すべてうまくいきますようにのレビュー・感想・評価
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【"終わらせて欲しい・・"自由気儘に生きて来たメンドクサイ父親が脳卒中で倒れた時に娘達に頼んだ事。娘達の葛藤をユーモアを絡ませて描いた作品。フランス人の死生観は、サッパリした感じなのかな。】
- 85歳の父親アンドレ(アンドレ・デュソリエ)が倒れたと、小説家の娘、エマニュエル(ソフィー・マルソー)に連絡が入り、父親は安楽死を彼女に願う。-
◆感想
・近年、高齢者の生死や認知症をテーマにした映画が増えている。アンソニー・ホプキンスの名演が記憶に新しい「ファーザー」や、「PLAN75」等である。
どの作品も面白く鑑賞したが、テーマ故か雰囲気は重かった。
・今作品は父親の安楽死を巡って娘達が葛藤を抱えながら奔走する姿が描かれているが、どこかユーモアが漂っている。
・一度は容態が悪化したアンドレはスイスで安楽死が決まった為か、どんどん元気になり果ては"孫の演奏会が聴きたい。"とか"エマニュエル夫婦と食事がしたい。"と言って、決行日をどんどん変える。父親の言い分に従って、奔走する娘達の姿も何だか可笑しい。
・更には、途中からアンドレが昔から同性愛者である事が観る側に伝えられる・・。
- で、恋人らしい男が現れる。因みに彼はフツーの太ったオジサンである。そんなこんなで振り回される娘二人の姿が、哀しくも可笑しい。-
・決行日の前日には、警察に通報され(日本と同じくフランスは安楽死を認めていない。場所がスイスであろうとも、娘二人は殺人は殺人幇助の可能性を問われる。)再びてんやわんや・・。
- 本来、父親と娘の最後の日になる筈なのに・・。-
<今作品はフランス人の死生観を、ユーモアを絡めて描いた作品である。
アンドレが"貧乏人はどうするんだ?"とエマニュエルに聞いた時の遣り取り等、ブラック過ぎるぞ!"
アンドレは人生好き勝手に生きて来たんだから、とっとと安楽死させてやれば良いじゃない!"等と不謹慎な事まで考えてしまった作品である。
それにしても、ソフィー・マルソーさんは実に美しくて、お若いなあ。
そして、シャーロット・ランプリングさんの灰色の眼は、矢張怖いのである。
警察に通報したのは誰だったのかな?あのオジサンだよね・・。>
あのクソ野郎(字幕表現)はなに?
『海を飛ぶ夢』(アレハンドロ・アメナーバル監督 2004年)や『みなさんさようなら』(ドゥニ・アルカン監督 2003年)といった、死期をコントロールしたいと願う主人公を軸に、周りにいる家族たちを描くモチーフは、さまざまな形で描かれる。尊厳死テーマで言えば、日本映画でも昨年話題になった『プラン75』というディストピア作品が記憶に新しい。邦画史的には『楢山節考』に行き着くのは自明。で、本作はその系譜。いまや巨匠呼ばわりされているフランソワ・オゾンが、ゲイにバイアスがかかっていない、真っ当なホームドラマを演出。配給はキノフィルムズ。かつて『8人の女たち』や『スイミング・プール』などの頃はギャガ配給だったことを思い出す。ともあれ、エマニュエル・ベルンエイム(『スイミング・プール』の脚本家)の自伝的小説が原作というから、ほぼ実話なのだろう。脳梗塞で真っ当な生活ができなくなった85歳になる父親が、ソフィー・マルソー演じる長女に尊厳死を望む、という物語。そんな一家の、父が目的を遂げるまでのあれこれが、冷静にスケッチされていく。高齢化が極まった日本では、日常的に『意識』せねばならないテーマだが、フランスの娘たちは、達観してるのか、後半は淡々とゴールへ進んでいく。この妙な冷静さが軽く怖いお話だった。
潔いラストが残す深い余韻
フランソワ・オゾン新境地
尊厳死と家族愛がテーマながら、時にコミカルささえ交えたライトなテイストで描く
フランス人らしい頑固ジジイの最後のワガママ
尊厳死は、父にとって人としての誇りを保つ最後の選択肢
それを理解したからこそ、断腸の思いで父の願いを叶える為に奔走する娘たち
尊厳死の手続きを進めつつ、最後の最後まで父の気が変わることを願い、さまざまな感情に振り回される長女役のソフィー・マルソーが素晴らしい
尊厳死が決まってから、逆に生き生きとして回復も早まる父の姿に一喜一憂し、最後の晩餐だとジョークを飛ばす姿にトイレに駆け込み号泣する
そこに、鬱を患う母、父の元彼、親族が絡んで事態はややこしくこじれていき、まさに、すべてうまくいきますように、と言う気持ちになる
尊厳死が生きる活力になっている父の姿に、人の尊厳、を考えさせられる
感傷的でない、潔いラストも、逆に深い余韻を残して私は好き
その時、このジレンマに立ち向かえるか?
脳卒中で倒れた父が、体の自由がきかなくなり安楽死を望むように。。終わりにしたい父親と、まだ生きていて欲しい娘達との葛藤を描いたドラマ作品。
倒れてしまったものの、その後の経過は比較的良好で生きていくことはできそうな様子の父アンドレ。それでも、その頭の中は早く安楽死をしたい気持ちが占めており、安楽死が合法のスイスに行く日程を決めたいとばかり言っているが・・・。
安楽死・尊厳死を題材にした作品は最近多いような気がしますが、何度観ても難しい問題ですね。
ワタクシも、本人が望んでいるなら・・・とか思ってしまうし、残された物のエゴで生かし続けるのは・・・なんて思っていますが、、、
そうか、気持ちの問題だけじゃなくて色々な壁があるのね。確かに、悪用だって出来てしまうだろうし、命の問題だからそう単純にハイどうぞ、にはなりませんよね。意外にもサスペンス風(は言い過ぎ?)になった終盤を見て、そんな気持ちになった。
それでも、隠しきれない生への希望や、本人のみならず、あらゆる立場にある周りの人々の立ち回りなんかもリアリティがあって、とても見応えがあった。
この題材でいてちょいちょい笑いを入れてくるセンスもグッド。寧ろ後半になるにつれコミカルさが増えていったような・・・(笑)
ちょっと気になったのが、例えば両腕が完全にマヒしている人の場合は、この選択肢はなくなるということなのだろうか?
お気に入りキャラは、序盤の病院で同室になった、同じく脳卒中のおじさん。出番こそあそこまでだったけど、恐らく見舞いの家族などがおらず、あの感じでいて秘めたる寂しさやアンドレへの羨望なんかも垣間見えて、作中一番胸が締め付けられた場面だったなぁ。
最愛の父がそれを望んだ時、自分の気持ちと相反しても人は動き出せるのだろうか?
改めて、人の気持ちと死とについて考えさせられる作品だった。
ソフィーマルソーの立ち居振舞いに見惚れていた
自分で己れの始末ができなくなった父に、安楽死の執行を強要される娘
金があっての事だけど
自分の人生を決めるのは神でも自然でもなく、自分であるとする頑固親父
それでも周囲に愛されていた優しい余韻が残る
レストランで食事が出来るくらいに回復して来てるのに、それでも尊厳死...
レストランで食事が出来るくらいに回復して来てるのに、それでも尊厳死が認められるんですかね?
自殺が認められてるって事ですか?
家族から見たら、本当にわがままな爺さんです。
いろいろ考えさせられました。
ソフィーマルソーも素敵でした。
どうして喋っちゃうの!
※星取りは苦手。何か書きたくさせた時点で星5つ!
お父さんに、
人生を終わらせたい、
と懇願される娘の話。
私は一人っ子独身子無し。
晩年に独りで死を迎える確率は極めて高い。
なので、一人で部屋で息を引き取った後、
なるべく迷惑をかけないように、
ということをよく考える。
4年前、
西部邁さんの自殺幇助の報道に衝撃を受けた。
知性のある人の選択に思えたから。
「山中静夫氏の尊厳死」を観た。
苦しみたくないと希望する患者、
それに寄り添う医師の話。
一昨年、
朝ウォーキングのお供のラジオで、
スイスの自殺幇助の形での
安楽死の仕組みがあることを知った。
昨年、
ゴダールさんが
その仕組みを使って逝去された。
いま、何かに悩んで死にたい
ということではないが、
安らかな死を自ら選ぶという
想像をしてきた。
そのシミュレーション
みたいな映画だった。
気持ちの揺れから細かい注意事項まで。
お父さんが実に我が道を行く人で。
見事なまでに。
邦題は「喋りすぎに注意!」
でもいいな、て思うくらい、
あと一歩のところでの
救急車のドライバーとのやり取り、
おもしろかったな〜
最後の段になって、
ちょっとした事件が起き、
家族が一丸となって乗り越える。
絶妙なおかしみ。
これが、ある種の「看取り」になってて、
うまいなぁ
映画だなぁ〜て
胸がざわざわ、きゅーきゅー、
でもくすっと、そしてホロリ。
シャーロットランプリングの母役
たまらなく、素晴らしかったな…
フランソワ・オゾン監督Summer of 85
見逃してるから、観ないと〜
1種の感動を与えてくる作品
初めてこういった系統の映画を映画館で見た。「世界一キライなあなたに」が好きでテレビのCMを見て興味本位で見に行ったが最初から最後までスクリーンにのめり込んでしまった。題材が重たい分終わったあとも色々と考えさせられる映画だった。
ソフィー・マルソーを観る映画
ソフィー・マルソーは昔から好きだが、映画を見た記憶がない。見たいと思う映画に出演していないからなのだが。唯一007ワールドイズノットイナフのときは見たいと思ったが見逃したまま今日まできました。この映画を見たのはソフィー・マルソーが出演しているからで内容的にも良さそうだったので。題名もとてもいい。で、肝心の感想はほとんどソフィー・マルソーが出ずっぱりで途中サービスショット的なところも有り、ソフィー・マルソーファンにとっては大満足できる映画でした。年齢を重ねてもとても美しい女優です。尊厳死については選択肢の一つとしてあってもいいのかもしれないが、この映画の場合そこまで頑なに死を選択する動機が伝わってこなかった。最後気が変わって生きることを選択してほしいと願いましたが。。。エマニュエルの父にとってはうまくいったのかなあ。
同室のおじさんの言う通り
「エマニュエルのティーンエイジャー時代、全然似てねーじゃねーかよ。」
ソフィーマルソーの十代のビジュアルは皆が知るところなのでどうしてもそうなるが、十代の頃のソフィーマルソーがやってたら父親との関係が50代の頃とさほど差がないものなってしまっただろう。
記憶なんて所詮イメージということで、めんこくなさが父親に対する思いを表しているのでしょう。
またソフィーマルソーは生の象徴としても描かれているが・・・
目のカスミとコンタクトは何だったんだろう
フランスのように合法的な尊厳死のほうほうはないので、日本人にはちょっとわからないニュアンスはあります。
病院の面接で資産が訊かれるのは、病院というより老人ホームなんかが近い感覚なのかな。
可もなく不可もなく
淡々と過ぎる日常のように描いているがそこには普段経験しない出来事がある。
シナリオも大きな問題があるのにそれに気づかないように描かれる。
撮り方などオーソドックスであり、奇をてらう事もなく。
感情移入しづらいのは設定が小金持ち家族であり、父親の死にたいだけで話が進み、その他の苦労や葛藤がないので退屈でつまらなく感じる。
この設定でやるのであれば父親の情けない姿になる前をもっと描くなりしないと少しの抽象的な回想では伝わらない。
例えば「私はダニエル・グレイグ」のダニエルに置き換えた場合のほうがもっと観客に近くように思う。
フランス映画らしく
最近、やたらと人が死にまくる(殺されまくる)映画ばかりを観ていたので「命の重さ」についてしみじみと考えさせられました。85歳の頑固な母親を持つ私は「自分ならどうするだろうか」と自問自答しながらの鑑賞。でも、国や宗教によって法律も解釈も違うのだから、簡単に答えなんか出るわけないですよね。あの終わり方、とてもフランス映画らしくて良かったです。
命って自分ひとりのものではないと。
尊厳死ってなかなか理解するのは難しいよなー。死ぬって簡単な事でもないし巻き込まれる人達もいるって事だし…。この父親はマイペースに生きてマイペースに死を選ぶ。良いのか悪いのか?
ソフィマルソーもシャーロットランプリングも相変わらずキレイでした。
全体的には面白かった
安楽死をテーにしているが、死よりも生に焦点が当たっていると感じた。悲しみや戸惑いもありながら、悲壮感が漂うわけではなくユーモアを交えて描いている。食事のシーンとか結構好き。救急隊員との会話もよかったなぁ。しかし、娘たちの葛藤を他所に、父親は自分で決めたこととはいえ、なんだか他人事のよう。経済的余裕がある家柄ということもあり、安楽死は金持ちの道楽なのか?とちょっと思ってしまった。
どりーんざまりあれてぃ
いまやフランスの国民的俳優となった美熟女ソフィー・マルソー見たさに、どんな話か知らぬまま鑑賞。昨年末、ラ・ブームが公開40周年とかでリマスター版が公開されてたけど、本作上映はそのタイミングもあるのだろう。ただ、ごく最近、高齢で認知症の父を看取った個人的体験があり、自分の場合との比較が頭にチラついて素直に作品世界に没頭できず。
身内の死(と言っても自殺幇助による安楽死の日取り)が迫ってどこか落ち着かない気持ちをもちながらも、ジム行ったりお誕生日会やったり日常は日常としてすぎていく娘側のところはわかるんだけど、父が脳卒中で倒れてからだに麻痺が残ったとはいえ、孫の演奏会を鑑賞したりレストランで食事できるほど快復してるのに、まだ死にたがるか?普通はあらためて生を希求するもんじゃないの?と、根本のところでモヤった。
まあ、パテックの時計をせしめたクソ野郎が愛人だったりすることから思うに、金持ちならではの孤独なんかがあったのか、それとも人生を全うし尽くしたのか。また、頑なに死を望む父とその判断を受け入れる娘たちの姿も、個人とその意思を尊重するフランスならではなのかな。鑑賞中はやや眠かったが、観終わった後でいろいろ想像の余地がある作品ではあった。
PLAN75を引き合いに出している人もいるようだけど、制度で死ぬように追いやられる世界と、わしゃ何がなんでも死にたいから死なせろ!というのでは、話としては真逆のような気がする。関係ないが、星新一のショートショートで、死後の世界がめっちゃ快適だとわかって人々がみんな自殺するという話があったっけ。
回想シーンを最新CG技術を使って少女時代のソフィー・マルソーでやってくれたら★をプラスしたい。
綺麗でした
経済的に恵まれているからこそ選択できる方法。
頑なに希望した父親と娘達のストーリー。父親は美術関係の仕事をしていたから、姿を晒したくないと考えたのかな……でも、大好きな孫もいるのに……
安楽死の手続きや方法、その実際も分かる。
それでも、ラストはちょっとした衝撃でピントのあってない画面の奥を見つめてしまった。
フランス映画だから、部屋の装飾、配置、配色、小物なんかもおしゃれに見えて、色々画面をチェックしてしまった。
そして、ソフィーマルソーは変わらず美しかった。ほうれい線も目尻のしわも全くなくて、きっと毎日顔筋体操やマッサージをしてるんだろうなぁ〜と思った(余計なお世話)。あと、コートやセーター、部屋着から水泳したり、ジムでのトレーニングウェア等など、彼女のファッションショーでもあった。
なぜ原題と大きく意味を変えてしまったのかが本当に謎…。
今年43本目(合計696本目/今月(2023年2月度)9本目)。
いわゆる尊厳死を扱った映画です。
日本では「消極的な」ものは行われていますが、「積極的な」ものについては今でも犯罪に問われるという考え方が強く(判例もはっきりしていないし、医師としても免許はく奪などの処分になる「可能性がある」(判例がしっかりしていないため)ものをやるのは怖い)、日本とはやや違います。ただ、これから高齢化していく日本では遅かれ早かれテーマになっていくのでしょう。
ということで、海外フランスを舞台にした尊厳死の在り方を問う映画です。ストーリーはちゃんとありますし、アクションものなど何ら関係しないものは大半出ないのでそこは大丈夫です。日本では「導入が検討されている」「合法かどうかは別として、存在は知っている」人が多いこのテーマを、海外で合法化されているフランスを舞台に描いたというのは大きかったかなと思います。
日本ではまだ生命倫理に対する国民(ここでは外国人等でも長年住んでいて、意思を表現できうる日本語ができる外国人なども便宜上すべて含む)の考え方がまだ流動的で、また法制度もまだまだといったところですが、それでも少しずつですが、日本でも「このような」(映画内のような「積極的な」やり方)をとっていくことになるのか、それは10年20年先の話になってくるかなと思います。
採点としては気になったのは下記です。
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(減点0.5/原題を変えすぎた結果、タイトルの意味が全然違う状態になっている)
まず、原題は何かというと
Tout s'est bien passé.
…で「すべてはうまくいった」という過去形(複合過去、se passer のような代名動詞はetreで複合過去を作る)という意味です。
しかし日本は「すべてうまくいきますように」は少なくとも「過去にそうなっていない、未来どうなるかを願う」意味の文です。
つまりこの2つはそもそも「意味が全く異なるなら示唆する内容も違う」部分です。
ただ、この類の変更を「英語で」やるとさすがにバレてしまうので(一応、中高で英語は6年間やりますから)まれにしかみませんが、(英語以外の)外国語で「時制ごまかし」といのははじめてです。もっともこれも、「すべてはうまくいった」だと、「映画を見る意味がなくなる」ため(どうなったか、結果がわかってしまうため)、こう翻訳せざるを「えなかった」ということになりますが、それでも仏検準2くらいあると、「???なタイトルと???な日本語字幕が出て、未来のことなのか過去のことなのかわからない」状態になってしまいます。
これは…まぁ、趣旨(どうなっているかわかると映画の趣旨的に人が来にくい)点は理解するものの、原題タイトルから「未来の希望」を述べるような文になっていないことは明らかで(直説法複合過去、という一番簡単な過去形。なお、「複合」過去という以上「単純」過去はあるのか?というと「単純過去形」という過去形もありますが、めったに使いません)、多少にもフランス語がわかるよレベルだと???な状態になり、それもそれでどうなのか…というところです。
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尊厳死が、金持ちの道楽に思えてしまうのはいただけない
なぜ、父親が、あれほど死にたがっているのかが、まず、分からない。
別に、寝たきりになった訳ではないし、耐えられない苦痛に苛まれている訳でもない。
半身が麻痺しているとはいえ、車椅子を使えば、孫の演奏会を鑑賞することもできるし、レストランで美食を楽しむこともできる。
そうした姿を見ていると、父親が望む尊厳死が、金持ちの道楽のように思えてしまうのである。
それから、登場人物の関係性というか、彼らが抱えている確執のようなものが、よく分からない。
劇中、2度ほど、主人公である長女が子供だった頃のエピソードが描かれるのだが、それでも、彼女と父親との関係性は、はっきりしないままである、
たまに顔を出す母親は、さすがに存在感があるものの、彼女と、父親や娘たちとの関係性も、今一つ、明確に描かれない。
極めつけは、「くそ野郎」で、一体何者なのかが、しばらくの間、分からないままだったが、終盤で、ようやく父親の恋人だったらしいことが判明する。それが、いかにも当たり前のように描かれているのだが、フランスでは普通のことなのだろうか?
いずれにしても、登場人物の関係性がよく分からないため、彼らにすんなりと感情移入することができないのである。
それから、尊厳死に賛成だとか、反対だとか、そうした政治的なメッセージを声高に訴える映画ではないのだが、それにしても、すべての描写が淡々とし過ぎているのではないか?
例えば、警察に呼び出されるくだりなどは、ドタバタ劇として面白くなりそうなのに、やけにあっさりと終わってしまうし、ラストに、心を揺さぶられるような展開が用意されている訳でもない。
娘たちの葛藤を描くにしても、もう少し、映画的な盛り上りがあっても良かったのではないかと、物足りなさを感じてしまった。
全67件中、21~40件目を表示