メインストリームのレビュー・感想・評価
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Mainstream=尊厳を捨てる人たち
面白かった。
ジア・コッポラが監督と言うんで期待値下げ。脚本がフレッド・バーガーなんで今時のアメリカへの批判的姿勢には期待値上げ。作品としては、後者が勝った感がありましてですね。これは面白かったです。
女性脚本と言えば「合理性より情緒」。イヤ、別に侮蔑の意図はありませんよ。だって、一方の男性脚本だと「必然性より願望」。これ、「出会いから恋愛に至るまでのシナリオ」の男女ライターの差に対する、個人的な印象ですから。結果的に、女性が見た「男性ライターの脚本」は「気持ち悪いから。そんな都合の良いオンナ、居ないから」になり、男性から見たときは、ほぼその逆になり「腐女子の妄想」なんて言う評価になったりする傾向があると、勝手に思ってます。
冒頭、フランキーとリンクの出会いから、リンクにフランキーが惹かれて行く件なんてのは、全く以て「腐女子の妄想」そのものです。日本のラノベ的と言うか。邦画の「ジャニタレ&EXILEの王子様系」と言うか。正直、見てるのが辛い。中身の無い若者が、ほんの少しだけ口にする哲学的表現が、フランキーを惹きつけて行きます。あくまでも、内面に惹かれる訳です。風変わりな動物コスプレ、常識にとらわれない行動。それもフランキーにとっては「動画コンテンツ」でしかない、ってのが前提条件。もちろん、リンクがイケメンだから惚れるのでもありません。この辺りは、腐女子妄想で邦画の若手女性監督作品を彷彿。
ジア・コッポラって、日本のマンガ・映画を見まくってたりしないですか?
リンクがマークのプロデュース下に入る辺りから物語はギアチェンジ。本題に入ります。ここからのガーフィールドの演技は見ものです。他の役者さんとの違いを見せつけます。独壇場です。彼だけで映画がもってると言っても良いくらい。ラストカットは、ほぼホラーだしね。
「スマホか尊厳か」
ステージでスマホを取り上げられた男は、なりふり構わず、レスラー姿のマッチョと組んずほつれつの格闘の末、見事にスマホを取り戻します。
「彼が失った尊厳とは、何だったのか?」
この場面では、$400だったかのスマホを取り戻すために、理性とクールさも捨てたなりふり構わぬ姿。「社会的な体裁」って事になるんでしょうか。
すでに。尊厳など捨て去っていたリンクは、その後暴走。イザベルの死すら視聴数と言うビジネスのために利用。フランキーは尊厳を捨てず、リアルワールドに戻って行く。
Mainstream とは、ネットフリーク達の尊厳の絶望的な軽さを批判する映画です。SNSの中では、リアルワールドでは「決して口に出して言えない事」「面と向かっては言えない事」を平気で口にする。なぜならば、そこは安全な場所だから。「口に出して言えない事」「人前ではできない事」を、その姿を晒して実行してしまうゆえ、No One Specialはカリスマ。
内容的には、すごく好きなんですよ。好きなんですが、なんか、ちょっと、遅くない?と言うか、この構図、古くから変わってないだけですよね、ってのが引っかかりました。SNS以前の時代から、同じことを繰り返してる私たち。ハードとソフトの進化が、生成と消滅のサイクルを速めただけですよぉ、なんて事を思いながら。
主題は好きだけど、ガツーンと来るメッセージが、お話として欲しかったかも。ほぼ、物語のインパクトはガーフィールドの演技・顔芸頼みな気がして。
これはどう見れば良いのだろうか?
巨匠フランシス・F・コッポラの孫娘が祖父が名声を築いた映画界を駆逐せんとする勢いの新興メディアYouTubeへの嫉妬心から、ディスって溜飲を下げたいだけの自己満映画と解釈したのだが、実際のところ、どういう制作意図で撮ったのだろうか?
内容的にもイマイチ。テンポは良いのだが、反面、場面場面の繋ぎが雑だし、もっと雑なのはアンドリュー・ガーフィールド演じるリンクに熱を上げていたフランキー(マヤ・ホーク)の気持ちが離れていく過程の描き方。
母親そっくりのマヤ・ホークの美貌が唯一の救いだったが、もう少し見るべき点が欲しかったかな。
日本人としてはローラにセリフが無かったのも残念。
劇薬に狂う人を傍観するだけに留まる、メッセージの路線変更が仇に
劇薬を手に入れた一般人の話かと思いきやそうでもなく…。中途半端な演出とオチで萎える。モヤモヤする。
確かにネットは麻薬のように体の一部として取り込まれている。キュウソネコカミも「スマホはもはや俺の臓器!」なんて言っていたが、そうなる前にはもう戻れない時代になった。本作は過激派YouTuberとなるリンクが「いいねからの開放」という形で世界に発信していくところが核となる。その過激さは去ることながら、一理あるのがなんとも憎い。ただ、そのメッセージを引っさげながら彼自身の猟奇へとメッセージを改変したのがこの作品の痛いところである。
ストーリーテラーという意味での主人公はフランキーだが、彼女がクリエイターで彼がアクターみたいなスタンスで成り立っている。だからその猟奇が世界に広まっていくのが快感であり、自身の糧になる。そこに落とし込まれる危険性みたいなものを写す。ただ演出や小ネタが安いので飽きる。おそらくYouTubeの煩さを表現しているのだろうが、受け取るのに困る。最後もモヤッとするので、作品の出来としてはやや合わず…という感じ。
適切な距離と適切な利用。のめり込みもほどぼどにしないとね。
『ソーシャルネットワーク』をもっと派手にするとこれ
安っぽい手品バーでうだつのあがらない日々を過ごしながらyoutubeに動画を投稿する主人公がある日、リンクという人を注目させることが上手い男に出会いカリスマyoutuberとして有名にさせていく話。
題材がyoutuberなのでなんだか新しい感じもするけど良くある成功物語の陰と陽の話。でもyoutuberという今の私たちには1番身近な題材だからこの映画で起きることも容易に現実で起きたこと連想できちゃう。
リンクは、口が上手くて頭の回転が早いからそれっぽいことを捲し立てて聞いてる方を惹きつけられる。それってさ、ここには書かないけど私はあの人とかあの人とか同じだなって思うよ(笑)あとは後半のある女性の展開も、一昨年のあの子の事件を思い出しちゃうよねえ。
そしてリンクが最初から最後までクレイジーすぎてずっと気持ち悪いので感情移入が全くできない。
あのクレイジーさが逆に惹き付けられるのだろうけど、私的にリンクに感じたのは元欅坂の平手ちゃんを見てる時と同じ感情。あのパフォーマンスが衝撃的ですごい!ってなってたけど、私は病みすぎてて怖かったし皆が崇めてる感じも怖かった。
編集がYouTubeを見てるようなポップでチープな編集が結構出てきて面白い。しかも日本とは違う編集の感じがより面白かった。
あしたのジョーを連想するとは思わなかった
YouTubeを観て過ごす若者の文化に今一つついていけていない。でも、文化として成り立って久しいし、否定するつもりはない。ただ、You Tubeの動画の定型みたいなものがあまり好きじゃないってだけのこと。
だから、フランキーがリンクを使って撮影する動画に心が動かない。ふーん、こんなのが受けるのかね的な冷めた目で見てしまった。
それでも、鬱屈した若者が何かを成し遂げようとする姿と、そこで恋に落ちる姿は悪くない。そして流れる音楽がなんかいい。
序盤は悪くないんだけど、後半視聴者数が伸びてからの番組やそこで暴走する姿がまた好きじゃない感じ。ついでにフランキーがトイレで戻すシーンの映像にキラキラした感じの加工をするのはどうなんだろう。古いが、「あしたのジョー」(アニメ版─しかも2の方)で殴られたジョーのキラキラしたゲロを思い出した。そんな加工はジョーくらいでいいんだよとオジサンの発想をしてしまう。
こういう映画を観ると、ジェネレーションギャップを感じる。でも引き続きこんな映画も観ていくんだけど。
2世の世襲保守の「成り上がり」へのひがみと見た。成り上がりもイヤだけど、世襲はもっと嫌だ。
監督が巨匠コッポラの孫、狂言回し的な準主人公がイーサン・ホークの娘。コレは偶然じゃない。意図的な本能だ。
一見、SNS、YouTube及びスマホ依存症への警鐘がメインテーマに見えるし、表面的には間違いない。
ただ、ひねくれた見方かも知れないが、既得権益のガチガチの保守世襲が、ポッと出のYouTuberを「イイ加減なまがいもの」としてひがんで描いたと、私には見えた。
確かに個人の容姿や人格を晒し者にするのはタブー。絶対にいけない。一方匿名の安全地帯から安易に誹謗中傷するのもマトモとは言えない。また、歩きスマホ、業務中スマホしてるド阿呆からはスマホを取り上げて旧機種の電話機能のみの携帯を与えるというのは大賛成。
しかし、無学歴、閨閥も何も無いものが、自由な表現をして成り上がるのもイイんでは無いの?YouTubeにある程度デタラメがあってもいいでしょう。
この作品は、誰でもわかりやすいのが良いのですが、わかりやすすぎて話が平板に感じた。
主人公の「リンク」の行動も、話術も想定範囲内。ただ、街でチ・・まがいのぶら下げて奇襲はダメだろ。「クソかミソか」レベルで猥褻物陳列罪だろ。要するに、この主人公別にブッ飛んでいないし、話術も凡庸。脚本家のチカラ不足に見えた。
確かにネットが構築されて以降の「承認要求、願望」は人間の本来持つ大切な何かを奪い去っているのは事実。考えさせられる映画ではある。ストーリーは仕方がないけども、スクリーン上、昔の無声映画風の白黒ザラついた字幕が面白く、期待させたが、YouTubeとかの描き方にもう一工夫欲しかった。皮肉なのはYouTubeの動画撮影場面より、当初の場末のコメディバーの場面の方が生き生きとして面白かったこと。太ったおばさん、イイ味出してるよ!!コメディバーあったら行きたくなったよ。
なんか土曜夕方なのに大スクリーンで客13人くらいは寂しい。連続で見た、ジェイソン・ステイサムの「キャッシュトラック」が満員の100%の入りだったのと好対照。そういや「キャッシュトラック」もクリント・イーストウッドの息子だか孫だかが出てる。イヤだイヤだ!世襲は世の中にいらないよ。イヤラしいことこの上無い。
人気YouTuberの末路
ロサンゼルスで暮らすフランキーは、動画をYouTubeで公開しながら、バーで働いていた。そんなある日、天才的な話術を持つリンクと出会い、彼に魅了され、作家志望の友人ジェイクも入れて、動画制作を始めた。リンクの動画は注目を集め、人気YouTuberになった。しかし、いいね!、や、批判はリンクの人格を変えていき、狂気となって暴走していくという話。
有りそうな題材だが、面白くなかった。
リンク役のアンドリュー・ガーフィールドの狂人ぶりは迫力あった。
スタイリッシュでカラフルに描くSNSの狂気
SNSによって祭り上げられた一人の男を中心に、ネットの闇と狂気がカラフルなアイコンやリアルな言動で描かれていました。
ストーリーは予想通りというか、最近よく見るネットの闇と危険性を発信者とそれを受け取る視聴者(私たち)それぞれへ啓蒙する系のもの。オシャレな映像や、ネットのアイコンやスタンプを使った描写、アンドリュー・ガーフィールドの存在感と圧倒的な顔面力(顔芸)はとても良かったですが、他はまぁわりと普通のお話。もっとサイケデリックで狂気に満ちた世界が繰り広げられるのかなと思っていたので、ちょっと肩透かし。
とはいえ、アンドリュー・ガーフィールドとマヤ・サーマン・ホークの魅力がビシビシ伝わり、若いエナジー溢れる作品になっていたし、短い上映時間でダレずに楽しめたので良かったです。
デュカスタン…じゃない!?
スマホや動画サイトに興味が無かった男が発信者としてハマり壊れて行く話。
導入部分のモールでの演説とか、スマホと尊厳とか、セメタリーパーティーの面白さは自分には良く判らないけれど、とりあえずフォロワー100人ぐらいのYouTuberに誘われて、彼女のバイト仲間と共にチームを組んでバズって行く展開。
スマホと虚栄心当たりから盛り上がってきて、ある意味言っていることの筋は通っているし、この辺はある意味リアルで、そこの矛盾や背反について考えると面白い。
そしてセリフないけどまさかのローラ役に…何やってんの?w
そしてそして洗面所の映像エフェクトは訳わからん。そういう演出要りますか?
なに良い子ちゃんなこと言ってんの?な流れとか、ラストの演説はかなり好みだったけれど、それに対するリアクションとか、行動もなくぶった切られた感じでちょっと消化不良だった。
これは…。正直、我慢の範囲を超越するが、一応は成り立っている内容。
今年138本目(合計202本目)。
前にみた「キャッシュトラック」がおおむねよかったし、本作品も「SNS」を題材とするという、最近よくある類型(SNSがバズるとか、フォロワー稼ぎがどうとか何とかという類型のもの)で、同じ趣旨の映画を作ると権利関係上問題になるので、色々工夫が見られます。
ただまぁ、この映画、一応G指定なんですよね…。G指定、つまり、「一般」扱いです。R15でもR18でもないんです。
で、「キャッシュトラック」と本映画は5分違いなので、一度出てまたすぐ入りなおして…とやると(なんばパークスシネマさんではたとえ連続していても、一度出るのがルール)、すでに始まってました。まぁそれは、そういう取り方をした人が悪いということになるので(あるいは、50分待つかの2択だった)、そこは問題ではないんです。
で、あの…、何っていうんでしょうか…。「男性の下の方についている、男性と女性とで違うもの」がモザイクなしなのはいいんでしょうか(5分遅れできたら、入り口からそれがモロに見えるので正しいスクリーン番号かどうか混乱する…)?
反対解釈すればモザイクなしということは、ああいうもの(まぁ、何かは書かないが…)ってどこか売ってるんでしょうか…(コスプレグッズ売り場とか?)。というか、そこから、「え?これメインストリームだっけ??」ってなると大混乱しそうです(なんばパークスシネマさんで今週、R18指定されている映画はないため)。
映画内の、独特なSNSのバズり方を描写する部分(特集やここの予告編、先週までは映画館でも予告としてやっていた)に関しては、好き嫌いあるかなと思います。まぁそれに関しては好き嫌いの範囲で、ああでもしないと、この手の「SNSネタの映画」は最近よく見かけるので、どこかで差をつけないと権利関係の問題が発生する事情もあるのでやむを得ないかと思います。
さらに、「G指定であること」を鑑みたとき、「男性・女性ともに、食べたあとに直腸から出るもの」について(表現がどきついので、緩和してます)までも登場し、やはりモザイクなしという状態。これホント、G指定でいいんでしょうか…。本当に謎だらけです。
一方で、映画の趣旨として言わんとすること自体はわかる(バズりたいからといって、他人の気にする情報を当該個人の許可なく出しちゃダメよ、とか、SNSに依存するような生活はダメですよ、ということ)のですが、それを超えても上記の問題はかなり傷として大きいです。
さらに混乱に輪をかけるのは「翻訳不足」であり、上記に書いたように、この映画、SNSをテーマに扱っているので、相手(映画内では明示的に youtube と出ます)の反応、つまり、メッセージ等も一部を除いてなぜか翻訳が一切存在せず、すべて視聴者で翻訳して見ないと謎な状況になってます(かつ、なぜかしら、日本語やら韓国語やらが出てくるという状況。ここだけは翻訳不要だが、そういう問題ではない)。正直、この部分の読解ができないと何が何なのかさえわからなくなりさらに混乱します(準1でもギリギリか…と思える程度)。
もっとも、現在の日本(2020~2021)においては、SNSなどは行政なども情報発信源のツールとして使っており、このご時世ですので、学習用動画をyoutubeなどにあげて「そこで見てミニテストを受けることで授業と同じ扱いにする」といった類型もそこそこ存在し(それ以前に、学習動画自体はyoutubeにいくらでも存在する)、「現在の日本では」それらも無視はできないため、一方で「バズる内容でも個人の詮索されたくない情報を勝手にのせちゃダメ」というような相矛盾するようなことを描いても、そういうコロナ事情を除いて考える必要があり、それもまた難しいところです(まぁ、一応理解はできますが…)。
正直なところ、3.5評価にしようかなと思ったのですが、3.5以下は「意味すら理解できず、かつ不愉快にすぎる」もので、2021年は結局今日現在でも、
・ 樹海村:時間軸入れ替えが極端に過ぎて理解不能+ホラー映画としてはキツ過ぎる
・ DAUナターシャ:モロに本番行為そのもの(R18ですが)。それにモザイクがかかるなんて「普通の映画館」で見たことがない…。
…の2つに匹敵するのか?というと、「SNSの使い方には注意しなきゃダメだよ」という点、それ自体は多くの方が理解できるメッセージだとは思え、「何がなんだか不明」な上記2つとは異なるので、4.0に抑えています。
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(減点1.0) 上記に書いたのが全てで、「G指定かどうか怪しい表現がモザイクなどなしで登場する」「字幕の翻訳不足(主にSNSに関係する内容)が過ぎる、個人て読んでね状態になってる」につきてしまいます。
後者は英語力さえあれば関係がない話ですが(準1くらいあればなんとかなる…)、前者はもう、これ「5番シアターだっけ??」状態であり、正直もう、まぁもう、何と言いますか…いや、ちょっと、今、一応は飲食物などOKな扱い(20時まで)でこれはきついです(吐く人とか想定できますが、いきなりそんな内容が出るなんて想定しないので、そうなっても帰責性は低いし、映画館の方も清掃が大変そう)…。
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(減点なし/他事考慮) まぁ、今週はどうしても「キャッシュトラック」が本命で、対抗が本映画か「スターダスト」か…と思える状況で、本映画は上記のような事情とここでも酷評されているので、正直お客さんは少ないです(見たときは3人か4人しかいなかった)。
にもかかわらず、なんばパークスシネマさんで、大きいスクリーン1、5、10(これらにはたいてい、人が多くなる映画があてられる)をあてても、もとが取れるんでしょうか…。
(ある意味、面積の割に人がいないので、これでコロナに感染しろっていうほうが無理)
※ 要は、「お客さんが来そうな映画とそうでない映画」で、シアターの割り当てがムチャクチャ(「キャッシュトラック」は95%埋まり状態…)という論点です。
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【虚飾の人生を生きる男が、どんどん心の闇に引き込まれて行く姿に戦慄した作品。アートの皮を被った嫌な嫌な気持ちになる猛毒ムービー。】
- 今作品のテーマはSNSに呑み込まれている現代社会に対する痛烈な皮肉と問題提起である。だが、それ以上に恐ろしいのは、劇中でも明かされるリンク(アンドリュー・ガーフィールド)の破綻した人間性が露になって行く過程の描き方である。-
◆感想
・冴えない日々を生きるフランキー(マヤ・ホーク)。ある日、街中で着ぐるみ男リンクと出会い、同じバーで働くジェイク(ナット・ウルフ)と組んで、ユーチューバーとして、名を上げて行く。
- 序盤のアンドリュー・ガーフィールドが善人なのか、只の変わり者なのか、そもそも何者なのかがワカラナイ、リンクを怪演している。"スマホを捨て、本当の自分を見せろ!"と言ったり・・だが、最後半にこの言葉のシニカルな意味が、分かるのである。-
・自分達の番組を持った3人。悪乗りしたリンクが、セレブの女性イザベルの素顔を無理矢理フォロワーに送らせるシーン。
- 近年、稀に見る、嫌な嫌なシーンである。アンドリュー・ガーフィールドの意地悪で流暢な言葉で会場及び配信で見ている者達を煽る姿。-
・リンクの暴走に嫌気が差し、辞めるジェイク。良心の呵責とリンクへの微かな信頼に揺れるフランキーの姿が、印象的であるし、彼らがマトモな人間である事も、良く分かる。
<ラスト、生配信でリンクが煌びやかなステージで言った言葉。
イザベルに謝罪の言葉を贈るも、その後の猛毒コメントの数々。
"お前等が殺したんだよ!"
そして、マサカの彼のフォロワー達からの拍手喝采。
第四の壁を乗り越えて、観る側にニヤリと笑うリンク(アンドリュー・ガーフィールド)の素顔はメインストリームで生きる為に悪魔に心を売ったサイコパスにしか、見えなかった作品である。>
数字
165本目。
不快に感じる所もあったけど、数字が盲目にして、数字が全て、正義だったりなのかと思ってしまう。
でもあれ?ローラ?ローラだよな?と気になってしまったけどセリフ貰えないんだね。
まあ出てるだけでもスゴイけど。
SNSやユーチューブの求める刺激、聴取者と発信者の関係等をある方...
SNSやユーチューブの求める刺激、聴取者と発信者の関係等をある方向へ突き詰めていくとこうなるということを、ひどく恐ろしく表現していた。主人公が嘘つきとか金持ちとかは関係なく、反体制的な身振りと、遊び、過激さなどが、一つのモードになっており、ちょっとイケてる感じもあり、それがあとの二人の友人たちを牽引していったものだけど、出演者を自殺に追い込んだ事件から、特にラストに至って、二人が激しく主人公を拒否するシーンが印象的だった。
なんでそんなに興奮するの?
彼は新手のまたは進化したヒットラーみたいな感じ?
期待していなかったので、残念とも思いませんが、音楽やガチャガチャした演出画面とかは面白かった。
面白くないこともないが、千円が相当。
カリカリした仕事からの気晴らしに何でもいいから映画を観たいと思ったが、時間的にこれしかなかった。期待もしていなかったが、面白くないこともなかった。動画サイトに一喜一憂する女主人公の姿は我々そのものだし、インフルエンサーの中には虚飾の一過性の俗物も多い。とはいえ、われわれはインフルエンサーになることはないから、なったらどうなるかを見せてくれるのが映画の役目ではある。ただ、劇中劇のYouTube番組にも、それを描くこうした映画にもわれわれは慣れてしまった。だから、1900円でなく千円なら、値段相当で楽しめたのにと思う。私が見た回は観客3人。
気が狂ってる
SNSが題材のストーリー。人気ユーチューバーとなった"一般人"は最後まで気が狂っていた。
新しい時代の映画。イマドキなのかもしれない。
終始集中して観れたが、面白くはなかった。
変わった内容の映画だった。
途中途中流れるサウンドトラックは中々良かった。
死の引き金
オンライン試写会にて鑑賞。
この作品が5年前に公開されたら、とんでもない衝撃作だったんだろうなって感じです。時代遅れとまでは言いませんが、現実の方のYouTuberの方が過激なことしてるんじゃないかと思ってしまいました。
全体的に少し痛いヤツで終わってしまった印象です。役者陣、特にガーフィールドの熱演は最高なんですが、いかんせん内容がウーン。
鑑賞日 9/21
鑑賞時間 20:00〜21:34
オンライン試写会にて
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