ディア・エヴァン・ハンセンのレビュー・感想・評価
全169件中、21~40件目を表示
歌うま俳優めっけ✨
「ちょっと思い出しただけ」を観た時にわかった自分の性質。
とっても好き💓と感じる映画に出逢うと「この感動をどう伝えよう」「どんな風にレビューしよう」なんて素人のくせに書き方悩んぢゃって、おかげでどんどん書けなくなるという悪循環〜〜〜というわけで、断ち切るために今回もまずはとりあえず書く!
「4/8のBlu-ray・DVD発売記念のカフェ上映会」に参加。
正直、上映会のお誘いがあったから知ったレベルの映画。前情報なし。社会生活に馴染めない高校生の男の子が主人公らしい。そしてその主人公が歌うミュージカル、とな。
その時点で???という状態。
社会生活に馴染めない男子が歌う?どんな話だよ、と。
でもいざ始まったら度肝抜かれた。
久々に出会った「歌える俳優」。ただ歌が上手いってだけではなく、超絶上手に歌いあげながらも心境の変化とか微妙に演じ分けられる素晴らしい俳優。一曲聴いただけで虜になってしまった。
そして曲目の素晴らしさといったら昔初めて舞台で「RENT」を観劇したときに味わった感動をまたしても味わえるなんて超幸せ😊❤ ❤ ❤映画版でこんなに感動できたんだから今度は絶対に舞台でライブで観たい!!
ストーリーも良かった。
人は誰もが孤独を抱えてる。
人に助けを求めるのは恥ずかしいことではない。
人は人のために強くなれる。
そんなメッセージが込められてた。
ストーリーと曲のバランスが非常によくて、帰り道では早速Spotifyでサントラ聴きながら帰るほどの惚れ込みっぷり。
歌うことの必然性を感じない
チョボスキーの新作だ!と思って見たがミュージカルだった。が、歌いっ放しではなく要所で歌になる。
概説に「ララランドの音楽チームが贈る感涙ミュージカルを映画化」と書いてあったが、確かにララランドの歌:会話比率に近い。
ロビンウィリアムズ主演映画にWorld's Greatest Dad(2009)というのがあった。
自慰中に窒息してなくなった息子が、実情を知らない者に勘違いされ、感受性豊かな文学青年の自死として英雄視される。
父親(ウィリアムズ)は自発窒息(窒息プレイ)に失敗して死んだアホな息子が人々から追慕されていることで、本当のことを言うことができないまま欺瞞をつづける──という話。
①まったくそんな人間じゃなかったのに、死後、ひょんな手違いから「素晴らしい人物だった」と偲ばれる。
②真実を知る者が、ほんとうのことを言い出せないまま、むしろ世間がつくったニセの故人を裏付けor肉付けしてしまう。
①②がこの映画にもあった。
チョボスキーの過去作ウォールフラワーは自身が書いた小説をじぶんで監督した監督作品だった。マルチタレントだが出自は脚本家である。
ウォールフラワーは自身の経験に脚色を加えたもので半自伝といえる。プロットを簡単に言うと友人の自殺からの再生。
本作はそのプロットに①②を加えたもの──と言えるが、じっさいにはエヴァンとコナーは友人ではない。が、映画はウォールフラワーを原点とするチョボスキーらしさが濃厚だった。
ただし、映画の元ネタである同名舞台(ミュージカル)にチョボスキーは関わっていない。おそらく自分のペーソスにきわめて近い舞台劇にチョボスキーのアンテナが共鳴した結果の映画化だと思われる。
エヴァンは内向的だが感受性ゆたかな青年で、それはウォールフラワーのチャーリーに重なる。
さらにエイスグレイド/僕とアール~/スイート17モンスター/ハーフオブイット/ブックスマート・・・等々の主人公の基礎属性にも重なる。近年のアメリカ学園映画の主人公はみんな陰キャで、それはとうぜん学校生活に難儀をかんじている少年少女たちを勇気づけるためにそうなっている。のだろう。
チョボスキーは自身の体験から信念をもってSuicide Preventionの目的をもつ創作物を取り上げているのだ──と思った。
また映画の要素にエヴァン家とゾーイ家の貧富差がある。結果、親たちには確執が生じる。物語の貧富は世界が甘くなりすぎないように引き戻す──映画のリアリティをつかさどっていた。
ところでチョボスキーは天才だと思う。ウォールフラワーもワンダーもIMDB値が8超の傑作、世間的にも才腕は知られている。が、これは評価をおとした。IMDB値も6.1、TomatoMeter(批評家評)にいたっては29%という低評価になっていた。
一般のウケはまあまあ。どちらかと言えば悪くない。が、批評家側のコンセンサスを著しく落としている。
で、批評家たちの指摘する問題点を簡単に言うと、同名舞台劇(ミュージカル)では、さほど悪意的に見えないエヴァンの②、すなわち嘘の塗り固めが、映画ではすごく卑劣に見えていること。
もちろんRotten Tomatoes内の批評家の言い分はそれだけではないが、その指摘がけっこうあったと思う。
たしかに、なかなか集金されない「コナープロジェクト」に焦ったアラナが(ニセの)遺言を無許可でアップしてしまうところ──ぜんぶウソと知っている観衆としては「見ちゃいられん」という気分になる。
じぶんは陰キャなので、いったんコナーを友人だと言ってしまったエヴァンが、前言撤回できなくなる事態に陥ってしまうのは、よくわかる。
かれはコナーを友人だと言ったことで、はじめて人/学校に受け容れられたわけだから、なおさら後戻りが辛くなってしまったのだ。
その構造はよく解るものの、舞台とちがって映画では、彼のウソと優柔不断がやや醜悪に見えてしまったのは否めない。
しかしこの映画のパラダイムシフトは①がくつがえされるところ。コナーはほんとはそんなにわるいやつじゃなかった。──誰ともうまくつきあえない。エヴァンの同類、いやむしろエヴァンの分身だった。それによって映画は心象を取り戻す。
だがエヴァン役のベンプラット。堪能な俳優なのは一目瞭然だが精神的な弱さをうったえる外観としては不利だったかもしれない。もちろん舞台ならば彼の年齢28はまったく問題にならないだろう。舞台なら還暦でも芳年を演じることがあるわけだし。
しかし映画は舞台より近い視界であって、思えばウォールフラワーがわたしの心に沁みたのは、いつもなんか寂しそうなローガンラーマンの外観も大きな要素だった──と思うのだ。映画のばあい、演技よりも外観や雰囲気に比重することがある。
この映画化で舞台「ディア・エヴァン・ハンセン」の主役=ベンプラットをそのまま映画の主役に据えている。
チョボスキーは天才ゆえ、おそらく、それ以上のキャスティングはなかったにちがいないが、学園ものらしからぬ違和があったのは確かだった。
RottenTomatoes内の批評家も数人がベンプラットが学生に見えないことを指摘していたが、さすが外国で、それは国内のレビューよりもずっと少なかったことは言っておきたい。多様性というものはときとして映画の中ではなく、わたしあなたのリテラシーの中にある。──という話。
個人的にはベンプラットは適役とみたがエヴァンのウソはやりすぎだったと思う。また、じぶんは極東の田舎の百姓なので、しょうじきなところ。これミュージカルでなくていんじゃね。とは思った。
映画内の歌も歌い手も、最高クオリティだが、そもそも歌うひつようあるんだろうか。ふつうの映画だったらさらによかった──と思ってしまった。
とくに母子の和解シーン。あの台詞歌にするひつようあるんだろうか。──けっこうはっきりした違和を感じた。
じぶんはヴォネガットの愛読者だがあっちじゃそんなに若年で猫のゆりかごなんか読むんだろうか。と思った。また役者ではエイミーアダムスが(ものすごく)じょうずだった。
一人じゃない
コナーの名前を借りて、自分の気持ちを伝えるエヴァンに胸が痛くなりました。
本当だったら、自分の言葉として伝えたかっただろうに。
自分が何か発言することで攻撃されるかもしれない。存在を消して透明人間になろうとしていたエヴァン。
でも、みんなの前で自分の意見がハッキリ言えて、リーダーシップのある人でも、実は問題を抱えていたりする。
アラナが最初からエヴァンを見抜いていたのは、アラナもエヴァンと一緒だから。
そして、絶対にコナーもエヴァンを見抜いていたに違いない。
タイプは全く違っても、自分と同じ匂いを感じたから話しかけたに違いない。
もし、もう少し二人に時間が与えられていたなら、りんご園に行って妹の話をしたかもしれない。
そんな風に思えてなりませんでした。
あと、“友達ではない”ジャレッドは何だかんだで協力してくれて、最後まで秘密をバラさなかった。
それって既に充分“友達”なのでは?
スクールカーストを意識した“友達選び”があるのは確かだろうけど、ジャレッドの場合はゲイである自分がサインをする事に遠慮していたのではないかと感じました。
そして、母親の歌にも感動。涙が止まりませんでした。
ジュリアン・ムーアに似た女優さん、めちゃくちゃ歌が上手いなぁ…って、ご本人でしたか!!
主人公のエヴァン役がオリジナルキャストってことで、てっきり他の役もオリジナルキャストだと勘違いしていました。
どおりでエイミー・アダムスのそっくりさんもいると思った。笑
アマンドラ・ステンバーグも難しい役を見事に演じていて素晴らしかった。
『コロンビアーナ』『ヘイト・ユー・ギブ』から更に美しく成長して、今後も目が離せません!
分裂気質の映画
ミュージカル要素が入ることでテーマと描かれる世界に乖離が起こり、見ている側をとてもイラつかせる映画。何のためにこのシナリオをミュージカルで描こうとしたのか、全く意味不明‼️監督のマスターベーションなら音楽は使わないか、音楽だけでアルバムでも作るかして欲しい。音楽の出来、演ずる俳優の歌唱力や踊りが素晴らしいだけに益々不快感が募ると言う稀有な作品。歌を歌うときだけ別人になるこの演出にどう付き合ったら良いのか・・・勘弁して欲しい❗あんな状態でSNSが拡散する世界には恐怖しかない。
人は人との繋がりを心の糧にして生きていく
観終わって奥深い余韻に浸ることができる秀作である。ブロードウェイミュージカルの映画化作品なので、派手な劇的展開の物語だと想像していたが、全く違っていた。シリアスな青春ミュージカルだった。ミュージカル作品の場合、歌と歌でない部分の繋がりがギクシャクすることが多いが、本作は台詞をそのまま歌にした感があり、歌と歌でない部分との繫がりが非常に良く、物語が澱みなく自然に進んでいく。登場人物達の心情は心情に合った旋律と歌詞で表現されるので、音楽の力で、より深く心に刺さる。主人公に強く感情移入できる。主人公の孤独の闇に寄り添うことができる。
本作の主人公は、家庭でも学校でも居場所がない孤独な高校生エヴァン・ハンセン(ベン・プラット)。ある時、彼は自分宛に書いた手紙を同級生コナーに奪われる。その後コナーは自殺し、両親は、その手紙をコナーが主人公宛てに書いたものだと誤解する。主人公は、両親をこれ以上悲しませたくないと考え、コナーの親友だと偽り、コナーとの思い出の作り話をしてしまう。この作り話は関係者の感動を呼び、SNSを通して世界中に拡散される・・・。
ベン・プラッドは、ブロードウェイミュージカルでも主役を務めており、主人公役を完全に熟し切っている。内気で自信の無い佇まい。会話の時のオドオドした態度。級友と話す同級生を観る時の羨望の眼差し。孤独の闇を彷徨する絶望感と、そんな彼に声を掛けて欲しいと渇望する切な過ぎる歌声。どれを取っても非の打ちどころがない。
図らずも、嘘によって彼の渇望は実現する。嘘をつく時の雄弁さに孤独の闇からの解放感が溢れている。彼の嘘は彼の願望である。そうであって欲しいと考えていた友人関係、友人との会話を流暢に吐露していく。
終盤、紆余曲折を経た主人公は、どんな時でも彼の孤独の闇を照らす人は必ずいると信じて再生していく。
“人は人との繋がりを心の糧にして生きていく”という言葉が心に深く刻み込まれた作品だった。
ちょっと長い…
ミュージカル映画ならではの長さ
ストーリーはわかりやすく気軽に観られる。
が、ちょっと希薄な内容でもある。
主人公の行動がもたらす結果が、少し考えればわかりそうなものを
いつまでも、自分の都合の良いように振る舞い続けてしまった主人公へは
あまり共感はできなかった。
確かに、時には嘘をつくことや事実を伏せることが相手のためになることもありうるが
この映画のストーリーに関していえば
自己中心的な嘘はみを滅ぼす。ということかなと思った。
いい感じの感動ストーリーかのように描かれているけど
個人的には人間の自分勝手さと愚かさ、浅はかさを観たかなと思う。
さらに、最終的にも本人もあまりことの重大さを理解していなかったような描写に見えた。
賛否両論あると思うけど
本当のことを言わないといけないのに引き返せなくなって、ずーっとハラハラしてました。
でも、歌の内容は嘘じゃないし心の声が反映されてるから、共感できるし、音楽が本当にすごくて、涙が出ました。
ストーリーが気に食わない人たくさんいるだろうなと思うし、最初は自分もそう思いました。
でも、噛み締めていくうちに、人それぞれ隠れた孤独とか痛みがあって、自分だけじゃない大丈夫って言われてる気がして、後からジワジワしました。
コナーのこと、もっと知りたかったなぁ。
見るタイミング逃して、遠い映画館まで行ったけど、行ってよかった。
上映してくれてた映画館さん、ありがとうございます。
人を癒すということへの究極の問いが常に投げかけられる!!
人気のブロードウェイ・ミュージカルの映画化であり、主演を舞台版と同じベン・プラットが演じたことでも話題となった。
様々なメディアで目にする、「SNSが題材の作品」という取上げ方はもう限界にきているようにも感じられた。というのも、現代のティーンを描くとなると、自然とZ世代が主人公になってしまうからだ。同じミュージカルでも『ザ・プロム』『Everybody’s Talking About Jamie ~ジェイミー』もきっかけのひとつとして、SNSが多様されている。
今作は複数のテーマが複雑に絡み合った作品である。その中でも大きく分けるなら2つ。
ひとつは死後の情報拡散によって、真実が霞む人物像だ。これは『ヘザー/ヴェロニカの熱い日』に通じる部分もあるし、現実社会においても同様のことがいえるが、今ではインターネットやSNSによって、簡単に全く違った人物像を拡散させることができ、さらに真実よりもドラマチックや感動的に演出を加えることで情報を発信する側の自己満足に変換されてしまう恐怖が描かれている。
「感動」や「共感」を求めることこそが、正義だと信じている者の記憶には、すでに当事者の存在は不在だということもいえる。
日が経つと、新たなトレンドに流れてしまう人々を振り向かせるために、情報を上塗りしていく沼構造も描かれる一方で、それによって実際に救える命もあるという真実が観ている側のモラルを迷子にさせる
もうひとつは「嘘」をどうとらえるかというもの。エヴァンがコナーの家族のために、とっさについた嘘によって、事態は思わぬ方向に向かっていく。その嘘が拡散され、エヴァン自身も家族への憧れがあったことで、嘘によって築かれた関係性に依存していってしまうことで、嘘を重ねていってしまう。
しかし宗教というものが、『ウソから始まる恋と仕事の成功術』で描かれていたように、人々の不安や恐怖を取り除くための嘘から発展したものだと考えると、エヴァンが行った行為は、他者を救う嘘が、私欲に走った嘘に変化していくことで、バランスが保てなくなっていく流れが宗教構造の末路とも感じられる。
極端なことを言うと、小さな嘘のままであれば、誰もが救われたといえるだけに、その点では『ジーザス・クライスト・スーパースター』のようでもある。
単純に感動物語として捉えるべき映画なのかという疑問が付きまとう中で、人が人を癒すこととは、どういうことなのかという究極の問いを常に投げかけられているようにも感じられた。
今作で見事な演技をみせたのは、エイミー・アダムスだ。すっかりアデルのような貫禄(最近、アデルが痩せてしまったから少し前の……)になったエイミーの、息子を失った母親の喪失感というのが、表情からにじみ出ている演技は見事!
アカデミー賞において5度も助演女優賞にノミネートされていながら一度も受賞を果たしていないエイミーだけに、さすがに同情票も入るだろうし、今回も助演女優賞にノミネートされれば、受賞してくれるはず。
個人的には『魔法にかけられて』の続編でも、貫禄のあるお母さんになったジゼルの姿が観れると信じている。
嘘はいかんなぁ…嘘は
始まりはコナーの母親を慰める事から始まった
最初は小さな嘘だったのに求められる声に従った結果…
自分の思惑を離れ話が大きくなっていく様子が恐ろしい
この辺りはSNSの功罪についても描かれているのだろう
思わずトイレに駆け込む気持ちもわからなくもない
コナーの両親を慰めたかった
ゾーイに少し良いところを見せたかった
それだけだったのにね
だけど『親友だ』と嘘をついたことよりも
故人の人格を勝手に作り語った事の罪がより大きい
悪気がなかったとしてもだ
途中幸せそうなエヴァンが見ていられなくて
何度か席を立とうと思った
エヴァンは悪いことをしちゃったんだけど
可哀想な奴で悪い子じゃないのがわかってるから
皆1人じゃないようでも孤独であり
孤独のようでも実は1人じゃなかったりする
『あぁ…苦しいなぁ』と感じる映画は久しぶりでした
余計な一言
アメリカでは心療内科やセラピーに通って薬のむのが当たり前!むしろ飲んでないと『ストレス(責任)のない仕事してんのね』と思われると聞いた事がある
大袈裟に言っとるわと思っていたけど…
高校生が当たり前のように抗鬱薬飲んでるなんて
アメリカ異常だよ!!
心をえぐる作品
エヴァンくんよりの人間なので心を深くえぐられました。
親友だったという嘘なんて絶対すぐバレるだろう...って思うけど意外とばれなかったのはビックリしたけど知ってるのにバラさないファミリーフレンドいい奴じゃん!
とてもいい映画でした。
意見が分かれそう
最後はハッピーエンドかバッドエンドか、、、
見る人によって変わるんじゃないかなと思います。
ベンプラットのオドオドした感じがすごくよく出てましたよね。
あとで歌番組?か何かで歌っている姿をみましたが
全く別人でビックリ。歌も実際とっても上手なんですね。
ミュージカルは急に歌いだすから苦手という方は見ない方がいい
コレをミュージカルで作る意味はイマイチ理解できないなぁ。
個人的な好みだけど、ミュージカル作品は全員での歌唱シーンとかダンスシーンとかで心踊る感じか好き。
元々ブロードウェイミュージカルとして作られた作品のようなので、そこに意味があるのだろうけれど…
もちろん、メロディーは美しく良かったけれど。
歌はよかった
正直期待していたものとは違った。
この映画の孤独について共感できる人は、孤独だと感じていても、なんだかんだで友人や家族がいる人だと思う。
信頼できる友人も家族もいない自分にとって、顔を上げて見てごらん。必ずいるから。と言われても、そんな人はいない。
本当に天涯孤独の人間にはそんな人はいないんですよ。
最後に流れた、悩みを抱えてる人は公的機関にといった内容も興醒めした。
最近もテレビでよく見かけるが、本当に悩んで苦しんでる人に公的機関に相談するという選択肢があるのだろうか。
相手は自分の事を全く知らない人で、悩みを話しても結局死ぬなと言うんでしょ?
自分の事を何一つしらないくせに。
誤解のないように、私は信頼できる友人も家族もいないけど、割と自由に楽しく暮らしてるので公的機関にお世話になる事はないと思いますが、疑問に感じました。
でも何故か最近もう一度観たいなと思ったけど、もう公開終了の映画館が多いようなので残念です。
歌詞はともかくメロディはとてもよかったです。
もしミュージカルの来日公演があるから観に行きたい。
矛盾したレビューになりますが、もう一度観たら感想はもしかして変わるのかな。
あと、コナーのお母さん役の、魔法にかけられての主人公を演じられた方ですが、とても可愛かった!!
「相談して下さい」、ですか・・・・・
アメリカンドリーム的な要素があるミュージカル?と思っていましたが、いやはや
内容的にも興味深く、応援しながら観てたのですが・・・・
このエンディングには少し失望
最後のテロップはもっと失望
深い苦しみと悲しみの先に。
嘘をつくのはもちろん良くないこと。
誰でもそれはわかっていること。
でも、高校生のエヴァンの深い苦しみと悲しみやその時の心は、その時の本人でないとわからないこと。
だからこそ、エヴァンの嘘に誰も気が付かなかった。
嘘に気づかれないことすらも、どれだけ孤独だったのかが際立ち、更に悲しみが増す。最後に少し成長したエヴァンが見えたところが救いだった。
この作品はエヴァンやコナー達を通して、その家族や周りの人たちに、深い理解を求めるメッセージが強く込められている。
どの人物とも重なるものがあり涙が止まらなかった
予告編に惹かれ、それ以外の予備知識無く鑑賞しました。
「誤解から始まる物語」
「ミュージカル」
ということで、もっとコミカルな話かと思っていたのに意外とシリアスで心に刺さりました。冒頭の「誰か僕に気が付いてよ」という歌、リンゴ園での架空のエピソード、偽メールをでっちあげるシーンまでは殆どボロ泣きでした。エヴァンが歌い上げる「こうだったらいいのになぁ」が切なくて切なくて。偽メールシーンは陽気で笑える曲なんですけどね。笑いながら涙が止まらないという不思議な状態になりました。
実は私もうつ病です。幸運にも私はまだ生きているし、周囲に自死した人もいません。ですがどの人物の心情もわかる部分があります。シンシアとは同性で年も近い。エヴァンの寂しさはすごくわかる、アラナのようにうつ病に見えないけど頑張っている人もたくさんいる。特にコナーはどうしても周囲につらく当たってしまう自分に絶望して命を絶ったのだと思います。
エヴァンがしたことは良くないことだったけど、彼は本当にいい奴だし、彼の嘘は人を救ったし、彼の弱さは誰でも持つ弱さです。私はエヴァンを責められません。自分は最後までこの嘘がばれなければいいのに、物語で結ばれた人々との離別がなければいいのにと思いました。ストーリー上ありえないのですけれど。
映画の最後に「悩んだら窓口に相談しよう」というようなメッセージが出ます。「そのメッセージいる?」みたいな違和感がありました。自死で大切な人を失った人が関係者にいるのかな?
とはいえ、私もメッセージに同感です。孤独に悩んだら誰かを頼ってほしい。悩んでいるのが本人なら受診し、家族なら「甘えだ」などと言わずに受診を勧めてほしい。精神科の薬はとかく悪者にされやすいです。ですがお酒の勢いで眠ったり、ドラッグなどで気を紛らわしたりするより、処方薬の方がはるかに良いと思います。何も後ろめたく思うことはないのです。
追記
アラナに自分も大変なんだから無理しないでいろんな活動を控えたらいいのにと思わないでも無いです。しかしアメリカは積極的にリーダーシップを発揮しないと評価されない社会らしいです。だからアラナは頑張るんだろうな。弱っている人は頑張らなくても良いと言ってあげられる社会になればいいのにと思いました。
ディア・スタン・ハンセン
孤独+孤独は前向きになれる・・・などと感じつつ、“We are not alone”という言葉に胸をつかれた。そういえば、大好きなボズ・スキャッグスの曲「ウィー・アー・オール・アローン」と真逆なんだな~としみじみ。まぁ、こちらはラブソングですが・・・
嘘も方便、嘘から出た実、嘘つきは泥棒の始まりなどなど“嘘”の慣用句もいっぱいありますが、孤独な高3エヴァン・ハンセンにとっては、同級生コナー・マーフィの家族に対して瞬時についていい嘘だと判断して思い出話をでっち上げていくのでした。確かに奨学金のために作文コンクールに応募するくらい想像力がたくましい青年。まさかセラピーの課題「自分への手紙」こんなことになろうとは!そういえばアンジェラ・アキの「手紙~拝啓十五の君へ~」もそんな感じだったか?ちなみにアンジェラ・アキも「ウィー・アー・オール・アローン」を歌ってるのは偶然なのか?!
エンドロール後の文章を見るかぎり、どうも青少年の自殺防止のための作品だとしか思えなくなってしまった。SNSで拡散し、動画を使った盛り上がり、そしてメールの偽造など、いかにも現代的な要素満載であり、孤独な人間に手を差し伸べようというテーマがなぜだか鼻につく。現実的には心の病や打ち明けられない性格の人の自殺より、病苦、経済苦、若者にいたってはいじめという原因が圧倒的に多い。なめんなアメリカ!日本は自殺大国だぞ!と言いたくなってくる。うつ病になる原因のほうが重要だと思うのです。
内容はともかく音楽はかなり良かった。さらにアメリカの高校生活もチャラい恋愛映画よりもリアルに描かれてたと想像できる。また、食堂にはダイバーシティとか書かれているし、友人(と思ってる)ジャレッドのゲイも普通に描かれていたし、そうした背景は良かった。また、エヴァンの部屋にはボブ・フォッシーと書かれたポスターもあったし、ミュージカルへのオマージュが感じられる。ちなみに僕、コッシーです・・・ウィーーー!!
全169件中、21~40件目を表示