グレート・インディアン・キッチンのレビュー・感想・評価
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美味しそうであればあるほど苦しい
出てくる料理の映像が美味しそうと思うだけ、それが主人公や義母の苦しみに直結していてとても苦しい気持ちになってくる。
昔自分のお母さんがやっぱり全てを一から自分で作ってて、そうしなければならないかとおもてったと言ってた同僚を思い出した。炊飯器を使うなとかフードプロセッサーを使うなとか、全然他人事ではない。
自分のためではなく家族のために結婚をしている
自分の幸せを犠牲にした結婚。
感謝もされず、家政婦のようにただただ家事をこなす。
言っても直さないマナーの悪さ、しかも逆ギレ。
愛より信仰の精神。
したいと思ったことも、家族のためという理由で否定される。
前半、料理を作る過程がとても幸せに満ちていたのに、次第にただただ苦行になっていく。
インドの家族制度は女性にとって辛いなぁ。日本もここまで酷くはないはず…
周りも理解を示してくれないのが辛い…この人たちの考えを変えるのは無理そう。
彼女の決断は良くやった!と素直に喜べた。
たまたま見たけどなかなかヘビーな映画だった! 見る人の性別で受け取...
たまたま見たけどなかなかヘビーな映画だった!
見る人の性別で受け取り方が違うんではないかと思う。
主人公が自分の道を突き進めたことはとても誇らしい。
もう抑圧される時代ではない。
”家庭”という呪縛を断ち切るのは良くも悪くもデジタル化だ!!
今作は、いわゆる「モリウッド」映画である。『ジャリカットゥ 牛の怒り』や第34回東京国際映画祭で上映された『チュルリ』と同じく、南インドにあるケーララ州が舞台となり、マラヤーラム語映画のことだ。
南インドの保守的な家庭の物語であり、実際にケーララ州ならではの宗教的概念や、女性蔑視は色濃く反映されているものの、今作で描かれている「家庭」「キッチン」という名の呪縛の中で苦しむ女性の姿は、何もインドに限ったことではない。
韓国や日本の映画でも嫁姑問題として、散々ネタにされ続けている普遍的な、どこにでもある物語。だからこそ、今作には主人公夫婦には名前が付けられていない。
ひとりの人間として評価されるのではなく、どれだけ働くか、主人や家族のために尽くすことができるのか……といった、まるで召使いや奴隷のような生活であるというのに、それが当たり前だと思うしかない環境。生ごみや水道の汚水が溜まっていくように、妻の不満も溜まっていく。
一方でそういった、揺るぎない概念において、ある流れが少し事情を変えようとしている。それはネットの普及による、デジタル化の波だ。
急激なデジタル化、グローバル化の波というのは、南インドも例外ではなく、原始的な風景の中にも、スマホを欠かせない状況が出来上がってしまっている。今作の中でも老人がスマホで動画を視聴している。
主人公が勇気を出して、自分を主張しようとするきっかけも、実はネットからの情報によるものだったりする。
これは伝統や風習という側面からは、悪いことのように感じられるかもしれないし、実際に間違った感情を芽生えさせてしまう危険性も秘めている。
しかし、世界を知ることで、自分の選択肢の幅が広がるという意味では、良い点も多いと、改めて気づかされる。特に極端に文明が乗り遅れているような地方や村の人々の変化には、かなりの説得力があるといえるだろう。
何よりこれを映画として製作したこと自体に意味がある。今作で描かれている問題が、そもそも一般的で当たり前のこととして、捉え続けているのだとしたら、今作は誕生していない。
今作で問題定義できているということは、ケーララ州の人々が、女性の権利について、徐々に気づきはじめているという証拠なのだ。
知って、自らを振り返ろう
インドの結婚した女性主人公が、名家である夫の家で、ひたすら食事を作り、掃除をし続け、伝統に縛られまくる話。
いつものインド映画を観るノリで観ましたが、これは極めて真面目な映画でした。フィクションだけれど、ドキュメンタリーかのようなテイスト。
主人公は、ひたすらキッチンで料理。その出来上がった料理はとても綺麗なのだが、夫と義父が食べ終わった食卓は、これでもかと散らかっている。
タイトル通り、グレートな?インドの台所だ。
お義父さんも常に微笑んでいる優しそうな人なのだが、主人公が「働きたい」と言えば即座に「我が家には、(妻が働くのは)合わないな。私の妻はずっと家にいる。だから我が家は幸せなんだ」と、優しそうに答える。
衣服を洗濯機で洗うと「服が痛むので、自分の服は手で洗ってね」と微笑む。きっと、ごく普通の家なのだろう。
主人公が頼りにしたい大学で人権について教えている夫ですら、食卓の食べ散らかしを指摘されると怒りまくる。食べカスを皿に置くかテーブルに置くかだけの違いなのに。店で食べる時は皿に置くのに。
俺たちはこれを「遅れてるなあ」と笑うのでなく、「俺たちもこうだったんだな。そして、まだまだ似たようなことがあるんだろうな」と我が身を振り返る機会としたいものだ。
冒頭に映る「科学に感謝」というメッセージは、「生理は忌むべきもの」という根強い考え方があって生理期間を、不潔な環境で過ごさなければいけなかったインドで、科学的に意味がないどころか危険だよ、と周知されるようになって、女性達がようやくそこから脱出できつつあるからなのだろう。「パッドマン」でも同じ課題が語られていたが、本当に由々しき問題だよな。
おまけ
この映画を観ると、人は、なぜ強い言葉で、頑なな姿勢で言う時があるのかがわかる気がする。それは、言おうとしている言葉に理屈がないからだ。過去にやってきたことが正しいのだと考えもせずに言う時、人はそうなるのではないか。気をつけよっと。
インドの当たり前を他がとやかく言うのは……
決してこの映画の中のことがあるべき姿と思っている訳ではない事を大前提として……
どこの国でも古めかしい慣習に囚われてる家ってあるし、夫婦のあり方や家族のあり方、家でのルールって何が正しいと言えるものではないと思う。
この家で出てくる家に自分が嫁ぐかって言ったら絶対に無理だけど、人によってはとことん家事をこなすことに喜びを感じる人もいるかもしれない訳だし。
一昔前の日本だって似たようなものだったはずなのに、この映画の家に違和感を感じるのはきっと国としてマクロの部分で女性の教育水準の向上や社会進出を容認する一方で、「家」とか「夫婦」といったミクロ的な部分もそれに併せて変化していくように推進しなかった結果、大きなギャップが生じてしまったんだと思う。でもこれって、当事者はみんな自分が正しいと思ってとってる行動であって、別の誰かに押し付けられて「はい、そうですか」と納得して是正されるものでは無いから時間はまだまだかかると思う。
この作品を観て、インド人の男性はおかしい!といってるレビューをちらほら目にするけど、生活様式の違いはあるけど本質的には同じことが日本の家庭内でも普通に起きてる事にも同じように声を上げて欲しい。
日本の主婦/お母さんは、世界一の働き者だと思っていたけど、上には上がいて、インドの主婦/お母さんがさらに働き者だったというお話。
結局は人間と人間の関わり合いなんだから自分と同じように自分以外の人間の事も大切に扱ってあげなければ何事もうまく行かない。
最後に、この映画への疑問。
あんなに大きな家に住む「格式のある」家がお手伝いさんの一人も雇わず奥さんや嫁にすべての家仕事をさせるなんてことあるのかな。
旧態依然の女性差別
驚いた。これは現在の話なのか。
序盤を鑑賞した限りでは、50年前のインドと見紛うばかりだ。繰り返される家事の意外なほどのハードワークと男たちの非協力。労働に見合う対価などは当然のように何もなく、自由な時間もない。ほぼ奴隷である。加えて、毎夜のように強いられる不愉快なだけのセックス。もはや奴隷以下だ。
途中でスマホが登場したので、やっぱり現在の話なのだと了解したが、IT国家として発展を遂げたインドでまだこんな旧態依然の差別が罷り通っていることに、改めて驚いてしまった。
インドは仏教発祥の地だが、仏教徒は殆どおらず、大方はヒンドゥー教徒だ。バラモン教の流れなので、カースト制度が生きている。世界史の授業で習ったバラモン、クシャトリヤ、バイシャ、シュードラ、それにアンタッチャブルというカーストが、今でも厳然と存在するのだ。
これまで観たインド映画「囚人ディリ」「WAR ウォー!!」「サーホー」「シークレット・スーパースター」「バーフバリ 王の凱旋」のどれにも、カーストを感じさせるシーンはなかったと思う。当方が意識しなかっただけなのかもしれないが。
本作品のように、あからさまに女性が差別され、奴隷のように酷使され、生理が忌み嫌われるようなシーンのある映画は初めて観た。それらのシーンが実際の状況に即しているのであれば、ヒンドゥー教が極めて女性蔑視の強い宗教であるということになる。こういう作品が製作されるようになったのは、女性の人権に関わる問題意識が広まったということなのだろう。
信教の自由があるから、ヒンドゥー教そのものを非難するのは語弊がある。国連人権理事会はインドに対し、宗教とは無関係な切り口で、女性差別を是正するように求める必要がある。そしてインド政府は、虐待される状況から女性が逃げ出すための受け入れ策を講じなければならない。虐待する主体が家族だという点が解決を阻む最も困難な事情だが、シェルターのようなものがあれば、そこに逃げ込むことで生命や身体の安全が守られる。
ヒンドゥー教徒の多いインドでも、憲法には人権が謳われている。子供たちには、いの一番に人権教育を施さねばならない。女性が差別と虐待に甘んじなければならない義務はないのだ。解決はそこからだと思う。このことは日本も同じである。子供に人権の意識があれば、他人をいじめたりしないはずだ。
危険!Σ(×_×;)!!満腹で鑑賞しないで下さいm(_ _)m
嫁入り道具の車はスズキの赤いスイフト。
そこそこいい育ちと思われるが、嫁ぎ先ではまるで家政婦の様な扱い。
戦前の日本でもここまで酷くなかったのでは??
『キッチン』と題にあるので、美味しそうなモノが沢山出てくるのか?と思いきや、食後の後片付け…残飯のゴミ処理や穴のあいた排水パイプから漏れた汚水など、ぷ~んと臭ってきそうな画ばかりで…けっこうキツい。
ランチ後に鑑賞した私は、ちょっと気分が悪くなりました。
が、ラストで、スカッとする展開です。
ダンスは素晴らしかった。
新たな価値観の存在を高らかに
いやー、よく作りましたね。本国では上映できたのですよねー?きっと。もしそうなら、インドの懐の深さを感じます。カーストの国、信教心が強い国というイメージありますから、アジアの某大国なら速攻上映中止になるんじゃないでしょうかね?
けど本作は、「女性の自由!自由!自由!」って叫びではなく、あくまで「一意見」という仕上がりの作品ですから上映できたのかなぁって思います。新たな価値観の女性を否定しないで欲しい、認めてほ
しいという強いメッセージはありますが、旧来の価値観を否定しているわけではないからです。旧来の価値観を求めている女性たちも多くいるという描写も十分ありますからね。ですから告げ口映画でも価値観反対でもなく、あくまで新たに芽生えつつある(すでにあったのかな?)新たな価値観への賛歌(応援歌かな?)であり、今のインドを描いた作品だと思います。
きっと作り手は親族全ての女性の毎日を見ていて大いなる違和感を感じていたんでしょうね。そしてその違和感の全てがキッチンに集約していると。そこは女性達の仕事場であり唯一自分を開ける場所であるから。そこにある女性の表情が現実で本当なんだと。毎日かつ何世代も繰り返し続いてきたルーティーンが生んできた心のリアル。
料理のレシピ動画みたいなんですが、それの積み重ね、繰り返しで迫ってくる心情。「食」から始まる生活の全て。不思議なんですが、映像の積み重ねと男性達とのやり取りを見せているだけなんですが、徐々に感じる違和感、なんだったら男性に対して覚える嫌悪。本当にルーティーン描写が秀逸。リズムよく、そしてだんだん重荷になってくる、不条理感があふれてくるんですよねー。うまいなぁ。うまい、すごーーーくうまい!見事としか言いようがないです。でも、きっと作り手が見てきた風景を切り取っているだけなんだろうなぁ。でも伝わってくる・・・。素晴らしい。
インド映画の定番ダンスシーンはもちろんありますよ。こんなにメッセージ色が強いダンス見たことなかったなぁ、インド映画で。伝統の衣装(ですよねー)を身に纏った女性たちが呪縛からの解放と自由の歌に乗せて舞う。新しいインドへの賛歌のダンス・・・かな?
でも、忘れちゃいけないのは、それを望まない女性も沢山いるはずってこと。幸せの形は人の数だけある。これが、女性の幸せなんだって決めちゃうことは余計なお世話。価値観の新旧に関わらず。その点については万国共通かな?インドだからセンセーショナルなだけで。普遍のテーマかな?
是非是非多くの方々に見ていただきたいです。パートナーと生活されていらっしゃる方々に。
長男様
インドに今でも残る家父長制と女性嫌悪、女性蔑視をみせる話。
由緒ある家系の息子とインテリ女性が結婚し巻き起こるストーリー。
結婚して極々初期こそ優しげなことも口にする夫や同居するその両親だったけれど、浸すら家事に追われる主人公をひたすらにみせていく様は、夫と結婚したというよりも、夫の家に嫁いだという感じで、女性嫌悪は流石に聞かないけれど、今も日本の特に地方には似たような話ありますよね。
食事は食い散らかす、釜で炊いたご飯じゃなきゃダメだ、洗濯機はダメだと面倒臭い義父に、返事ばかり良くて何も話を聞かないし自分の都合ばかり押し付ける旦那。
特に義父はもう、王様ですか?と思えるし、将来は夫も…あー恐ろしや。
嫁は家政婦、というか召し使いと同意なんでしょうね。旦那の仕事っぷりはもうギャグですね。
それにしても主人公の母親は知っていた?解っていた?しかし本人は知らなかったということなのか?宗教的な背景や文化の部分も含まれるので、全てを一概に否定するつもりはないけれど、みているこちらも苛立ちが募り、嫁は良くここまで耐えたよなと。
ラストはある意味恐ろしく、ある意味ユニークでぞくっとした。
#07 これは是非日本版も作って欲しい
この作品を日本人が観たとき、多分男性なら「インドは男尊女卑が酷いな」ぐらいにしか思わないと思うけど、女性なら主人公に共感する人も多いのでは。
説明が一切なく物語が進むから、家事をしたことがない男性は、何を表しているのかすら理解できないかも。
特に親戚のおっさんのお茶と料理の部分は日本でも絶対ありそう〜。
日本だっていまだにこの映画と大して変わらないよ〜。
だって2021年の男女格差指数ランキングによると、156カ国中日本は120位でインドは140位とほぼ同じレベルだもん。
人間は差別する側は何とも思っていなくても被差別側は苦しんでいるということを淡々と何の説明もなく表現した作品でした。
囚われの思想
根強く残る男尊女卑の呪縛に苦しみながら、密かに自由を夢見る女性の生きづらさを描いた作品。
まず、謎の「科学に感謝」からの、なかなか映画が始まらないことに戸惑いつつ、見せられるのは只管料理を作る女性と、それを食べては思い思いの時間を過ごす男性の姿。
淡々とした映像が続くものの、不思議と飽きることなどなく、この地の女性の大変さがひしひしと伝わってくる。
色とりどりの野菜を使った料理…普段なら、旨そう~なんて思いながら観るのだけれども。。
これがパートナーに対する扱いなのか。。対価をもらっているという意味では、家政婦の方がマシなのではとさえ思ってしまう。
既にリタイアしているのか、とにかく飯だけ食い続けてグータラしては口出しだけいっちょ前なお義父さんもそうだが、特に印象的だったのは、とにかく陽気な親戚(?)の男の人。
「全部やってあげたのに」って…。全体が見えてないですね。恐いのは、本人は本当にそう思っていそうな所。それだけ、男性は関りがないんですね。
それぞれの地のしきたりや考え方があるので、一概に批判してよいものかはわからないけど、どちらかと言えば変化を好まないワタクシでさえも、流石にこんな扱い方…直ちに変わってほしいなと願うばかり。
それでいて、この思想を支持する女性たちもいるという所も考えさせられますね。
兎に角、観ていてため息がでてしまうような展開はハッキリ言ってポスター詐欺といっても良いほど(笑)加えて、どうでも良いですがインド映画なのに上映時間が100分程って逆に凄いですね。
中々難しいテーマの作品だったと思います。がんじがらめの女性の姿を描いた作品ですが、逆にこの思想に囚われてしまっているのは男性の方なのかな~と思ったり。
このような男尊女卑は正すべきだと思いつつ、女性進出の声も叫ばれて久しいこの頃、個人的には、逆に女性を大切にしすぎても本末転倒だと思っているので、皆が純粋にお互いを思い遣れる世界になればなぁ~と、また夢みたいなことを思ってしまうのです。
インド、発展途上なんだね。
もう、途中でムカムカしちゃったかも。
インドって、いまだにこんな?
よくぞ家を出た!
由緒正しいって何だよって感じ。
いつか殴られるのでは?とハラハラしてしまった。
1人の行動が波になれば、大きなうねりになるはず。
頑張れ、インドの女性たち!
インド的価値観を揺さぶる新しい価値観。
この映画がインドでつくられるということは、インドに古くからある慣習への揺さぶりが起こっているということだろう。
インドは英国の植民地だったが、日本のように西洋化されず、古くからの伝統を守っている。
冒頭から、義母とお嫁さんの炊事のシーンが続き、ストーリーの展開は重苦しい。
義父からは、米は炊飯機ではなく釜で炊くよう言われ、洗濯も生地が傷むからと手洗いするよう注意される。
生理になると、台所に入ることも禁止され、家族から隔離される。
実家の母も理解がなく、我慢しろとさとされ、ついに我慢の限界に達する。
結末は観てのお楽しみだが、最後は痛快と言えるかもしれない。
ぜひ、劇場でお確かめください!
どうしようもないな
2022年劇場鑑賞23本目。
インドの心が病んだ人をインドの料理で癒やすハートフルグルメドラマだと思ってたら全然違いました!
慣習や迷信、男尊女卑は憲法違反だということにはなっているが、実際処罰などはないのか気にせず21世紀の現在も数千年前と同じ価値基準で生きている家族を描いた作品。そりゃ日本だってなんとなく縁起悪いからやだな、と避ける事はありますよ。ご飯に箸立てちゃ駄目とか、黒猫が前横切ったら縁起悪いとか。でも生理来る度一週間部屋に閉じこもってなんにも触るなはやりすぎ。もうちょっとヤバい終わり方してもしょうがないかなと思って観ていましたがああいう終わり方もありかな。
インドの女性は大変だ
インドで、高位カーストの男女がお見合いで結婚した。夫は由緒ある家柄で、伝統的な邸宅で両親と暮らしていた。一方、中東育ちでモダンな生活になじんだ妻は、結婚してから夫と義両親と同居生活はじめるが、食事を作り、洗濯して、掃除して、夜は夫の相手をして、と男に奉仕するだけの生活だった。義父は歯ブラシも妻に持ってこさせて自分は新聞読んだり昼寝したりして一日を過ごし、夫も家にいる時はヨガしたりして家事は女の仕事と決めつけている。そんな男尊女卑の生活に妻は疑問を持ち始め・・・という話。
日本もほんの数十年前はこんなかったわけで、笑って観てる場合じゃないと思った。
女性が生理の時は不潔とか、日本でも言われてたみたいだし。
これを観て、インドの男性がおかしいと気付けば良いな、って思った。
最後のダンスは素晴らしかった。
男尊女卑! 違う、もっと深いテーマです
女は、台所とベットが、仕事場。への
批判の映画!では無いと思います。
映画のラスト、
家から逃げ出した主人公は
伝統舞踊(ダンス)のレッスンをしています。
伝統、型式だった舞、ダンス
統率した振り付け
女だけの舞
踊り終わったダンサーたちへの彼女からの拍手は、乾いたものでした。
例えば・・・
カーストの制度、宗教の式たり
伝統的な家族、生活の風習
その家独自なマナー
個々人の価値観
これらの、不条理?、もしくは?を
見る人たちに、感じさせるための
映画のようでした。
家族の規則、式たり、宗教のルーティン
人は
これなしでは、平穏に、容易く、穏便に
生きて行くことはできないの?
を
インドの極端な生活を見せながら
考えさせようとした、のではないかぁー?と
強く、思わせてくれた、映画でした。
こういう映画こそちゃんと評価されるべき。
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今年21本目(合計294本目/今月21本目)。
最初こそインドのおいしい食事がたくさん出るなぁ…という感じですが、流れがどんどん変わっていきます。(納得して)結婚したというのに、なぜか女性に対して冷たくとるところか、まぁ…言葉を選ぶの難しいですね…「性の対象にしか見ていない」夫婦像(この場合、「観ていない」のは当然論として夫になる)という、いわゆる「ミソジニー/合理的理由がない女性嫌悪」という論点があることに気が付きます。
一方でそういう文化がインドをはじめとしたいくつかの国に「今でも」残っているのは、国の古い制度(インドだと、カースト制度が相当)だったり、宗教だったり(ISISなどは「女性に権利はやらない」と公言していた)するわけです。とはいえ、「全体を見れば」インドは確かに発展途上国とはいえ、それでも「男女同権思想に関して極端に変な状況ではなかろう」と思ってみるとこの現実が待っているわけです。インドの場合、カースト制であったり、宗教(土着宗教の中には、「女性が触ることで儀式が無駄になる」という考えがあるところもある模様。これ前提のセリフも登場する)であったりします。
逆に、「こんな家庭やってられないしさっさと離婚する」か「離婚はしないがさっさと出ていく」だけなら、日本ではDV保護センター等もありだいぶ進んでいますが、国が違います。出ること自体は自由でも、そのあとどうするのか(行政に駆け込んで何とかなるのか)などは国によっても異なります。日本はそういう制度が分厚いという点に過ぎません。いくら「さっさと出て行っても」行政が何ら「メニュー」(=換言すれば、虐げられた女性を保護する工程ないし案など)を持っていなければどうしようもないわけです。
※ もっとも、北朝鮮やISIS(便宜上、どちらも国扱い)は「男女同権を望むべくもない」状況ですが、そこそこのIT新興国とされるインドの実態がこうだったというのは(ある程度着色はされているのでしょうが)驚きです。比較的「人権に関する考え方も、先進国ほどではないとしても、極端に支離滅裂とも想定できない」インドがそうであるなら、他の国のそれ(女性嫌悪問題)はどうなってるのか…というのも気になるところです。
結局、この「つまらない」料理(しかも、ハーブティがいいとかブラックコーヒーがいいとか、そこにミルクを入れたら喧嘩を始めるという、実に「沸点が低い」夫が相手)を作るのにウンザリして、彼女は別の道を選び、ある施設に行くのですが…。おっと、そこまで書き始めるとアウトですね(ネタバレ回避)。
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そうして、「名前ですら呼ばれない」彼女らが、手に職をつけ働いて自立することになるのです。「名前ですら呼ばれない」彼女らが主人公として今後は主役として働いて行ける社会、です。
こう考えると、「キッチン・家庭=(古い思想に囚われている人たちしかいない)牢獄」というとらえ方も可能かな、とは思います(おそらくそれが正解)。
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それは男性の私でも支持する考えです。憲法や民法は国によって違いますが、「女性は男性の付属物」などという、時代錯誤はなはだしい考えに付き合うことはできないし、それにつきあうだけ「時間を無駄にするから」です。換言すれば「女性が進出することで自分が食事ができなくなって困る」のなら、「(汚い表現で申し訳ないですが)「お前らで作って食べてろ」「コンビニ弁当をどうぞ」ということにしかなりません。
なお、いわゆる「インド映画」のお約束という「ダンスシーン」がこの映画にあるかどうかと言われれば、「あるかないか」だと「あります」(ラストの3分ほど)。ただ、このインド映画の部分は「女性の男性からの解放を示唆する表現」とも取ることが可能で、「純粋な意味での、インド映画にお約束のダンスシーンはあるか?」だと、YesともNoとも言いにくいかなというところです。
日本では憲法上、どのような思想をもとうと自由です(思想良心の自由)。しかしその思想が発露され、他と衝突した場合は公共の福祉が考慮されます。特に14条で定める男女平等等の考え方は戦後何十年もたった現在、「そんなの知らない」というのはおよそ通じない言い訳であり、本映画を通じて、「フェミニスト思想とは何か」「ミソジニーとは何か」「男女が真の意味で快適に暮らせるにはどのようなことに注意すべきか」といった議論になれば、と思っています。
採点にあたっては下記が気になったものの、大きな傷なしとして5.0にしました。
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(減点0.1) この映画はその性質上、「食べ物を粗末にする表現」が結構多いです。そしてこの映画はインド映画。インド映画といえばあの左下のバンバン出てくる謎の警告表示もあります。
しかし、「食べ物を粗末にする表現」では一切でないし「妊娠」や「性的対象」といった発言、さらに「飲酒」という発言/表現でも出ない(アルコールを飲んでいると思われるシーンはあります)のですが、なぜか開始、30分ごろ、家にバイクで乗り付けて自宅に来た人が出てくるシーンで、はいそこで左下を見ると…。
趣旨的に「バイクは安全に乗りましょう(=無免許運転はやめましょう)」という趣旨ではないかと思うのですが、そんなに高速度で出していませんし…。この「バイクの話」はもう1回出てくるのですが、そこでは警告なし。何が基準なのか謎です(最初のバイクのシーンって、片手運転とか怪しいことしてましたっけ?)。
というように、「やや」混乱してしまう警告挿入(映画の趣旨的に、「食べ物を粗末にするのはやめましょう」で出るなら理解できるが、まさかそこ??と思ってしまう)は混乱させるかなぁ…(ただ、この映画をどう解しても、「バイクの適正な乗り方」というように見ろというのは無理なので、「大人の事情」と解するしかないと思います)。
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語られずにいる物語はまだどこにでもある
トマト、紫キャベツ、バナナ、オクラ、ミルクなど色とりどりの食材はとても美しい。毎日毎日三食作ってさらに夫の為のお弁当。美味しい食事につきものなのは残飯の片付けと皿と鍋の洗い物とガスコンロ周りの掃除。その洗い物作業のポイントのシンクの排水管から汚水が漏れている。何度も夫に修理の手配を依頼してもやってくれない。夫は家でヨガしかやってない。濡れた残飯と汚水は匂う、臭い!何度も何度も彼女は手を洗う。でも匂いは消えない。洗濯機も炊飯器もあるけど使われることを嫌がる舅は日がな食べてるか新聞読んでる。広い邸宅、豊かな家なのにメイド居ない。二階から一階の各部屋、階段、トイレの掃除、壁に掛かっている写真の額一つ一つを拭く。夜は夜で夫中心。月に7日間だけは個室に閉じ込められて家事はしなくて済むけれど、夫や舅の目に触れてはならない。そこではゆっくりスマホでSNSを見ることができる!自分は一体なんなんだ?と考えることができる。
最後のダンスシーンは晴れ晴れと力強く希望で胸がいっぱいになった。そこで歌われていた躍動することばの数々:勇気、自由、太陽、星々、火、大地、奔流、世界、知恵、力強き女、前に進め。
そして「語られずにいる物語」はインド中の女性の心を掴んだ。以下はパンフレット(6~7ページ)からです:
Amazon Prime もNetflixも配信を拒否し本作を受け入れたのは弱小の配信会社「ニーストリーム」(顧客ターゲットは本作の舞台でもあるケーララ州民と世界に散らばったケーララ系移民)、2021年1月15日。英語字幕付きで宣伝はほぼゼロ。にも関わらず怒涛の反響。本作に衝撃を受けた主に女性の観客が自主的にプロモーションを始めた。本作を勧めるために生まれて初めて映画レビューを執筆した女性も多かったという。あまりのアクセス集中にニーストリームのサーバは数日間ダウン、その後復旧。ここにきてAmazon Primeは考えを改め2ヵ月遅れで配信開始。母語以外の映画を英語字幕で見ることの抵抗も以前ほどなくなったことも影響し、視聴者はマラヤーラム語を母語とするケーララ人以外にも広がった。そうして本作は汎インド映画となった。
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ケーララ州に始まりインド全土に広がりそして世界中の女性の心に届いて欲しい。
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