「ハッキリ「不快な映画」」ディア・エヴァン・ハンセン Masuzohさんの映画レビュー(感想・評価)
ハッキリ「不快な映画」
映画って
ジャンル等こだわりなく年間100本以上観に行くと
この監督のはもうやめておこうとか
この俳優はもうお腹いっぱいとか
だんだんフィルターが濃くかかりがちになります
でも好きな映画ばかり観ていても仕方がありません
そもそも好きなジャンルとかないし
監督俳優一人の責任で映画がダメになるとも
言い切れません
努めていろんな映画を目にする事で視野が広がった
部分も多分にありました
まぁ嫌いな映画って皆さん色々あると思いますが
この映画は見ている間も見終わった後も
こんなもん見るんじゃなかったという気持ちで
いっぱいになる物でした
登場人物の立ち振る舞いににまるで共感できず
独善的な展開に後半はウンザリしてきます
元々ブロードウェイの演目だそうで
ミュージカル仕立てな点も歌って
ごまかしてるようにしか見えず完全に裏目です
映画化がダメなんじゃないでしょうか
主人公エヴァン・ハンセンは
服薬やカウンセリング治療を受けるほどの
対人恐怖症・社交不安があり学校でも孤独
母も仕事が忙しくあまり関わることがありません
ゾーイと言う気になる女の子もいますが当然
行動は出来ずにいるとゾーイの兄コナーに
会釈をしたつもりが突然絡まれます
エヴァンは心理治療の一環で自分に
「Dear Evan Hansen」の書き出しで手紙を書き
印刷するために並んでいると
またコナーが絡んできてギプスに名前を書かれる
などされ文面にゾーイの名があるとまた
激高され印刷した手紙をもって走り去って
しまいます
家にノートPCもあるしなんで学校で印刷しようと
したのかは謎です
その後コナーが突然自殺したとコナーの家族に
教えられポケットに入っていた手紙から
君がコナーの親友だったなら話を聞かせてほしい
と頼まれます
事情を説明したくてもコミュ障のエヴァンは
押し切られてしまい昔家族で行ったリンゴ園で
木から落ちた僕をコナーが助けてくれて
など出まかせを言ってしまいます
そもそもコナーがどんな奴かも知らないし
ゾーイはエヴァンとコナーが大して知り合いじゃない
事もわかっていますし最初から真実を喋って
ニセメールのゴーストライターとか頼んだ
ジャレッドとかもうバレバレのはずです
でもなぜかコナーの母親の思い込みが強く
エヴァンのいう事を鵜呑みにします
またクラスの「活動家」タイプのウザめな女生徒
アラナが勝手にリンゴ園を作ってコナーを追悼する
クラファンをやり始め追悼イベントも仕切って
親友のエヴァンにスピーチを依頼します
人前で喋るなんて無理なはずですが
コナーの母に押されてスピーチを引き受けますが
なにせ「嘘」だし人前でごにょごにょしか話せない
エヴァンを観衆は笑いそうになりますが
そこでミュージカル風シーンが入り一転
観衆は感動
動画がバズり一躍有名人になります
このシーンがもう?????でした
エヴァンは歌ったの?と誤解してしまいそうな
演出ですしなにせ内容は嘘っぱちのスピーチ
をごまかすためにみんな孤独だけど
頑張って生きていこう的な突然壮大な
事を歌い出すシーンは「ヤケクソ」
にしかもう映りません
そんでもバズって人々は感動します
まあネットのバズりなんてそんなもんなのは
わかりますが主人公すらどんな奴なのか
わからない段階でこのシーンをやられると
とても共感できないクズやなーとしか
受け取れません
その後クラファンも好調
ゾーイともいい仲になり
(疑ってたこともすっかりその動画で
忘れてしまうゾーイもたいがい脳みそ軽いです)
クラファンを仕切っているアラナも
抗うつ薬を飲んで承認欲求だけで
活動をしていることをカミングアウトします
自分の承認欲求だけで環境活動とかしてる
だけで題材はなんでもいいってのは
リアルな風刺だなとは思いますが
「我々は病んでるからこんなやり方でも仕方がない」
という風に受け取ってしまいます
共感性はどんどん低くなります
でエヴァンはとうとうコナーの一家から気に入られ
奨学金の提供まで申し出られますが
それはエヴァンの母が断固断り
エヴァンは彼らこそ本当の家族だと仕事仕事で
家にいない母をなじります
ここもね母は精一杯女手一つでエヴァンの治療費を
ねん出して働いてるわけじゃないですか
とっさに心情が出たのだと思いますが
それも顧みずひどい言いようだと思います
しかも「嘘」だし
この嘘なのが観てる側にはずっとつきまとって
いるのです
しかもエヴァンはゾーイとイチャイチャして
コナー追悼の集会にも出ません
クズじゃないですか
ここまで共感性をそぎ落とす演出の意図が
まったくわかりません
でそんなエヴァンにアラナは
クラファンの目標金額に達しない焦りもあり
集会に出てこない事やコナーとの
エピソードの少なさから本当に
親友だったのかと疑い始めます
違うよだって嘘だもん
でもアラナも目標達成しか興味ないだろ
とか観ながらいろいろ考えてしまいますが
焦ったエヴァンは例の遺書ということになっている
自分あての手紙を見せて信用を得ようとします
他に見せるなとエヴァンは念押ししましたが
クラファンの一押しの為にアラナは手紙を
公開してしまいます
するとフォロワーは
「遺書の書き出しが家族あてじゃない」事を
総出でツッコミ始めやはり問題のある家族
だったんじゃないかという事やクラファンへ
批判が集まりコナーの家族は大炎上
まあ実際母親はコナーの荒れようを見て見ぬふり
再婚相手の旦那とゾーイはコナーを無視していたわけ
ですから間違ってはいません
この映画登場人物の感覚が全員おかしいか現実的
すぎてミュージカルで理想を歌にしてしまうので
本来の建前で行動してるところの内心を歌い上げる
といったミュージカルの良い所が全部
裏目になってると思います
エヴァンはここでやっと自分のしたことを後悔し
全部嘘であることを告白しゾーイの家族に
危害を加えないよう頼む動画を投稿し
周囲から人は離れゾーイや家族とも離れていきます
あたりめーだな
でもクラファンは目標達成してます
この問題もこれであっさり解決しすぎなんですよね
リアルならクラファンの違法性とか
問われそうなもんですが
なにせその10万ドル集めて作ったリンゴ園
アホかと言うくらいデカいんです
エピローグではコナーの家族がここを
よりどころにしているとかゾーイが言いますが
あれだけあってまだそんなこと言ってるのかと
心底呆れます
エヴァンは一応コナーを少しでも知ろうと
薬物更生施設でギターで歌うコナーの姿などの
動画を家族などに送って俺はコナーの事を調べました
と償いみたいなことをしますが遅いです
普通に映画として嘘で親友でしたって言っちゃった
辺りから少しずつ調べていってコナーの人隣りを
知るほどに自分と同じだと気付いていくような
展開なら全然違ったと思いますが
この映画化が失敗だったんじゃないかと思います
ミュージカルであれば誇張した表現や設定でも
まあまあ様になっていたんじゃないかと思いますが
映画にしちゃうと歌い出すシーンと普段のセリフのシーン
の継ぎ目がないぶん混同しちゃうんですよね
それにこのテーマには合ってない気がします
自分には全く観る価値の無い映画でした