「不幸をアピールしつつ、実はハッピーな青年が教える、嘘からのあざとい人生好転レター」ディア・エヴァン・ハンセン 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
不幸をアピールしつつ、実はハッピーな青年が教える、嘘からのあざとい人生好転レター
昨年ハリウッドでは、ミュージカル映画が例年になくリリース。
『イン・ザ・ハイツ』『ウエスト・サイド・ストーリー』、配信なら『tick,tick…BOOM!:チック、チック…ブーン!』…。
いずれも高い評価を得、ミュージカルの醍醐味と躍動感に満ちた秀作揃いであった。
本作もブロードウェイ名ミュージカルの映画化。
『ワンダー 君は太陽』の監督、『ラ・ラ・ランド』の音楽コンビ、オリジナル舞台と同じ主演を迎えた意欲作。
公開時、LiLiCoがいつもの番組で号泣熱弁。2021年のBESTミュージカルと。
…でも私は時々と言うかちょくちょく、この人と映画の好みが合わない。同じミュージカルで『マンマ・ミーア!』をこの人は「最高の映画!」と大絶賛してたけど、私ゃあのノーテンキぶりがダメダメだったもんなぁ…。
LiLiCoは絶賛したけど、本国アメリカではラジー賞に絡む酷評&不発。
どうやら私は、今回も然り。後者派。
主人公像、話、作品の作り…いずれも共感出来るものが無かった。
まず、主人公像が好きになれなかった。
高校生のエヴァン。学校には友達はおらず、家でも母親とすれ違い。
“社会不安症”で常におどおど、おどおど。会話もままならない。
孤独な青年がやがて…という設定や展開は分かるのだが、その描き方がステレオタイプ。見ててイライラすると言うより、ドン引きレベル。
そんな主人公が自分の境遇を延々感傷的に嘆くのだから、げんなり。躍動感の欠片も無い。
ベン・プラットは舞台版でも同役を演じ、スタッフたちは彼の起用が本作の決め手だったと称賛の言葉を贈っているようだが、高校生役でありながら28歳…。
見えなくもないような、見えないような、さすがに無理があるような…。それこそ“嘘”でしょ…?
エヴァンはセラピーの課題で、自分宛ての手紙を書いている。
“親愛なるエヴァンへ。今日は学校で素敵な事があったよ”…とか。
でも実際は、感傷的な手紙ばかり。何処までも根暗…。
ある日、その手紙を問題児の同級生コナーに奪われてしまう。
笑われ、さらに学校中でバカにされるよ…。
…その方がまだマシだったかもしれない。
突然、コナーが自殺。コナーの両親はその手紙を見つけ、息子とエヴァンは親友だったと勘違い。
ここで正直に事実を言うべきだった。
が、口下手なエヴァンはそれが言えない。
我が子を失ったばかりの悲しみに暮れる両親をこれ以上悲しませたくない。
親友でした…と、嘘を付く。
相手の為に、思いやりと優しさに溢れた嘘。
“嘘も方便”。時に嘘が相手を癒す事もある。
何て涙ダダ溢れの素敵な話…。
…いやいや、これはアカンでしょ。
これに共感出来るか否かで、本作への好みが分かれる。
相手の両親を癒した嘘だったけど、あれよあれよと言う間に、嘘で嘘を塗り固めていく。
リンゴ園の木を一緒に登った。自分が落ち、コナーが助けてくれた。
勿論、嘘。
ありもしない“2人の思い出話”を両親に求められ、でっち上げていく。
メールのやり取りも捏造。その中で、自分(コナー)の本心、両親への思い、妹への心配り…。
と言うか、エヴァンのこれほどの想像力は逆に大したもの。青春小説でも書けば良かったのでは…? 題して、『そして、僕は嘘を付いた』。
『そして、バトンは渡された』も“嘘”の話。
あちらはいいのに、こちらはダメ…?
ハイ。決定的な違いがある。
『バトン』は愛する人の為に、自分が犠牲になってもいいから付いた、無償の愛の嘘。
それに対しこちらは、全くの他人。嘘から始まって知り合って他人じゃなくなっていくけど、それを肯定出来る要因や説得力に欠ける。
もはや嘘と言うより、騙し。
『バトン』は嘘に隠された真実が分かった時誰も傷付けなかったが、こちらは…?
その嘘がバレた時、相手の家族はどう思う…?
さらに嘘は、雪だるま式に大きくなっていく。
故人の親友として、追悼式でスピーチ。それが感動を呼び、エヴァンは一転して人気者に。
“2人の思い出の地”のリンゴ園を永遠に大切にしようと、クラウドファンディングが立ち上げられる。
ずっと密かに想い寄せていたコナーの妹ゾーイと恋仲に。
が、嘘で築き上げた今の幸運が続く訳がない。
歯止めが利かぬSNSの拡散。
リンゴ園保存のクラウドファンディングが仇となって、コナーの両親が槍玉に上がる。誹謗中傷の嵐。
彼らを傷付けまいとしてきた事なのに…。こんな事に…。
“嘘物語”の作品は、必ずバレる。遂にその時が。
自ら告白。
でも、そこからがまた解せない。
コナーの両親は理解は出来なかったが、エヴァンを咎めない。寧ろ、“もう一人”の息子の事を思いやる。
学校でも、以前以上にのけ者にされて当然なのに、白い目は向けられるものの、何処となく同情心すら感じられる。
エヴァンの母親もそう。息子の嘘や彼がした人様への迷惑を怒らない。それどころか、息子のした事を心配し、許す。
大いなる母親の愛…って言いたい所のだろうけども、いやいや、そこは一言くらい叱らないとダメでしょ。
唯一咎めたのは、ゾーイくらい。真っ当な反応。でも、彼女ともその後和解して…。
クライマックスはエヴァンの謝意。反省。
コナーの両親に本当の事を話す謝罪のシーン、歌い出す。ここはミュージカルじゃなく、普通に台詞の方が響くのでは…?
そのシーンや夕食に招かれた時も食べてる最中に思い出話を歌い出し、マナー違反。
しんみりする歌もあったけど、どうもミュージカルとしてぎこちない本作。
ここでミュージカルいる?とか、相手が通常の台詞なのにこちらは歌とか、ミュージカル嫌いの人がよく指摘する“ヘン”さ。
私はそれほどそれを気にしない方だが(だって、ミュージカル・シーンがミュージカル映画の醍醐味)、今回に限っては“ヘン”を感じてしまった。
この作りも自分には合わなかった。
嘘から始まった人生の好転。
SNSや自殺、いじめ、家庭内問題への警鐘。
僕は決して独りじゃない。
反省を経ての再起。
まるで“災いを転じて福となす”な前向きハッピーエンドにしているけど、何か根本的に違うんだよな…。
だって客観的に見れば、
周囲に嘘を付いて、
彼女まで手に入れて、
母親に庇護され、周囲に甘やかされて、
自分は本当は幸せに恵まれてて、
そんな自分を感傷的に歌い、嘘付き青年が自分宛てに綴った、あざとい手紙。
メチャひねくれ意見だけど、そうしか感じなかった。