メインストリームのレビュー・感想・評価
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現代社会の一部を映画化する難しさ
SNS、streamer、you-tuber、influencerを中心に映画化された作品。主人公がインターネットを通して『承認欲求や登録者人数を増やす事ばかりに浪費してるとゾンビになるぞっ!』と注意喚起に賛同する者から承認欲求を満たして終演。映画の中で主人公はスマホは嫌いという事は明らかにされないものの、おそらく10代の頃に犯した火事事件で有ること、無いことを投稿されて嫌になったのかなと思う。主人公がクレイジーということ意外、設定や登場人物の背景の描き方がイマイチ弱い感じ...
《余談》ローラが出ていることに驚いたけど、表情とアクションだけで台詞なし。もともと台詞はなかったのか、あったけどカットされたのか不明だけど、他の約柄の人達は1、2ほどの台詞があるのに何も無いのは映画界って厳しいなと思った。
短いのが救い。
最初の20分くらいは面白く、その後の展開に期待していたのだが、途中からの展開は悪い意味で予想通り(イザベルの身に起こったこと)で、ユーチューバーという人たちに対する胸糞悪さだけが残る。短いのが救い。
えっ、これで終わりなの?
と言うのが、終わった瞬間の感想。この後、どうなっていくかを
描いて欲しかったな、と感じました。
天才的な話術を持つ男が、人気YouTuberへと駆け上がっていく
ストーリーなんですが、正直、主人公の凄さみたいなものが
伝わってきませんでした。私自身、YouTubeにどっぷりと
はまってるような人間じゃないからそう思うのかもしれないけれど、
その映像作品があまりパッとしないんですよね。本来は、その映像で
これはすごいと思わせないとダメなんじゃないですかねえ。
YouTube自体がそんなにたいしたものじゃないよ、という
メッセージなのかもしれませんが。
SNS版『ネットワーク』といったところ?
①私のように余りSNSをしない(と言っていま投稿しているのもSNSか😅)人間としては困った世の中になったものだと思わせられ
もしたが、メディア・媒体が時代に伴ってどう変わろうと「結局、金か!」とも思わせられた。②『ネットワーク』(1976)ではヒロインのダイアナが「TVなんて所詮スポンサー相手の商売じゃないの」と言って視聴率を上げるためなら番組の中で殺人まで起こしてしまうが、この映画では人気You-tuberの陰の仕掛役であるマークがそれに対応する役どころか。③この映画でも視聴回数を上げることでスポンサーがつき金が入るという点ではTVがYou-tubeになっただけで余り変わりがないなぁ、と思いましたね。この映画でも犠牲者が出るけれども、SNSは便利でもあるけれども両刃の剣で困った人間が手にすると凶器にもなるという戯画でしょうか。④ラストシーンでリンクはかなり勝手なことをほざきまくるが、その後観客が引くどころか喝采するところも結局メディアにいいように振り回される一般大衆を皮肉っているのでしょうか。。⑤アンドリュー・ガーフィールド熱演。⑥懐かしや、コリーン・キャンプがえらいオバサン役で出ていて隔世の思い。⑦それと、ヒロインの女優はイーサン・ホークとユナ・サーマンとの娘なんですってね。こちらもWOW!ってな感じ。
Mainstream=尊厳を捨てる人たち
面白かった。
ジア・コッポラが監督と言うんで期待値下げ。脚本がフレッド・バーガーなんで今時のアメリカへの批判的姿勢には期待値上げ。作品としては、後者が勝った感がありましてですね。これは面白かったです。
女性脚本と言えば「合理性より情緒」。イヤ、別に侮蔑の意図はありませんよ。だって、一方の男性脚本だと「必然性より願望」。これ、「出会いから恋愛に至るまでのシナリオ」の男女ライターの差に対する、個人的な印象ですから。結果的に、女性が見た「男性ライターの脚本」は「気持ち悪いから。そんな都合の良いオンナ、居ないから」になり、男性から見たときは、ほぼその逆になり「腐女子の妄想」なんて言う評価になったりする傾向があると、勝手に思ってます。
冒頭、フランキーとリンクの出会いから、リンクにフランキーが惹かれて行く件なんてのは、全く以て「腐女子の妄想」そのものです。日本のラノベ的と言うか。邦画の「ジャニタレ&EXILEの王子様系」と言うか。正直、見てるのが辛い。中身の無い若者が、ほんの少しだけ口にする哲学的表現が、フランキーを惹きつけて行きます。あくまでも、内面に惹かれる訳です。風変わりな動物コスプレ、常識にとらわれない行動。それもフランキーにとっては「動画コンテンツ」でしかない、ってのが前提条件。もちろん、リンクがイケメンだから惚れるのでもありません。この辺りは、腐女子妄想で邦画の若手女性監督作品を彷彿。
ジア・コッポラって、日本のマンガ・映画を見まくってたりしないですか?
リンクがマークのプロデュース下に入る辺りから物語はギアチェンジ。本題に入ります。ここからのガーフィールドの演技は見ものです。他の役者さんとの違いを見せつけます。独壇場です。彼だけで映画がもってると言っても良いくらい。ラストカットは、ほぼホラーだしね。
「スマホか尊厳か」
ステージでスマホを取り上げられた男は、なりふり構わず、レスラー姿のマッチョと組んずほつれつの格闘の末、見事にスマホを取り戻します。
「彼が失った尊厳とは、何だったのか?」
この場面では、$400だったかのスマホを取り戻すために、理性とクールさも捨てたなりふり構わぬ姿。「社会的な体裁」って事になるんでしょうか。
すでに。尊厳など捨て去っていたリンクは、その後暴走。イザベルの死すら視聴数と言うビジネスのために利用。フランキーは尊厳を捨てず、リアルワールドに戻って行く。
Mainstream とは、ネットフリーク達の尊厳の絶望的な軽さを批判する映画です。SNSの中では、リアルワールドでは「決して口に出して言えない事」「面と向かっては言えない事」を平気で口にする。なぜならば、そこは安全な場所だから。「口に出して言えない事」「人前ではできない事」を、その姿を晒して実行してしまうゆえ、No One Specialはカリスマ。
内容的には、すごく好きなんですよ。好きなんですが、なんか、ちょっと、遅くない?と言うか、この構図、古くから変わってないだけですよね、ってのが引っかかりました。SNS以前の時代から、同じことを繰り返してる私たち。ハードとソフトの進化が、生成と消滅のサイクルを速めただけですよぉ、なんて事を思いながら。
主題は好きだけど、ガツーンと来るメッセージが、お話として欲しかったかも。ほぼ、物語のインパクトはガーフィールドの演技・顔芸頼みな気がして。
【虚飾の人生を生きる男が、どんどん心の闇に引き込まれて行く姿に戦慄した作品。アートの皮を被った嫌な嫌な気持ちになる猛毒ムービー。】
- 今作品のテーマはSNSに呑み込まれている現代社会に対する痛烈な皮肉と問題提起である。だが、それ以上に恐ろしいのは、劇中でも明かされるリンク(アンドリュー・ガーフィールド)の破綻した人間性が露になって行く過程の描き方である。-
◆感想
・冴えない日々を生きるフランキー(マヤ・ホーク)。ある日、街中で着ぐるみ男リンクと出会い、同じバーで働くジェイク(ナット・ウルフ)と組んで、ユーチューバーとして、名を上げて行く。
- 序盤のアンドリュー・ガーフィールドが善人なのか、只の変わり者なのか、そもそも何者なのかがワカラナイ、リンクを怪演している。"スマホを捨て、本当の自分を見せろ!"と言ったり・・だが、最後半にこの言葉のシニカルな意味が、分かるのである。-
・自分達の番組を持った3人。悪乗りしたリンクが、セレブの女性イザベルの素顔を無理矢理フォロワーに送らせるシーン。
- 近年、稀に見る、嫌な嫌なシーンである。アンドリュー・ガーフィールドの意地悪で流暢な言葉で会場及び配信で見ている者達を煽る姿。-
・リンクの暴走に嫌気が差し、辞めるジェイク。良心の呵責とリンクへの微かな信頼に揺れるフランキーの姿が、印象的であるし、彼らがマトモな人間である事も、良く分かる。
<ラスト、生配信でリンクが煌びやかなステージで言った言葉。
イザベルに謝罪の言葉を贈るも、その後の猛毒コメントの数々。
"お前等が殺したんだよ!"
そして、マサカの彼のフォロワー達からの拍手喝采。
第四の壁を乗り越えて、観る側にニヤリと笑うリンク(アンドリュー・ガーフィールド)の素顔はメインストリームで生きる為に悪魔に心を売ったサイコパスにしか、見えなかった作品である。>
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