「他者への憎悪、自己嫌悪、親からの見えない抑圧の果てに起きた爆発」ニトラム NITRAM mayuoct14さんの映画レビュー(感想・評価)
他者への憎悪、自己嫌悪、親からの見えない抑圧の果てに起きた爆発
悲しみに満ちた物語だった。人間という生き物は、欲望が満たされないと欲求不満状態になるが、その極限まで到達したのが、この映画の主人公の状態だったのではないか。
母親からつねに抑圧を受けていたマーティン。家庭でも学校でも、街のあちこちでも、彼は自分の存在価値やありのままを認めてもらえない。それどころか変な目や嫌悪の目を向けられる。
「ちょっとおかしな」彼は、まわりからいつもそういう風に見られていることがわかっている。そして、そういう目を向けられた時「おれはここにいるよ、生きているよ」とばかりに花火や爆音でアピールする。
そんな、「面白くない生活、人生」の中で出会った近くの住人ヘレン。彼女は「それだけはだめ」という線引き(銃を向けること)はするが、おおかたのことは許容する広い心と見識を持つ人物。
マーティンにはそれがわかるから、心を開き、慕い、甘える。
しかし、そのヘレンが自分のせいでこの世からいなくなる。
その、どうしようもない、やり場のない気持ち、感情からマーティンは徐々に壊れてゆく。
ここからが本当にやるせない。ヘレンが居なくなってから、程なくして今度は、夢を奪われた父親がうつ状態になり、自殺する。母と違って、父親はマーティンの良き理解者で、弱さを分かり合える存在だった。その父まで自分のそばからいなくなり、自分が「こうなりたい、こうありたい」という自分からどんどん乖離することへのジレンマが始まる。そうして、さらに自己嫌悪が増大していく。
「僕が僕の好きな僕になれないんだ」(具体的な台詞は忘れたが、こういう意味の言葉を彼は言う)と涙を流しながらそう呟くマーティンの姿は、本当に悲しい。大切な人がいなくなり、圧倒的な孤独に苛まれているからだ。
その孤独や抑圧、どうにもならない苛立ちや欲求不満(物心ついたから承認欲求はおそらく一度も満たされたことはないだろう)は、銃を持つことで文字通り外からも(心の)中からも武装してモチベーションが創り上げられ、爆発。かくして、オーストラリア最悪の銃乱射事件が起こる。
一方、母はどうしてもそれが理解できない。
父親(母にとっては夫)が自殺した時も、彼女は泣かず、ただ遠くをみつめるだけである。
結果、マーティンが最後に引き起こす重大な事件が報道された時も、庭先でテレビの画面を見ずにニュースを聞いているだけ。後悔にも似た気持ちがあるのかも知れないが、それは映画を見ているだけでは分からない。
映画を見た私には、只々、マーティンの苦しみや悲しみが何重にも身体に巻きついて離れない時間が一定の間続いた。
こんな思いを誰にもして欲しくない、こんな思いをする人を一人も出したくない。
この映画は、そんな固い誓いを自分の心にさせてくれ、忘れがたい重みと力を持った、今年の最上の一本になると確信している。