「月と地球、そして二人の距離感を推し測る」流浪の月 ジュン一さんの映画レビュー(感想・評価)
月と地球、そして二人の距離感を推し測る
雨が降りしきる公園で、
濡れることをいとわず本を読み続ける少女に
一人の青年が傘を差し掛け、自宅へと誘う。
寄る辺ない互いの運命が交差した瞬間。
少女には自分の家に帰りたくない理由がある。
また青年は嘗て引き籠り、人とは上手く関係を築けない背景が。
そうした複雑な事情が結び付けた二人が、おくる奇妙な同居生活。
それは彼と彼女にとっては、何人にも束縛されぬ一種のパラダイス。
しかし、幸福な時間は永く続くハズも無く・・・・。
月は引力と斥力のバランスが取れた場所に存在し、
地球の周囲を回り続ける。
が、一方的に囚われるだけの存在ではなく、
地球の自然-潮の満ち干や、そこに住む生物の生理-にまで影響を与え。
ただただ、満ち欠けを繰り返す、影だけの存在には非ず。
『更紗(広瀬すず)』と『文(松坂桃李)』の関係も同様。
不思議なことに付かず離れず、相互に影響を与え合う。
共に幼い頃のそれは見ていて微笑ましいが、
長じてからの交友は全てが痛々しい。
そこには二人の関係に膾炙する、世間の無理解が根底に。
人は自分の見たいようにしか物事を判断しようとせず、
理解に迷うことについては過去のステレオタイプに頼るもの。
「ロリコン」や「洗脳」との単語で括ってしまい、
「愛情」や「信頼」へは結び付けない。
新しい関係性を提示されても、納得することはなかなかに難しく、
そうした偏見がじわじわと無垢な人達を貶めて行く。
もっとも『更紗』と『文』については、単純化できぬ幾つかの理由が、
中盤と終盤で吐露されるのだが。
冒頭の公園での二人の距離感、
『文』の家での二人の間、
そしてエンディングでの二人の触れ合い。
次第に縮まって行くそれは、物理的な要素に加え
心理的な表現に直結し示される。
科白を切り詰め、モンタージュを多用-例えば、どうどうと流れる濁流で
二人の未来や心象を判り易く暗示する等、
描写の仕方が本作では頗る手練れている。
監督・脚本の『李相日』の面目躍如だが、
他方で気になる点も。
前回タッグを組んだ〔怒り(2016年)〕では、
当時十八歳だった『すす』ちゃんに、あんなことをさせ、
あろうことか本作では、こんなことやそんなことをさせ、
おぢさんは思わず顔をそむけてしまったのだが、
じゃあ次作はどんなコトになるんだろうと、
相当にやきもき。
加えて本作では、子役の出来が素晴らしい。
何れも十代前半の『白鳥玉季』と『増田光桜』は
変にこまっしゃくれておらず、自然な演技が光っている。
これは日本映画には珍しいこと。
今後も楽しみな二人だ。