「(文章力がないので支離滅裂になります。) やはり本来歌と言う物は人...」ディア・エヴァン・ハンセン なほこさんの映画レビュー(感想・評価)
(文章力がないので支離滅裂になります。) やはり本来歌と言う物は人...
(文章力がないので支離滅裂になります。)
やはり本来歌と言う物は人の気持ちを伝える手段として魂の叫びを訴える手段として確立されているのだなと確信しました。ミュージカルを苦手とする方は多いですが歌と言う物は確実に人の心に届きます。そしてそれは普段の会話を飛び越えてあなたの魂へと届くと思います。
歌うことは人間の本能かもしれません。そして音楽は私たちの故郷なのかもしれません。
私はコナーマーフィの顔が今も消えません。彼の本心、彼の気持ち、私たちはもう知ることは出来ません。ショッキングな内容でした。同じような境遇にいる人は世界中にたくさんいると思います。だからショッキングでした。私たちの物語だからです。そして彼は確かにそこに生きていました。しかし彼は亡くなりました。私たちに何も告げずに。彼は知らない世界にいきました。歌はレクイエムでもあって鎮魂歌でもあります。どうかコナーの魂が安らかに眠れるように祈ります。
悲しいことです。「死人に口なし、」彼の本心を聞くことはもう出来ません私は霊的世界が存在すると思っています。だから「sincerely me」はもしかするともう一つの彼の姿かもしれません。本作の中で唯一明るく元気なシーンです。私はこのシーンが忘れられないし、大好きです。そして悲しいです。何故なら「こういう彼も存在していたかもしれない」からです。楽しくエバンと遊びはしゃぐ。もしかするとこの映像はコナーの願望だったのかもしれません。もしくはエバンの願望だったのかもしれません。いずれにせよこのシーンは作中で一番明るくて楽しいシーンなのにどこか寂しくなります。本当はコナーは友人になりたかったのかもしれません。本当はエバンと友人になりたかったのかもしれません。二人はどこかで似ています。
遠い未来、二人が新しい形で出会うことを祈っています。最悪な出会いだったかもしれません。悲しい最期だったかもしれません。それは愚かな行為だったかもしれません。エヴァンハンセンの行動もコナーの行動も愚かな行為だったかもしれません。しかしそれは彼らの心からの叫びで悲痛な魂の叫びから引き起こされました。コナーが一体どんな思いで命を絶ったのか、エバンがどんな思いでウソをついたのか、木から落ちたのか、・・・・・、私たちは考えねばなりません。人の気持ちが脆くて危ういことを指しています。エバンがいることでエバンの取った行動でコナーのことを多くの人々が嘆き悲しみ、慈しみ、愛することが出来た。友人ではなかったかもしれません。しかし私はエヴァンハンセンとコナーは良き友人になりえたと思います。コナーの死後、新しく出会い直した印象でした。エバンハンセンも友人を得ることが出来ました。もう会話することは出来ませんが静かに思い祈ることは出来ます。
コナーの義父、エバンの元を離れていった父、もしかすると父がキーワードなのかもしれません。
子供たちは家庭に居場所を求めます。私自身ハンセンと同じ境遇です、子供は家族が大好きです。子供にとって父と母は神様のような存在です。だって自分を作った二人なのだから。良くも悪くも絶対的な存在です。だから左右されるのです。自分は自分とわかっていても父母の存在を無視することは出来ません。そして父母はもう一つの自分の姿でもあります。自分なのです。だから多くの人間はこんなにも父母のことで思い悩み葛藤していくのです。アメリカでも再婚家庭は多いです。日本でも増えてきています。離婚した家庭も多く存在しています。離れていった父もしくは母もいます。
子供にとって悲しいことです。私自身、父を知りません。父は昨年亡くなりました。二十年会わないで亡くなりました。こんなに悲しいことは他にないと思いました。多くの子供は家庭のことで悩んでいます。子供は親を信じています。耳を傾けてみてください。