「内容も灰色」名もなき歌 Imperatorさんの映画レビュー(感想・評価)
内容も灰色
舞台は1988年で、日本で良く知られたフジモリ大統領の当選の少し前のようだ。
主テーマは3つあると思う。国際的な乳児売買、極左ゲリラによるテロ、そして“有権者登録証”をもたない先住民に対する冷酷な扱いである。
そこへ伝統の「ハサミ踊り」、政界や法曹界の腐敗、経済危機と“ハイパーインフレ”、そして“同性愛”が絡んでくる。
記者カンポスは、ジャーナリストとして、タブーに切り込んでいく。
(なお、“インディオ”という言葉は、侮蔑的な響きがあるため使われなくなっているらしい。)
こう書くと、“社会派映画”のようだが、しかし実際は、“シネポエム”と言っても良いアート系作品の側面を併せ持つ、中途半端な作品である。
なんと言っても、暗いシーンが目立つ。
白黒映画なので、よく映画「ローマ」と比較されるようだが、本作は「ローマ」のような明るくてシャープな映像美とは、全く異なると言って良い。(映画館の大スクリーンで「ローマ」を観ない限り、分からないと思う。)
暗さによる沈んだ色調を意図的に使って、静止画のような構図と、ゆったりしたカメラワークで映像を紡いでいく。
色がないので、背景が海や湖や川なのか、砂漠なのかよく分からないことがある。
関係する舞台は、さまざまだ。
主な舞台は、ペルー中部の海に面した首都「リマ」。ヘオとレオの小屋は山の斜面にあり、街の市場には、長い距離を歩いて通っているにちがいない。レオは「ハサミ踊り」の名手だが、そんなことは全く収入にはつながらない。
ヘオとレオのルーツは、「アヤクーチョ」という南部の県にあるようで(「アヤクチョ共同体」という横断幕が出る)、そこは「センデロ・ルミノソ」という極左武装組織が、当時、勢力を誇っていた地域だ。
そして、リマに次ぐ乳児誘拐の舞台は、北部の「イキトス」というアマゾン川最上流の、ラグーンや小さな湖に囲まれた堆積地である(「陸路では行けない世界最大の町」で、現在は観光地らしい)。水上の建物が目を引くが、ストーリーとは全く関係ないので、それらを映したいだけかもしれない。
このように、“社会派映画”とは言い難い側面をもつ映画である。
実際、乳児売買問題は、あっさりと明るみに出て、それでお終いだ。
貧窮したレオが、ゲリラ組織に仕事をもらってテロ行為を働くが、映像は暗示的で何が起きたかよく分からない。実際の武装ゲリラは、この映画どころではないはずだ。
“同性愛”に至っては、なぜストーリーに組み込まれたのか、自分は全く理解できない。当時の社会問題だったのかもしれないが、本筋と無関係なのに、無意味に尺を割いていると言わざるを得ない。
ラストは、赤ん坊を失い、夫をテロ容疑者として失い、住む家までも失った、ヘオの歌で終わる。
自分は最後まで観ても、邦題の「名もなき歌」の意味が分からなかった。
ヘオのような、社会的に“有って無きがごとき存在”による歌という意味だろうか? もし「nombre」が”曲名”ではなく、”人名”の意味だとすれば、邦題はひどいミスリードを犯していることになる。
議員は、記者カンポスに吐き捨てる。「何も与えられない母親と一緒にいて、子供は幸せか?」と。
だが、そういうヘオの境遇だけにフォーカスした作品ではない。
心にしみる良い作品だが、色調だけでなく内容もはっきりしない、グレー(灰色)で中途半端な映画だった。