「1920年代の欧州。 貨物船船長のヤコブ(ハイス・ナバー)は、ここ...」ストーリー・オブ・マイ・ワイフ りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
1920年代の欧州。 貨物船船長のヤコブ(ハイス・ナバー)は、ここ...
1920年代の欧州。
貨物船船長のヤコブ(ハイス・ナバー)は、ここのところ胃の調子が悪い。
ベテランのコックの言によれば、「そりゃ、奥方がいないからですよ」なんて言う。
コックは、陸に3人の妻がおり、それが航海を支えているのだと。
もう若くないヤコブは、寄港地マルタのカフェで旧知の友人を前に、「俺は結婚する。相手はこの後カフェに来た最初の女性だ」という。
カフェ入口には初老の女性が入ろうかどうか迷っていたが、彼女は入るのをやめ、次に入ってきたのは若くはないがヤコブには年頃のリジーという女性(レア・セドゥ)だった・・・
といったところからはじまる物語で、映画は「船乗りヤコブの七つの教訓」というような副題についている。
「教訓」という言葉が映画に使われるときは、ほとんど喜劇であると認識している。
(こりゃ、エリック・ロメールのせいかもね)
以降、交際ゼロ日で結婚したヤコブとリジーに話が7つの章に分けて綴られるのですが、途中まで「喜劇」だとわかりませんでした。
ま、げらげら笑う類の喜劇ではなく、人間の、男と女の機微をいとおしく笑うような類の喜劇なので、(談志的に言えば)「人間の業の肯定」の映画です。
何を肯定するのかといえば、男は女ことはわからない、女も男のことはわからない、けれど、そんな男と女がいったん好きになったら相手のことは愛おしく思うし、愛おしく思えば思うだけ相手のことに疑念が生じてしまう・・・
ま、そんなところ。
「好き」「愛している」と、「信用」「信頼」とは別物。
というか、好きになればなるほど、愛していれば愛しているほど、相手に疑念が湧いてくる。
そういうものなの。
愛と嫉妬はニコイチ。
それを「あるある」といって笑い、自身にも「あるよね」と、天に唾する如くかえってくるのを楽しむ映画。
リジーを「悪女」というような色眼鏡で見てしまうと、この映画、まるで楽しめない。
だって「悪女」じゃないんだもの。
たしかに、ヤコブを疑念に駆り立て、不安にするかもしれないが、どうも、最終的に彼のことを裏切っていないように思えます。
モダンガールの時代(日本でいえば大正末)の、自由奔放と思われている時代でも、リジーは一線を越えることはしていない。
ただただ、ヤコブを困らせようととして、その困った顔を見て幸せになりたいのだろう。
だからこそ、第6章で、ヤコブが大切だと思っている株券を(愛人と「思われている」男とともに)持ち逃げして、現場を取り押さえられても、素直にその事実を認めるわけで。
そんな、子供のような困った女を演じるのが、妖艶なレア・セドゥなので、「官能のラブストーリー」と読み間違えてしまうのは致し方ない。
個人的な鑑賞後感は「こりゃ、夏目漱石の『三四郎』を筆頭とする諸作と同じく、女がわからん男の苦悩を(やや可笑しく)描いた作品なのね」ってこと。
鑑賞中、クスクスとかアハハと笑っているのが気になったら申し訳ない、そういうふうに見えちゃったんだもの、許してね。