編集の力が大きい。
つくづく映画は編集の芸術作品だと思った。
半歩先に、半歩あとに編集されることで観客の心をざわつかせることができてしまう。
その力を存分に堪能できた。
人生は残酷だ
よくできた映画でした。主人公のビル(マット・デイモン)がいわゆるダメなヤツなところがいいんですね。金はないし無教養(だからフランス語もままならない)だし頭もあまり回らない。そういうハンデキャップ(笑)を負いながら愚直に娘を救おうとする。そして予期せぬ真実を見つけてしまう。
配置されるキャラクターもしっかり構築されている。俳優陣の演技にもスキがない。マヤの演技もとても良かった。
酒井宏樹は地元ちびっこマルセイユファンからも名を挙げられるほどの名選手だったんだな。まあそうかな。納得だ。
娘への愛を貫き通す…
後味は苦い。マルセイユの母娘との別れはとても切ない。またしても彼は幸せにできないし、なれないが、この人生を変えるような出会いと引き換えに娘が戻ってきた。これで良いのだという終わり方、マット・デイモンが好演していた。娘は実行犯ではないが全くのシロではなかった。それも踏まえて全てを受け入れ、自分の元に帰ってきたことに安堵している表情が素晴らしかった。もう幸せになってほしい。
なにが言いたい映画だったのか、
個人的には残念なかんじ。
後半は、そこから盛り上がるかと思いきや、そこまでのことはなく。
スッキリするでもなく、モヤモヤなかんじのまま、という。
登場人物も少なく、話はわかる、ストーリーもわかる、あれこれ思うことはあれど、でも、なんかネガティブなかんじになるだろうから自重する。
娘の無実を信じて真犯人探しに奔走する父親。 容疑者を発見してからの...
娘の無実を信じて真犯人探しに奔走する父親。
容疑者を発見してからの行動はむちゃくちゃではあるが、気持ちは分かる。
彼を刑務所送りにしないために取った元警察官の見事なファインプレー。
恋人とその娘との別れは物悲しかったが、やむを得ない。
Matt Damonのストイックな役になぜかハマる
Matt Damonはいい演技しているなと
そう意識しながらも
映画の世界に入り込んでしまうところもあって
とてもいい映画でした
Mattが自分と娘に言い聞かせるように
「人生は残酷だよ」(二回目)とつぶやく結末は
シナリオ作成の早い段階から決まっていたかのように
しっくり収まっていました
最後の最後で、何もかも急ぎ足で決着がつき
お決まりのハッピーエンドから外れたようで
それでいてお約束の苦い定番エンディングには
面白いシーンと面白い台詞が詰め込まれていました
あの地元有力者の演説シーンで
あのお帰りなさいケーキ・シーンで
フランス生活が、急にアンリアルとなるもどかしさがありました
アメリカの皆さんはどんな感想を抱くのでしょうか
リアルだと思うのか、シニカルだと思うのか
それともクールな味付けだと思うのか
(確かに、アメリカ的 VS フランス的という
わかりやすいステロタイプな言動の対比からの
思わせぶりシーンは全編を通して多かったです)
Mattはダメ感を醸し出しながらも最愛の娘のために
地味に寡黙に不屈の精神で自身の筋を貫き通したのでしょうか
最後には娘と通じ合えたのでしょうか
ラストシーンで、あの裏表のない親切なフランス人親子との関係には
もう戻ることはできないとMattは納得しています
次に、娘がオクラホマはいつも変わらず同じと言うと
なにもかもが違っていて決して同じにはなれないと、、、
そこで暗転、映画は終了します
この結末には、いろいろ考えさせられました
Mattは故郷に戻ってきて、娘との関係も修復したかのようで
かなり苦味ある達成感を得たかと思いきや
同時に重い喪失感を抱えているような
(そこまで本当にあのフランス人親子と深い絆を築けたのかは不明)
その喪失感的な終わり方って
現代のアメリカ人やアメリカ社会が抱えている
何かよくないことのメタファーみたいなところも匂わせていて
昔のニューシネマのエンディングみたいな感じもしました
う~ん、本質的には全然違いますけど、
この作品は、自己主張の地味なコロナ下での佳作というか秀作ですから
サスペンスではない
マット・デイモンの演技が表情や行間で語りかけてくる円熟の域に達している。
脚色的に各所をもっと詰めてほしかったが、マルセイユの表と裏の顔を切り取ったカメラワークは、主人公達の人生の残酷さを喩えるかのような効果的な演出に繋がったと感じる。
ちょっと長尺気味だけど良かったです
マット・デイモンさんの新境地、かな。
静かないい作品です。
舞台がアメリカでは無いのもいい感じ出してます。
オチは、やっぱりか、でしたが
女の子とのやりとりが好きです。
カミーユ・コッタンさんも素敵でした。
異国で収監された娘を助けようと狂ったように奔走する父親!!
中身の濃い秀作だと思います。
2021年作品です。
監督は「スポットライト世紀のスクープ」のトム・マッカーシー。
娘の無実を晴らそうとする父親のビル(マット・デイモン)。
弁護士に頼っても助けにならず、遂には違法な手段で、
娘を救おうと躍起になります。
アメリカから英語の通じないフランス語圏のマルセイユ。
協力者を見つけたとは言え、ビルの困難な奮闘は胸を打ちます。
無罪を覆すための方法は遵法精神と程遠いもの。
でもそれほどの荒技を使わなければ、
無罪とは、勝ち取れないもの。
《これがひとつの現実(悪しき現実)》
《ストーリー》
マルセイユの刑務所に9年の刑(殺人罪)で、
もう5年も収監されている娘のアリソン(アビゲイル・ブレスリン)。
アラバマ州のスティルウォーター(題名になっています)で、
石油会社の作業員として働く学問もない上に
前科のある父親のビル。
稼ぎを工面してマルセイユに度々面会に行っています。
娘の罪は、レズ関係にあったガールフレンドを殺した疑い。
そして5年経たある面会日に、娘は有罪を翻すような
新証言が出たと言い、弁護士に告げてと、ビルに頼みます。
しかし弁護士にまったく相手にされず、ビルはその日から
マルセイユに住み着きます。
親切な舞台女優のヴィルジニーと娘のマヤの家に仮住まいして、
アリソンの無実を晴らそうと躍起になっていきます。
ビルのアリソンへの愛と無実を勝ちとるために
手段を選ばない執念。
敬虔なキリスト教徒のビルと、
無法者のビル。
とても優しいのに、何処か危なっかしいビル。
《事件の真相》を、実行犯に接触したビルは、
(アリソンは本当に罪に加担していないのか?)
ビルは知ってしまうのです。
真相・・・真相って本当に何なんだろう?
この玉虫色のラストこそ、現実。
派手ではないけれど、人間が正しい行動をすることの難しさ、
そして真実というものの危うさ・・・
歯切れが悪いけれど、すっきりしないけれど、
とても現実を写した秀作だと思います。
異国で犯罪や事故に巻き込まれる被害の多い昨今。
どこまであなたは《愛する人》のために頑張れますか?
そう問われてる気がします。
また平凡な地名の題名かと思った、
スティルウォーター。
実は二重の意味が隠されていて、その辺も、
ネーミングが技アリです。
祈り
寡黙で愚直な男をマットデイモンが演じる。円熟の極みのような演技。派手さはないが、しっかりとした筋立てで引き込まれる。米仏の保守とリベラルという水と油が混ざりあうことの気恥ずかしさ。ダンスを始めるふたりの背後にある名子役のマヤちゃんの眼差し。3人が絡まる美しさが眩い。
しかし、男は任務に還り、ことを成す。その伏線の鮮やかな回収。アビゲイルの冒頭からの感じの悪さが効く。もはや収集がつかない。それを取り繕ってしまうものだから、映画としては、これ以上ない不細工な着地。そこがこの映画の良さかもしれない。肉親の十字架の重さ。朴訥な男は寡黙に背負う。
マットがすき
30年以上も米国映画を見続けているといまの映画はみなくなる。
CGなんてバカだと思っている。中国資本が入ってからの米国映画はクズだと思っている。
映画が成立しない日本映画も。例外がひとりいたが、結婚相手がだいきらいなお笑い人だったから、それもやめた。CMで彼女を見るといまでも全身が引き寄せられる。
それがぼくだ。
映画ぐらい自分の好きに観させてくれと強く願う。
なぜ他人のエラソウな考えを自分に入れる理由が分からない。クソくらえだ。
マット・デイモンはすきだった。
だからずっと観てきている。いまでも観なおすのは「レインメーカー」と「ラウンダーズ」と、当然だけど「ボーン・アイデンティティー」・・それ以降はすべて観ているがなにもない。
久しぶりに。映画の物語というより、彼らしいところがすきだ。
母なる証明
終盤になるに連れ、マルセイユ版母なる証明かおもたらなんともはや。「私と同じでクズだ」みたいなセリフはおやっと思うて、そのまま道筋はレールを外れない。
アビゲイルてあのリトルサンシャインの子やったか。えらい大きなったが面影あるような。
父と娘、いずれも自分の考えで突っ走ってしまい、何より2人とも嘘をついてしまう。後悔し、いやでも自省がどこか不足している感じが上手く描かれている。1番の問題は短気や短絡的な思考より、この1番むごいといわれていた「糠喜びさせる」虚言癖(娘は無実だと言い張っていたがそうではないと自分で気づいているようなので虚言)、都合の悪いことは言わなければいけないケースでも言わない、そういう心性なのだということが示されている。
結局父はどこにも戻ってこれないし、信じていた娘を取り戻すことはできなかった。
トムマッカーシーは難しい
もっとシンプルに出来たのでは?
と思うほどトムマッカーシーは難しい。
監督の意図するところのほとんどを理解してないのかも
しれないけど、
共通の娘を連れ戻す、
帰りたいと言う目的なはずなのに
連れ戻したら戻したで、なんか上手くいかないね。
みたいなラストから、
私も父親なので、父親と娘って一生理解し合えない
存在なのかもしれないなと思いました。
結果より結果に至るまでの努力が大事。
目的を達した時よりそれまでの時間が幸せだった。
そのような映画でした。
ラスト前に事件の真相が分かる脚本も、
それを暗示してたように思います。
娘のために父親は言葉も通じない国に行き、
働き生活もしたのに、
親の心子知らず。
総じて親子って難しいなと言う浅い感想です。
サスペンスとしても良かった。
サスペンスとしても良いし、人情ものとしても良いし、時間の流れとか収入具合とかもリアルな感じ。
ただ主人公を支える女性が、どういう収入源かだけ謎。旦那から仕送りがあるのかな?
探偵の有能さ
映画だから多少都合の良い設定にはなってるとは承知の上で。
地下に監禁されていた男を誰がどうやって逃したか、そして警察が来たタイミングが良すぎる事。
DNA鑑定によって再審が始まった事など最後が色々と個人的に腑に落ちなかった。
なので
不自然なタイミングで過去の事件の決定的なDNA情報が出たため警察側は何故か数ヶ月前からマルセイユに滞在する娘の父親を疑う。
→探偵のおっさんが情報筋から地下室にガサ入れが入る事を掴む
→ビルジニーに地下室の事をそれとなく伝える。→地下室の異常を知ったビルジニーがおっさんに対応を相談(これは完全に想像だけど、素人の女性一人でパニック状態の男を逃して地下室に1週間人が監禁されていた痕跡を消すのは難しい。)
→おっさんは犯罪の立証に犯罪を利用したという証拠を消し、再審が可能と分かった上であえて犯人を逃した。
と、勝手に想像してますwww
ただ、実際犯人が捕まっている5年前の事件に対して入手経路不明の誰のものかもわからない髪の毛を持ち込み、DNA鑑定から一撃で再審まで持ち込むという剛腕。どう考えてもこの探偵のおっさんがMVP。
最初から祖母に頼んだりして12000€このおっさんに払っていればかなり結果は変わっていたと個人的に思う。
映画自体はかなり見応えあって面白かったです!
かっこいい労働者
名匠トムマッカーシーてこともあるが、帽子をかぶった髭のデイモンのサムネ/ポスターにひかれた。
なんの変哲もないチェックのワイシャツとジーンズ。
ダメージ加工ってわけでもない、ただのくたびれた帽子。
エクステンドなGoatee。ときどき帽子のつばにサングラスを載せる。
たぶんあちらの庶民/労働者のごく日常の格好なのに、デイモンがやると超絶かっこいい。
マットデイモンはいい人だ。
慈善事業家であり、よくファンの撮影に収まることで知られている。
「ウォールマートで買い物してたらマットデイモンに会ったよ」という一般人のSNSが、マットデイモンの飾らない庶民性をあらわすエンタメ系ニュースになっているのを見たことがある。
ハリウッドの億万長者なのはまちがいないが、驕りや舌禍のない人格者として認知されている。
結論から言ってしまうとスティルウォーターはいい映画だが、デイモンの善人の気配が、設定から逸脱している。
筋書き上、ビルベイカー(デイモン)はクスリや酒に溺れて、家庭を顧みてこなかったダメな父親だった。
だが娘が異国に収監され妻を自死で失ってからは改心しクスリや酒を断って真面目に働いている。
──その時点から映画がスタートするので、ビルの自堕落が見えない。
映画内でビルはとても一生懸命なお父さん、にしか見えない。わけである。
またビルベイカーは異郷で自分を確立できる男でもある。
英語圏の人間は「地球を歩く」ことに長けている。島国のわたしたちは勝手の解らない欧州でビルベイカーのように振るまうことはできない。
娘アリソンの父にたいする評価は低いが、はたから見ればビルベイカーはどこでも生きられる強い男──であるばかりか、異郷で会った少女と仲良くなり、シングルマザーと懇ろ(ねんごろ)になれるほどの甲斐性持ち、なわけである。
すなわち観衆にとってビルベイカーは、ほとんど何でもできる男であり、その値が映画内の「ダメな父親」という設定と完全に相反しているわけ──なのだった。
──が、しかし、だからこそ映画スティルウォーターは力強かった。
この映画のキーポイントは、空港の土産物売場で、たった1カットだけ出てくるStill Waterの金ネックレスである。
愛憎を経て、父と娘がおたがいの不完全さを認め合うことで、映画は決着をみる。
が、ちょっと長過ぎることと、マヤとの関係はいいがヴィルジニーとねんごろになるのが不要だった。デイモンが「Yes, ma'am.」と言うと、すごくストイックがあらわれる。だけに、異郷での男女関係は映画を失速させた。と思う。
反して少女マヤとビルのコンビはとてもさわやかで、編集だけでも、もっといい映画になれた。気がする。
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