「日常に対する真実という言葉の重さ」ディア・エヴァン・ハンセン シューテツさんの映画レビュー(感想・評価)
日常に対する真実という言葉の重さ
私は基本的に「映画はいつの世も時代を映す鏡」であらねばならないと思っている人間の一人なのですが、映画を沢山観ていると、全く種類の違う作品であっても、共通性を見出すことが多々あり、本作も最近観たばかりの『由宇子の天秤』のテーマの類似性を見つけて驚いている。
で本作ですが、私の好きなミュージカルであり楽曲も素晴らしく内容も興味深く、感動したのですが、ここでの評価は賛否両論の様です。
最近観た作品は賛否両論が多かったのですが、賛否両論にも色々な種類があり、作品によっては鑑賞レベルの差がそのまま賛否に分かれたりするものも多くあるのですが、本作の場合は鑑賞者の“嘘”に対する生理的反応によって評価が分かれる傾向が見受けられました。本作のポスターの中にあるキャッチコピーの“思いやりでついた嘘”という言葉に引っかかった人も多くいた様です。
で、『由宇子の天秤』では“真実”を看板にしている教育や報道機関の現場内での真実と嘘を天秤にかけ何が重要で、如何に真実と嘘とのバランスをとるかという事が大きなテーマでしたが、本作では非常にパーソナルな成り行きでの嘘(というより相手の誤解と本人の対処)が問題となり、その不可抗力的な嘘に対しても、鑑賞者によっては許せなかったり受けつけられず断罪してしまう人も多くいるという事が、本作の賛否両論で示されている様に思えた。
であるならば、この社会に蔓延る国家的・組織的な嘘に我慢できるのは如何なものかと、私は思ってしまうのですけどね。
特に本作が時代を映していると思えるのは、昔なら名前も知らなかったくらいの「コミュニケーション障害」などを含め、他の精神疾患である「双極性障害」「統合失調症」「パーソナリティー障害」「発達障害」「パニック障害」「PTSD」「アスペルガー症候群」等々、私には区別もつかないデリケートな人間の精神的な病をクローズアップしている点であり、そうした登場人物の物語であっても“嘘”は許せないという人が多くいるという事実が分かり、人間ってつくづく難しい生き物だと思い知らされました。
しかし、現実のSNSでも“思いやりの嘘”よりも“傷つける真実”の方が圧倒的に上回っている様に見えるという事は、そこにこそ人間本来の真実があり、そういう人からすれば、本作など甘っちょろい嘘にしか見えなかったのかも知れませんね。
まあ、どちらにせよ本作も「時代を映す鏡」であったと思うのだけど、こうした賛否両論の一般評価も含めての時代の鏡であるのだろうな。