劇場公開日 2021年10月8日

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「とても不愉快だが、とてもよくできた映画」メインストリーム 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0とても不愉快だが、とてもよくできた映画

2021年10月14日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 観ていて不愉快な映画だが、何故か目が離せないまま、最後まで鑑賞した。どうして不愉快に感じたのか、どうして目が離せなかったのか、そのあたりを考えていきたい。
 SNSはその成立過程はどうあれ、いまや誰もが不特定多数に対して自分をアピールできる場となった。フェイスブック、ツイッターは主に文字と写真でアピールするから自己主張のツールとなり、インスタグラムやユーチューブは画像と動画だから主張に関わらず何でもアピールすることができる。
 SNS開発者たちはアピールの度合いがひと目で分かるように「いいね」クリックを発明した。「いいね」はフェイスブックではその数を増やし、いまは「いいね」「超いいね」「大切だね」「うけるね」「すごいね」「悲しいね」「ひどいね」と7種類もある。
 ユーチューブでは再生回数だ。これはテレビの視聴率に似ていて、数百人しか見ていなければ誰も見向きもしないが、数百万人、数千万人が見ているとなれば、テレビと同じようにスポンサーが付く。宣伝効果があれば企業は費用を惜しまない。動画をアップしている人の中には、一再生が0.1円などといった割合で金を受け取る人が出てくる。ユーチューバーの誕生である。

 テレビの視聴率と同様に再生回数だけが指標とされるから、コンテンツの内容は問わない。猫や犬の動画が多くの再生回数となることもあれば、ただ食事をしているだけの動画が再生回数を稼いでいることもあるらしい。短期間で沢山の「いいね」や再生回数を稼ぐことを「バズる」というらしい。なんとも下品な響きの言葉だが、最近の日本語に上品も下品もないのだろう。
 主人公リンクの目的はバズること。フォロワーに受ければ内容はなんでもいい。密かな性的欲望をくすぐったり、人間が心の底に隠している悪意をあぶり出したりすることでもいいのだ。そのあたりの節操の無さというか、思いやりや寛容の欠如が、本作品に感じた不愉快の本質である。

 聖書には「人を裁くな、自分が裁かれないためである」と書かれている(マタイ福音書第7章、ルカ福音書第6章)。しかしSNSでは沢山の人々が互いに裁き合っている。自分は匿名の陰に隠れて、見ず知らずの他人を批判し、非難し、否定し、攻撃する。攻撃された方は不特定多数から容赦なく攻撃される訳で、ひとつひとつのコメントを見てしまうと、場合によっては精神を病んでしまう。最悪の場合はプロレスラーの木村花のようになる訳だ。
 本作品はSNSが今後どのようになっていくのかを暗示する。リンクの主張する通り、SNSを否定する方向に社会が向かっていくかもしれない。しかしSNSを否定をすることをSNS上で行なうとなれば、それを矛盾だとする指摘に対して、何の反論もできない。やがてSNSから離れていく以外に道はなくなる。ネット上での匿名で間接的な関わり合いを捨てて、実名の直接的な関わり合いに戻っていくのだ。
 それでもSNSは情報源として生き続けるだろう。中にはTwitterのDappiというアカウントのように悪質な書き込みを請負業務として続けるような会社もある。しかし大多数は個人の発信であり、中には有用な情報や思想も見つけられる。我々の取捨選択能力がいよいよ試される時代になるのだ。これからは情報処理だけでなく、情報の断捨離が必要科目になるに違いない。
 とても不愉快だが、とてもよくできた映画だった。アンドリュー・ガーフィールドは流石の演技力である。メル・ギブソン監督の「ハクソー・リッジ」で主演したときに匹敵する熱演だったと思う。マヤ・ホークという女優さんは初めて観たが、とても好演だったと思う。調べたらイーサン・ホークの娘らしい。頑張ってお父さんのような名優になってほしい。

耶馬英彦