ニトラム NITRAMのレビュー・感想・評価
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演技が凄すぎる。。
陸(おか)サーファー
最初に火遊びから火傷をおった子供がインタビューを受ける映像が流れるが、あの子はニトラム?関連があるかのように花火を打ち上げたり、小学生の前で花火をして煽ったり、実際にコテージに火をつけて本人は背中と尻に火傷を、逮捕後に治療のため病院へ。
劇中、誰も彼の名前を親ですら呼ぶことはなく、ヘレンとの出会いでもニトラムは自己紹介をしない、中盤でニトラムと呼ばれる、それはマーティン・ブライアントにとって嫌なあだ名でMartinを逆さ読みした幼少期に軽称で呼ばれたもの。
テレビから流れるニュース映像はスコットランドで起きた小学校で児童16人が射殺された事件、ポートアーサー事件はその一ヶ月後くらいに起きている、銃乱射事件で思い出される映画はガス・ヴァン・サントの『エレファント』でドキュメンタリーをマイケル・ムーアが。
両親が息子を見捨てることはしない反面、父親が徐々に弱っていく姿、冷たそうな態度の母親は強い女性の象徴のようで、自然と強くなるしかない現状と全てを背負わなければならない結果、単に男共が不甲斐ない。
サフディ兄弟の『神様なんかくそくらえ』から要注目なケイレブ・ランドリー・ジョーンズの不安定ながら危なっかしく愛嬌を持ち合わせた演技は素晴らしく、一人の青年として共感する部分も多少、映像で見せない殺戮場面を実際の事件の概要を文で読んだ時の残酷性と衝撃は何ら共感することは出来ない、銃社会の問題提起、日本では附属池田小事件のような、銃だけの問題では片付けられない厄介な動物である人間の問題。
登場人物の誰にも感情移入が出来ず最初から最後まで息苦しい112分
1996年にタスマニア島で起こった無差別重乱射事件が起きるまで犯人の日常を淡々と追うドラマ。主人公のマーティンは幼少期から奇行を繰り返す人間で、近所の人からは名前を逆に綴ったニトラム(NITRAM)と呼ばれて揶揄っていた。それでも両親は何とか彼を自立させようと試みるが、何をやらせても長く続かず会話も噛み合わない。そんなマーティンはサーフボードを手に入れるために始めた芝刈りの仕事で年上の女性ヘレンと知り合い意気投合し幸せな日々が訪れるが・・・。
登場人物の誰にも感情移入が出来ず最初から最後まで息苦しい112分。タスマニア島に充満するその閉塞感は実にリアルで、どこにでもころがっているパズルのピースが禍々しい因果に引き寄せられて地獄絵図へと姿を変えていく日常が自分のすぐそばにもあるありふれたものであることがとにかく恐ろしい。主演のケイレブ・ランドリー・ジョーンズの演技が桁外れに素晴らしく、子供のような無邪気と悪魔のような狂気を併せ持つマーティンを見事に体現していました。
今や何処でも起こり得る可能性がある
予備知識も鑑賞後にも調べていないのですが、主人公が犯行に至ったのは発達障害なのでしょう(細かい病名が何であるかは争点にはならないので詳しく書きません)。
発達障害=犯罪には直結しないものであり、その人の行動を制限することはできませんから、そうすると同様の痛ましい事件は自分のすぐそばで起きる可能性もある訳です。
とにかく何の理由もなく殺されて行く人々たちのことが辛くてたまらなく、やりきれなかった。
そしてそれを増幅させるのが上映中のほとんどの時間に聞こえてくる嫌な音・音・音
不安を増幅され、最後まで観ることが苦痛でした。
また、母親の表情は何を物語っていたのか、最後まで理解することができませんでした。
私自身、発達障害の子供を成人してから失っていて、何をどうしても良い方向に持っていけなかったもどかしさもあって、高い評価を付けられませんでしたが、こんな世界があるのだと知ってもらうには価値のある作品だと思います。
銃規制を改めて認識させるには良い作品かも。
かなりの傑作である
映画の紹介サイトには、子供の頃からバカにされて本名を逆から読んだNITRAMと呼ばれているとあるから、主人公の本名はMARTINだ。
マーティンのキャラクターについて、映画は現在の振る舞いと家族と医師の言動しか描かない。どうしてこんなキャラクターが出来上がったのか。推測するに本作品は俳句のようにシーンを削ぎ落としているから、不足しているところは観客が推測するしかない。そして観客それぞれのマーティン像が出来上がる訳だ。
当方なりの推測は次のようである。
マーティンは子供の頃から悪戯(いたずら)が過ぎる。それで母親を泣かせたこともある。しかし優しい父親は彼を叱らない。彼は他人に迷惑をかけてはいけないという基本ルールを学ばないまま大人になった。母親は権威主義によってマーティンを教育しようとしたが、権威主義は人権を教えないから、マーティンは他人の人権を認めない。だから大人になっても他人に迷惑をかける。マーティンが認めるのは人間関係の順列であり、母親は自分の上にいて、父親は自分より下だ。しかし学校に行くと自分は一番下で、みんなから見下されてニトラムと呼ばれる。犬ならそれで諦めて済むが、マーティンは人間で、しかも男だからプライドがある。
権威主義は既存の価値観、つまり社会のパラダイムによりかかるから、マーティンは自分なりの価値観を築くことができない。他人の価値観の中で自分の順位を上げたいと願うのみである。そのためには他人に認められなければならない。マーティンの奇行がはじまり、持て余した学校から退学を告げられる。そして10年が過ぎた。
マーティンの奇行は続いている。それが本作品の冒頭だ。母親は自分の権威主義がマーティンが価値観を深めることを妨げて人間関係の順列だけにこだわる犬のような人間にしたことに気づいていない。しかし父親は気づいていた。逆に父親は自分の過度な放任主義がマーティンの奇行を生んだことに気づいていない。しかし母親は気づいていた。両親は年月をかけて丁寧にマーティンの精神を崩壊させたのだ。しかしふたりともそのことに気づいていない。
誰からも認められず、順位も上がらないマーティンだが、権威主義の母親に命じられるままに、両親以外との人間関係にも挑戦する。しかし認められることはないし、順位が上がることもない。どこまでいってもマーティンはニトラムなのだ。
もともとあった破壊衝動がここに来て急激に増大する。もしその破壊衝動が既存の価値観を破壊する方向に向かっていたら、マーティンには別の生き方があったかもしれない。既存の価値観を破壊するということは、新しい価値観を自分で創造するということだ。壊すことは作ることなのである。
しかし母親の権威主義が染み付いているマーティンの破壊衝動は、既存の価値観を破壊する方向に向かうことはない。そちらに向かうにはこれまでに蓄積してきた被害者意識が大き過ぎるのだ。だから当然のように憎悪に直結する。自分や自分より順位が下の父親を蔑んできた連中への憎悪だ。
燃え上がる怒りと破壊衝動を抱えて悶々としていたマーティンが、たまたまテレビで見たのが銃乱射事件である。そこから先は一本道だ。マーティンの母親は、無差別乱射事件を起こした原因が自分にあるとは夢にも思わなかっただろう。権威主義者は想像力に欠けるからだ。
マーティンのような人間は世の中にたくさん存在していると思う。権威主義で人間関係の順列を気にする人間である。そういう人間は自分の順位に満足していない。自分はもっと評価されていいと思って不満を抱えている。しかし銃を乱射するわけにはいかないから、自分より順位が下だと勝手に考えている人間をいじめたりバカにしたりすることで憂さを晴らす。マウンティングは日常茶飯事である。権威主義者はすなわち差別主義者なのだ。
順位が最下位になってしまったら、誰にも当たりようがなくなる。憂さ晴らしができず、溜め込んだ被害者意識は怒りと憎悪の感情を募らせる。そしてある日、その感情が爆発する。「マーティンのような人間」がマーティンになる瞬間だ。
本作品はジェンガのように被害者意識を積み上げたマーティンが、ジェンガが倒れるように人格を崩壊させる過程を見事に描いてみせた。かなりの傑作である。
評価は分かれると思うけど、アクションシーンないですよ。
今年86本目(合計359本目/今月(2022年3月度)28本目)。
もともと実在する人物で、現在(2021~2022)でも実在する人物です(国によっては死刑が廃止されているため、無期懲役(日本相当)に服しているようです)。
このため、実在する人物・事件であるのですが、とにかく淡々と進みます。
他の方も書かれていたのですが、いわゆる「爆音放映」かと思えるほど「うるさい」映画です(逮捕のきっかけとなったときの事件でも、「知的障害はあると認められるが刑事責任はとえる」という結論になっています)。そのような事情もあり、わめき声から楽器の音、さらに銃器(エアガンなど)まで出てきて「うるさい」映画という印象はうけます。
日本ではここでは予告・特集などから実在する人物を描いたのだろうという点はわかるのですが、実際見ていただくとわかる通り、いわゆるこの人物が起こしたといえる凶悪事件に関してはほぼ描写がなく(10秒程度?)、もっぱら生い立ちから事件を起こすまでという部分に全部つきます。ここは人権に意識したのかなとも思えます。その事情があるため、なぜかしら、映画内の最後のまとめでも「この事件を通して銃器に関する規制が強くなり…」という、もっぱら警察行政の話「しか」出てこず福祉行政的な話が出てこないです。
もしかすると、当地(オーストラリア)などではそもそも「こういう人権的な映画」ということは「最初から」紹介されていないのかな…と思います。
少なくとも日本でこの映画をみて「軽度知的・ADHDなどの方に対する問題提起」の映画と思って見に行くとそういう話はまるで存在しないので注意です。
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(減点0.3) 結局、映画そのものとして「この事件をきっかけとして銃器の保持の規制が進み」といったもっぱら警察行政の観点で描かれ、それはそれで理解できるのですが、「日本の」ここの特集や予告からは当然想定できない範囲で、「まぁ、積極的にだまし討ちにした」とは思えないものの、「何を伝えたいのか釈然としない」という点は否めないと思います。
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2度目のTV
96年4月28日にオーストラリアはタスマニア島のポート・アーサー史跡で銃乱射事件を起こした男のそれまでの話。
事件のことは知らず、観賞後にwikiを読んだだけだけど、当日の様子は大分省かれている様だし、事件そのものの描写も無く、その日に至る数ヶ月ぐらい前からの様子をみせる作品ですね。
ADHDでしょうか?wikiには知的障害と書かれていたけれど。
横暴とまでは言わないけれど、自分の思うように言うことを聞かせたい母親とは違う接し方をしてくれる女性と出会い、解放感を憶えると共に、蓄積してきたものがオーバーフローしたという感じなのかな…。
制作者の意図や解釈も結構入っていそうだし、「これ」という決定打が有るわけでもなく、明確に読み取り理解するのは難しいけれど、映画として良い意味でのモヤモヤ感はあった。
オーストラリアの銃規制問題についての啓蒙ビデオ
ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ怪演作!それに尽きますかね。
ポスターの触れ込みが、「ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ怪演作」となっていますが、それに尽きますかね。
実際の銃乱射事件を描いているということですが、どこまで主人公の姿をリアルにとらえているのかはわかりません。
しかし、この映画自体は、銃乱射犯を演じたケイレブ・ランドリー・ジョーンズの演技によって成り立っていると言っても過言ではないでしょう。
実際の銃乱射事件の場面を描いてないというのも、演出としていいと思いますが、実際にはオーストラリアでは触れてはいけない事件のようで、描けなかったというのが真相のようです。
銃乱射事件を起こした、孤独な男の姿を描いた映画。演技には、なかなかの見ごたえがあります。
ちなみに、題名の「ニトラム」は、主人公の名前“Martin”を逆さ読みしたものだそうです。
ぜひ劇場でご覧ください!
不穏で真面目なストーリー
悲しくてやりきれない
見入らずにはいられない
素晴らしい演技と緻密な演出
音の演出が素晴らしく、緊張感が続きます。
爆音上映か?と思う程ファーストシーンから全体的に音量か大きく、
攻撃的な波の音や耳をつんざく花火の音、胸の奥にまで響いてくる発砲音が恐ろしくて「お願いだからもうやめて!」と叫んで逃げ出したくなりました。
もしかすると主人公のニトラムは、音に敏感な体質の持ち主だったのかもしれません。
部屋に一匹だけ迷い込んで出られないでいる羽音が気になって仕方がない。
常に思考を邪魔してきて、会話に集中できずにイライラが募ります。
伸ばし放題で櫛も入れていないようなニトラムの髪とは対照的に、常に理髪店から帰りたてように完璧に切り揃えられた母親の髪。
「母親とはこうあるべき」「息子とはこうあるべき」「夫とはこうあるべき」といった固定概念にがんじがらめになっている…既に心は悲鳴をあげているのに、“母親として”の責任感から逃げずに踏みとどまってしまう。負のスパイラルの演技が素晴らしい。
そして、ニトラム自身も母親が目の前にいる自分ではなくて、理想の息子との差分を見ていることに気づいている。
差分を埋められない苦しさを吐露するシーンには胸が締め付けられました。
あの時、母親が認めていたら。
尊厳の無い孤独。
自分の存在を認めてくれる誰か。
あの時やり直せていたら。。。そう思わずにはいられないシーンの積み重ねが、1996年4月28日に向かっていきます。
そして、やや伸びた髪に、うっすら無精髭の生えたニトラム寄りの父親。
序盤の食卓のシーンだけで、複雑な家族のパワーバランスが描き出されていて興奮しました。
世界最高峰の演技を観よ
なによりケイレブ・ランドリー・ジョーンズの怪演に尽きる。カンヌ国際映画祭主演男優賞も納得。
主人公ニトラムが元々持っていたものと、そこにじわじわと積もっていく変化を見事に体現している。
どんな犯罪者も人の子で、それぞれに人生がある。生まれ持ったものや、育った環境で人はつくられる。
決して殺人を擁護するわけではないが、血の通った一人の人間のドラマとして繊細に描いている。
表面的に報道される残忍な事件のニュースではなく、そこに至るまでの背景、過程にフォーカスを当てることで、孤立や銃社会の問題を考えさせられる。
ラストは本テーマにおいてチャレンジングな演出。
敢えて、結果のセンセーショナルな映像ではなく、過程の心理描写に重きを置く選択だろう。
エンドロールでは無音のパワーが重くのしかかる。
人は繋がりを失い孤独になると恐ろしくもなる
Filmarks試写会にて。
幸いにも劇場公開時に販売されるパンフレットまで頂けたため、試写会開始前にパラパラと目を通すつもりが情報量の多さにまずはそちらに引き込まれてしまった😅
普段パンフは買わない主義。なぜなら置き場所に困るから。でもたまにこうしてパンフレットを見ると、作品をより理解するのにパンフレットってのは一役買ってるんだなー、と実感。紙媒体ではなくWEB版の割安パンフレットとかあれば内容みたいのにな……
久々のパンフレットに感動してしまったけど、映画の話。
カンヌで評価される作品との相性が悪い自分だけど、カンヌで男優賞獲ってるこの作品はなんで称されたのか理解できる。だって主役のケイレブ・ジョーンズが演じるマーティン・ブライアント、ヤバいくらいの怪演でしょ😲めちゃくちゃ身近にではないものの、これまでにブライアントみたいな振る舞いをする人周りにも居た。だから感じるリアル。観ていて恐ろしく感じさせられたほどのリアル。マジで怖かった〜〜〜😱😱😱
殺戮の場面が描かれるわけでもないのにこんなに恐怖を感じさせられる監督と主演の彼、凄すぎる………
ポート・アーサー事件
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