「藪の中」最後の決闘裁判 よっちゃんイカさんの映画レビュー(感想・評価)
藪の中
一つの事件を3人の視点から描いていく構成が面白い。
まずカルージュ(夫)視点。
この視点で観客はこの映画の肝となる事件の大まかな流れを知る。
しかし、夫の留守中に事件が起きた為、肝心の事件の真相については何もわからない。
次にル・グリ(容疑者)視点。
この視点でカルージュ視点でも冒頭で描かれた戦の描写から始まる。
ここで、この映画の楽しみ方がわかる。
カルージュ視点ではル・グリをカルージュが救ったことに焦点が当たっていたがル・グリ視点ではカルージュをル・グリが救ったことに焦点が当たってる。
ここでお互いの意識の差から生まれる描かれ方の違いが出てくる。
さらに一つ付け加えると、冒頭の戦は敵の挑発に乗ったカルージュの突撃から始まるのだが、カルージュ視点ではこの戦の勝敗がわからない。
つまり、命令に背いてまで軍を勝利に導いた“英雄”なのか、命令に背いて軍を敗北に誘った“戦犯”なのかがわからない。
しかし、ル・グリ視点で冒頭の戦が敗戦に終わった事が分かるとカルージュの見方がひとつ変化する。
ここからル・グリ視点では中世ヨーロッパの価値観について知る事ができる。
当時女性はどんな扱いを受けていたのか。
それ自体を現代の価値観でどうこう言うのは違うと思うが、兎にも角にも当時は女性は男(父親や夫)のものという考えがあった事がわかる。
さらに、ここからル・グリ自体の女性にモテるが故の「自分が正しい」という主観が入ってくる。
「貴婦人だから嫌がるフリをしたが・・・」
マルグリットを襲ったことについて伯爵に釈明する際にル・グリが語った言葉だ。
この言葉から女性は皆自分と交わることを心の奥底では喜んでるはずだという自負が透けて見える。
上記の主観が入ることでル・グリ視点の中ではマルグリット自身もル・グリに気があるような描写がある。
マルグリットはル・グリに気があったのか?なかったのか?観客はその疑問を抱きながら「マルグリット視点」映画の字幕でいうところの“真実”に入っていく。
言うまでもなく上記の字幕に出てる真実とはマルグリットがル・グリに気があったのかどうかについてである。
マルグリット視点
このマルグリット視点が始まってすぐカルージュに違和感を覚える。
即ちカルージュ視点でのカルージュは「武勇一辺倒で世の中の立ち回りは下手で不器用なものの妻への愛は深い」のだが、マルグリットから見たカルージュは「悪い人ではないが世の中のことを知らず束縛も激しい乱暴者」なのだ。
ここでカルージュ視点にも主観が入っていた事がわかる。
ここから一つ一つマルグリットの心情がときほぐされていく様子には舌を巻く。
さらにル・グリを訴えることになった後にもマルグリットにいろんなしがらみがまとわりつくところも現代の価値観にどっぷり浸かった僕は非常に憤りを覚えた。
最後の決闘裁判の結果はお楽しみにしておく。
さて、マルグリット視点に行くまで、男2人の視点を見た時に思った事がある。
それは、ル・グリとカルージュは確かにマルグリットにまつわる事件がきっかけで衝突することになるが、マルグリットの事件がなくてもいずれ衝突していたであろうということだ。
即ち男2人のプライドからくる争いが高じて一触即発状態になっていたところに事件が起きたんだろう。
マルグリットがいようがいまいがこの2人はやがて決闘していたんだろうな。
それにしても「武勇に能力値全振りして他の才能がからっきしな故に出世できない」カルージュや、「上官にうまく取り入り文官としての才能を買われ、要領よく出世していく」ル・グリのような人たちは日本の戦国武将にもいそうなものである。
日本史が好きなだけに余計にそう思った。