わたしは最悪。のレビュー・感想・評価
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アカデミー賞ノミネート…
母子家庭で(かなり昔の祖先も)育ってきた女性の話。自分が行き詰まった時に男を変えながら、歳が経過していく。子供を生むことに抵抗があるのか、子供を生むことでこの女性も変わっていたのかもしれないと思うのは、男のエゴなのかもしれない。
自分の思いや、考えどおりに生きて生きて、今時の女性の過程を映像化。それだけ。
タイトルなし
説明的でない脚本、セリフの質、映像などレベルの高い映画だけど、あまりに独りよがり。私的てあることが悪いわけではないけど、主人公の女性のあまりの自己中、受け身等に共感はできない。俳優としての彼女もそういいとは思えない。
ただ、下品で女性差別者の彼が年下の彼女を支配しようとして支配しきれないのは小気味がいいというか、だからこそ彼は彼女に惹かれたわけで、といっても、そういう症状を介する関係性は稀なわけではない。
彼女は、自分を支配することのない新しい彼と出会うけれど、その彼は、彼女の子どもを引き受けることはない。そういうタイプの男性だったわけで、なので彼女は子どもを欲しがった漫画家の彼に、答えを求めて会いに行く。そういうストーリーの流れは人生のようでいいと思う。
彼女は求めていたものを必死で追い求めていく。その格闘はいいなと思う。ラスト近くの彼女のあり方。子どもを欲しがらなかった彼が誰かと子どもとともにいるのを見つけたときの表情がい。
張子の虎
序・終合わせて12章立てと予告されて始まる親切設計な、自分探しをしている30歳を目前にした女性の恋愛と仕事の話。
医学がどうとか言い始めたのに、やっぱり魂がどうとか言い出して、お次はわかったの!写真撮るとか、ウダウダ能書き垂れて言い訳しては判ったようなことを宣う判ったつもりなセンター意外に興味ない主人公ですか…個人的に苦手なタイプです。(-_-;)
そんな序章に始まって、第1章で追い打ちかけて、エピソードを重ねていくけれど、第5章辺りから、なんだかベッタベッタな恋愛物語に。
相も変わらず能書き満載の言い訳して乗り換えて、ラジオを聞いて目がキラッキラになってとどこまで行くのかと思ったら…ヘビーな現実に触れてではあるし30歳にしてやっとこだけど、終わってみればなかなか良い大人になれたのかな。
それほど最悪じゃなかったと思うけど。
30歳前後の迷子の女性たちやま過去に迷子だった女性たちは、苛立ったり羨ましかったりあるあるーな展開では?
やりたいこと見つけたやってみたこれじゃない感(実行できるのすごいよね)、焦りとか、そこを基点とする暴走とか。
人間関係の拗れとかは個人的には友達がこんな子なら忠告したり、距離おこうってなるけど、正直にそれを選択して、違和感を隠さずぶちまけて、そこから始まるスタンスの彼の国ではありなんだろうなって。それは羨ましいですよ。
最後スチールカメラマンとして職を得て自立しているのは結果オーライだったと。
子供はいらないと言ってたアイヴィンがきっちり子供を持つ父親になってるのは、これ、あるあるなんですかね、男性的に。
タイトルなし
なんかこの、そこはかとない邦画感はなんだろう。映像表現とか暮らしぶりが漫画っぽいからだろうか。あと、死別が『セカチュー』とか『愛と死をみつめて』(古い…)とかの記憶を呼び起こすからか。
とはいえ、それっぽいことやるけど、何にも対して思い入れられなくて自分を賭すことができず、きらめいて見える瞬間的な快楽を幸せと無意識に誤謬するというのは身に覚えがある人が多いのではないか。フェミニズム“ぽい”わりには…という批判もあるようだけど、そのペラペラの描かれ方は、彼女がそれを便利な対象として利用しているだけだという、彼女の空虚さの表現として、かえって効いているようには思った。
主人公には賛否?
主人公がどこまでも魅力的だ。
とにかく自分の心の忠実に、世の中の常識を飛び越えて生きる。
社会の様々な制約の中で生きている私たちは、その行動に清々しさを感じるだろう。
様々な葛藤を抱えながらも、前進する彼女を応援したい。
令和最新版SATC IN オスロ
恋愛映画なんて滅多に観ないものだから、心をどこに置いて臨めばいいかわからないのである。恋愛観なんて人それぞれだし、その価値観が合わなければ共感なんて出来ない。人生にも恋愛にも移り気な主人公が何をしても何を言っても心には響かない。残念ながらそれが感想。
おそらく女性の方が相性が良さそうな作品だ。ノルウェーに令和も平成もないのだが、その題材や環境は、まるで令和最新版。そして、クセの強い女性が恰好良さげに生きる姿はSATCのそれなのだろう。いや、ほとんど観たことは無いんだけど…。
妻と二人で観覧し終え、併設された喫茶店で感想を言い合う。彼女からも同じタイトルの名が出たから、凡そ間違ってはいないのだろう。しかし、この時間を経ることで、特に響かなかった作品をもう一度観たくなったのだ。
移り気な自分と隣にいるプロフェッショナル。仲間とのクリエイティブな会話にゲンナリし、医者の振りをしてみたり、子連れの常識に振り回されたりする。漫画家からの賞賛に頬を赤らめ、カフェ店員の賛美は怒りの対象にすらなってしまう。この話の主題はコンプレックス。そう捉えると、まったく違うユリヤの姿が浮き見えてくるのだ。
そして、自信を与えられなかったと嘆くアクセルが、最期の姿を通して彼女に何かを与えられたとしたら…?映画を観終えた数十分後に鳥肌が止まらなかった。やはりもう一度観なければいけないようだ。
投影
たいていの私は、まわりに自分をあわせていくことに平気でいる。
多少のハテナ?は置き去りにしても思い込むことさえできる。
こどものころからの慣れに加え根本的な性格は、あえて波風を立てることを一番に嫌いそこに凪を生み出し保つバランスを知っている。
断然、その役割で楽にいられる。
そんなわたしからみたら、ユリヤは真逆の位置のひと。
十分好き勝手に生きていると言える。
しかし、わがままだとは思わず、むしろユリヤのように自分の心の声と次のアクションがリンクしている素直さに憧れそのままどこまでも彼女らしく進んでほしいとわくわしながら観ていたことに気づく。
ユリヤは結果的に心から愛し愛された2人の男性との別れが訪れたけれど、それもあの素直さで得ることができた人生の一幕。
もちろん、基本どの過程にも他人を傷つけないルールには則って進んでほしいけど…
やっぱり傷つけてしまう部分は避けれない。
だけど、忘れてならないのは、彼女は、そんな時逃げるわけではなく必ず真正面から語るところ。
そこに彼女の魅力がある。彼らも彼女のそんな素直さに惹かれていたから納得してくれたんだろう。
人生って1回だし、年齢に応じた行動範囲もそれぞれ。
明日、いやこのすぐあと幕が降りるかもしれない儚さを常に纏っている。だったら、たまには内なる声に耳を傾けてみたら?自分で凝り固めた枠をとり払ったり、ゆるめたりしてみたら?ただし、かならずユリヤのように
自分と同じく相手に対して真心を添えてね。
私にとってオスロの白夜は広く遠い世界の存在の象徴。
そんな異国の町のだれかの数年の日常の切り取りに違う生き方を投影できる体験はいちばん私を知ってる私が私に語りかける時間だった。
私は、私のままでいい?
仕事が出先で早く終わったから映画でも見ようかなと、有楽町へ。
映画ポスターは主演の女性が微妙な笑顔で走ってる写真。なんかポジティブなようで、それだけではないような微妙な味わいが気になって見に行きました。
観客はほぼ女性。でも50歳男でも楽しめました。
主人公は30歳。それなりに知性と才能に恵まれながら、どこか中途半端な人生を送っている感じ。
漫画家の歳上の男性と付き合って、彼が子どもを求めることや、彼の家族との付き合いにモヤモヤする。それで浮気っぽいこともするけれど、でもそれでハッピーになるわけでもない。
恵まれた状況なのに、何してるの?
日本だったら、そう言われてしまいそう。でもこの映画は、そんな主人公を肯定も否定もしない。
主人公の行動や選択(行動しない事を含めて)もう一人の自分が見つめる。そんな視点で描いていく。
どこにいても、何だかフィットしない気持ち。何かを手に入れても満足できずに、むしろ手に入れて無いものに目が移ってしまう。
それは贅沢な悩みだけれども、僕らが多かれ少なかれ直面する問題。僕らは、どこかに安住しなければいけないのか。
監督のヨアキム・トリアーは映画のHP(充実してます)で映画を作る事になった動機をこう語る。
「今この時、僕の人生において、心の底から語りたい物語は何だろうと考えた。そしたら、こんな人生を送りたいという夢と、実際はこうなるという現実に、折り合いをつけるというストーリーが浮かんだ。そして、ユリヤというキャラクターが閃いた。自然体の女性で、自分を探し求めると同時に、自分を変えられると信じている。でも、突然、時間と自分自身の限界に向き合うしかなくなる。人の一生で出来ることは無限ではないけれど、僕は彼女の強い願いには共感している」
そして、主役の女優レナーテ・レインスヴェも素敵。
映画は監督が彼女に向けて書いた脚本だと言う。
「今回はレナーテのために脚本を書いた。彼女は10年前、僕の『オスロ、8月31日』で端役を演じてくれた。当時まだ若かったけれど、非常に特別なエネルギーを放っていた。その後、彼女は多くの役柄を演じてきたけれど、主役は一度もなかった。それで、僕が彼女を主人公にして脚本を書くことにしたんだ。ユリヤのキャラクター造形、複雑な心情を作っていく上で、彼女に助けられたことがたくさんある。レナーテは大胆で勇敢、平気で不完全な部分を見せることが出来て、虚栄心が無い。明るさと深みのバランスが独特で、コメディもシリアスなドラマも演じられる素晴らしい才能を持っている」
何者でもなかった女優の為に書かれた脚本。それは、映画の中の歳上のボーイフレンドが、彼女を「あなたこうだ」と規定して、主人公が反発するストーリーと相似系を描く。
私は私。あなたに決められたくない。
(でも、あなたの存在も大切)
そういったアンビバレンツな感情が、物語を動かしていく。
「私って何?」そんな事に悩んで、確固たる私を築きたい。でも、誰かに「あなたはこうだ」なんて決められたくもない。
そもそも「私はこうで、こう生きる」みたいな人生の選択って、本当にしないとダメなの?
そんな気持ちもあったなと、思い出しました。 表示を縮小
コメント
今年の中で今のところ1番
そんなにたくさんみてないけど
今年見た中で、いちばん好きだった。
自分の人生でのお役目探しは若い子だけではなくてわたしのように40過ぎてもしてたりするものです。
どう選択したら満足なのか、
正解なのか、模索し続けてる理由は、
若いからじゃなくて、単なる性格だとおもう。
多面性があって、その時の気分で大切なことを決断し、
後悔しつつもこれでもいいんだとそんな自分を許してあげられるような映画。
また、主人公ユリアは髪型や服装で見た目の印象がかなり変わる。
外観と内面はもしかしてイコールなのでは?
と彷彿させた。
一見、軸がなくてブレブレー!と思うような人間でも、そのブレブレこそがそのひとの軸であり、
そんな人だって魅力があってかっこよくて
生きてる意味もあって、強いんですよ
と、教えてもらえた映画でした。
自分見てるみたいですごく共感してしまって、、
もう一回見たい気分。
フラフラした主人公だけど共感
結構いい歳なのに、恋愛も仕事も移り気で、なんだかフワフワして危なっかしい主人公。考え方や行動について、ヒイてしまう人もいそうだし、それも分かる。
でも私は彼女に共感するところも多く、嫌悪感も感じなかったし、ラストには清々しさを感じました。
主人公への共感度は高かったのですが、ストーリー構成や展開は、のっぺりし過ぎていて好みではなく、かなーり退屈に感じてしまい個人的には好きな作品ではありませんが、
メッセージ性や鬱屈としたモヤモヤを抱えながら生きる現代女性の一片をリアルに描き出している表現など、賞レースでの高い評価も納得です。
貴女は最高!
「絶対!気が合う!」主人公ユリアに頷く私も最悪か?😁
揺るがない自分ファースト、あっちにフラフラこっちにフラフラな移気体質…
こんなアラサー女子かなりの確率で居るよ😁
歳の離れた彼と同世代の彼
世代観での違いをも文化や性的嗜好をも多いに楽しみ突っ走る…若さと行動力に羨ましささえ感じでしまった
各章の流れの中、ユリアが回り回って勢いや瞬時の感情だけで流されず心の旅をしながら今後の人生を受け入れて行く様子を
優しく輝くオスロの街へ見届けに行きたいなぁ
と…思いました
小洒落た繊細な手数の描写や
ストップモーションシーンは眼も心も映えました⭐️
公開館が少なく残念ですが掘り出し物の俊作でした!
喜怒哀楽を見事に表現しその演技の幅を見せつけてくれた新生レナーテ・レインズヴェ
今後、大注目株の欧州女優さんですね!
オスロで暮らす30歳のユリヤ(レナーテ・レインスヴェ)。 成績優秀...
オスロで暮らす30歳のユリヤ(レナーテ・レインスヴェ)。
成績優秀で、大学では医学を志したが、詰め込み教育と遺体を扱うのに慣れず、心理学へ転向。
ここでも詰め込み教育に慣れず、若い講師と付き合っていたけれども、別れて転職。
カメラマンを目指すが、本気かどうかはわからない。
ある日、年上のグラフィックノベル作家アクセル(アンデルシュ・ダニエルセン・リー)と知り合い、同棲を始めるが、彼に誘われて行った友人たちとのファミリーパーティでは子どもや他のカップルに辟易。
アクセルも急に「子どもが欲しい」と言い出す始末。
アクセルとの間にも倦怠期が訪れたある日、見知らぬパーティに無断参加したユリヤはコーヒーショップで働く青年アイヴィン(ヘルベルト・ノルドルム)と出逢う。
彼もまた、環境保全に傾倒する彼女と関係が冷えつつあった頃。
すっかり意気投合、ほとんど不倫寸前までいったふたりだが、どこかに歯止めはあったようで、その日は別れたのだが・・・
といった物語で、序章・終章と12の章との章立てスタイルの映画は、ここいらあたりが中盤。
前半、「こりゃまた、こじらせ女性の困った映画を観ることになるのかしらん」と恐れおののいたけれど、アイヴィンと知り合ったあたりから俄然面白くなります。
たぶん、環境保全にのめり込んでいくアイヴィンの彼女の様子が可笑しく、覚悟も信念もないユリアとの対比が際立ってくるからでしょう。
まぁ、アイヴィンの彼女の行動は、日本人からみると過激で行き過ぎなのかもしれませんが、北欧の人々からみると「最悪」ではないのでしょうか。
後半に行くにつれて、ユリアが「最悪」なのがわかってくるのですが、それはまさしく、状況に掉さすだけの才能も才覚もありながら、自分の未来に対する「覚悟」や「信念」がないこと。
彼女を取り巻く状況は最悪ではないのですが、信念や覚悟がない生き方こそが「最悪」。
そんな状況を変える転機がユリヤに訪れます。
アイヴィンと関係を続けるうちに予期せぬ妊娠をしてしまうのです。
ユリヤ本人が変わる前に、状況が彼女を変えようする。
さらに、別れたアクセルが末期の腎臓がんだということを知らされ、死んでいこうとする元カレを目のあたりにする。
終盤の決着がいいです。
凡作ならば、アクセルの死とユリアの出産というわかりやすい対比・希望のようなものを提示するところですが、運命は皮肉。
出産を決意したユリヤが流産してしまう・・・
ここを静的に抑えた演出でさらりとみせて、終章へとつなぐ演出に好感が持てました。
短い終章では、彼女の人生に対する覚悟が描かれていて、ほっとしました。
そういえば、アクセルと別れる際にユリヤが言っていた台詞、「あなたと一緒にいると、わたしは私の人生なのに脇役になっている」という台詞、その答えが終章に描かれているように感じました。
秀作。
ユリアに共感。カンヌ主演女優賞。オスロの風景と街並みが良い。【追記・8/3(水) 暑🔥熱🔥再々鑑賞】
理想と現実との間で揺れるユリア。絶対後悔すると分かっていても、自分の気持ちに正直に生きることを選ぶ。
もう共感しかない。ユリアを非難するレビューが多くて驚いた。 題名の『わたしは最悪』につられたのだと思う。
始めのほうにあるレビューだと、ノルウェーの慣用句らしいから『ウーン、やっちゃたア』みたいなタイトルだったら非難も少なかったかもしれない。
「子いわく40にして惑わず」ってことは、シでさえ40才までは迷ったってコトだから、ユリアが揺れるのも当然である。
30代のとき読んだ師匠 (?) の本に「40にして惑わず、なんてのは聖人の孔子様だから言えることで、あんたら凡人のコトではありません、ムリ 」 と書いてあった。まったくその通りで未だに霧の中だ。
11章。元カレが 「別れたときに今の彼とは出会っていた?」と聞く。
困ったのう。ハイでもイイエでも元カレをキズつけそうだ。少し間をおいてからユリアが答えた。
「70にしてノリを越えず」なんてのは夢のまた夢、次回以降に持ち越し。
【追記・8/3(水) 再々鑑賞】
ユリアの物語をずっと見ていたくなる。レナーテ・レインスベの演技と脚本が素晴らしいからだろう。
今作と同じ7/1公開の 『リコリス・ピザ』 は、時代設定が1970年代だけど、 揺れる主人公というのが似ている。 主人公(2人)の物語をずっと見ていたいところも似ている。
2022/7/5 (火) ☁️ city1
. 7/24(日) ☁️ city1
. 8/3 (水) 🔥 city1 36~37°C 😱 暑い、心頭滅却すれども🔥は熱し (^^)
人生について
人間らしく生きていく上で、喜びと悲しみは常に表裏一体の存在であることを忘れてはいけない。どうしようもない幸せがあればやりきれない切なさがあって、ただひたすらに連続していくことが生きるということだと、そしてそれは良し悪しの評価を許さない、自分という世界の中で絶対的に価値のあるものだと教えてくれる作品だと思った。
構成も映像も緩急があってとてもよかった。制作において観るものを飽きさせないという意識が徹底されている気がする。あとアクセル役の俳優さんの演技がすごくはまっていてよかった。
個人的にとても好きな映画です。
わたしも最悪
キャリアも男もそのときの気分で捨てて新しいものに向かう。地に足がついていないと言われたって違う生き方もできない。
これまで積み重ねてきた選択の結果である今の自分、最悪だと誰しも思うのかもしれない。誰しもではないか、私はそうだ。
主人公ユリヤを演じるレナーテ・レインスベがよい。
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