トムボーイのレビュー・感想・評価
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笑っちゃいけないけど笑えるところが魅力
主人公ミカエル(ロール)の後ろ姿から物語は始まる。短く刈り込んた襟足は男の子のそれだ。
事前にあらすじなどを読んでいなければ普通に男の子だと思いながら観始めることになるだろう。
作中で、実はロールという名の女の子だと分かるところは驚くところなのかもしれないが、どこのあらすじでも男の子のフリをする女の子と書かれているので仕方ない。
この作品が他と違って珍しいのは、主人公の年齢が低いことだ。性自認系の作品で今まで観た中で一番若い。
だからこそ生まれるコミカルさが魅力だろう。
ロールがミカエルのフリをするために行う様々なことが、実に子どもらしいアプローチで、笑っちゃいけないけど笑えるんだ。
シリアスなテーマ、シリアスな問題だけど、当人の年齢が若いせいで本人にとってまだそこまでシリアスな問題に発展していないからだ。つまり、ロール自身も自分の身にこれから起こる問題をまだよく分かってないんだな。
ロールの妹が対比としてやけにガーリーなのが目立つ。逆にロールがやけにボーイッシュなので、両親はロールの性的嗜好を分かっていて受け入れているのかと思っていたが、そうではなくて少々残念。
近年のフランス映画だし、女性同士の恋愛を描いた「燃ゆる女の肖像」の監督なので、否定ではなく肯定で物語をしめてほしかったなと思った。
これだとせっかく笑えた物語が全然笑えなくなってしまうからね。最後までもっとポジティブでよかったんじゃなかろうか。
とはいえ、監督自身が同性愛者であるから、自身が経験した理解されない苦しみや、苦労などを描きたかったのかもしれないと理解はする。
観ながら泣いた
お母さんが、認めてくれないのが、
悲しくて悲しくて、苦しかった。
愛してる子どもの事が、認められなかったのは、
お母さんに知識が無かったからだと思う。
生まれた性別と、心の性別が違う子は、確かに数が少ないから、我が子がそうである確率ってまぁまぁ低いと思うけど(左利きと同じくらいらしいけど)、
そうだった時、
親に否定されたら、
あんまりにも可哀想過ぎる。
って思った。
何にも悪いことしてないのに。
悲しい。
苦しくて苦しくて、感想書くのに随分時間がかかってしまった。
良い映画だったと思います。
でも、当事者の人が見たらフラッシュバックとかしちゃわないかな?ってちょっと心配。
全ての子が、愛し愛される経験が持てますように。
自分を否定しないで生きていけますように。
って思った。
アイ・アム・ロール (映画の中ではフランス語だす)
実際には「ロール」の一言なんでしょうけど。
セリーヌ・シアマのジェンダーものです。劇場用長編の2作目とのこと。今回は10歳の女の子の物語り。
全体的に、ほのぼのしてますが、ちょっと切なかったりします。両親はロールの理解者ですが、嘘をつかずに正直に堂々と生きて欲しいと考えていると思われ。
そうだよ。
堂々と生きて。
って言う声が聞こえてくる映画でした。
悪ガキはギャーこらと囃したてるでしょうが。あらゆることを受け容れる柔らかさも持っているのが、この世代だってのもある訳で。ロールがロールのままで幸せになれます様に。
でですね。
またまた思うんですけどね。
フランス映画には、ナチュラルに天才子役が溢れてる問題について。誰か、その理由を知ってたら、と言うか、分かったら教えて欲しいですw
もう、マジで、どうなんてんの、この子達?
男の子のふりをする女の子のひと夏の冒険。思春期映画なのに幸せで軽やかな味わいは稀少!
非常に爽やかで、視線のあたたかな映画でした。
男の身で性自認がどうの少女性/少年性がどうのといった話をすると生臭くなるので辞めますが、フランスには伝統的に子供映画、思春期映画の系譜があるなか、ことさらセクシャルなほうには振らず、かといってジェンダー論を声高に唱えるでもない、いやみのない清々しい語り口が、じつに心地よかった。
テーマとしては、おおむね監督デビュー作の『水の中のつぼみ』(未見)と近しい問題意識を、別の方法論を用いて再話している感じですが、思っていたよりずっと幸せで優しい映画で、個人的にはとてもほっとしました。
まだ男の子と女の子が未分化ではありながら、お互いを意識しはじめる絶妙な時期を扱っている点で、『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』あたりを想起しますが、男の子目線の物語でないぶん、ずいぶん呑み下し易くなるものだなあと。「じつは女の子」って話じゃなくて「もとから女の子」って話なだけで、ドキドキ感が失せて、あっけらかんと見られちゃうもんです。
(そうはいっても、このご時世で、よくちゃんと上映できたなと思わないでもないけどw)
最後にはロールにとって少し辛い試練もありますが、全体的に「悩み」や「苦しみ」「痛み」「切なさ」より、「軽み」「愉しさ」「明るさ」「居心地の良さ」のほうが基調となっているのも、本作の魅力でしょう。
とくに、家庭環境の描写にストレスが一切ないのは珍しい(たいていのフランス製思春期映画では両親は離婚の危機にあるw)。これは、「男の子っぽくしているほうがしっくりくる女の子」を真正面から描くために、それを「家庭からの逃避・反抗」だと取られないよう、監督が先回りして配慮してあるわけですね。
お母さんの「ごっこならいいけど」というセリフや、強制的に女の子の服を着せるところに、保守的な印象を得る人もいるかもしれません。
だけど、お母さんが一番問題としているのは、コミュニティに「噓」をついて参加したことですよね。そこはこのお母さん、ホントにちゃんとしてると思うわけです。
自分の性的志向にそぐわないことをするのは、たしかに本人にとってよくないことでしょう。でも、性別と名前を「偽って」コミュニティに参加することのほうが、もっと致命的に危険なのは自明です。その「噓」は決して維持できるものでもないし、本人を近いうちに必ず大きく傷つけます。
別に性志向に限らず、これから引っ越し先のコミュニティに入るというとき、ちゃんとそのままの自分を見せたうえで相手に受け入れてもらえないと、やがてその人は信用も信頼も失ってしまう。
そこをロールは軽く見て、ついこのひと夏の冒険に乗り出したわけだけど、お母さんは大人だから、そのとっかかりの怖さが十分にわかってる。
だから、お母さんは開口一番「このあとどうする気なの」ってロールに訊くわけだし、
まだ「噓の芽」が小さいうちに、荒療治に出るわけです。
画面には出ないけど、ロールにはちゃんとお母さんの真意が伝わってるから、涙を流しはしても従順にお詫び行脚に同行するわけだし、どちらのおうちでもお母さんは子供を外に出して、父兄だけで部屋でじっくり話をしている描写がある。そこで、きっとこのお母さんは、自分の娘がどういう子で、それを周りからどう扱ってほしいかを、しっかり伝えているのではないでしょうか。
いったん新しいコミュニティにロールが自分で「女の子」だと告げて参加したうえで、その後、男の子の格好をしていても、たぶんこのお母さんは大して問題視しない人だと思います。実際、そういう服で生活することを、これまでだって許してきてるんだから。
その意味では、優しいお父さんや空気の読める最高の妹とともに、きちんと人の道理を説くお母さんもまた、ロールが信頼を寄せる家族の一員であり、決して敵ではないんですね。
(できれば、ロールが妹を守るために戦ったことを妹が訴えるシーンか、お母さんがすでにそれを知っていて褒めるシーンなんかがあると個人的にはよりしっくりきましたが、まあ説明的・道徳的になって野暮だからいれなかったのかな。)
それに、たぶん、外で遊んでいた男の子たちも、最初はとまどうかもしれないけど、最終的にはまた一緒に遊んでくれるんじゃないかな。だって、もともとあの悪たれたちは、「リザといっしょに」ふつうに遊んでたんだから。
ラストでロールは、リザに本当の名前を告げます。
リザはその名乗りを、どうやら受け入れたらしい。
ロールの口元にも、あるかないかの笑みが浮かぶ。
僕はやはり、これでいいんだと思います。
「居心地のいい自分に寄せた噓」ではなく、「あるがままの真実」から始めたフェアな人間関係のほうが、最後は「本当に居心地のいい自分」にたどり着ける可能性が高いはずですから。
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