すべてうまくいきますようにのレビュー・感想・評価
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明るく死を選ぶ父と、翻弄される娘たち
父の覚悟は揺るぎない。
だからこそ、明るく饒舌に振る舞ってしまうのか?
周囲にこんなに愛されているのに、それでも決断が覆ることはない。
ある意味、人生をかけた生き様の教育のようだ。
どこかで覆らないかと期待してたけど。
ソフィ・マルソーが美しい。
味のある女優さんになったな〜と、懐かしく見ていました。
コミカルに描かれているけど、重い題材。
切ないな。
期待しすぎた
予告見て期待し過ぎました。
主人公と父親の現在は忌憚なくなんでも話せるって感じだけど、幼少期あんな感じだったのとつながらない。
なにかエピソード入れてほしかった。
人物描写も半端な感じがした。
あの男は何者?
把握しきれなかったのは私が何か見落とした?
一人でいけ?
え?死ぬとき一人?
父本人も娘たちもみんなあっさり受け入れてて、そんなもん???ってなった
安楽死の話になると、何度も突如としてすごい勢いで席を立つ妹。
でも、安楽死に反対してるわけでもなく、なんなんだろう…
外出自由で、寝たきりでも管につながれっぱなしで胃ろう、とかでもなく
孫の演奏会に行き、最期の晩餐も満喫してる人。
スイスの安楽死って、希望者が金払えばOKなの?と思うゆるさ。
何一つ響きませんでした。
映画館で観るのでなく、配信になるの待てば良かった。
【"終わらせて欲しい・・"自由気儘に生きて来たメンドクサイ父親が脳卒中で倒れた時に娘達に頼んだ事。娘達の葛藤をユーモアを絡ませて描いた作品。フランス人の死生観は、サッパリした感じなのかな。】
- 85歳の父親アンドレ(アンドレ・デュソリエ)が倒れたと、小説家の娘、エマニュエル(ソフィー・マルソー)に連絡が入り、父親は安楽死を彼女に願う。-
◆感想
・近年、高齢者の生死や認知症をテーマにした映画が増えている。アンソニー・ホプキンスの名演が記憶に新しい「ファーザー」や、「PLAN75」等である。
どの作品も面白く鑑賞したが、テーマ故か雰囲気は重かった。
・今作品は父親の安楽死を巡って娘達が葛藤を抱えながら奔走する姿が描かれているが、どこかユーモアが漂っている。
・一度は容態が悪化したアンドレはスイスで安楽死が決まった為か、どんどん元気になり果ては"孫の演奏会が聴きたい。"とか"エマニュエル夫婦と食事がしたい。"と言って、決行日をどんどん変える。父親の言い分に従って、奔走する娘達の姿も何だか可笑しい。
・更には、途中からアンドレが昔から同性愛者である事が観る側に伝えられる・・。
- で、恋人らしい男が現れる。因みに彼はフツーの太ったオジサンである。そんなこんなで振り回される娘二人の姿が、哀しくも可笑しい。-
・決行日の前日には、警察に通報され(日本と同じくフランスは安楽死を認めていない。場所がスイスであろうとも、娘二人は殺人は殺人幇助の可能性を問われる。)再びてんやわんや・・。
- 本来、父親と娘の最後の日になる筈なのに・・。-
<今作品はフランス人の死生観を、ユーモアを絡めて描いた作品である。
アンドレが"貧乏人はどうするんだ?"とエマニュエルに聞いた時の遣り取り等、ブラック過ぎるぞ!"
アンドレは人生好き勝手に生きて来たんだから、とっとと安楽死させてやれば良いじゃない!"等と不謹慎な事まで考えてしまった作品である。
それにしても、ソフィー・マルソーさんは実に美しくて、お若いなあ。
そして、シャーロット・ランプリングさんの灰色の眼は、矢張怖いのである。
警察に通報したのは誰だったのかな?あのオジサンだよね・・。>
あのクソ野郎(字幕表現)はなに?
『海を飛ぶ夢』(アレハンドロ・アメナーバル監督 2004年)や『みなさんさようなら』(ドゥニ・アルカン監督 2003年)といった、死期をコントロールしたいと願う主人公を軸に、周りにいる家族たちを描くモチーフは、さまざまな形で描かれる。尊厳死テーマで言えば、日本映画でも昨年話題になった『プラン75』というディストピア作品が記憶に新しい。邦画史的には『楢山節考』に行き着くのは自明。で、本作はその系譜。いまや巨匠呼ばわりされているフランソワ・オゾンが、ゲイにバイアスがかかっていない、真っ当なホームドラマを演出。配給はキノフィルムズ。かつて『8人の女たち』や『スイミング・プール』などの頃はギャガ配給だったことを思い出す。ともあれ、エマニュエル・ベルンエイム(『スイミング・プール』の脚本家)の自伝的小説が原作というから、ほぼ実話なのだろう。脳梗塞で真っ当な生活ができなくなった85歳になる父親が、ソフィー・マルソー演じる長女に尊厳死を望む、という物語。そんな一家の、父が目的を遂げるまでのあれこれが、冷静にスケッチされていく。高齢化が極まった日本では、日常的に『意識』せねばならないテーマだが、フランスの娘たちは、達観してるのか、後半は淡々とゴールへ進んでいく。この妙な冷静さが軽く怖いお話だった。
潔いラストが残す深い余韻
フランソワ・オゾン新境地
尊厳死と家族愛がテーマながら、時にコミカルささえ交えたライトなテイストで描く
フランス人らしい頑固ジジイの最後のワガママ
尊厳死は、父にとって人としての誇りを保つ最後の選択肢
それを理解したからこそ、断腸の思いで父の願いを叶える為に奔走する娘たち
尊厳死の手続きを進めつつ、最後の最後まで父の気が変わることを願い、さまざまな感情に振り回される長女役のソフィー・マルソーが素晴らしい
尊厳死が決まってから、逆に生き生きとして回復も早まる父の姿に一喜一憂し、最後の晩餐だとジョークを飛ばす姿にトイレに駆け込み号泣する
そこに、鬱を患う母、父の元彼、親族が絡んで事態はややこしくこじれていき、まさに、すべてうまくいきますように、と言う気持ちになる
尊厳死が生きる活力になっている父の姿に、人の尊厳、を考えさせられる
感傷的でない、潔いラストも、逆に深い余韻を残して私は好き
ソフィー・マルソー美しい
医師目線の感想だと、まだまだ死ぬには早いような気がした。
ただ日本の医療はやりすぎの感があるので、外人との死生観は当然違うだろう。
ラ・ブームの時の可愛らしさを維持しているソフィー・マルソーはすごい。
フランソワ・オゾンらしさは…?
初期作品では、人の歯ブラシを便器に擦り付けたり
そんな悪意に満ちた映画が多かったのに。さて今は。
ずっと父につきまとう男は、実は父の恋人!
母は父がゲイとわかって結婚した?
お金で娘二人産んだの?やる事やったの?
で冷め切った父と母の関係。
…色々とナゾだらけ。
疲れ切ったソフィー・マルソーは、
血しぶきブシャー!なホラー映画見てリフレッシュ…。
とりあえず父は自分勝手な人だったのはわかる。
お金あるから、やりたい放題。
そんな人にふさわしい終わり方ではないか。
ハンナ・シグラも出演してます。(スイスの担当者)。
その時、このジレンマに立ち向かえるか?
脳卒中で倒れた父が、体の自由がきかなくなり安楽死を望むように。。終わりにしたい父親と、まだ生きていて欲しい娘達との葛藤を描いたドラマ作品。
倒れてしまったものの、その後の経過は比較的良好で生きていくことはできそうな様子の父アンドレ。それでも、その頭の中は早く安楽死をしたい気持ちが占めており、安楽死が合法のスイスに行く日程を決めたいとばかり言っているが・・・。
安楽死・尊厳死を題材にした作品は最近多いような気がしますが、何度観ても難しい問題ですね。
ワタクシも、本人が望んでいるなら・・・とか思ってしまうし、残された物のエゴで生かし続けるのは・・・なんて思っていますが、、、
そうか、気持ちの問題だけじゃなくて色々な壁があるのね。確かに、悪用だって出来てしまうだろうし、命の問題だからそう単純にハイどうぞ、にはなりませんよね。意外にもサスペンス風(は言い過ぎ?)になった終盤を見て、そんな気持ちになった。
それでも、隠しきれない生への希望や、本人のみならず、あらゆる立場にある周りの人々の立ち回りなんかもリアリティがあって、とても見応えがあった。
この題材でいてちょいちょい笑いを入れてくるセンスもグッド。寧ろ後半になるにつれコミカルさが増えていったような・・・(笑)
ちょっと気になったのが、例えば両腕が完全にマヒしている人の場合は、この選択肢はなくなるということなのだろうか?
お気に入りキャラは、序盤の病院で同室になった、同じく脳卒中のおじさん。出番こそあそこまでだったけど、恐らく見舞いの家族などがおらず、あの感じでいて秘めたる寂しさやアンドレへの羨望なんかも垣間見えて、作中一番胸が締め付けられた場面だったなぁ。
最愛の父がそれを望んだ時、自分の気持ちと相反しても人は動き出せるのだろうか?
改めて、人の気持ちと死とについて考えさせられる作品だった。
ソフィーマルソーの立ち居振舞いに見惚れていた
自分で己れの始末ができなくなった父に、安楽死の執行を強要される娘
金があっての事だけど
自分の人生を決めるのは神でも自然でもなく、自分であるとする頑固親父
それでも周囲に愛されていた優しい余韻が残る
レストランで食事が出来るくらいに回復して来てるのに、それでも尊厳死...
レストランで食事が出来るくらいに回復して来てるのに、それでも尊厳死が認められるんですかね?
自殺が認められてるって事ですか?
家族から見たら、本当にわがままな爺さんです。
いろいろ考えさせられました。
ソフィーマルソーも素敵でした。
気が気じゃない!
脳卒中で倒れるオヤジ、意識は戻るも元の身体のようには動かない。受入れられず死(安楽死)を選択する。
オヤジの娘エマニュエルが安楽死の手伝い(手続き)をするそんな話。
タイトルにも書いた「気が気じゃない!」娘からしたら大事なオヤジ、どんな姿でも頑張って生きてほしい!
そんな大事なオヤジの安楽死を手伝いをする・・・うん!悲しい、辛いね!ってのが率直な感想。
だけど、このオヤジの気持ちも分からないでもない。人間って、どこかカッコつけたい生き物、無様に動かなくなった体、家族、他人へ迷惑をかけたくない!と思ったら私自身も同じ様に思ってしまうのかもしれない。安楽死という選択肢が自分自身で選べるのであれば。
話の展開で安楽死せずに生きるを選択するラストかなと思ったら悲しい結末。
オヤジが亡くなってる描写からのすぐにエンドロールは悲しいと思った。
後ずっと気になってたのは序盤で病室でオヤジが食べたサンドイッチ、娘は何故捨てずに冷蔵庫に保管したの?何かしら伏線あるのかなと思ったら無かった。
安楽死?
こんなに幸せな人がなぜ死にたいのかよくわからない。そう思いながら見ていたら、死ぬ理由など、どうでもよくなった。というのは、主人公をめぐる人間関係が色々、気になって、仕方なかったからだ。
まず、ジェラールが気になる。資産家の家に一人は必ずいるような人生の落伍者だが、一体何があってこうなったか、説明がないので、すごく気になる。そう思うと、主人公の妹も何か、謎めいていて、気になる。主人公の母親もなぜ、病気になったのか、背景の説明がないので、気になる。
一番気になるのは、主人公のホモの夫。ほんとにホモかどうかもよくわからないが、主人公がボクシングするので、夫がホモでもいいかもしれないと、納得できる気もするが、夫は結構、登場するのに、存在感が薄い。シャイなのか、ホモだから引け目を感じているのか、よくわからないが、気になって仕方がない。
テーマは結局、安楽死ではなく、安楽死をめぐる人間喜劇だということはよくわかった。そういう映画としては大変面白い。しかし、夫の存在感の薄さは意図的な演技なのか、結果的にそう見えてしまったのかは、よくわからない。他の人物の過去をあまり説明しないのは、意図的な演出だと思うが、夫だけは、謎めきが強すぎて、演出の失敗ではないかという気もする。ソフィー・マルソーがすごく魅力的に見えたのはよかった。
原題は「TOUT S'EST BIEN PASSÉ」なので、現在完...
原題は「TOUT S'EST BIEN PASSÉ」なので、現在完了形。
ニュアンスが異なりますね。
小説家のマニュ(エマニュエルの略称。ソフィー・マルソー扮演)の父アンドレ(アンドレ・デュソリエ)が突然の脳卒中で倒れてしまう。
一命はとりとめたが、身体の自由が利かなくなってしまう。
プライドの高いアンドレはその現実を受け入れることは出来ず、威厳のあるうちに人生を終わらせたいと懇願する。
父の願いを無視することはできないマニュは異母妹パスカル(ジェラルディーヌ・ペラス)とともに、アンドレの願いを叶えるべく奔走する・・・
といったところから始まる物語で、尊厳死を願う父に困惑する家族の様子を描くヒューマンドラマながら、どことなく悲壮感がありません。
父アンドレは卒中直後の全くの不自由状態から恢復し、普通だったら「この調子で頑張って生きていくか」と思い直すどころか、かえって「孫の演奏会を聴けるようになった。聴いたら死ぬ」と言って憚らない。
なんだか困った爺さんだ。
ひとことに「尊厳死」と言っても、フランス国内でも自由に許可されているわけでもなく、さまざまな手続きを経ないと、法律で処罰されてしまいます。
で、このあたりになると、ユーモアまじりのヒューマンドラマというよりも、なんだかラブコメみたいに見えてきます。
ラブコメ=愛するひとと一緒になるためにさまざまな障壁を超えていく、というスタイルの、「愛するひとと一緒になる」の部分が「尊厳死を迎える」に置き換えたみたいな感じ。
原作はエマニュエル・ベルンエイムの実体験のようなのだが、この女性は『スイミング・プール』『ふたりの5つの分かれ路』『Ricky リッキー』の脚本家。
フランソワ・オゾン監督は、彼女の経験を、父の死に巻き込まれた家族の物語として捉えたのではなく、アンドレの死に方にある種の憧れのようなものを抱いたのではありますまいか。
いわく、「しあわせな死に方」みたいな感じで。
なので、映画の最後の台詞が、スイスの協会の女性職員(ハンナ・シグラ)からの「すべて順調でした(原題)」。
万事快調、すべて順調。
それはある種、お祝いの言葉でもありますから。
死を選ぶ権利があるとすれば
原題の英語訳は Everything Went Fine 、過去形なんですね。
脚本家の自伝的小説に基づいたストーリー。
盛り立てるような演出やエピソードはなく、淡々と日常が描写されています。
もしも親が安楽死を望んだら私はどうするだろうと、自身を投影せずにはいられません。
本作のテーマは、延命治療をせずに病状にまかせて死を迎える安楽死でなく、服毒による積極的安楽死です。
主人公エマニュエルの父アンドレは、半身麻痺でひとりでは何もできなくなってしまいます。
できないことばかりで絶望しても、首を吊ることも自宅の拳銃で自殺することもできません。
死を選ぶ権利があるとすれば、アンドレからは失われてしまったようなものです。
娘のエマニュエルは父の安楽死に協力しますが、父に心変わりしてほしいとも思っています。
だから、決行の延期を喜ぶし、ディナーには赤い服を着ます。
その姿が健気でなんとも涙を誘います。
周囲の人々はそれぞれの立場や価値観から自分本位に言葉をかけ、エマニュエルは苦悩を深めます。
親族たちから批判されれば葛藤し、母から「bon voyage」と言葉をかけられれば困惑します。
決行日が近づくにつれて父が生き生きとする様子に、看護スタッフからは「生きる希望が湧いてきたよう」と励まされますが、皮肉にも聞こえます。
エマニュエルの苦悩は想像もつきませんが、ひとりで抱えるには大きすぎることは間違いないでしょう。
エマニュエルに悲しみを分かち合う妹がいて、寝食をともにするパートナーがいて、精神科にかかる冷静さがあってよかったです。
どうして喋っちゃうの!
※星取りは苦手。何か書きたくさせた時点で星5つ!
お父さんに、
人生を終わらせたい、
と懇願される娘の話。
私は一人っ子独身子無し。
晩年に独りで死を迎える確率は極めて高い。
なので、一人で部屋で息を引き取った後、
なるべく迷惑をかけないように、
ということをよく考える。
4年前、
西部邁さんの自殺幇助の報道に衝撃を受けた。
知性のある人の選択に思えたから。
「山中静夫氏の尊厳死」を観た。
苦しみたくないと希望する患者、
それに寄り添う医師の話。
一昨年、
朝ウォーキングのお供のラジオで、
スイスの自殺幇助の形での
安楽死の仕組みがあることを知った。
昨年、
ゴダールさんが
その仕組みを使って逝去された。
いま、何かに悩んで死にたい
ということではないが、
安らかな死を自ら選ぶという
想像をしてきた。
そのシミュレーション
みたいな映画だった。
気持ちの揺れから細かい注意事項まで。
お父さんが実に我が道を行く人で。
見事なまでに。
邦題は「喋りすぎに注意!」
でもいいな、て思うくらい、
あと一歩のところでの
救急車のドライバーとのやり取り、
おもしろかったな〜
最後の段になって、
ちょっとした事件が起き、
家族が一丸となって乗り越える。
絶妙なおかしみ。
これが、ある種の「看取り」になってて、
うまいなぁ
映画だなぁ〜て
胸がざわざわ、きゅーきゅー、
でもくすっと、そしてホロリ。
シャーロットランプリングの母役
たまらなく、素晴らしかったな…
フランソワ・オゾン監督Summer of 85
見逃してるから、観ないと〜
1種の感動を与えてくる作品
初めてこういった系統の映画を映画館で見た。「世界一キライなあなたに」が好きでテレビのCMを見て興味本位で見に行ったが最初から最後までスクリーンにのめり込んでしまった。題材が重たい分終わったあとも色々と考えさせられる映画だった。
ソフィー・マルソーを観る映画
ソフィー・マルソーは昔から好きだが、映画を見た記憶がない。見たいと思う映画に出演していないからなのだが。唯一007ワールドイズノットイナフのときは見たいと思ったが見逃したまま今日まできました。この映画を見たのはソフィー・マルソーが出演しているからで内容的にも良さそうだったので。題名もとてもいい。で、肝心の感想はほとんどソフィー・マルソーが出ずっぱりで途中サービスショット的なところも有り、ソフィー・マルソーファンにとっては大満足できる映画でした。年齢を重ねてもとても美しい女優です。尊厳死については選択肢の一つとしてあってもいいのかもしれないが、この映画の場合そこまで頑なに死を選択する動機が伝わってこなかった。最後気が変わって生きることを選択してほしいと願いましたが。。。エマニュエルの父にとってはうまくいったのかなあ。
同室のおじさんの言う通り
「エマニュエルのティーンエイジャー時代、全然似てねーじゃねーかよ。」
ソフィーマルソーの十代のビジュアルは皆が知るところなのでどうしてもそうなるが、十代の頃のソフィーマルソーがやってたら父親との関係が50代の頃とさほど差がないものなってしまっただろう。
記憶なんて所詮イメージということで、めんこくなさが父親に対する思いを表しているのでしょう。
またソフィーマルソーは生の象徴としても描かれているが・・・
目のカスミとコンタクトは何だったんだろう
フランスのように合法的な尊厳死のほうほうはないので、日本人にはちょっとわからないニュアンスはあります。
病院の面接で資産が訊かれるのは、病院というより老人ホームなんかが近い感覚なのかな。
タイトルはとてもよいのですが
安楽死。
自分だったらどう考えるだろう?
というきっかけになればと思って観に行きました。
邦題がいいから期待しちゃう。でも、
内容は父親が駄々こねてわがまま言って無理やり
「すべてうまくいかせる」物語。
アンドレは目標に向けて
ある意味エネルギッシュに
わがまま言って周囲を振り回して突き進む。
アンドレにとってはそれこそが生きるということなのかなと
思った。
むしろそれくらいの方が暗くならないでいいのかもしれない
と思った。
自分に置き換えて考えてみると
フランスと日本の違いだったり
アンドレは資産家だったり
あまり参考にならないのですが、
近い人との別れにどう向き合うか
自分が旅立つ時に
周囲に何をどう伝えるのか
考えておかないといけない。
もう1日も無駄にできない。
という自覚をさせてくれた。
ソフィマルソーさんの人気絶頂期を知っている世代には
年月の経過を自然に感じられ
自分もそれなりの年齢になったことを実感できる。
そこは良かったです。
おそらくまだまだ先になると思いますが、
いつか、日本にも安楽死というものが
選択肢のひとつとしてある時代が来るとしたらうれしい。
最初はある程度資産ある方が優先で実施される制度になると思うけど
庶民にも選べる時代になるといいなぁと思いました。
この作品から学んだこと
まずはできることからやっておく。
少しでも、健康寿命を延ばせるように
運動を怠らない。
なるべく歩き、なるべく階段を選択する。
周囲には威張らずに感謝の気持ちを持ち明るく生きる。
子供達に迷惑をかけないように備えておく。
認知症も予防したい。
人と話し、本を読み、文章を書く。
少しでも仕事をして、世の中の役に立っているという実感を
持ち続けられるようにしたい。
人生100年時代というけど、
心掛けと備えがとても重要だと感じる。
生きてしまった場合のリスクを真剣に考えておかないと。
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