「家族映画の秀作」ブルー・バイユー しろくまさんの映画レビュー(感想・評価)
家族映画の秀作
これは今年一番の拾い物かも知れない。
本作には親に見捨てられた子どもが2人出てくる。
主人公アントニオ(ジャスティン・チョン、なんと脚本監督も務める)は韓国系の移民。幼少期に国際養子縁組でアメリカに来た。
妻のキャシー(アリシア・ヴィキャンデル)には前夫エース(マーク・オブライエン)とのあいだの子どもジェシー(シドニー・コワルスキ)がいるが、キャシーのお腹の中にはアントニオとの子どもを宿しており、臨月を迎えようとしていた。
ジェシーは実父エースに見捨てられたことが心の傷になっている。
アントニオはジェシーをよく可愛がっているが、ジェシーは下の子が産まれるたら、アントニオが自分のことには構わなくなるのではないかと不安を抱えている。
一方、アントニオは2度までも親に見捨てられている。
1度目は韓国の生母。アントニオを育てられない事情があったのだろう。一度は彼を溺死させようとしたが、思いとどまり、彼をアメリカに養子に出した。
だが、アントニオのアメリカの生育環境は過酷だった。いくつかの家族をたらい回しにされた挙げ句、たどり着いた家の養父はDV男だった。養母(つまり妻)も養子のアントニオも虐待し、養母は彼を守らなかった(おそらく養子のアントニオまで守る余裕がなかったのだろう)。
親に捨てられた者同士ゆえ、アントニオは、ジェシーの哀しみに共鳴できてしまう。同じ経験があるからこそ、アントニオはどうしても、自分が原因でジェシーに哀しみを味あわせたくないという強い思いを持ってしまうのだ。
エンドロールに次々と現実にあったケースが映し出されるように、本作のテーマは国際養子縁組の制度上の問題を取り上げている。
国際養子縁組でアメリカに来た子どもは、養親が手続きをしない限り、アメリカの永住権を得られない。たとえ、アメリカ人と結婚しても、である。
養子でアメリカに来るのだから、その時点では当然、まだ幼い子どもだ。本人に手続きすることは事実上、不可能である。
ゆえに大人になるまで、自分にはアメリカの永住権がないことを知らないケースも多いだろう。
渡米したのが幼少期であればあるほど、本人に出身国の記憶は薄く、アメリカの地に馴染み、アメリカ人として育っているのだが。
この映画の主人公アントニオは、スーパーでキャシーと口論になったところを、たまたまキャシーの前夫のエースが通りがかり、そして悪いことにエースの仕事が警官だったことから、さらに最悪なのは彼の同僚がレイシスト(人種差別主義者)だったことから騒ぎが大きくなり、不法滞在者であることが判明してしまう。
ここから、徐々に国際養子縁組の制度の問題が観る側にも明らかになっていく。なんと、アントニオは強制国外退去をしなければならなくなるのだ。
なんともひどい話ではあるが、この映画が優れているところは、声高に制度について責めるのではなく、あくまでも家族のストーリーとして仕上げている点にある。
この映画には、さらに多くの家族が登場する。
ふとしたことで知り合うベトナム人女性パーカーと両親のこと。
キャシーと彼女の母親。
キャシーの態度から、どうやらエースは彼女とひどい別れ方をしたらしいのだが、エースは、いまではそのことを悔いていて(ヨリを戻したい、ということではなく)、特に娘のジェシーに対しては償いの念を持っている。
離婚、養子、連れ子、虐待、ひとり親と、実にバラエティに富んだ家族が登場するのも極めて現代的と言える。
物語の主軸となるジェシーとアントニオの関係に、アントニオと実母、養親の関係を重ね合わせ、対比させているのも巧い。
こうして、家族のテーマを重層的に描くことで、国際養子縁組の問題を取り上げた映画なのに、「遠い国の制度のお話」にならない。本作のメッセージには、観る者が移民じゃなくても、感情移入できる普遍性がある。
だからラスト、空港でのジェシーの「Don’t go!(行かないで!)」の叫びに涙が止まらないのだ。
ラストは決してハッピーエンドではないが、現実的ではある。
そして見方によっては、永住権の問題は解決しないが、家族の問題は、ほぼ解決に向かったとも言える。終始、重い雰囲気の作品だが、ラストには希望を感じられた。
アントニオの行動には犯罪行為もあって、必ずしも観る者の共感は得られないかも知れない。
だが、この映画の登場人物が直面するのは個人の努力ではどうしようもないような、国や制度の大きな力である。国や制度に翻弄されたときに表れてしまう人間の愚かさ、弱さとともに、素晴らしさ、強さも描かれているのはリアリティを感じられる。
善いことやってたら奇跡が起こって上手くいく、なんて映画みたいなことはそうそうないわけだし、それでも、個人が拠り所に出来るのは家族や親しい友人なのだろうから。
ストーリーは、アントニオの国外退去の危機に向かうタイムリミットものサスペンスとして組み立てられており、飽きさせない。
途中のエピソードも、脚本的にも演出的にも効果的だ。
繰り返される水のイメージ。
アントニオ一家の暮らす家の前は川。アントニオが、学校をサボらせてジェシーを連れ出した場所も池。アントニオがパーカーと語り合うのも川べりである。
タイトルの「ブルー・バイユー」も「青い入江」を歌ったジャズのスタンダード・ソングのタイトルから。
生母に水に沈められたアントニオ。一方、パーカーの母親はベトナムを脱出時の船が遭難して命を落とした。片方は意思を持って殺そうとし、片方は事故による死、という対比も鮮やか。
また、新しく生まれてくるアントニオとキャシー夫婦の子どもに対して、癌で死にかけているパーカーと、生と死の対比も見られる。
そして何度も登場するアントニオの頭上に大きな橋が映るシーン。橋は国境にかかるものとして描かれていると思うのだが、常に大きくて遠い存在として映し出されており、アントニオは一度も渡ることはない。
役者たちの演技は、脇を固めた助演たちも含めて手堅い。中でも子役のシドニー・コワルスキは絶品だった。
アリシア・ヴィキャンデルの歌のうまさにも驚いた。