「【男は何故、凶行に走ったのか。忌まわしき事件を基に、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズが破滅の道を辿る男を繊細に演じている。観る側に”現代社会と、当時と何が違うのか”と重い問いかけをする作品でもある】」ニトラム NITRAM NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【男は何故、凶行に走ったのか。忌まわしき事件を基に、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズが破滅の道を辿る男を繊細に演じている。観る側に”現代社会と、当時と何が違うのか”と重い問いかけをする作品でもある】
ー ケイレブ・ランドリー・ジョーンズは「バリー・シール/アメリカ」でヨレヨレの薬物中毒者を演じる姿を見てから、ほぼ観ている。
役柄は、大体がオカシナ男である。が、時に善性を持った男を演じる時もあった。「ニューヨーク 親切なロシア料理店」や「アウトポスト」などである。
私の中では、彼は名脇役という存在であった。
その彼が満を持しての主役である。
今作が、オーストラリアで1996年4月に起きた28歳の男による、無差別銃乱射事件(死者35人、負傷者23人)を基にした映画という部分が気になったが、同国出身のジャスティン・カーゼル監督の”劇中で二トラムが、簡単に銃を手に入れる最も不安なシーンを見て、世界中の人々に現状の危険を感じた貰いたかった。”と言うコメントを見て劇場へ足を運んだ。
監督曰く、”現地では、まだ傷は生々しく、話す事はタブー”とされているほど、凄惨な事件であったらしい。-
◆感想
・冒頭、ニトラムの少年時代、火遊びで火傷を負って、病院でインタビューを受けるシーンから映画は始まる。
- 彼の言葉を聞いていると、元々社会的不適合者の素質が内在している事が分かる。因みにニトラムという妙な名前は犯人である「MARTIN」の逆さま読みである。オープニングロールで題名が出た時に、もしかしたら・・、と思ったのが当たっていた。-
・成長したニトラムは職に就くわけでもなく、家でぶらぶらしている。自身の力で生きる事を望む父(けれども、内面は脆い)と、放任主義だが厳しき母との間で生きる。
- 彼は、両親の狭間で不通に生きる事に、悩み、苦しみ、苛立ちを感じている様を、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズが、絶妙に演じている。汚い服を脱げと言われたら、パンツ一枚で食卓に着いたり・・。-
・サーフボードが欲しくて、知らない家に行き芝刈りを申し出る二トラム。訝しげだが、孤独な金持ちの中年女性ヘレン(エッシー・デイビス)は、彼に芝を刈らせ、二人は距離を縮めていく。男女の関係ではないが、ヘレンは二トラムに新車を買い与え、二トラムも”大嫌いな”実家を出てヘレンの家に住み始める。
- 母親の言葉”いなくなって、せいせいしたわ・・。でも、すぐに戻って来るでしょう。”-
・二トラムとヘレンが新車で旅行に出るシーン。いつもの悪戯で二トラムがヘレンが運転する車のハンドルを横から動かし、車は前から来たトラックを避けるために横転。
- 病院で、目を覚ましたニトラム。ヘレンは亡くなった・・、と聞き・・。このときの二トラムの虚無的な表情。彼を真に愛する人間はこの世から消えたのである。
莫大な資産を彼に残して・・。-
・二トラムの父が、長年求めていた平屋の家。だが、父が購入資金を得る前に、家は売却されていた。落ち込む父。そんな父を二トラムは激しく殴打する。
- そして、夢破れた父は自死する。二トラムの性癖は両親から引き継がれている事が分かる。破滅的で、精神的に脆く、そして人には厳しく冷たい。ー
■恐ろしきシーン
・ニトラムが銃販売店で、ライフル銃やショットガンを購入するシーン。免許がなくても買えるライフル。店の地下の膨大な銃の数々・・。
ー エンドロールで流れるが、凄惨な事件の後、オーストラリアでは銃規制が本格化した。だが、実際には銃の数は増えている・・。-
<二トラムが海辺のリゾート地を訪れ、デザートとジュースを飲んだ後、彼は銃を持って立ち上がり・・。凄惨なシーンは敢えて描かれず、母親がぼんやりとタバコを吸うシーンで、TVから凶行のニュースが流れる。
今作は、既に記した通り、ジャスティン・カーゼル監督の製作意図が明確であり、映す事は許されないシーンは敢えて映さず、一人の人間関係性から孤立した男が凶行に至る過程を、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズが、怪演と言っても良い見事な演技で観る側に”今の社会と、当時と何が違うのか・・”と重い問いを投げかけてくる作品である。>