トムボーイのレビュー・感想・評価
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ロール/ミカエルはあの頃の自分か、または
主人公の少女ロールは10歳。少年になりたいロールは外ではミカエルと名乗って男子たちから一目置かれ、少女のリザから熱視線を浴びている。ロール/ミカエルの一夏の出来事に密着するセリーヌ・シアマの長編第2作には、必然的に主人公が体も少年になろうと工夫する場面や、やがて常識の洗礼を受ける後半部分など、生々しくて痛々しいシーンが用意されている。でも、これをトランスジェンダーについての映画と言い切ることに少し抵抗がある。なぜなら、観客各々が少年みたいな少女ロールや、少しだけ少女の面影のある少年ミカエル、そのどちらにも思春期一歩手前の自分、またはその時に側にいた誰かを重ね合わせることができるからだ。同性と異性の区別が曖昧な季節だけに許された、まだ幼くて、正直で自由だった気持ちを思い出させるのだ。
この映画を成功に導いた最大の要因は、ロール/ミカエルを演じる撮影当時11歳だったゾエ・エランの瑞々しさ、これに尽きると思う。彼女が醸し出す、見た目少年80%、少女20%の絶妙な配分が、性差を超えて魅力的に見えるからこそ、誰もが息を殺して見入ってしまうのだ。
タイトルの妙
自分で切った赤の水着と母が用意した青のワンピース、、性をカテゴライズする2極の色は、トイレマークの色であり、名詞にすら性別があるフランスのトリコロールを想起させる。
現代においてTomboyが女の子を前提に指す皮肉。
結局“どっち”なのか知りたくてズボン下ろさせないと気がすまない子どもたち。
んで結局、“どっち”なのか検索しないと気がすまない鑑賞者。
多様性とは一体、、、?
とても繊細な映画。 (初めのドン引きする運転のシーンは別として) ...
とても繊細な映画。
(初めのドン引きする運転のシーンは別として)
本当に男の子に見えるゾエ・エラン。
11歳の時の作品で、長編映画には多く出ていない。しかし私は2024年に観たショートフィルムの『マックス』(2019)も思い出深くて、もう一度観たくなった。18分の作品で自動車整備工場のインターンとして働く、機械工学に情熱を燃やす口の悪い若い女性を描いた短編。2019年のカブール映画祭短編部門最優秀女優賞を受賞。
『TOMBOY』では、気付かれるのか? バレるのか? 打ち明けるのか? バラされるのか?見てて不安になるが、私は母親と父親の気持ちで観た。男の子ぶるのは良いが、友達を騙しては駄目だ。学校も始まるし。
だがゾエ・エランの演技に引き込まれる。監督の手腕なのも間違いない。
まつ毛が長いロールの妹ジャンヌ役のマロン・レヴァナも名演技。
『水の中のつぼみ』(プールから見上げる)、『ガールフッド』(一歩踏み出す横顔)、『燃ゆる女の肖像』(口で息をする)の様にラストショットが印象でいい。Para Oneの音楽と共に!
※ゾエ・エラン:1999年2月2日生まれ。
※パラワン:ジャン=バティスト・ド・ロービエニ、通称 パラワンはフランスのDJ、作曲家でシアマの多くの作品で音楽を担当。
※何かで読んだが「シアマの映画に共通するテーマは、性別の流動性、少女や女性の間での性的アイデンティティ、そして女性の視線である」との事。なるほど。
※『トムボーイ』:シアマは3週間で脚本を書き、3週間でキャスティングを終え、20日で撮影を終えた。
※映画は、第61回ベルリン国際映画祭のパノラマ部門でプレミア上映され、クィアを題材にした映画に贈られるテディ賞を受賞した。
※2011年(第20回)東京国際レズビアン&ゲイ・フィルム&ビデオ・フェスティバルで上映された10本の一つ。
子役達の演技に脱帽
子供特有の漠然とした不安や繊細な心を思い出して、心がギューっとなりました。
自分自身がトムボーイだったわけではありませんが、親の都合で引越して新しいコミュニティに入ったり、子供だけの独特の人間関係、兄弟関係、親への秘密など共感しながら観ました。水着のシーンではいつバレるかとヒヤヒヤしました。
よりドラマチックにするために家族関係を複雑にしたり大きな事件を起こしたりはせず、ありがちな流れが続くのが良かったです。
主人公は演技とは思えないほど自然ですし、お母さんも筋が通っていて素敵だったけど、なんといっても幼い妹ちゃんがとっても女の子らしくキュートで姉思いなところが最高でした。姉妹がじゃれたり、音に合わせて踊ったり、新しいお友達と会話したり、ドキュメンタリーのようでした。
そして、ラストシーンの主人公の表情が印象的でした。これが演技だとは。天才子役です。
辛い
ロールは完全に少年だと思って観進んでしまいました…。
途中で少女だと知った瞬間から女の子らしさを感じ出したので不思議です。
ロールは少年に「憧れ」を持っていたのか、精神的な性別が完全に男の子だったのか、どちらなのか気になりました。もし後者だとしたら辛すぎる…。
優しい母親に本当の自分を真っ向から否定され、女性を象徴させるワンピースを着させられ、大勢の友人に囲まれて身体的な現実を突きつけられるなんて、
子どもの柔らかくて繊細な心にそんなことしないで〜〜〜!と辛い気持ちになりました。
理解者がいない田舎の中で今後の幼少期を送っていくのでしょうか…。苦しい。
ジャンヌのビジュアルが美しすぎました。ばさばさのまつ毛、ぱっちりお目目、クリクリの髪の毛、薄い唇、、洗練されすぎでは?子供らしい無邪気さと年齢にそぐわない思慮深さを持っていてキャラクターもとても好きでした。
同性愛者である監督による、悪意のない日常を描いた作品
子どもたちが遊んでいる
・・・演技とは思えないリアルな映像。
隠し事が妹に知られて、秘密を共有する
・・・楽しそう。
秘密が発覚して親に叱られる
・・・ガッカリ。
友だち皆にも嘘がバレたけど
・・・嫌われてないみたい。
もし邦画だったら、子役がブレイクしただろうなと思います。
癒されました。
心理は微妙
自分をどう見せるか、どう見られたいか、という葛藤を率直に描いた一作
後年『燃える女の肖像』(2019)で映像作家としての卓越した手腕を発揮したセリーヌ・シアマ監督の、長編2作目にあたる作品です。
少年少女たちの瑞々しい姿、美しい光で描き出す情景、そして少年としてふるまうロール(ゾエ・エラン)を中心に展開する物語など、その演出力はこの段階で既に確固としたものがあります。
とはいえ『燃える女の肖像』で見せたような、いくつもの要素を重層的に織り込んでいく複雑かつ濃厚な描写というよりも、描きたい主題を率直に表現するというある種の素朴さも垣間見えるところもあり、シアマ監督の作品をこれから辿ろうとする人にとっては格好の入り口となっています。
中性的な顔立ちのゾエ・エランが本作に強い説得力と魅力を与えているのは確実で、その強さと美しさを兼ね備えたまなざしは忘れがたいものがあります。
どうしてロールが新しい場所で自分を少年と見てもらおうとしたのか。作中でもさまざまな示唆を含んでいるものの明確な説明には踏み込んでいないので、観る人によって解釈がいろいろできそうです。
どうも少年たちの輪の中に入りたい、というよりも、女の子に異性として見られたい、恋愛をしたい、という気持ちが強かったように思えたのですが、どうでしょう!?
シアマ監督の『秘密の森の、その向こう』(2021)も、コンパクトかつ主筋が分かりやすい作品なので、続けて観ても面白いかも!
トランスジェンダー
半分少女
男の子のふりをする女の子の話だが、これを見る限りでは同性愛なのかトランスジェンダーなのか、それともそれ以外の何かなのかはよくわからなかった。最初に思い浮かべたのは、ラッセ・ハルストレム監督の「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」に登場した少女サガだ。
休暇中に周囲を偽っていても、学校が始まればたちまち露見してしまうのだから、あまり深い考えがあったわけではないのだろう。揺れ動く成長期の心的葛藤の只中で煩悶しているというか。リザに本当のことを告げた時の、二人の何とも言えない対峙の表情がリアルだった。
セリーヌ・シアマ監督の初期作品とは知らず、先に近作の「秘密の森の、その向こう」を見ていたので、森の中で遊ぶ子どもたちをカメラで捉えるという点で共通しているなと思った。監督のこれまでのフィルモグラフィーは自身のセクシュアリティと不可分のように見えるが、今後もずっとこの傾向を維持していくのだろうか。思いっきり離れたテーマを採り上げてみても面白いと思うのだが。
ぴったり
男の子になりたい女の子の話。
主人公の子がこの役にぴったりだった。
ずっと男の子が演じているのかと思っていたが、女の子らしい。
ノスタルジックな映画
退屈はするけどおしゃれ
男女いっしょに遊んでいた時代が懐かしい
パパに甘えているシーンかわいかった。10歳?だけど愛されてるんだろうなぁって思った。
妹もめっちゃかわいかった。
トトムボーイ=お転婆、ボーイッシュ(女性にしか使わない)
☆☆☆★★★ 2008年、渋谷のAーQXで初めてこの女性監督のデビ...
☆☆☆★★★
2008年、渋谷のAーQXで初めてこの女性監督のデビュー作『水の中のつぽみ』を観た時、多感な少女が知る《性のめざめ》には、何か不思議な感覚を覚えた。
昨年、『燃ゆる女の肖像』で日本の映画フアンから絶大な支持を集めたものでしたが。個人的には思いのほか刺さらず…「アレ?良作だとは思うんだけどどなあ〜」と、生意気にも💧
鑑賞後に『水の中のつぽみ』の監督と知り。少女の繊細な心模様の波紋から、どうゆう経路で大人の女性の話へと至ったのかに興味を持つたのでした。
本作品は監督第2作目らしく、題材となるのは今回も子供。
何人かの子供達が登場しますが、どうゆう演出をしているのだろう?出て来る子供達がとにかく自然で、(日本映画等によくある)子役独特のいやらしさが皆無で、この女性監督の演出の確かさが良く分かる。
どこか、かってのトリュフォーの映画(『トリュフォーの思秋期』等)に出て来た元気な子供達を思い出したのは、こちらがおじさんになってしまった証拠だろう💦
映画が始まり、暫くしたところでのお風呂の場面で、この主人公のミカエルが持っている悩みと秘密に関する予想はついてしまうので、その後に待ち受けるサスペンス的なドキドキ感はないものの。ミカエルが抱える心情に、段々と没入してしまい、(多分少数意見にはなるでしょうが)『燃ゆる…』を観た時よりもこちらの胸にはガンガンと刺さって来る作品でした。
バレエを題材とした作品の『girl』も秀作でしたが、あちらとは逆の意味で対を成す作品かと思います。
撮影当時は、まだ監督としての評価も定まってはいなかったであろうし。観ていれば分かる通りに。低予算、且つ与えられる作品としての尺も短く纏める要求を受けていたであろう…と見受けられる。
それだけに映画本編は、中途半端気味に終わってしまうのですが。逆に言えば、その後ミカエルに起こりそうな子供のイジメであり残酷さをリアルに描かない事で、観客側は嫌な気分にならずに済んでいる…とも言えると思う。
今後は『燃ゆる女の肖像』の成功で、大きなプロジェクトを請け負うのでしょうね。
監督デビュー作に2作目と、共に素晴らしい子供の演出技を見せてくれただけに、更に子供を巧みに演出する新たな作品もまた是非観てみたいものです。
リザの美人さと、ジャンヌの可愛らしさにも一言触れておきましょう( ;´Д`)ハアハア
2021年10月23日 キネマ旬報シアター/スクリーン3
笑っちゃいけないけど笑えるところが魅力
主人公ミカエル(ロール)の後ろ姿から物語は始まる。短く刈り込んた襟足は男の子のそれだ。
事前にあらすじなどを読んでいなければ普通に男の子だと思いながら観始めることになるだろう。
作中で、実はロールという名の女の子だと分かるところは驚くところなのかもしれないが、どこのあらすじでも男の子のフリをする女の子と書かれているので仕方ない。
この作品が他と違って珍しいのは、主人公の年齢が低いことだ。性自認系の作品で今まで観た中で一番若い。
だからこそ生まれるコミカルさが魅力だろう。
ロールがミカエルのフリをするために行う様々なことが、実に子どもらしいアプローチで、笑っちゃいけないけど笑えるんだ。
シリアスなテーマ、シリアスな問題だけど、当人の年齢が若いせいで本人にとってまだそこまでシリアスな問題に発展していないからだ。つまり、ロール自身も自分の身にこれから起こる問題をまだよく分かってないんだな。
ロールの妹が対比としてやけにガーリーなのが目立つ。逆にロールがやけにボーイッシュなので、両親はロールの性的嗜好を分かっていて受け入れているのかと思っていたが、そうではなくて少々残念。
近年のフランス映画だし、女性同士の恋愛を描いた「燃ゆる女の肖像」の監督なので、否定ではなく肯定で物語をしめてほしかったなと思った。
これだとせっかく笑えた物語が全然笑えなくなってしまうからね。最後までもっとポジティブでよかったんじゃなかろうか。
とはいえ、監督自身が同性愛者であるから、自身が経験した理解されない苦しみや、苦労などを描きたかったのかもしれないと理解はする。
観ながら泣いた
お母さんが、認めてくれないのが、
悲しくて悲しくて、苦しかった。
愛してる子どもの事が、認められなかったのは、
お母さんに知識が無かったからだと思う。
生まれた性別と、心の性別が違う子は、確かに数が少ないから、我が子がそうである確率ってまぁまぁ低いと思うけど(左利きと同じくらいらしいけど)、
そうだった時、
親に否定されたら、
あんまりにも可哀想過ぎる。
って思った。
何にも悪いことしてないのに。
悲しい。
苦しくて苦しくて、感想書くのに随分時間がかかってしまった。
良い映画だったと思います。
でも、当事者の人が見たらフラッシュバックとかしちゃわないかな?ってちょっと心配。
全ての子が、愛し愛される経験が持てますように。
自分を否定しないで生きていけますように。
って思った。
ボーイッシュでお転婆
これ、あらすじを読まないで観た方が断然に楽しめる、仲間の輪に入ろうと探り探り、流石にサッカーは遠慮気味で、上半身裸で唾を吐きそんな姿に憧れを、控えめな少年が野蛮にも思える団地の男の子たちと仲良くなるまで、幼い恋もしてみたり、そんな微笑ましい物語を素直に観ていると??
疑いもなく美少年な男の子だったのがあら不思議、ワンピースを着たら女の子にしか見えない、六歳の妹がナイスキャラで一番の理解者、純粋無垢で無邪気な子供たちは残酷でもありながら受け入れられる柔軟性を兼ね備えている、この一夏をそう遠くもない将来で行うと『ボーイズ・ドント・クライ』のように無残な結末が訪れてしまう!?
単に映画の題を鵜呑みにできない、チョットした悪戯だったのか、トランスジェンダーの問題が見え隠れしながらも爽やかで清々しい余韻を残しながら。
アイ・アム・ロール (映画の中ではフランス語だす)
実際には「ロール」の一言なんでしょうけど。
セリーヌ・シアマのジェンダーものです。劇場用長編の2作目とのこと。今回は10歳の女の子の物語り。
全体的に、ほのぼのしてますが、ちょっと切なかったりします。両親はロールの理解者ですが、嘘をつかずに正直に堂々と生きて欲しいと考えていると思われ。
そうだよ。
堂々と生きて。
って言う声が聞こえてくる映画でした。
悪ガキはギャーこらと囃したてるでしょうが。あらゆることを受け容れる柔らかさも持っているのが、この世代だってのもある訳で。ロールがロールのままで幸せになれます様に。
でですね。
またまた思うんですけどね。
フランス映画には、ナチュラルに天才子役が溢れてる問題について。誰か、その理由を知ってたら、と言うか、分かったら教えて欲しいですw
もう、マジで、どうなんてんの、この子達?
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