「CMで謎解きと言ってたけど謎解きじゃない。」オールド alalaさんの映画レビュー(感想・評価)
CMで謎解きと言ってたけど謎解きじゃない。
普段監督で映画を選ぶことはほとんどないですが、シャマラン監督作品は何か独特の味があって割と記憶に残るので、この監督のだけは何となく見掛けると借りてしまいます。
傑作と駄作の差が激しかったり、1本の作品でも賛否両論あるのがこの監督の不思議なところですが、かなりニッチなこだわりを強く持つ人なのかな。
個人的には、世間的に駄作とされている作品にもどこかしら良いと思うシーンがあって、全体的に見て微妙でもこのシーンが秀逸!!みたいな、多分この監督のファンは皆そんな感じなんじゃないかなーと。
監督が何に影響されたのか、今どんなことを考えてるのか、シャマラン作品を観てると彼が人生の中で見てきた物を自分も見て、同じ気持ちを共有しているような気分になるのかもしれません。
全体のバランスが悪かったり、その作品で何が言いたいかを何故か作中ではなくインタビューで自分の口から語っていたり、オイ映画監督だろ!と思うことも多々あるんですが、毎回どこかしらこだわりを感じさせる出来なのは確か。
ストーリーの核ではなく枠組みから決めるタイプなのかな。こんな感じの映画にしたい、よしここで撮ろう、こんなシーン撮れそうだからこんなんどうよ?考えてたのと違うけど良いのでけた!みたいな。
あらすじ:
プリスカとガイは、マドックスとトレントという2人の姉弟を連れ、リゾートへやってくる。夫婦は離婚を考えており、最後の思い出にと子供達に離婚のことを伏せたまま楽しく過ごすことを約束していた。家族で食事中、リゾートマネージャーに「他のゲストには内密に」「あなた方を気に入ったから特別」と自然保護区のプライベートビーチに招待され、一家は快諾。しかし、送迎の車には既に別の家族が乗っており、更にビーチに着くと先客が。またその後も夫婦が1組増え、更には先にいたカップルのうち女性が水死体となって発見される。皆がパニックになる中、徐々にそれぞれの事情が明らかになっていく。そして、少し目を離していた間にマドックスとトレントが急激に成長したことにより、この場所自体が何かおかしいと皆が気付き始める。
本作は『Sandcastle(砂の城)』というスイスのグラフィックノベルからインスパイアされたそう。ノベルの方のテーマは「老い」、そして「生と死」。
シャマランといえば『シックス・センス』でのどんでん返しが伝説的過ぎたために、その後もやたらとどんでん返しの作風を期待されてしまう、期待値高めで見始めてガッカリされる代表みたいな監督なんですが、本作はどんでん返し感は低め。というか『シックス・センス』以外どんでん返しの作品そんなになかったような…
わかりやすく伏線が散りばめられているので、多分気付く人は中盤で何故このキャラクター達がビーチに呼ばれたかには気付くでしょう。一応「あ、なるほどそういうことか」となる構成にはなっていますが、CMにあったような「謎解き」というほどの謎は特にないです。そもそも本作において、「謎」の部分は特に重要ではない。
ノベルのテーマが「老い」「生と死」なので、一番重要なのは主人公一家が、平々凡々な暮らしのなか離婚だ何だと騒いでいたけど、結局「もうすぐ死ぬかもしんない」となった時、それでも気にするほどの何かがあるのか、それとも死を前にしたら「こんなちっせえことでウダウダ言ってたのか、もうやめて残りの人生譲り合って少しでも幸せに暮らそう」となるのか。「家族の確執とか何かへの執着とかこだわりとか、重要だと思い込んでたことも、死を目前にしたら案外大したことじゃないんじゃないの?」ということが言いたかったんじゃないのかなと。
シャマランは子供ができてから明らかに変わったとか、娘をめちゃくちゃ可愛がっているとか、娘達のために映画1本作っちゃうほどで、なかなかの子煩悩だし家族愛に溢れた人なんだそうで、やっぱり彼の中ではメインテーマはそっちなんだろうなと感じました。
たまにラーメン屋なんかで会社員らしきオッサンが「俺は忙しいんだー!子供の相手なんかやってられっかー!」と発狂しているのを見掛けますが、そもそも育児や介護というのはこっちの事情なんか関係なしに、全て子供や老人中心で動かなければいけません。だからこそ大変なわけで、何でも自分に合わせてもらっていた人ほど、より一層育児や介護を煩わしく感じるのでは。
自分が忙しい時にパートナーの手が空いているとも限らない。なのに何故か、自分はいつも通りの生活をして、イレギュラーの仕事は全てパートナーや他人に押し付けるのが当然と思っている人は結構いたりする。
パートナーが引き受けてくれるのは手が空いているからではなく、自分の体調や事情を押してでもやるべきことだから、無理して時間や体力を捻り出してるだけ。でも、常に他人は自分より楽をしている、自分が忙しい時でも周りの人間は暇だと思い込んでる人間がそこそこいる。
そういう人が本作を見ても何も感じないでしょうが、今大変なんだ!忙しいんだ!と言い訳しながら子供を無視して仕事をし続けても、思い切り子供を可愛がって育てても、時間は同じように過ぎていきます。子供を無視し続けても、子供は知らぬ間に成長し、大した関わりもなく巣立っていく。自分は子供のことを漠然と「我が子」と呼ぶけど、子供からは「紙の上だけの親子関係で実際は他人同様」と思われていることに気付かない親もいるかもしれません。
もし自分の身体が急激に衰えているとわかったら、残りの時間を家族とどう過ごすだろう。それ以前に、自分が家族にしてやれることが何かあるのか。周りでどんどん人が死んでいくなか、自分も急激に年老いていくなか、家族に、パートナーに、何かしてあげたいと心から思える人がどれだけいるのか?
シャマランはいつも、ホラー映画を撮っているという感覚はないそうで、「ホラーは恐怖そのものがテーマだが、自分が撮りたいのはその恐怖を乗り越えて強くなること」だそうだ。
実際の人生で、恐怖を乗り越えて強くなれる人がどれだけいるんだろうか?
本作でひときわ異彩を放っていたシーンがあります。皆さんやはり記憶に残ったのか、レビューに沢山書かれていますが、精神的な病気を抱えた医者チャールズが、いざ手術となった時に突然「ジャック・ニコルソン主演の映画、あれ何だったっけ」と言い出す。緊急事態だから当然誰も相手にしない。が、その後しつこく「あの映画のタイトルは?」「ジャック・ニコルソンとマーロン・ブランドが共演したやつだよ」と言い続ける。緊迫した場面であまりにしつこく言い続ける場違いさに、思わず笑ってしまった人もいたかもしれません。
これが何の伏線なのかと思いきや、作中では全く説明なく終わってしまう。調べてみたら『ミズーリ・ブレイク』という西部劇で、特に内容が関係あるわけでも何でもない。
実は、これはシャマラン監督と認知症の父との間で本当にあったやり取りなのだそう。父が何度も何度もその話をして、シャマランはその作品を観たことがないと返す。が、父はまた「ジャック・ニコルソンとマーロン・ブランドの映画だよ」と言ってくる。あまりに何度も言うので、「そんなに言うなら、その話を映画に使うよ」と言ったのだそう。理由を知ると、笑えなくなる。途端にあのシーンに物悲しささえ感じるようになるのでは。
でも、それは作中では全くわからないし、そもそもストーリーに何の関係もない。そういうネタを平気でブッ込んじゃう監督なので、賛否が分かれるのもわかります。
自分の意見を拡めるために撮って「見て何か感じてね」ではなく、映画の最中シャマラン監督が「あ、話と関係ないけどさ、家族ってこんなことあるよね〜」と突然話し掛けてくるような感じ。この困惑が癖になるというか(洗脳されてんな)。
こっちはホラー映画と思って見てるから一瞬面食らうし、伏線でも何でもなくて困惑してしまうけど、ホラーに分類してるのは監督じゃないし、父と約束したから入れただけで何の意味もないシーンも、むしろ現実にこそこんな困惑はありふれているわけで…
「映画だから完璧に整えてあるはずだろ」「映画なんだから意味深な台詞は全部伏線のはずだろ」っていうのがもう、こっちの勝手な思い込みなんだなと。
実際、主人公夫婦が亡くなったところから、急展開だし突然スピーディーに謎を片付けていく。謎を解くというより、「片付けていく」。
大事なことは表現し終えたから、もうあとは作品としての体裁を整えるだけだーという思い切りがいっそ清々しい。
上に「撮りたいのは恐怖を乗り越えて強くなること」と書きましたが、むしろシャマラン監督は「一度全てがひっくり返るくらいの恐怖を味わわないと、日常の大切さなんかどうせわからないだろ」とでも思っていそう。だからこそゾッとするような恐怖をぶち込む割に、その中で人々の結束や絆を描いた後は急展開なことが多いのでは。
監督の言う通り「ホラー映画ではない」のであれば、立派にヒューマンドラマとして仕上がってるようにも思えます。
一緒に見た家族の評価はイマイチでしたが、個人的にはシャマラン監督の自由度高めな作風が好感度高い本作でした。
ちなみに監督の娘2人も将来映像制作に関わりたいという夢があるそうで、本作で少し撮影に関わっているとか。良い製作者になってくれることを今から願っています。
シャマラン監督のセンスを受け継ぐ鬼才となるか、それとも全く新たな才能となるか。楽しみ。