わたしは最悪。のレビュー・感想・評価
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小便博覧会
作られた国こそ違いますが「リコリス・ピザ」がクソほどハマらなくて、同じように走ってるシーンがあり、アカデミー賞ノミネート作品、しかも同日公開と変に縁のある今作も警戒しながら鑑賞しましたが、残念ながら全然ハマりませんでした。
なんてったって主人公ユリヤが好きになれません。恋愛映画は魅力のある人物であって欲しいんですけど、「リコリス・ピザ」同様そこそこのクズ且つ自己中で自分を否定しない傲慢女と、個人的には1番嫌いなタイプでした。
歳の差を気にしつつもユリヤを気にかけてくれてるアクセルが良い奴すぎるのもあって、よりユリヤの悪質さが目立っているように思えました。新しいもの、ときめくものがコロコロ変わって、八つ当たりなんかしちゃって、お前何様だよーって思ってしまいました。自分は否定しないと言いつつ、とにかく上からねじ伏せるスタイルがキツかったです。時を止めて会いに行くという流れや、ドラッグを効めて変な幻覚を見たりとぶっ飛んだ展開に着いていけなかったのも楽しめなかった要因の一つです。
1番引いたのはトイレでお互いの放尿シーンを見せ合ったシーンです。ユリヤとコーヒーショップで働くアイヴィンが浮気か浮気じゃないか論争をしている最中トイレで小便ちゃ〜としているのを見せ合うとかいう物語の品をドカンと落とすようなシーンにはドン引きでした。なんでこれがアカデミー賞に?と思えるくらいでした。お国柄でこういう事は普通に映画に組み込まれるんでしょうか?日本じゃまずAVでしか見ないようなものでした。あとセックスシーンにモザイクがかかっていたのも萎えました。見せないスレスレのラインで煽ってくれるのが性描写強めの作品の勝負どころだと思っていますが、そこを放置した罪はデカいです。
終盤も取っ替え引っ替えな展開でユリヤの優柔不断さが露呈しており、病人であるアクセルのベッドに潜り込む流れもはぁ?って感じで鳥肌が立ちました。
絵作りとかが綺麗だっただけに価値観の違いが思いっきり出たなって感じです。今年のアカデミー賞との相性はかなり悪いです…。うぅ…。
鑑賞日 7/11
鑑賞時間 19:05〜21:20
座席 C-12
女の人生の充足は自立でこそ得られる
高い能力と魅力的な容姿を持ちながら、自分にしっくりとくる行き場所ややりたいことを見つけられない…という主人公。
医学部→心理学→カメラマン…と転々とした挙句に、男性と恋に落ちたところからドラマが始まります。
自立していない女性にとっての恋愛って、自分の人生を放棄して男の人生に乗っかってしまう形になりがちですよね。
漫画家としての才能を開花させている彼の隣で、彼女は次第に焦燥感を覚えるようになります。
自分の人生なのに脇役な感じ、というのは、先天的な能力の高さ故の葛藤でしょう。
でも、自分の人生を生きる、を実現する方法が次の男との恋愛…ということがまずかった。
外的な要素に幸せを期待しても、自分は満たされない。キャリアや人生に対する不安や不満は拭えず、優しくて相性のいい彼にも50年後もコーヒー売ってんの⁉︎とバカにして八つ当たりします。
彼女の男性に対する甘えや依存は、父親との関係に難がある女性によく見られるものなので、キャラ造形にとてもリアリティを感じました。
父親とも決別し、流産し、彼とも別れ、男ありきの人生を捨てて自立の道を歩み始めたラストシーン。
彼女が描いていた未来ではないにせよ、そこには充足があるのでらないかと希望が持てました。
1つのシーンがすべてを変える
主人公ユリヤはアラサー女子。
彼女は、映画の冒頭では外科医を目指す医大生だったが、「身体より心に興味がある」と言って、医学部をやめて心理学を学び始める。
もちろん、医学部に入る困難さは承知の上で。
ところが、ほどなくカメラを学びたいと言い出して心理学もやめてしまう。
その頃、ユリヤはマンガを描いている恋人アクセルと出会い、同棲を始める。年上のアクセルは子どもを持つことを願うが、ユリヤにその気はない。
あるときユリヤは偶然出会った若いアイヴィンに惹かれる。そして彼女はアクセルと別れ、今度はアイヴィンと暮らし始める。
本作はプロローグと12の章、そしてエピローグからなる。
終盤の第11章、ユリヤは、アクセルがガンに冒されていることを偶然知り、病院に見舞いに行く。
邦題「わたしは最悪。」は英題「The Worst Person in the World」(世界で最悪の人間)の、ほぼ直訳である。
ここまで見る限り、ユリヤは自分で選んだのに簡単に心変わりして、フラフラと生きているように見える。
でも、本人は絶対に自ら「わたしは最悪。」なんてことは言わないだろう。もちろん、「世界で最悪の人間」という自覚もない。
では、このタイトルの意味は、どう理解すべきか?
アクセルの見舞いに行ったとき、ユリヤは妊娠していた。だが、彼女には産む覚悟もなく、アイヴィンも、そのことを望んでいない。
そしてアクセルには死期が迫っている。皮肉なことにアクセルは、ユリヤとの子どもを持つことを望み、彼女と一緒に人生を歩みたいと思っていたのに。
病室でアクセルはユリヤに「君は最高だった」と言う。
病院の食堂のような部屋でテーブルに座り、2人は話している。ユリヤがアクセルに手を伸ばす。
そのときカメラのアングルが変わり、天井から見下ろすショットになった。こんなショットは、本作では、ここしか出てこない。
ユリヤとアクセルを俯瞰するカメラ。
このショットは、初めてユリヤが自分を(見下ろすように)客観視した、ということを表しているのではないか。
自分のお腹に宿った新しい命。
そして死にゆく元恋人。
命に関わる事態に直面して、このとき初めて彼女は悟ったのだ。
「わたしは最悪。」だ、と。
このとき、ようやくユリヤは自分自身を振り返った。
「君は最高だ」と言ってくれたアクセルに、ユリヤは応えない。
が、このとき心の中で呟いたであろうセリフがタイトルになっているのではないか。
例えば、アクセルと暮らしながら、ユリヤがアイヴィンのもとに走ったシーンでは、ユリヤとアイヴィン以外はすべてが静止していた。
それほど周りが見えておらず、それほど身勝手だった、ということだろう。
アイヴィンに出逢った日、同棲する恋人がいながら一緒にトイレに入り、「これは浮気じゃない」と言うのも同様だ。
終盤には、もう1つ気になる演出がある。
ユリヤの心情を説明するナレーションが入り、ユリヤが、その心情を表すセリフを言う場面がある。
ということは、この映画の中の時間はリアルタイムで流れているわけではない、ということだろう。
未来のどこかの時点から、過去を振り返って描いているのだ。
エピローグ、ユリヤは写真家の仕事をしている。
第12章とエピローグのあいだでユリヤはものすごく変わったはずだ。
第12章で初めて自分自身を振り返り、自分を見つめ、自分がほんとうに目指したいものは何かを本気で考えたはずだ。そしてユリヤは写真家になっていた。
だから、エピローグでのユリヤは、それまでの彼女とは全然違うということが分かる。
そして本作は、時系列としてはエピローグからの視点で作られているのではないか?
そのとき、映画としては、第12章とエピローグのあいだのユリヤを描くという選択肢もあったはずだ。
この間、ユリヤはアクセルの死に向き合い、そして真剣に悩み、やがて写真家こそが自分の生きる道だということを見い出した。そしてアイヴィンとは別れた。
だが、本作はそこを描くことは選択しなかった。
第11章までの“最悪”の期間を丁寧に描くことで、第12章のターニングポイントと、エピローグでの変化を鮮やかに際立たせて見せたのだ。
なかなかに巧緻な構成に唸る。
では、この「仕掛け」を用いて本作が訴えたかったメッセージは何か。
第10章までのユリヤはモラトリアムだったと言っていいだろう。でも、本作は第10章までの彼女を決してネガティブには描いておらず、むしろ肯定しているようにも見える。
自分で「わたしは最悪」とまで言っているにも関わらず、だ。
エピローグのユリヤは写真家を職業としているが、ここまでにくるには相当な苦労があったはずである。
(思えばアクセルと付き合う直前までは、彼女は写真を学んでいた。だが、アクセルと付き合っている間に写真からは離れたようだ。アクセルと参加したパーティで彼女は何をしているかを訊かれ、ためらいながら「本屋でバイト」と答えている。おそらく、せっかく始めた写真をやめてしまったことへの罪悪感からだろう。そしてユリヤは、死を間近にしたアクセルを撮影することで写真を再開する。ここまで彼女が写真を撮っているシーンはなかった)
他人は、「どうせ写真家を目指すのなら、もっと早く、その道を選べばよかったのに」とか言いがちだ。
でも、人は神様じゃないんだから、未来のことなんか分からない。だから、いつも人は迷いながら生きる。判断ミスをしたり、他人に流されたりして、選択を失敗することだってある(アクセルと別れ話をしているとき、彼女は雰囲気に流され彼とセックスしてしまうが、終盤の病院では、求めるアクセルの手を払いのけている。こうした対比も上手い)。
でも彼女はいつだって自分が信じる道を選んできた。彼女にとって選択してきたことは、すべてが、そのときどきで「必要なこと」だと言えるのだ。
だから彼女は、ラスト近く、偶然目撃したアイヴィンが結婚していて、子どもがいたとしても温かい眼差しで、その光景を見ることが出来る。
ラストでは、彼女は好きな写真を仕事にして生きている。だが、本作は、そこに至るプロセスは描かず、一見、遠回りしたようにも見える道筋を描く。
ということは、本作のメッセージは遠回りの肯定だろう。いや、人生に遠回りなんてない、とまでユリヤは言っているかも知れない。わたしを見て、そもそも、最短距離を行くなんてムリなんだから、と。
人生に失敗は付きもので、僕たちはとかく悔やんだり、悲しんだりしがちである。
でもユリヤは、そんな僕たちのことをどこまでも肯定し、背中を押してくれるようだ。
女性に関する十二章
予告編で街の人々が静止している中を女性が走り抜ける映像に惹かれたので見に行ったのだが、あの箇所を除くとほかはそんなに飛び抜けたシーンはなかった。ああいう映像の遊びがあと10くらいあると良かったのだが。「1秒先の彼女」にも似たシーンがあって、あちらもよくわからない理屈だったが、この映画でも主人公とアイヴィンは丸一日過ごした後に前の日の朝に戻っているので、「1秒先〜」と同じく“失われた一日”パターンなのか?彼女の心象風景とかで済ますには謎が残る。
ジョコヴィッチ似の漫画家とレンドル似のバリスタの間で心のラリーが行ったり来たりする主人公は、ちょっとどうなのとは思うが、所作や感情表現がいちいちリアルで自ずと寄り添わされてしまう魅力はある。基本ささいな日常のスケッチではあるが、章で区切ることで良いメリハリになっている。
ちょっと古い統計だが、ノルウェーの年間の映画製作本数は27本で、世界31位だそうだ(2009年。ちなみに.日本は同年448本で4位)。月に新作2本程度か。人口も少ないので当然マーケットも小さく、映画産業もなかなかきびしいと思われる。
トナカイと接近遭遇するシーンが心地よかった。ああ、まさしく北欧だなぁ…と。
期待値は勝手に上げないのが吉
その名の通り、最悪な映画だった。
と言うのも、本作について知っていた事といえば
デンマーク出身の監督の、アカデミーノミネート作品
という事くらい。
それで、題名『わたしは最悪。』と来た。
しかも、評判は高い。
ほうほう、きっとタイトル通り
「わたしは最悪(な状況に意図せず置かれてしまったけれど、それでも何とか生きていく)」
的な話かなーと勝手に想像して盛り上がってたんですよ。
なんとなく「フランシス・ハ」的なね。
その次にポスターを見て、それもよかった。
さらに、期待値は上がったものの少し気がかりなのが
主人公の女性が、飛び切り愛嬌のある笑顔で
走っていたポスターだった事である。
はて、彼女の話か。彼女が最悪な目に遭っているのが
想像つかない。
そして、鑑賞。
これ、「わたしは最悪。」ではなく
「わたしが最悪。」だった。
主人公がクズすぎて最悪の人物だったのだ。
(これは明らかに言い過ぎてるが、こんな掌返し感があった。勝手に想像膨らませたわたしが悪いが。)
始まり方は何となく好きでしたよ。
章立ててはじまっていく感じ。
(ただ、12章って多過ぎるよね…。)
しかし、内容はどうよ。
全体を通して言うと、
まず、映画への愛は感じるが余りにも詰め込みすぎて、
お腹いっぱいなのに、口に詰め込まれてる感が凄い。
(アニメーションは良かったけれども、
町中の時間が止まるシーンとかくど過ぎる。
お前らの為に世界は存在するんか。
「1秒先の彼女」の止まり方のがまだ良かったわ)
それと、SDGs全部やるんじゃないかってくらいの
広範囲の問題提起。
女性軽視や、環境問題、暴力描写、表現の自由。
画としても示すくせに、そのオチはぜんぶ
過激派ぽい人(フェミとかヨガとか)が出てきて終了。
それに対して主人公たちは、
やれやれ、、的な空気感。
なんじゃそりゃ!!!
それが現実社会の反応かもしれんけども!
そのレベルなら取り上げなくて良くない!?
主人公は男性との議論中も噛み付くように言い返すが、
それが何になる訳でもない。
なんだ?監督の言いたいこと言ってるだけ??
それって映画じゃないよ!
さらに、物語は後半につれ、その名の通り最悪に。
なんと、主人公の元彼が病気で死ぬと言う。
……まあ、ここまではいいよ。
で、そのあと主人公とダラダラと過ごして話して…。
こんなシーン要る!?
彼が死にゆくとき、何を想うかなんて
正直、知らないよ!
てか、あなたの事をそんなに知らないよ!
もう彼女には次の問題が訪れてるのに
今それに構ってる暇はないよ、、。
どれだけ絆があったか知らんけどさ…。
でも浮気で別れてるんやで…。
過去が未来がとか、これもどうせ監督の主観を
喋らせてるだけじゃん…とか思ってしまいました。
それでもって彼氏との妊娠の問題は
余りにも短くあっさりとしたシーンで終了。
え??
そして終章で、彼氏はまた別の人と…。
まあそれが人生なのかもしれないけど、
そのまま映画にしても、それは日記だよ。
(何年かぶりにイライラし過ぎて劇場を出たくなる現象に襲われた)
最後に、主人公の人間性について。
彼女は、本能に従うタイプで新しい物に目移りしがち。
ここまでは何も言う事ないのだが、
観客が、絶対するなよ、って事を平気でする。
それが愛すべきキャラではなく、
憎むべきキャラに出来上がってしまっているのだ。
ここに関して理由は分からないのだが、
おそらくは彼女すら彼女の選択に納得していないからだと思う。彼女も迷いつつ、しかし本能には従う形で行動している。そしてそれの仕打ちを被るのはいつも、彼女以外の誰かだ。
「わたしの最悪な行動により、周囲の人が不幸になる」
映画なのだ。
思えば、初めからそうだった。
彼氏の母親?は、彼女に勧められてダンスを始め、
そして怪我をした。
彼女の行動は、常に誰かを傷つける可能性を孕む。
それは、彼女自身も。(最後には流産してしまった)
しかしこれって社会の中で生きる人、
全員に言えることでは?
と書いていて、答えにぶち当たった感があるが、
それでもこの描き方は気に食わない。
もう少し、彼女の葛藤が見えれば…。
思い返してみると、彼女は友達がいない。
彼氏や家族と過ごす以外で、親しい友達がいない。
彼女は、そういう人なのかも。
周囲を傷つけるのを恐れているが、
本能には逆らえない。
と、まとまらなくなったが、
答えが出ても本作は好みでない。
でもこれは監督との相性とか
その辺の問題な気がします…。
それか私の心が狭い。
または、彼女の傷に気が付けなかった。
ただ、中盤で彼女が書いた記事、
「わたしは硬いのを"創る"のが好き」
って表現は、なるほどなーと。
今まで持っていた感覚を上手く言語化した感覚で、
物凄く腑に落ちたというか、ああそういう事か!
となりました。
主演の彼女は、体当たりな演技で良かった。
どこにいても絵になる。
そしてなんと言っても可愛らしい笑顔である。。
衣装も好みだったのだよな〜…。
Waters of March
悩み迷い、いろんな選択をし、フワフワ浮いたり、ぶつかったり、流されたりしながらここにたどり着いた
やっと地に足がついた感じがした
良い未来を感じさせる終わり方がとても良かった
普通だけど特別な物語
特筆すべき何がある訳では無い
普通の主人公ユリヤにいつしか夢中。
感情の微妙なニュアンスのやり取りが
従来のドラマにはない共感を届けてくれます。
ユリヤが彼氏と別れたい理由も
別れ話の中でみせる気遣いも
共感と納得がありスッと飲み込めました。
そんな幾つもの共感がちりばめられた
普通だけど特別な物語。
追伸:
会ったその日におならで爆笑し合える相手には
やはり特別な感情抱いてしまいます。
【”聡明だが、移り気で我が道が見つからず、自分の人生の在り方を求めて2人の男の間を行き来する若き女性の心の成長と自立していく様を描いた作品。共感し難い生き方だが、冴えた演出は見応えある作品である。】
ー 原題が凄い。「THE WORST PERSON IN THE WORLD」である。どんな極悪な女性が描かれるのかと思いながら、劇場へ。
確かに、間違ってはいないけれど、自分の進むべきが見つからず煩悶する、可なり性に奔放で、パワー溢れ、根本はしっかりとした自我を持つ、女性ユリアの成長物語であった。
それにしても、ユリアに惹かれ関係性を持つ、40代の漫画家アクセルと若いアイヴィン。君らも大変だったな。あ、でも君らも愉しんでいたから良いか・・、などと思ってしまった作品である。-
◆感想
・冒頭からユリアの次々に興味を持った事に冷め、移り気していく姿が、その後の展開を予想させる。
・そして、出会ったアクセルとの年の差ありき恋。同居する事になった、アクセルは子を望むも、ユリアはその気になれない。でも、”する事”はする。
ー コラコラ。ついでにユリアが根本はしっかりとした自我を持つ、女性である事も分かる。ー
・そんなユリアの前に現れたアイヴィン君。パーティで意気投合しちゃって、”固くなる前が好き。だって固くするのは、私でしょう?”なんてユリアはアイヴィン君に言っているし・・。
果ては、お互いに小用を足す姿を見せ合ったりする。
ー コラコラコラコラ。お父さんは、そんな事は、赦しませんよ!-
・ユリアは、アクセルと、アイヴィン君に心惹かれ・・。
ー アクセルがユリアのために珈琲を入れている背中を見ながら、ユリアは部屋の電気を消す。その瞬間、街中の車、自転車、バイク、人々の総ての動きは止まり、ユリアのみがアイヴィン君の元へ、一心不乱に走るシーン。
見事な演出である。-
・ユリアはアクセルに別れを告げ、かといって恋人のいるアイヴィン君の元に行くわけでもなく、部屋を出る。
ー アクセルが、凄く可哀想に見えてしまったシーン。
健気なアクセルの憔悴しきった顔。
矢張り、ユリアは”THE WORST PERSON IN THE WORLD”かと一瞬思ったが、彼女は自分が決めた選択肢に従っただけなのだ、と思い直す。-
<アクセルは病に倒れ、ユリアは望まない妊娠をする。だが、子は流れアイヴィン君は恋人との間に子供を設け、幸せそうである。
そして、ユリアは写真家への道を歩んでいく。
ユリアの生き方は、ハッキリ言って我儘であるし、周囲を傷付けたりするし(可哀想なアクセル。女性蔑視の漫画を描いていた報いか?)、余り共感は出来ない。
だが、私は、今作は、一人の女性が自分の意思を貫き、少しづつ心が成長し、自立していく様を描いた作品ではないかと思ったのである。>
すみません…
平日の夜と言うこともあり(平日朝早い)、時折寝落ちしてしまったのは自分です。
開始すぐに12章プラス序章、終章と聞いた時はマジで気を失いそうだった(笑)
うーん、大人のラブコメ?という前評判だったか。
そもそもラブ以外を求めてるところがあるから、引き込まれなかったのも仕方がない、か。
自己肯定感が低くてもああいう(人との)繋がり方をしてこなかったから、理解出来ない、共感できない部分が多かった。
賞レースにノミネートされ、評価も高いようだったけど、良さがわからずすみません。
主演の人はきれいだし、メンズもイケメン。さすが北欧という感じ。
そこだけかなぁ。
移り変わり
主人公の女性が金髪、ピンク髪、茶髪
全て別人に見える
茶髪が1番可愛い
新しい物に目移りしちゃう主人公の話
コミック作家の彼がイケメンで、目移りしてしまう男性の方があんまりイケてないから、なんだかしっくりこない笑
パパもなんだか嫌
なにかとつけて、娘に会いに来ない。
今の家庭の方が大事なんでしょうね。
あの義理の妹とお揃いのアウター
アレはないよなぁ笑
これは浮気じゃないと線引きして楽しむ主人公、トイレ見せ合いは、ない笑
キモい。
元カレが膵臓がんで闘病して、お見舞いへ
行くのはわかるが、
ベッドに二人で寝るのは
ないでしょう、、、
海外の感覚とのズレかしら
期待しすぎたかなぁ
映画が長く感じた
全30件中、21~30件目を表示