「細かいことを気にしなければ普通に面白いが、それにも限度があろう」機動戦士ガンダムSEED FREEDOM らりほーまさんの映画レビュー(感想・評価)
細かいことを気にしなければ普通に面白いが、それにも限度があろう
さて、ガンダムSEEDと言えば所謂「アナザーガンダム」の中でも五本の指に入る人気を誇るシリーズだ。その人気については否定のしようがないことを、まずは書いておきたい。
それを踏まえて……本作は「細かいことを気にしなければ、まあ面白い」を地で行った初代SEEDを更に荒唐無稽に、「細かいことはいいんだよ!」というノリでもって作り上げた怪作だったと感じた。
とにかくモビルスーツを派手に動かす。
とにかく物語に起伏を持たせる。
何だよく分からないが盛り上がり、主人公側の完全勝利で終わる。
そういった点に力を入れて、他はどうでもいいという割り切った作りになっている。
翻って、細かい設定や登場人物の心の動きの描き方が「雑」だ。
「心を読む」どころかキラの視界ジャックまでも実現する敵の超能力。これに対して、キラ達はどう対策し戦うのか? という点に注目したが、結果は脱力。
アスランはやらしい妄想をしつつリモート操縦で他人に戦わせ(あの距離でラグ無く操作できる超技術は何?)、シンは「何も考えてない」というあまりに酷い扱い。
他のキャラについては対策について言及すらなく、視界を操られたキラに至っては何の対策もなく、また敵も何故かキラへの精神攻撃らしきものを使わなかった。
敵方の行動原理も不明で、コーディネータや彼ら「特別な人間」による世界を実現すると言いながらもその具体的ビジョンは見えず、彼らの戦略は穴だらけでとても「短期間で国家を繁栄させた優秀な組織」には見えない。
感情の赴くままに好き勝手やっているだけであり、追い詰められたらすぐに雑魚っぽい台詞を吐いて、無能な部分をさらけ出し自滅するだけだった。
「そんな古い機体で~」のような台詞があり、たかだか数年でモビルスーツの性能が圧倒的に向上する設定であることが明示されているのに、シンやムウ、アスラン、ルナマリアが駆るのは(多少の改修はしているだろうが)旧世代マシンだ。しかし、それでも結局敵を圧倒している。
逆に主人公たるキラは謎の弱体化を見せ、最後は「平和維持目的に必要なのか?」と思わせる大量破壊兵器搭載のモビルスーツで相手を惨殺し、勝利。
殺さずの誓いはどこへやら。
アスランのズゴック外装に至っては「何の意味が……?」となった。
地上では偽装として有効だったのだろうが、ずっとあの姿でいる意味はない。
というか、あの形状の中に「中身」が収まっていたはずはないのだが……。コズミックイラ驚異のテクノロジーの産物だろうか。
近年のガンダムでは、本筋には絡まないものの、文化や産業、統治機構がどのようになっているのかという、その世界の設定部分をきちんと組み立てているものが多い。
本来はSEEDもシリーズもきちんとした設定が横たわる世界だったのだが……テレビシリーズの時点でそういった設定と矛盾する描写が多く、本作においてはそのテレビシリーズで更新された設定からも乖離してしまっている。
特に、スーパーコーディネーターとしてのキラの設定が上書きされてしまったのは、なんとも脚本の都合にしか感じない。
為政者たちの言はテロリストの親玉レベルの詭弁が多く、また国家の産業や統治体制などが見えてこず、物語の添え物でしかない点も残念だった。
堅牢な世界設定を基に最後は他の知的生命体との和解までを描いた00。
大人達に利用され滅びゆく少年達の悲劇を描いた鉄血。
冷徹なSF世界を構築しつつも、人間ドラマに徹した水星の魔女。
それら近年のガンダム作品の良さを知っていると、どうしても本作を手放しで絶賛することは出来なかった。
適切な例えかどうかは不明だが、80年代のジャンプ漫画を大人になってから読み返した時に生じた違和感のようなしっくりしない感触が、最後まで残ってしまった。