東京クルドのレビュー・感想・評価
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ここのところ、日本の入管行政のまずさが指摘されることが多いが、何も...
ここのところ、日本の入管行政のまずさが指摘されることが多いが、何も昨日今日ひどくなったのではない。日本の難民認定は昔から1%以下だった。
多くの人、は難民のことをつい最近日本に逃れてきた人々のことだと思うかもしれない。もちろん、最近になって日本にやってきた人もいるが、日本の入管が国外に追い出そうとしているのは、何もそういう人たちばかりではない。幼い頃に家族とともに母国での迫害を逃れるために日本にやってきて、幼少期から青年期までこの地で過ごして、文化的にも生活の基盤も日本にあるような人々をも追い出そうとしているのである。
本作の2人の主人公はまさにそういう人だ。難民申請を続け、仮放免許可書を持つが、それはこの国で働けるわけではなく、ただ「いるだけ」の状態に留め置かれている。日本で育った彼らに対して、入館職員が「帰ればいいんだよ。他の国行ってよ」と吐き捨てるように言う。多感な時期を日本で過ごして日本に染まった人に対して、どこに帰れというのか。
そんな状況に1人は絶望し、1人はまだ希望を捨てずに進学の夢を追いかける。2人はすでにこの国で生活する僕らの仲間ではないのか。仲間を見捨てるような国にしてはいけないのだと強く思う。
日本の司法に期待するな
日本の司法は崩壊している… 公務員も日本人に税金を払ってもらい、生活できていることを忘れてはならない 難民に対するあの言葉は許せない 公務員は全員解雇すべき 公務員が牛耳る国は衰退するのは歴史の事実 日本はこのままでは崩壊すると思う
☆☆☆★★ 簡単に。 若い頃に難民として日本へやって来たオザンとラ...
☆☆☆★★
簡単に。
若い頃に難民として日本へやって来たオザンとラマザン。
映画は基本、この2人の難民として日本で生きて行く苦悩の姿を通して進んで行きます。
仲良しの2人であるのに、ラザンは終始やる気や覇気が感じられない。
それに対してラマザンは前向きだ。どんなに無駄な努力だと分かっていても、将来の為に…と、少しずつ前を向いている。
始まりはトルコ国籍を持ちつつも、少数民族のクルド人として生きて行く為に多くの問題点を浮き彫りにする内容なのか?と思っていたが、次第に映画全体が迷宮へと迷い込んで行ってしまっている様に感じる。
日本の入管の問題を炙り出そうとすると、どうしても肝心なクルド問題が薄味になってしまう。
最終的に着地点を見出せずに終わってしまった感がどうしても拭えない中途半端気味な内容だったのが残念でした。
それにしても、、、
「◯ったらいいのに、◯ったら!」
「他の◯に行ってよ、他の◯に」…って💦
スゲ〜な日本の入管のやる気のなさすぎ度は
2021年10月9日 キネマ旬報シアター/スクリーン3
「おもてなしの国」が聞いて呆れるニッポンの腐った実情
この作品が一人でも多くの日本人に届くことを心から願う。
だから初めて星5つを付けた。
まず知ることからしか事態は動かない。
「帰ればいいんだよ、他の国行ってよ」
働くことも滞在することも正式には認められない"仮放免"という立場に長年苦しむクルド人の若者に対して、嘲笑気味に吐き捨てた入管職員の言葉は、私たち日本人の無神経で無関心で無理解な実情を象徴しているようにも思えた。
やり場のない怒りと情けなさと恥ずかしさを覚えるシーンだ。
まずは知るべきだろう。
私たちと同じように日本で生まれ育ち、同じように日本語を話し、同じように夢や希望を抱きながらも、ひとりの人間としてのアイデンティティーを持つことすら許されず、就労や就学、移動の自由も与えられない人々がこの国にこれだけいることを。
自分と家族の将来を思い描くことも、いつ収監されるか分からない恐怖の前で閉ざされてしまっている人々の絶望感を。
「おもてなしの国」「安全で平和で優しくて美しい国」なんて聞いて呆れるニッポンという国の腐りきった実情を。
そのことを気づかせてくれた点で、この作品はどんな名作よりも価値がある。
【”入管職員はにやけた声で”帰ればいいんだよ、他の国行ってよ他の国・・”と難民認定に行ったボクに言った。”難民条約を守れない国の民として、恥ずかしく、且つ物凄く腹が立った現代日本に警鐘を鳴らす作品。】
ー 名古屋出入国在留管理局で、小役人の杜撰な対応により命を奪われたウィシュマ・サンダマリさんの無念さや、ご家族の怒りに対し、日本人であり、愛知県に住む者として心からお詫び申しあげます。
法務省管轄の出入国在留管理庁の、腐り切った隠蔽体質、人権を尊重する欠片もない体質は、民主主義を謳っている日本に住む者にとっては、”恥”意外の何物でもなく、あのような行政を野放しにして来た責任は、選挙権を持つ私たちにもあると思う。ー
◆感想(鑑賞中から余りに腹立たしく・・トーンがオカシイです。)
・名古屋出入国在留管理局で、ウィシュマ・サンダマリさんに、今作でも描かれた様態が悪くなったラマザンの叔父メメットさんの妻からの救急車要請を断った東京管理局の姿勢と同じように、適正な対応をしなかった“殺人致死罪”に問われてもおかしくない行為を行った小役人達は、今作を正座して5回鑑賞すべし。
・出入国在留管理庁の本来の責務を、今一度、研修により学ぶ事。
ー 法務省のHPに分かり易く、書いてあるだろうが!ー
・”難民条約”を端から端まで、キチンと読む事。
ー 描かれているように、オザンやラマザンやその家族は、命の危険がある歴史的に迫害されてきたクルド人に生まれたため、難民として遥々日本に来たのではないか。
フセインが、且つて、クルド人に行った蛮行を知らないのか!
”難民鎖国”などと、諸外国から呼ばれている事を”恥”と思え!ー
・ここで、伺えるのは日本とトルコの良好な友好関係である。1890年に和歌山県沖で座礁したエルトゥールル号海難事件に端を発した友好関係が、関係しているだろうことである。
ー この事件は「海難1890」で描かれている。ちなみにこの映画は日本・トルコ合作である。つまりは、トルコにとっては厄介な存在である、クルド人と、日本の関係性を、入管が”忖度”したとも見て取れるのである。ー
・2カ月に1回、わざわざ仮放免許可期間延長に来る方々への言葉遣いを、日本人に対して話す言葉と同じように、丁寧語にする事。
ー 至極、当たり前の事である。
他の役所の方々の言葉遣いは、ここ数年で格段に向上している事は敢えて記載します。
殆どの役所の方々は、頑張っているのである。ー
<今作は、クルド人として生まれ、日本に辿り着いた将来に夢を持てないオザンと、苦しい中、夢を諦めずに努力するラマザンの聡明な姿を中心に描かれる。異国で助け合う二人の姿。
だが、徐々に日本の、出入国在留管理庁の建前と本音が見えてくる。
そして、その腐敗し切った体質と、人権侵害どころではない恐ろしい実態が見えてくる。
流石に、入管法改正案は廃案になったが、そもそもあのような法案が平気で出てくること自体がおかしいのである。
日本が、”難民条約”に批准しながらも、国際的な役割を果たそうとしない姿勢。
”日本は、大和民族単独の国なので、多民族国家にはしたくないのです・・。”
とどこかから聞こえてくるようだ。
微かな救いは、ラマザンが無事に大学に入学したシーン。ご両親の姿にも涙腺が緩んだし、メメット叔父さんが530日振りに、少し元気な姿で、何の罪もないのに勾留されていた入管監獄から、外界に出て来て、大きくなった長男と奥さんと再会するシーンが観れた事であろうか。
今作をきっかけに、日本国内でイロイロと大きな問題が発生する懸念(かつてのフランスの様な難民受け入れ反対運動。)は十分承知しつつ、日本が、国際的な難民支援の役割をきちんと果たす、成熟した多様性を認める国に、一刻も早くなるように願っています。
それには、私達の様な一般市民がカントリージェントルマンの如く、現在の政府の動向を注視し、選挙の際に正しい行動を取る事なのである・・と思った、現代日本に多大なる警鐘を鳴らす作品であります。
<2021年10月10日 刈谷日劇にて鑑賞>
日本人として恥ずかしい(悪法の遵守は正義ではない!)
私たちの社会には解決すべき難問が山積しているが、とりわけ入管施設の劣悪非道さについては何故か強く心に突き刺さる。
天啓のように「なんとかしなければいけない」「動かなければいけない」と、不思議な衝動に駆られるのだ。
おそらく「国家規模で世論が動けば改善に向かう問題」「苦しんでいる人々は、あまりに不当で理不尽な状況に置かれている」と感じるからだと思う。
だから、本作の上映は大いに期待していた。ついに入管施設の闇がいくらかなりとも暴かれるか?と思った。
しかし、やはりほとんど斬り込むことは出来ていなかった。いや、ここまで描いてくれただけでも、現状は精一杯なのだろう。
今、ちょうどスリランカ女性ウィシュマさんに関する報道が白熱しているが、ネットの反応を調べると「不法滞在」=「犯罪者」=「自業自得」という論調が非常に多いのだ。
それでも彼らは決して「不法入国」したわけではない!日本の入国審査はそんなに甘くない。
当然「善良な人々を日本に送り込むシステム」が存在する。外国人技能実習制度や留学生受け入れ30万人計画だ。彼らは本国の送り出し機関に75〜100万円以上を正規に払い就労ビザや留学ビザを取得し、希望を持って日本に来ている。
「送り出し機関(本国)→監理団体(日本)→受け入れ企業(日本)」というルートが出来上がっているのだ。
しかし、実際には「日本人が嫌がって避ける最底辺の仕事」に就かされ、時給300〜400円程度の低賃金で不当な長時間労働を強いられるケースが非常に多い。零細企業は監理団体に実習生1人辺り月3万円くらいの管理費を払って雇う。つまり管理団体は実習生を100人斡旋すればそれだけで毎月300万円の収入となるのだ。雇い主はその3万を当然実習生の給与から引くだろう。虐待や暴力も横行し、命の危険を感じて避難すればすぐに就労資格を失い不法滞在者となってしまう。
一度不法滞在者扱いになると再びビザは下りない。借金でがんじがらめになった彼らに帰国する術はない。
詳細は長くなるから書かないが、日本が国費で大量の強制送還などするはずがない。
2010年には、国連特別報告者が日本へ渡航する技能実習制度を「奴隷的状態」と表現し、アメリカ国務省の「人身取引年次報告書」が、「人身取引に該当する」との見解を明らかにしていたほどだ。
コロナ禍の中、2020年8月〜2021年1月の入国規制緩和で来日した人の、なんと72%が技能実習生と大学ではない専門学校の留学生だ。
日本の最底辺の労働を支える低賃金労働者として人身売買の奴隷のように送り込まれたことは明白だ。当人達は夢と希望を持って働きに或いは学びにきたつもりであろうが・・・。
本作で描かれた難民問題にしても、日本がまともに人道的な措置を施していればいいが、実際は違う。
難民認定率(%)英国47.6、ドイツ41.7、カナダ55.2、かなり少なめの国でも米国25.7、フランス14.6
それに対して日本は0.5%という異常な数字だ。
祖国に帰れば明日にも殺される可能性の高い人々に対し「帰ってよ」と嘲笑う職員の感性はあまりに情け無い。
映画に登場したラマザン君、オザン君は小中高校とすべて日本で学び育ってきた。本国に生活基盤も無いし、見知らぬ国と言う方が近いだろう。
そんな彼らが働く事も出来ない日本って一体なんなんだ。働けなければ食べる事は出来ない。仮放免も緩やかな処刑に等しい印象を受けるが、入管施設の非人道さに比べたら刑務所ですら天国に思える。
2019年、被収容者の容体急変に対して入管が救急車を追い返したのはラマザン君の叔父さんの事だったのだなぁ。
ウィシュマさんばかりではない。2007年からのわずか14年間でウィシュマさんは17人目の犠牲者だ。昨年10月にはインドネシア人男性、2014年のカメルーン人男性の映像は本作にも流されたがウィシュマさん同様、深刻な容体のまま放置されていた証左である。
「不法」=「犯罪」などという思考停止で、救える命を見殺しにするのは人間の行いではない。
声を出さない事、行動しない事は、虐めや殺人を傍観するに等しい。
まずは少しでも多くの日本人が「真実を知ること」から始めねばならないと思う。
入管の問題性がよく分かる
いつ収容されるか分からない仮放免の状態で小中高を日本で卒業し完璧な日本語を話す二人のクルド人の若者を追ったドキュメンタリーで、入管の問題もよく理解できる。就労は認められず、高卒後に社会の表舞台に出ていけないなかで、二人はそれぞれの道を模索する。2か月ごとの入管での延長申請や、不安定な状態の中での家族との生活に関わる諸々、日本でのトルコ人とクルド人の間の衝突やクルドの祭なども見られるのも貴重。
入管の対応がきついが、たぶん現場の担当者レベルでどうなるものでもなく、入管にこのような対応を取らせる制度や政策そのものに問題があるのだろう。いずれにしても、小中高までこの国で学んで日本で人間形成をした人を帰す、あるいは帰すかもしれない状態でずっとペンディングにしておくのは、どう考えても人道に反することだと思った。
日本人として何か出来ないのだろうか?
トルコでのクルド人迫害から逃れ、小学生の頃に日本へやってきたオザンとラマザンの2人のクルド青年をメイン難民問題を描いている。
難民申請を続け、入管の収容を一旦解除される仮放免許可書を持つが、身分は不法滞在者の扱いで、いつ収容されるかわからず、住民票もなく、自由に移動することも働くこともできない人達。ラマザンの叔父メメットが体調不良で救急車家族が呼んだが入管から2度にわたり拒否され、メメットが病院に搬送されたのは30時間後という非人道的な事件が起きた。2人のクルド青年の日常から、救いを求め懸命に生きようとする難民、移民に対する国や人々の在り方を問う作品。
これ、日本に住んでいる日本人では理解できないかもしれないって感じた。もし、自分が祖国に居たら殺される状況で、他国に逃げる時に日本を選んだ事の悲劇なのかな?日本政府の入管が言った「よその国に行ってよ」が心に重くのしかかっている。
日本って日本国籍の人だけが良ければいいのか?祖国に帰りたくても帰れない人達に対しなんとかならないのか?入国管理の改革は?など、色々と考えさせられる重いテーマのドキュメンタリー作品だった。
入管改正を国会審議しているようだが、少なくとも国会議員全員にこの作品を観賞してもらい、議論の内容を深めて欲しいと願います。
注目させることの無い日本の闇の部分と今後の課題
そもそも入管とはどんな所?鑑別所の再現ドラマやドキュメントはよくあるがどの様な部屋でどんな扱いを受け1日をどう過ごすのか聞いた試しがない本作は真面目なクルド青年の視線からのみだが何ヵ国人達がどんな状況でいるのかは日本人で把握してる人は多くないと仕事はダメ生活保護もダメなら後は犯罪行為かホームレスやムショ暮らしの選択に真面目だった彼も反社会的組織の結成や昔の在日の様な国内の不安定要素になりかねない やはり至急どう入れどの様な手段で退去可能か今後の課題!
勘違いもほどほどに。
日本の人は、日本人と思われていない、日本人から見て日本人にみえないような人たちより自分の方がえらいとか上等だとか思っているのかね、ずっと思っているんだろうしそういう教育を受けてきたのだろう、百歩譲って20年前ならまた仕方ねえな、だったかもしれないけど、そんな勘違いのままで小さな島国で性根小さい村社会作って、2021年恥ずかしくもなく、世界から取り残されてるよ。その証拠がみっともないオリンピック迷走と文化も想像力も、資金力さえ感じられないオリンピック開会式だよね。
人間としての誇りや存在価値を個人の単位で持つことも、認めることもできない社会、その社会を構成する人ら。
映画のことをいうと、個性ある、それぞれに生い立ちも家族との関わりも性格も違い日本育ちのふたりを、それぞれに丁寧に描いているのが素晴らしい。難民の2人、にしないで。
周りの人のこともバイアスなしに丁寧に描き、入管での収容中病気になった叔父さんへの不当なハンドリングも、学校や弁護士さんも丁寧に描き、その丁寧さが、日本の法律や法という隠れ蓑を悪用しているかのような実態を、そして誰がデザインしたのか悪趣味で気持ち悪い品川の入管の建物など醜いものや見えにくいをもより鮮明に描き出している。たくさんの人に見てほしいと思う、見るなら今、知るなら今、手遅れにならないうちに。
言葉が見つからないほどせつない
世の中のすべての人が平等に幸せになる世界は、今の我々には実現出来ないのだろうか??
みんなそれぞれの立場でしかモノを言えないのは解るから、誰が悪いとかは一概には言えないけれど、人が働いて普通の生活を送るのを禁止する世の中はおかしいよな。。
こんなに閉塞的な状況の中で、優しい眼差しを持ち続けるクルドの青年たち。彼らが希望に満ちた生活を送れることを心から願う。
なぜそのような法律なのか?を知りたい。
この類のドキュメントを観るといつも思うのだが、なぜ、そのような法律なのか?いや。そもそもどのような法律なのか?を知らない自分がいるし、作品は伝えてくれない。そして、なぜ。入国管理局はそのような対応をするのか?も。
さまざまな何故?どうして?を語らずに、現状だけのドキュメンタリーにはどうしても「足りなさ」を感じてしまう自分がいます。不条理なのか?なんなのか?理由が明確ではないが、辛い状態の弱者を映し出し、問題提起をしている風な作品がどうも釈然としないのです。
ですが、この問題にスポットを当て、面接音声を残すなど結構ギリギリのことを実施しているあたりはを結構攻めています(きっと盗み録りでしょう)。現在はこうなっていますと映すのであれば、やはり「何故」を出さないと、感情的な民意を扇動しかねないのではないでしょうか?それほど、難民認定されない方々の扱われ方はひどいです。
入国管理局絡みでは、最近も女性が命を落とされるニュースがあり、きな臭さを感じています。今がこうです、ではなく何故こうなっているのか?をつまびやかにしてくれる作品を待ちたいです。
双方の事実があってこそのドキュメンタリーだと僕は思ってますから。
しかし、なんとも縦組織の権化ですね、日本は。
仕事をするは許されないが、仕事するために必要な免許はとれるとか・・・象徴ですよね。きっと、厄介で金にならない難民問題に首を突っ込む政治家や役人がいないんでしょうね、金になる某世界的運動会にはとんでもないパワーをかけるのに。こんなことやってたら世界から取り残されていくんでしょうね。
ラムザンの家庭は経済的に裕福みたいですが、その源泉は明かさない。闇を感じるなぁ。
弱者に対する 人権を無視した実態を明らかにした点で 貴重な作品だと...
弱者に対する
人権を無視した実態を明らかにした点で
貴重な作品だと思う
有史以来国を追われることなく
当たり前のように母国で暮らしてきた
日本人にとって
難民達の苦しみは想像しにくい
クルド人のいるトルコやシリアは
遠い国
何故日本なのか?
国からすれば不法滞在者なのだから
表向き就労は認められない
強制送還させないだけでもありがたく思え
ということなのか
東京入管での会話が生々しい
無許可でボイスチェンジャーも使ってない
公共放送では流せない諸刃の剣
オザンが強制収容されないか心配だ
将来が見通せない中でも
何もせずに後で後悔したくないと
自ら道を切り開いていく
ラマザンには頭が下がる
受け入れることも、国外退去させることもない?
真実はわからないが、このドキュメンタリーを見る限りでは、日本の難民政策は問題を先送りし、何も判断することなく、受け入れることも、国外退去させることもしていないらしい。
まったく知らなかったが、入国管理局に、難民と呼ばれる人達が何年も拘留?収容?されているというから驚きだ。
不法入国は犯罪かもしれないが、本国に強制送還すると、生命の危険がある場合は、難民として保護する必要があるというのがタテマエだ。
確かに、偽装難民はいるとは思うが、時間が経過してしまうと、子供は日本で学校に通い、日本で成長し、日本で就職しなければならなくなる。親も本国での生活の基盤が無くなっていくことは容易に想像がつく。
在留資格がないまま、日本で生活させるのであれば、子供だけでも、ビザを与えるなり、対策は必要だ。
要は難民として受け入れることはないが、強制送還して問題になると困るので、自主的に出国するのを待っていると言うことだろう。
移民政策も含め、日本の外国人受け入れは、とても閉鎖的だ。これは、国を閉ざしているとも言えるが、誰も責任を取りたくないために、判断をしないということだと思う。
このようなぬるま湯に浸かり、日本は三十年もの月日を失ってしまった。
クルドから来て日本に住んでいる人達は、1500人程度らしい。彼らが、本国で生命の危険にさらされていたとすると、誰かが助けてあげなくてはいけない。
日本は経済成長していなくとも、経済大国であることに変わりはない。
国際社会で何もすることができない日本は、このまま二流国家へと衰退していくのか。このドキュメンタリーは、誰も責任を取れない日本という国の行末を暗示しているようにも見える。
飼いならされた人達の群れは、どこに進もうとしているのか。流されるまま、流される方向へと進んでいくだけなのかもしれない…。
「法律が正しいの?」
難民という存在が「招かれざる客」であることは、万国共通だと思う。
しかし、少しでも難民の資格のある人を強制送還することは、人道上許されることではないし、日本においても「難民条約」が発効してから、既に40年ほど経つようだ。
そして、まさにこの映画のテーマであるが、難民も生きていくために、難民申請中に“働かざるを得ない”ことは、当たり前の現実である。
2010年から2018年まで、「難民申請から6ヶ月経つと、就労できる在留資格が一律で得られる」制度を悪用する“偽装難民”が多かったのかもしれない。だとすれば、就労を禁じる法務省の方針も理由は分かるのだ。
しかし、“本当の難民”のことを考慮すれば、あってはならない制度設計である。
この映画の一番価値のある点は、「では具体的に、難民ってどういう人たちなの?」という疑問を、2015年から始まる取材で、映像として見せてくれたことだと思う。
一つのケーススタディに過ぎないとはいえ、オザンとラマザンという2人の若者を扱っているだけでなく、その周辺の家族・親族のことも映されているので、情報量は多い。
この2人は、日本で子供の頃から義務教育を受けており、日本語会話は完璧で、「難民」を代表しているとは必ずしも言えない。
しかし、そんな“半分日本人”の2人でも、「必要とされていない。自分は虫よりも価値が低い」(オザン)という、絶望的な閉塞感を抱かざるを得ない現実を映し出す。
一般の難民に対してなら、シンパシーを持たない日本人であっても、幼少期から日本で育った難民が、まともな扱いを受けないのを見れば、心情的に苦しくなるだろう。
その意味で本作は、訴求力の強いテーマを扱っていると言える。
後半には、オザンと「入管」とのやりとりの音声の“隠し録り”という、衝撃の映像が出てくる。
終映後のトークによると、監督はオザンおよびその両親に、何度も同意を得ているという。
法務省がどういう対応するかは分からないが、オザンにとって不利益よりも、利益の方が大きいと監督は判断したそうだ。
オザンとしても、どのみち事態が好転しないのだから同じだという、あきらめがあるのかもしれない。
よく理解できなかったのは、「ビザ」の話だ。
「特定活動ビザ」の保有者は、要件を満たす場合、難民であっても「就労ビザ」への在留資格変更申請が可能らしい。
映画には映されていないが、通訳をあきらめて、「埼玉自動車大学校」を卒業したラマザンは、何らかの「ビザ」がおりて、現在就職活動中とのことである。
抜本的な解決ではないが、“本当の難民”に対する、当然の措置であろう。
2人の就職問題だけではなく、本作品は、一般的な「入管行政」の問題点にも、きちんと尺を割いている。
期限を定めない「拘禁」や、適切な「医療からの遮断」、長期にわたる「仮放免」というあいまいな措置の継続は、日本の難民認定率の低さと並んで、人道上の大問題だ。
2007年から、「入管」施設において17人の死者を出し、うち5人が自殺であったという。
また、数ヶ月に1回の入管への出頭は、失踪を把握するためにやむを得ない措置だと思うが、そのやり方は犯罪者でもないのに、きわめて屈辱的だ。
「入管」による、制度の非人道的で恣意的な運用は、許されることではない。
密着取材による難民問題の一つの事例を中心に据えながらも、それだけでなく、「入管行政」の問題点まで、広く網羅する本作品は、タイムリーな素晴らしいドキュメンタリーである。
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