ベネデッタのレビュー・感想・評価
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信じないことだって、神の御業かもしれません
存在しないということが証明できない、されていないという意味では、神様も、幽霊や宇宙人やUFOと一緒です。
信心深い方であっても、人間の心のあり方を律する存在としての神、哲学的な対象としての神、奇蹟や罰のような現世に物理的な作用を及ぼすことのできる神、というように捉え方はさまざまだと思います。
信じる人にとって、神は存在します。
どんな形態であろうと、その人にとって神は存在しているのですから、その呼びかける言葉が聞こえること、姿が見えることに違和感はありません。
聖痕もまた、神様が命じたのなら、自分で傷つけたのだとしても、神の御業なのだと思います。
うそ
色々なテーマが絡み合う作品で、パンチの多いシーンが続くのだが、自分は表題についてのテーマに絞ろうと思う
『嘘も方便』 もっと言えば『鹿を指して馬と為す』 あの時代の狭いコミュニティの中に於いて、しかも科学が全然未発達で、宗教のみが人生観の殆どな世情で、勿論フィクションとは理解しているものの、あれだけの力強い女性が存在していたならばと言う仮定をストーリーに落とし込んだ監督の手腕に脱帽である 演出、編集としての主人公に偏重したカット、最後の種明かしの指摘でさえも強い意志で跳ね返す堂々たる勇姿 "神"という名を借りればそこに主体としての自分は消え去り、器としての肉体、強靱且つ薬物の力も図らずも借りてしまった意志が、単純に言えば"裸体"であっても恥の概念の削除という、禁断の実を食べる前のイヴと同化したかのようなエンドは、その世界観の滑稽さの上での気高さを演出されていた "毒をもって毒を制す" 全ての人間が出来ることではないからこそ、善悪を超越した一連の行動に、人は普遍性の上位概念を想像するのかもしれない
さて、自分だったら…凡人なので何も自ら行動せず、『苦悩の梨』を持った赤いベールの男のように石をぶつけられて殺されるのだろうな(苦笑
キリストの女
キリストの幻影、幻視から奇跡のように聖痕やら自作自演と疑わしくも、神と崇められる存在に全てが自らの茶番にはならず、同性愛として肉体で感じる性の悦びを、ペストの流行を今更ながら現代のコロナと引き合いに出す必要性は蛇足かと、これ位の時代設定が苦手ながらポール・バーホーベンの新作だからこそ、キリストを神と慕いながら生きる運命は様々な欲を誤魔化しながら、無神論者としては生きづらい、皆が人間は愚かで汚い、愛を貫くためか、神なのか、もう少し難解に描ける要素がありながらも単純に思える物語展開にセンセーショナルな題材が霞んでしまう。
お下品なトイレの場面はジュリアン・ムーアの『マップ・トゥ・ザ・スターズ』には敵わない、Byデヴィッド・クローネンバーグ!!
やっぱりすごい
ポール・バーホーベン監督の最新作が映画館で観れるという喜びを感じつつ、2021年に海外で公開されてから2年越しの日本公開で、やっと映画館で観れた!!という気持ちの方が強い笑 一時はビデオスルーになるかと思いました。
相変わらず良い人だろうが悪い人だろうが容赦なくボコボコにして描くポール・バーホーベン作!!
「スターシップ・トゥルーパーズ」だったり茶化してるのか、本気なのか分からない映画を撮るのが上手い!絶対に(100%!!)茶化しているんですが、本気で信じ込んでいる人には本気の映画になっているように作ってるし、「ブラック・ブック」や「ELLE」のように女性が差別や権力に反旗を翻す映画にもなっている。
また、本当なのか嘘なのか、最後まで分からない、この映画として答えを出さないというのもバーホーベン監督らしく、「トータル・リコール」でも「氷の微笑」でも嘘か本当か?どっちか分からないし、
「ブラック・ブック」ではナチス側もユダヤ人側からも差別を受ける主人公を描く、どちらが悪いかは描かない。非常に冷徹でフラットでフェアな監督だと思っています。
バーホーベン作の特長として、"まともな人が1人もいない"か、"1番まともそうな人が死ぬ"というのがあると思いますが、本作は後者で、とある人物が自害するシーンは衝撃的。まさに神の言葉(的な)ものに従ったが為に、1番大切な人を失うというもうどうしようもない悲しいシーンがあるのですが、このシーンでシスターフェリシタを演じるのは大ベテラン女優シャーロット・ランプリングで、このシスターフェリシタの境遇だったりラストに至るまで辛い。
主人公は幼少期より自分にたまたま起こった出来事を神の啓示と結びつけてしまい(最初の神の啓示が鳥の糞というのも馬鹿にしまくっていて最高です笑)、それゆえに一種の妄想に取り憑かれてしまう。ベネデッタは自分の見るビジョンが神からの啓示であることを最後まで一切疑わない。ここまでいくとある意味清々しく、ラストシーンの勇ましさと馬鹿馬鹿しさが共存する彼女の後ろ姿はどんな感情で観れば良いのかわからない笑
また、神からの言葉ということが当時の教会で女性が発言力を持つ唯一の方法であったことと、その言葉がある意味荒唐無稽なことであっても神の言葉ということであれば(それが怪しいと気付きつつも)従わねばならないというルールのバカバカしさを映画としてしっかりみせてくれます。こんな狂った世界で最初に死ぬのはやっぱり1番まともな人なんです笑 さすが、バーホーベン監督。
パンフレットやポスターまで、ポール・バーホーベンが大好きな高橋ヨシキさんデザインで、さすがの出来でした。
色んな批判を受けても全く映画スタイルを変えない84歳のポール・バーホーベンを見ているだけで1番元気が出ます笑
性なる自由✕信仰
私は見ました!キリストを見ました。"家政婦は見た"ならぬ修道女は見た。排泄からの痛み、そして昇天。痛みを感じることは罰ではなく、それは即ち神に近づくこと。神を身近に感じる、いや、目撃する。目の前に危険が迫ると、人は藁にもすがる思いで怪しいものでも信じてしまう…?そして、それは何もベネデッタに踊らされる周囲の人々だけでなく、何よりベネデッタ自身の女性に惹かれる後ろめたさから来るもの。足枷のように信仰心が後ろ髪を引く、どころか顕著に体を傷つける。
『グレート・ウォリアーズ/欲望の剣』を彷彿とさせた。少女時代のファーストシーンから主人公ベネデッタが、その信仰心故に、周囲/人の心を操ることに長けていることが描かれる"信頼できない語り手"のような二面性と力強さ。断食少女のようでもあり魔女のようでもあった。あなたの信仰心が試される、実話から着想を得たらしいキリスト教を揺さぶるスキャンダラスな歴史ドラマはなんともヴァーホーヴェンらしかった。女性性を感じさせながら、決して男どもの踏み台や単なる犠牲者になることなく、逞しく生きる。本人にとって都合悪いときですら、都合よく転がしてみせる。だから主人公がシャーリズ・セロン姐さんに見えてきそうなくらいだった。
神に仕える身でありながら、女性同士の許されざる関係。それも時代を考えると尚の事だろう。それを端的に象徴するような聖母像から衝撃の小道具(!)も出てくる。途中までシャーロット・ランプリング含むメインどころ3人がクワイガン、オビワン、アナキンに見えたけど、途中から「いや、アナキンとパルパティーン?」ともなったし、けど結局のところそれらとはまた違うような関係性がなんともエロチックかつスリリングに見る者を煙に巻き、当惑させるようだった。痛みがセックスの代替としてメタファーのように機能していて、例えば、考え過ぎかもしれないが、ベネデッタの傷が虫眼鏡でアップになっているところなど少し性的であったかもしれない。そして、本作の製作年の早さを考えると違うかもしれないが、ペストはコロナとも重なるやも…。
勝手に関連作品『グレート・ウォリアーズ欲望の剣』『セイントモード狂信』『クルーシブル』『聖なる証』
刺激的でなかなか狡猾です
人間が狡猾に生きていこうとしている姿が色々と見ることができて、なかなか興味深かったです。ことごとくうまくいっていないことばかりだったのですが、その描き方含め狡猾だったかと─。
見ようによってはひょっとしたらという表現にも見えたので、やっぱ巧みだなーと─。
思ったよりも重さがなく、さらりと楽しむことができましたが、それで果たしていいものかどうか微妙なところだと思うのですが・・・
キリストの代わり、男の代わり。
2021年。ポール・バーホーベン監督。フランス田舎町の修道院で暮らす若い女性はキリストに直接語り掛けられるビジョンを見る。ビジョンは次第にエスカレートしていき、実際に聖痕から血を流すまでに。「奇蹟」として持ち上げられ、修道院長にまでなるが、かつてからの同性愛行為や奇蹟の偽造を疑われ、という話。
同性愛については明確に描かれるが、奇蹟については真偽があやしい「謎」として描かれる。たしかに、幼いころから思い込みが激しかったり珍しいことが起きたり現実を「解釈」した夢を見たりしているわけなので、極度にナイーブで影響を受けやすい若い女性でもあり、また、野望を抱いた策略家でもあるのだろうが、どちらともいえない「謎」であることが重要。神がかった「謎」の主人公の周りに、現世的で自意識過剰な男たち女たちが配置されている。
「謎」であるから、どんなことでも「神の思し召し」として受けとめ、立ち向かってしまう。頻繁に裸を披露しているが、たくましく頼りがいのある肉体だ。男など必要としないはずだ。キリスト以外は。そんな主人公が求めるキリストの代わり、男の代わりが何なのかというと、、、。
なんともあけすけで品があるとは言えない映画だが、修道院という閉じ込められた場所で生きるとはこういうこと(信じるものをもつこと)なのかもしれない。
【2/19追記あり】なかなかレビューは難しいけど…。
今年53本目(合計705本目/今月(2023年2月度)19本目)。
一応、映倫の指定としてはR18で、実際に見ると、「女性同士の行為」などの描写がいくつかみられます(ほか、拷問シーンなど)。ただ、モザイクがかかっていたわけではないですし、教会というのは女性が多く住むところで「性の偏り」がやはり出るところなので、どうしてもこうした「一般的な恋愛」ではない「恋愛」が進みがちな部分はあるのでしょう(性質上そう「なりがち」というだけであり、「だから教会はおかしい」とかということは述べていません)。
この映画、実はいつが舞台なのかの明示的な説明がなく、最初にペストが何だのという話が出てくるので、一見して百年戦争のころ?と思わせるところがありますが、実際にはそれよりも遅い事件であったようです(このころのキリスト教文化や教会は、映画で描かれているように、絶対的な存在でもあった)。
他の方も書かれていた通り、このペストの部分は今のコロナ事情の比喩(メタファー)なのかな、という気がします。
今では彗星などはいつやってくるのか等すぐわかりますから、それを先に計算することはできますが、当時はできませんでした。したがって、そうした自然現象でさえキリスト教文化と結び付けられるようになったのです。このような「不思議な現象」をキリスト教文化と結び付けるのは簡単でも、異を唱えるほう(そのこじつけ、間違っていませんか?というもの)は、その「立証責任」をおうものの、当時の科学技術ではそれはどだい無理なものであり、結局、「何でもかんでも不思議なことがおきたらイエス様の奇跡、だから教会を信じなさい、信仰しなさい」というようになっていったわけですね。
映画自体はR18ですが、一部に明確に「女性同士の行為を想定できるシーンがもろに登場する」というものですが、その点ではR15にやや近いかな、という気はします(モザイクシーンやら、見てられないレベルの破廉恥なシーンは一切出てこない)。
このため、「彼女・彼氏をつれて2人で見に行く」場合、「一般論としては」凍ってしまうという回答になるところ、「彼女・彼氏のどちらかがカトリック(プロテスタント)」といったように「事情がわかっている場合には」推せるかな、といったところです(ただ、このR18の映画を「積極的に」すすめるのもむつかしい)。
ずっと教会と町のシーンばかりで「展開がマンネリ化する」という点は少し気になりましたが、「ペストが流行るから」という理由があったのは確かで、逆にこのことはペストの研究が進むまでは恐れられてきた病気なのです。そうであれば、そうした「舞台の少なさから出てくる展開のマンネリ化」は仕方がないものだと思いますので、減点なしにしています。
ただ、「条件つきで」R18といってもカップルで見に行くのもありですが(「条件付きで」という点に注意)、普通のカップルが行くと凍り付くことになりますので注意しましょう。
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<<ここから2/19追記>>
【この映画はどのような背景で作られたのか?】
・ このようなタイプの映画を「ナンスプロイテーション(Nunsploitation)映画」といいます。nun(修道女)とexploitation(搾取する)から作られた合成語で、もとは「エクスプロイト映画」というものの派生です(1950年以降、特にアメリカ等で、今でいうB級やC級以下の映画で、とにかく低予算ではありながら客を呼ぶためにあえて「タブー」とされる分野(当時は黒人問題や薬物問題、ナチス関係ほか)を扱い、とにかく「内容も支離滅裂なら何を言いたいかはわかるがあまりにバカバカしい」という類の映画です。その「修道女版」ということになります。
※ exploitation(利用・搾取)は、動詞 exploit (利用する)の名詞形ですが、単に「利用する」という意味より「悪意をもって搾取する」という意味合いが強いです。
ただ、こちらの派生したほうの分野は、カトリックなりプロテスタントなりの教会があった、今もあるという事実をもとにしていること、また、歴史的に「ある程度」調べられている映画もある(例えば、「肉体の悪魔」などの作品は、表現も確かに厳しいが、史実にもかなり配慮されて作られて高評価だと言われる)のも確かです。本作品が「概ね主要な点において」史実として描かれているように、この「教会における女性同士の同性愛」は描かれることがタブー視されていたのですが、もっぱらヨーロッパで発達したこのサブジャンルに関しては「歴史的な検証ができる状態ではあった」「近代・現代では、いわゆる表現の自由等が憲法上要請されるようになった」ことから、「あまりにいい加減、支離滅裂でない」限りにおいて、今でも作られています(本作品も、まさにそれです)。
※ ただし、その考え方(「あまりにいい加減、支離滅裂でない限り、表現の自由のほうがまさる」)は、西洋や今ではアメリカイギリス、日本韓国といった「表現の自由の先進国」では当然のこととして扱われているだけで、どうしてもキリスト教に保守的な国では「国ごとの規制がかかる」ことが多いです(この映画、調べたところ、少なくともシンガポールとロシアでは発禁扱いになっている模様)。
良いのだが…
薄暗闇のなかの炎とかすごく美しかったし、
女性の強さが光っていたとは思うのだけど、
バーホーベンみが強すぎない??
おっぱい過ぎない??
ラスト10分くらいも好きだったのだが、
ベネデッタが愛とか言葉で訴えても、
それおっぱいのことでしょ……
ってなるくらいに、おっぱいだったのよ
(始まりがそもそもそうだったしね)
バーホーベンが撮るからそう言うことに
なるんじゃ無いんかなー
欲を言えば女性監督にとって欲しかった。
バルトロメオが可哀想過ぎてさー
ああいう物語だから仕方ないとしても
ちょっとな、、
あとクリスティーナが幸せになる姿も
見たかったですな……
愛の中に優しさとか温もりとか
そういうものが感じられなかったのよね
そういう描き方をあえてしたのかな?
ただ、あの小道具って最初笑ってしまったけど
めちゃくちゃ秀逸だよね
片方に聖母マリアがいて、片方に性の象徴があって
……って男性性の象徴やないかい
やっぱ何となく納得いかないのよね
ただ本当にベネデッタの抱えてたものって
幼少期から信仰を持ってきて、
ただ本能的にはそれに反抗してるという
非常に引き裂かれるような葛藤だと思う
だから、彼女は自分自身で神を作り出して、
彼女の本能による願いも叶えてた……と思いました
あとシャーロット・ランプリングは
佇まいだけで存在感あって素晴らしかった
すき
女子修道院に図書館はないのか?
シャーロット・ランプリングがとても良く彼女ならではの表情と眼差しの演技が素晴らしかったです。そしてランベール・ウィルソンは、今でもカトリックの偉い人達の中に居そうだなあ感が半端なくて適役でした。
教会や修道院の中での男性間の性関係、男の子に対するカトリック聖職者による性的虐待(これは絶対に許されない)などはよく聞くし、この映画でも教皇大使は三人目の子どもを孕ませている(と理解した)。親鸞みたいに希望者には妻帯OK!とか、現代なんだから男女問わずパートナー居ていいよを出す教皇は現れ得ないのかなあ。プロテスタントではまるで問題ないのに。女性間の性関係は記録にもあまり残っていないようだがこの映画のおかげで実際にあったことがわかった。ランプリング演じる修道院長に「娘」が居るというのも不思議だった。それが権力闘争でも力をふるっていたのが面白かった。
COVID-19で私たちはペストやスペイン風邪の歴史を改めて知ることになった。そしてヨーロッパでのペストの脅威と恐怖をこの映画で目の当たりにした。神を信じることができなかった、「幸福」という名のフェリチタ修道女(ランプリング)は最後に身をもってペストから町を守った。
奇跡とか聖痕などはみんな自作自演なんだろうか?たとえ嘘でも信じたい人は信じる、位にしか私にはわからない。
監督の独自の感性によるクセ強めの映画
17世紀イタリアに実在したとして裁判記録に残る修道女・ベネデッタ、
その記録に着想を得て、教会と権力の結びつき、禁断の愛を芸術的に描く。
ベネデッタは神の嫁になったとして、数々の奇跡を起こす。
その奇跡が欺瞞か神の御業かどうかは、彼女自身にしか分からない。
面白いことに彼女の奇跡を信じる者はたいてい権力と結びついてなく、
信じない者には権力との繋がりがある。ここには監督なりの教会に対する皮肉が込められているのかなと感じる。
ベネデッタの奇跡が白か黒かはっきりさせないところにも監督のこだわりを感じた。
彗星の到来、黒死病の流行、彼女のいる街だけ黒死病が流行っていないこと、これらが彼女の実在した時期に起こったのは全くの偶然である。
しかし、人は偶然の一致に必然性を求めてしまう。
それゆえに彗星の到来により黒死病が流行しているが、ベネデッタの奇跡により彼女の街だけ神から守られている、
と本来は因果関係の無いものを関連させ、彼女の奇跡をより確固たるものに変えてしまうのだ。
21世紀を生きる私たちから見れば、彗星の到来は約75年の周期があり、それが黒死病の流行と合致したのは単なる偶然である。
そして、ベネデッタのいる街だけ黒死病が流行っていないのも、偶然で病原体が街に入り込まない状況が続いていただけだと判断できる。
さて、この偶然を「偶然ではない」と証明することは可能だろうか、残念ながら不可能である。
私たちがそれを観測できないだけで、実際にはこれらの事実に神が関わっているかもしれない。神が関わっていない事実を立証するのは実は困難なのだ。
それゆえに信じる者にとっては、これらの事実がベネデッタの奇跡となるわけだ。
信じる者には神は存在し、信じない者には存在しない。あえて白黒つけずに神を取り巻く、私たち人間の様々な立場を描く監督の表現に惚れた。
「禁断の愛」部分にはほぼコメント無しで…
こういうの描くの好きな人いるよねー。誰かと一緒に観に行くと気まずいよねー。とだけ言っておきます。
神の花嫁
2023年1月22日
映画 #ベネデッタ (2021年)鑑賞
新型コロナの流行と今作の舞台となった17世紀のペストの大流行に繋がりを感じます
奇跡を起こすのは純粋な信仰なのかそれとも策略なのか
伝記映画なのにのめり込めるのはさすがバーホーベン監督の手腕
@FansVoiceJP さん試写会ありがとうございました
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