ニトラム NITRAMのレビュー・感想・評価
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犯罪を描く難しさ
犯罪者を語ることの難しさをひしひしと感じる作品だ。そして、その難しさは誰かが引き受けねばならないのだという作り手の責任感もひしひしと感じる。発達障害と思われる主人公が大量殺戮を犯す、このことだけで本作を語るのは難しい。差別的感情を抱かせずに犯人の心のあり様に迫るという難題を、挑まなければいけない。 この映画を観る時、主人公のマーティンをどのように理解すべきか。本作は、理解と共感を分けながら、注意深く鑑賞する必要がある。友人のいないマーティンの孤独、破綻した親子関係、唯一彼に救いをもたらす母親と同世代の女性ヘレンとの関係を否定されること。同情ではなく、彼を追い詰める社会の構造や常識のメカニズムを理解していかなくてはならない。社会に適応して生きることはそんなに偉いことなのか、この映画を観ているとよくわからなくなっていく。社会は実りのない場所だ、実りはないけど、みんなが生きるプラットフォームだから壊すわけにはいかない。しかし、どんな社会にも馴染めずに排斥されてしまう人はいるのでこうした暴発は社会を維持する必然として、時折発生してしまう。とてもしんどい気分になるが、直視するしかない社会の実像がここには描かれている。
主人公と関わる脇役たちがとても忘れ難い
'96年にタスマニア島で起こった銃乱射事件の犯人をめぐる物語である。個人的なことを言わせて貰えば、テーマがテーマなだけに鑑賞時かなり覚悟が要った。だが実際に見始めると、不思議と映像から目が離せなくなると言うか、この主人公が犯行に及んだ心の内側を知りたいという想いが湧いた。本作は決して残虐性をあらわにした物語というわけではない。むしろその直前までの過程を紡いだ作品。主人公の精神性は凪の海面のように穏やかな時もあれば、不協和音を爆発させて手のつけられなくなることもある。そこに付随する両親との関係性、追い出された学校、土地購入の問題、ふとしたことで知り合う男友達、そして謎の女性。主演のケイレブの演技は繊細かつ観る者の心をかき乱すヒリヒリした感触で一杯だが、その一方、謎の女性を演じたカーゼル組の常連、エッシー・デイヴィスの存在感が秀でている。彼女は一体何者だったのか。いまだに気になって仕方がない。
Sad and Dark
There is virtually no joy to be pulled from Nitram, an account of the man who committed a mass shooting in Tasmania. His mental illness is singular, an untreatable recluse who mows lawns and plays with fireworks in the bush. The movie is a linear descent into the unfortunate historical moment, which surprisingly is skipped altogether. At best will have you saying, "I didn't know about that."
衝撃的すぎました
事前情報全くなしで鑑賞しました 私には心の準備が必要な作品だったので、これは事前情報入れて観た方が良かったです 自然や海やのんびりしたとてもきれいなロケーションの冒頭で、家族の再生ストーリーなのかと思っていたら、だんだん漂う不穏な空気でそうじゃないのはわかっていきました 二トラムと呼ばれるマーティンは世間に馴染めないような人のようだったけど、お母さんとのかくれんぼの話から生まれながらに残酷な心を持っている人のように私は感じました 絶対に関わり合いたくないと思わせる人 マーティンのお母さんもそれを感じていたのかも お父さんはひたすらマーティンを愛していたのに このマーティンも孤独ではあるけど、孤独から世間への不満を爆発させて事件を起こしてしまったというのじゃなくて、あんな事件を起こしたのに、そこには何も深い思いはなかったように思いました だから余計にこわい その時のシーンはなくてぶった切られるように始まるエンドクレジット、良かったです 観終わってただただ重いものだけが残る作品でした でも今作でもケイレブ・ランドリー・ジョーンズの演技は素晴らしかったです
いかに無差別銃乱射事件は起きたのか
現実に起こった無差別銃乱射事件をテーマにした作品。 鑑賞前はどんな描き方をするのかと固唾を呑んで見たけど、二トラムがいかにその事件を起こしたかの心理的な部分のみ描かれた作品でした。一切の殺戮シーンは無いのです。 心理描写がかなり難しく感じる。完全におかしい訳でもなくきちんと生活はすることもできる。会話も普通にできる。必死で生きているのだが、うまく生きられないだけという事二トラム。 彼とずっと幼少から過ごしてきた家族の苦悩は計り知れぬものでは無い。特に母親の心情はなかなかつかみきれなかった。なんだか被害者な感じの振る舞いだが、いやそうではなく、この親にしてとも思えてしまう。 でも1番わからなかったのが、ヘレンの存在と気持ち。正直この出会いがなければ、事件は起きてなかったと思うが、彼女が何故二トラムに入れ込んだのかが描ききれてないので消化不良。 悲惨な事件を起こさないために、心に問題がある孤独な人達への接し方は難しいと思わされた。愛情が逆効果にもなりかねないんだなとも感じる作品でした。 なかなか難しい映画であった。
そこまで興味を失える心境とは
何かの作品の監督が言っていた。実際に起こったことは分からないが、少し調べれば真実は分かるし、観た人に知ってもらうことが大切だと。
やはり実際の事件を元にした作品で、詳しい内容は脚色されているものだった。
この作品についても似たようなことが言えるのではないかと思う。肝心なのは事件の存在とオーストラリアにおける銃の規制についてなのだから。
つまり、内容が正しいかどうかなどどうでもいいのである。なぜなら、私は鑑賞後にまんまと事件について調べてしまったから。
主人公の境遇について脚色されていると分かった上でも、映画として中々興味深いと思える点がある。それは主人公の母親だ。
彼女は主人公に対して過剰に冷たい。自分とは無関係の知らない人扱いに見える。あまりの冷たさに本当の母親ではなく継母か何かかと思っていたくらい。
しかし実際は血の繋がった母と息子であったのだ。
確かに主人公には問題行動もあり、知能障害で、優秀とは言い難い。それでも、全くといっていいほど愛情を注がない姿は異様だ。
主人公とヘレンの関係は、母親の愛情を求めたものに見えた。明らかに主人公には母親からの愛情が足りていなかったから。
これが最初から母親がいなかったのなら話は違ったかもしれない。存在しているのに存在していないかのような関係が悪影響を与えている気がした。
そして、自分に愛情を注ぎ支えてくれる父と疑似母の二人を失った主人公の心境を推しはかるのは難しい。なぜならば、主人公にはその2人しかまともに向き合ってくれる人がいなかったのだから。
もちろん、だからといって事件を起こしたことを擁護できるわけではない。
幼少期に花火で火傷を負い、それでも恐れは感じなかった主人公。彼が恐れていたことは自分が身体的に傷ついてしまうことではなく、一人になってしまうことだったのかもしれない。
だからこそ、他人よりも冷たく見える母親の存在が不気味で興味深く思える。母親のちょっとした支えだけで主人公は全く違う人物になれただろうから。
エンディング、事件のニュースが流れている中で、興味がない、自分とは関係ないと言わんばかりに、外で煙草を吸う母親の姿は、とても恐ろしいものに見えた。
彼女にとっては、最初からずっと主人公がモンスターに見えていたのかもしれない。
無敵の人
何もかも失うと正気も失うんやなと。何の罪もない人たちやのにどうしてそういう思考になるのか全く理解できない。
家を買った人たちやってきちんとした手続きを踏んでいるのに殺される理由がわからん。あの恋愛相手やって、殺したの自分やのに寝てたって自己保身のために嘘つくし、ほんま最低なやつやなっていう感想しか出てこない。日本の無敵なやつも銃があったらもっと凶悪事件が発生しているやろうなと思った。両親の責任でもあるのかなあ。どこで止められたんやろう…
実話か...
最初少年に見えたニトラム、上半身裸になったらなかなかのブヨついた体、もしや立派な中年か?と思ったけど実際は27歳だったのね、ちょっと雑音だったけどまあ欧米人が引きこもって27歳にもなったらこんなもんか。何にしても芝刈りのバイトして小銭稼ぐ年齢じゃないわよね、そこがもうきみがわるい、当然まともな人は相手にしない。そこに変人の金持ちあらわる。この人に犯罪傾向はないけど、真っ当とは言い難い。なんかですね、ススキノの首なし事件の犯人と家族と被害者を投影しちゃいました。もちろん違うのだけど。パパ家が買えれば、別荘を経営できれば、と全然お門違いなところに期待を抱いていましたね、札幌のお父さんもそうだったのかな、なんて。
青年を演じた役者さん素晴らしい演技でした。 彼に寄り添ってあげよう...
青年を演じた役者さん素晴らしい演技でした。 彼に寄り添ってあげようと一生懸命だったお父さんをボコボコに殴ってしまうシーンがホントに悲しかった、脳裏からしばらく離れなかった。
つまらなかったけどな
カンヌ物は自分にはわからないのかも。 まず『ニトラム』がどれくらいの嘲笑呼称なのかが今ひとつわからなかった。 主人公は精神疾患者だったのかな。 財産が贈与されてしまうのも腑に落ちなかった。暗い映画。 評価:3.0
観ていてつらいです。
主人公はご近所からは疎まれ、家にも安らぎを感じられず、恋人も友人も仲間もいない、仕事も無い生活を二十数年間続けています。決して自分で殻に閉じこもっているわけではなく、寧ろ積極的に人とコミュニケーションを取ろうとしますが全く嚙み合わず逆に周りからは小馬鹿にされる日々です。彼が数日おきに気分が落ち込むというのも理解できます。自分を愛せない気持ち、自分が自分であることを嫌悪する気持ちが事あるごとに湧き上がってくるのでしょう。唯一の理解者であるヘレンも彼自身が原因の事故でこの世を去ってしまいます。自分に甘かった父も世界に失望して自死し、時を後にして銃乱射事件がTVで大きく報道されます。手元に銃とカメラがあること。自分自身の頑張りは疾うに限界であること。このまま空回りし続けても状況は良くならないこと。きっといろんな思考が彼の頭の中を渦巻いていたのでしょう。家を綺麗に掃除し、飼ってた犬を解放し、銃とビデオカメラを鞄に入れ彼は立ち上がります。
実録に近いだけに評価が難しい
タスマニア島で起きたオーストラリア史上最も残忍な事件を、かき集めた情報を丁寧につなぎ合わせて、おそらく、「製作者がたどり着いた事実」に沿って忠実に描いた作品。作品というよりもフィルムかもしれない。 彼の犯行直前までそのことに気づかずに見続けてしまった。 この作品がダイレクトに伝えているのが「銃による犯罪」 この事件で銃規制が行われたが、どの州も徹底しておらず、現在では当時よりも銃を持つ人が増えているとエンドロールが締めくくっている。 これがこの作品が伝えたかったことだ。 そしてオーストラリア人であればだれもが知るこの犯人の名前「ニトラム」。 ニトラムが作品の主人公であるのは、また人の名前であるのは、作品の中盤でわかる。 私にはその言葉の意味が解らないので、ようやくそれが人の名前だと知る。 そもそも作品の意図がわからないので、ニトラムがどういった人物なのか、それをどのように捉えればいいのかわからない。 しかしオーストラリア人に対しては、彼が犯行に及んだ原因がどこにあったのか考えてほしいという意図があるのだろう。 最後に犯行のニュースが流れ、それを聞き流すように外でタバコを吸う彼の母。 父の言葉「お前はいつも息子を追い詰める」 これが基本となったのは否めないが、彼の言動、挙動の抑圧というものがそもそもの原因かもしれない。 余談だが、かつてオーストラリアへ行ったとき、公園を散歩するベビーカーを押す父と一緒に歩く母を見た。彼女はまだ1歳にもなっていない赤ちゃんの行儀の悪さに、赤ちゃんを叩きながら暴言を浴びせていた光景を思い出した。 もしかしたらこのような習慣がオーストラリア人の日常で、作品はこのことについても指摘しているのかもしれない。 また、 薬も同様で、薬によって一時的に抑えられた衝動は、実はそのまま残っていて、次回は更にその衝動に拍車がかかることを言っているような気がする。 銃も薬も「利権」だ。 そう考えると、その利権の犠牲者こそニトラムなのかもしれない。 彼は母に「僕はみんなが思っているような人間じゃない」というようなことを話すが、母がその意味を聞き返しても「うまく説明できない」と濁したシーンがあった。 冒頭、ニトラムは海岸で出会った女性に名前を聞く。「ライリー」 彼女の恋人「ジェイミー」 彼は紹介されていないが、ニトラムは二人に「じゃあね、ジェイミー」という。 以前ニトラムはジェイミーに会っているが彼はニトラムのことを覚えていなかったのだろう。 それはバーでジェイミーと再会した時も同じだった。 ニトラムに母が訪ねる「彼女はいるの」 「ライリー」 このことで彼の話した「みんなが思っている人間じゃないという意味の一部がわかる。 精神疾患者でノロマでバカという彼へのレッテルはすべて間違っているのだ。 彼が抑圧されることで生じる行き場のない怒りは、一旦薬によって鎮められるが、次回はそれに加算される。 これはおそらく誰しもがそうなるのだろう。それを製薬会社は隠している。と言えば陰謀論だろうか。 悪ふざけでハンドルを動かした結果事故を起こして死んでしまったヘレン。 それが自分の所為だと悔やむ。どこにもぶつけようのない怒り。 父が購入する予定だった場所を横取りされた怒り。 お金を手にしたニトラムはシースケープを買い戻そうとしたが断られた。 父が弱り動かなくなった。父を叩きまくって動かしたのは、ニトラムがそれが愛情だと思わされていたからなのではないか? そして、父の自殺。 あれは自殺だったのだろうか? 母に「なぜ取り乱さない?」と聞いたニトラムには、母に対する疑念があったのかもしれない。 その前に父に暴力をふるったニトラムを母は冷酷に見ていた。ニトラムを押さえつける力がなくなった父に、もう用はないのだろうか? しかし作品の中を探しても彼が観光地で銃を乱射する根拠はどこにも見つからなかった。 そうなれば彼の怒りとは社会に対する怒りだと判断するしかない。 しかし、実録フィルムだけに評価は難しいと言わざるを得ない。
救いが無いです。😿
オーストラリアで実際に起こった銃乱射事件をベースにした実話ベースの映画です。 主人公のマーティンを演じるケイレブ・ランドリー・ジョーンズは、素晴らしいです。 ラストまで不安定な映像ですが、内容に引き込まれていきます。 マーティンは、多動症なのか心身不安症なのか?精神的に疾患があり、29歳?にして花火をして喜んでいるマーティンを冷ややかに見ている母親と、異常に甘い父親がいます。 また、母親はマーティンの症状を受け入れたく無いのか?しかし、心療内科のドクターに診断書を要求し、補助金を頼りにしているのか? 良い母親なのか?そうではないのか?母ももうすでに心が病んでいるのか?家族間の問題も、上手く表現されていました。 何故か、マーティンを追い詰めては引き離します。 母親に金を稼ぎなさいと言われ、庭掃除のバイトを探す際に知り合ったヘレンと知り合い年齢的に差はありますが、お互い寄り添う存在になります。 ヘレンは、1人で暮らしていてお金持ちの様で動物を多頭飼いしています。彼女の背景は描かれていませんでしたが、マーティンに惹かれる様子が映像を通して良く伝わります。 中盤に、父親が欲しがっていた物件を 購入出来ずに悲嘆に暮れる父親が‥ ヘレンと旅行に行こうと、向かっている先で‥ いろんな事が、マーティンを襲った挙げ句が、母親から拒絶されます。 マーティンに、ヘレンが残した大金が入りその金を銃につぎ込みます。 もう、みるに耐えられないぐらい人生は冷たく救いが無いのか?マーティンの人生の岐路が最悪の方向に舵を切っていきます。 家族の在り方や、コミュニティの在り方を本当に考えさせられる映画でした。 全く希望も面白さも無い映画ですが、多くの人に見ていただきたいと思ってしまいました。
どこまで共存してゆけるのか
一見すると銃規制の大切さを訴えているようで、 規制よりも扱う人間側の問題であり、 人間側とは一人一人を指すのでなく、 個々、関わり合い全てを指す社会全体の問題なのだ、 と投げかけられているように感じた。 安全も危険も人と人の間にかかっていると。 しかしながら先天的に理解し難い狂暴性を合わせ持った人物と、 その社会がどこまで共存してゆけるのか、 この難しさもまた突き付けられたように感じる。 果たして金持ちの彼女が生き続けるルートなのか、 家族が新たな物件を手にするルートなのか、 銃砲店員の危機管理意識なのか、 そもそも病院側の積極的な介入による拘束措置なのか、 悲劇を避けるに、振り返って考えるポイントがあり過ぎて悩む。 また昨今、巷の似たような事件を思い出し、 重く受け止める一本となった。 邦画「月」の製作陣は、本作を観た、参考にした、のではないかと、ふと浮かんだ。
ポートアーサー事件
1996年オーストラリアのタスマニア島ポートアーサーで起きた銃乱射事件の犯人が主人公
この事件のことについて知らなかった。
死者35人、負傷者15人出したそう。
この映画では二トラム(ニト≒シラミ)と呼ばれ虐められてきたマーティンが、如何にして大虐殺を起こしたのかを説明するように周りとの交流を描いている。
実際の動機は不明らしい。
だから何がマーティンの事件のきっかけになったのかは定かではない。この映画では原因になり得そうなことが淡々と描かれている。
例えば冷たい両親、憧れのサーファーとの距離感、親より年上の女性との交流、その死などなど。
無免許でもライフルは買えるということにも驚いた。
この時間をきっかけにオーストラリアでは銃規制が厳しくなったらしいが今も普通に所持している人が多いらしい。
去年オーストラリア行ったが、そんな気配全くなかった、、。先にこの映画見てたらちょっと意識してしまっていたかも。
また、肝心の事件についてはほとんど描かれておらず銃の音だけ出終わった。
だからそこ目的の人には合わないと思う。
この映画は鬱になるって評判聞いてから見たから、そこまでだった。特に起伏もなくずっと暗いのが続く。
空白がいい
色、音楽、演技どれをとっても自分好みで良かった!感動した! マーティンは自分の不遇を感じつつも、それは表現することが難しく孤独を感じている。 父の死後、母に「周りを変えたい」とマーティンが伝えるシーンはなんとも言えない焦燥感を感じる。母には何を言っているのかわからないと言われ、マーティンも自分でもわからないと言う。映画内で唯一言葉で自分の気持ちを伝えたシーンだったと思う。 大切な人の死。孤独。腫れ物扱い。 犯罪者は自閉症で片付けられるけど、もっと複雑な問題を抱えていた。そして彼に目を向けてあげるべきだった。それが彼にとって大切な人
冥福を祈ります。
この映画では亊の真実が分からない。彼がなぜ犯行に及んだか全く分からない。
勿論、彼に銃を勧める銃砲店の店主の異常さは伝わる。また、行政を含めた社会全体が彼ら(母親、父親、事故でなくなった女性)に無関心な亊にも原因がある事はこの映画で理解出来る。しかし、肝心で重大な事実がまだ隠されていると感じた。
なぜなら、こう言った乱射事件は大概自殺願望が伴うと思う。しかし、現在の彼は終身刑で服役していると言う。つまり、自殺をしていないと言う事だ。それは、この映画で犯行の動機を説明していないと言う事につながると思う。さて、
ネットでは騒がれているが、他に理由があるようだ。完全にそれを信用する訳では無いが。しかし、、、これ以上書くと消されるのでこのくらいにしておく。
だかしかし、この犯罪に及んだ理由を明確にすべきだと感じる。
そしてそれは、オーストラリアから銃が無くなっていない理由になるのかも知れない。
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