「完結編として大満足」ジュラシック・ワールド 新たなる支配者 悶さんの映画レビュー(感想・評価)
完結編として大満足
【鑑賞のきっかけ】
あの大ヒット作「ジュラシック・パーク」(1993年)から30年ほど。
その完結編となれば、第1作からずっと劇場鑑賞を続けてきた人間としては、やはり劇場の大画面で鑑賞したいという気持ちは強く、ようやく実現しました。
【率直な感想】
<撮影技術という観点>
第1作の「ジュラシック・パーク」は、絶滅した恐竜が現代に甦るという魅力的な設定もさることながら、人々を驚かせたのは、「コンピュータ・グラフィックス(CG)」によりリアルな恐竜を描いていたことでした。
CGを本格的に導入した作品としては、1991年の「ターミネーター2」が既にありました。
ただ、それは、「ソリッド・メタル(液体金属)」型のターミネーターということで、厳密な意味では生物ではない。
「ジュラシック・パーク」は生物をCGで描いてみせた。ここに大きな価値がありました。
さらに、撮影技術としてもう一つ特徴がありました。
それは、すべてをCGで描いたのではなく、実物大のロボット(アニマトロニクス)を使ったシーンが巧みに取り入れられ、全体としてリアル感が満載の映像に仕上がっていたことです。
この手法は、本作品にも取り入れられ、リアルで迫力のある映像作りに成功していると感じました。
<少し残念だったこと>
公開前に、特別映像として、「オープニング映像」が流れていました(2022年9月現在も公式HPで視聴可能です)。
そこでは、6500万年前の世界が描かれ、ティラノサウルスは、別種の肉食恐竜と闘って死亡。その体に蚊が血を吸って去って行くというもの。
つまり、現代に甦ったティラノサウルスは、最強ではなく、闘いに敗れた存在でした。
じつは、この映像は、何故か、公開された作品の中には出てこないのです。
物語後半の展開にも繋がる重要な闘いだったのに、何故流れなかったのか。
少し残念に思います。
<人間パートという観点>
このシリーズは、主役はあくまで恐竜なので、人間ドラマとしては、あまり深みはないと思います。
でも、人間パートとして、3つの重要な人間関係があります。
1つ目は、「ジュラシック・パーク」3部作での中心となった「アラン・グラント、エリー・サトラー、イアン・マルコム」という3人の博士の物語。
2つ目は、「ジュラシック・ワールド」3部作での中心となった「オーウェン・グレイディとクレア・ディアリング」の2人の物語。
そして、最後に、ジュラシック・パークの創始者である「ジョン・ハモンドとビジネスパートナー、ベンジャミン・ロックウッド」の一族の物語。
これらが、物語後半に向けて、リンクしていくところは、完結編らしいな、と感じました。
ただ、物語の主軸がぼやけてしまったという指摘もあり、評価が難しいところではありますが。
<「鳥」に始まり「鳥」に終わる>
「恐竜が鳥に進化した」ということは、今では、子どもでも知っていること。
でも、第1作の1993年当時は、一般大衆は、恐竜は爬虫類の一種と思っていました。
第1作で興味深いのは、グラント博士が、作中で、さかんに「恐竜は鳥に進化した」と主張していることでした。
しかし、冒頭の発掘現場のシーンでは、見学に来た一般大衆に「鳥に進化した」と説明すると、「鳥ですって?そんなバカな」と笑われる始末。
私も、第1作を観た当時は、「そんな説があるのかな?」といった感じでした。
ところが、それから3年後の1995年に、現実の世界で驚くべきニュースが流れたのを覚えています。
「中国の発掘現場で、羽毛を持った恐竜の化石が発見された!」
その後、羽毛恐竜化石の発見は相次ぎ、鳥進化説は、2000年を迎える頃には、定説となっていきました。
この話で面白いのは、多くの恐竜が羽毛を持っていたと考えられるようになり、あのティラノサウルスも羽毛が生えていたのではないか、と言われるようになってきたこと。
そこで、注目したいのが、先述の「オープニング映像」。
このティラノサウルスには、うっすらと羽毛が生えている。
つまり、「鳥進化説」を取り込んでいるということです。
でも、現代に甦ったティラノサウルスには、羽毛はない。
その理由は、第1作でどうやって恐竜を甦らせたかの説明の際、採取できなかった遺伝子情報の部分は、カエルのDNAで埋め合わせたとある。
カエルには羽毛はなく、恐らく、表皮の部分は、カエルで補ったのだろう、と勝手に想像しています。
そして、最後に。
予告編でもちらりと映っているのですが、本作品では、「完全羽毛恐竜」が登場し、大迫力のシーンが展開します。
【全体評価】
CGの進化とともに、30年。恐竜が現代の世界に甦るという物語を、リアル感満載で、6作も観ることができて、大満足のシリーズでした。
その完結編ということで、とても感慨深い気持ちです。