グレート・インディアン・キッチンのレビュー・感想・評価
全25件中、21~25件目を表示
こういう映画こそちゃんと評価されるべき。
-----
(1/23 誤字脱字を修正)
-----
今年21本目(合計294本目/今月21本目)。
最初こそインドのおいしい食事がたくさん出るなぁ…という感じですが、流れがどんどん変わっていきます。(納得して)結婚したというのに、なぜか女性に対して冷たくとるところか、まぁ…言葉を選ぶの難しいですね…「性の対象にしか見ていない」夫婦像(この場合、「観ていない」のは当然論として夫になる)という、いわゆる「ミソジニー/合理的理由がない女性嫌悪」という論点があることに気が付きます。
一方でそういう文化がインドをはじめとしたいくつかの国に「今でも」残っているのは、国の古い制度(インドだと、カースト制度が相当)だったり、宗教だったり(ISISなどは「女性に権利はやらない」と公言していた)するわけです。とはいえ、「全体を見れば」インドは確かに発展途上国とはいえ、それでも「男女同権思想に関して極端に変な状況ではなかろう」と思ってみるとこの現実が待っているわけです。インドの場合、カースト制であったり、宗教(土着宗教の中には、「女性が触ることで儀式が無駄になる」という考えがあるところもある模様。これ前提のセリフも登場する)であったりします。
逆に、「こんな家庭やってられないしさっさと離婚する」か「離婚はしないがさっさと出ていく」だけなら、日本ではDV保護センター等もありだいぶ進んでいますが、国が違います。出ること自体は自由でも、そのあとどうするのか(行政に駆け込んで何とかなるのか)などは国によっても異なります。日本はそういう制度が分厚いという点に過ぎません。いくら「さっさと出て行っても」行政が何ら「メニュー」(=換言すれば、虐げられた女性を保護する工程ないし案など)を持っていなければどうしようもないわけです。
※ もっとも、北朝鮮やISIS(便宜上、どちらも国扱い)は「男女同権を望むべくもない」状況ですが、そこそこのIT新興国とされるインドの実態がこうだったというのは(ある程度着色はされているのでしょうが)驚きです。比較的「人権に関する考え方も、先進国ほどではないとしても、極端に支離滅裂とも想定できない」インドがそうであるなら、他の国のそれ(女性嫌悪問題)はどうなってるのか…というのも気になるところです。
結局、この「つまらない」料理(しかも、ハーブティがいいとかブラックコーヒーがいいとか、そこにミルクを入れたら喧嘩を始めるという、実に「沸点が低い」夫が相手)を作るのにウンザリして、彼女は別の道を選び、ある施設に行くのですが…。おっと、そこまで書き始めるとアウトですね(ネタバレ回避)。
---------------------
そうして、「名前ですら呼ばれない」彼女らが、手に職をつけ働いて自立することになるのです。「名前ですら呼ばれない」彼女らが主人公として今後は主役として働いて行ける社会、です。
こう考えると、「キッチン・家庭=(古い思想に囚われている人たちしかいない)牢獄」というとらえ方も可能かな、とは思います(おそらくそれが正解)。
---------------------
それは男性の私でも支持する考えです。憲法や民法は国によって違いますが、「女性は男性の付属物」などという、時代錯誤はなはだしい考えに付き合うことはできないし、それにつきあうだけ「時間を無駄にするから」です。換言すれば「女性が進出することで自分が食事ができなくなって困る」のなら、「(汚い表現で申し訳ないですが)「お前らで作って食べてろ」「コンビニ弁当をどうぞ」ということにしかなりません。
なお、いわゆる「インド映画」のお約束という「ダンスシーン」がこの映画にあるかどうかと言われれば、「あるかないか」だと「あります」(ラストの3分ほど)。ただ、このインド映画の部分は「女性の男性からの解放を示唆する表現」とも取ることが可能で、「純粋な意味での、インド映画にお約束のダンスシーンはあるか?」だと、YesともNoとも言いにくいかなというところです。
日本では憲法上、どのような思想をもとうと自由です(思想良心の自由)。しかしその思想が発露され、他と衝突した場合は公共の福祉が考慮されます。特に14条で定める男女平等等の考え方は戦後何十年もたった現在、「そんなの知らない」というのはおよそ通じない言い訳であり、本映画を通じて、「フェミニスト思想とは何か」「ミソジニーとは何か」「男女が真の意味で快適に暮らせるにはどのようなことに注意すべきか」といった議論になれば、と思っています。
採点にあたっては下記が気になったものの、大きな傷なしとして5.0にしました。
------------------------------------------------------------
(減点0.1) この映画はその性質上、「食べ物を粗末にする表現」が結構多いです。そしてこの映画はインド映画。インド映画といえばあの左下のバンバン出てくる謎の警告表示もあります。
しかし、「食べ物を粗末にする表現」では一切でないし「妊娠」や「性的対象」といった発言、さらに「飲酒」という発言/表現でも出ない(アルコールを飲んでいると思われるシーンはあります)のですが、なぜか開始、30分ごろ、家にバイクで乗り付けて自宅に来た人が出てくるシーンで、はいそこで左下を見ると…。
趣旨的に「バイクは安全に乗りましょう(=無免許運転はやめましょう)」という趣旨ではないかと思うのですが、そんなに高速度で出していませんし…。この「バイクの話」はもう1回出てくるのですが、そこでは警告なし。何が基準なのか謎です(最初のバイクのシーンって、片手運転とか怪しいことしてましたっけ?)。
というように、「やや」混乱してしまう警告挿入(映画の趣旨的に、「食べ物を粗末にするのはやめましょう」で出るなら理解できるが、まさかそこ??と思ってしまう)は混乱させるかなぁ…(ただ、この映画をどう解しても、「バイクの適正な乗り方」というように見ろというのは無理なので、「大人の事情」と解するしかないと思います)。
------------------------------------------------------------
【インドに蔓延る(我が国はどうか!)、男尊女卑思想をリアルに描いた映画。まるで、ドキュメンタリー作品のようである。インドの男性諸君(及び日本人男性諸君)、もっと女性を敬えよ!女性は菩薩なんだぞ!!】
ー 近年、インド映画は、リアルなインドの実情を描いた作品が多くなってきた事は、周知の事実である。私が、今作と似たテイストを感じた作品は、
・「あなたの名前を呼べたなら」
・「めぐり合わせのお弁当」
・「パッドマン 5億人の女性を救った男」
・「マダム・イン・ニューヨーク」である。
いづれも、女性の自立、自律や、置かれた立場の低さを女性自身が覆す姿を描いた見事な作品である。-
◆感想
・今作では、主役の女性を含め、個人名がほぼ出て来ない。
”これが、インドの実情です”と言う、制作陣の想いが伝わって来るようである。
・カースト制度の上位にいる先進的な女性が、格式高き家の男性に見合いで嫁ぐところから、物語は始まる。
- インドには、何度か仕事で足を運んだが、カースト制度の凄さには驚いたモノである。特に不可触選民とカースト制度の最下層に所属する人々の姿には、絶句した。
今作の新婚の男女はカースト上位の人々である。それなのに、あの新婦に対する扱い。-
・最初、男は新妻に優しいが、徐々に旧弊に侵された思想が顔を出してくる。それは、男性の父親も同じだ。
・男性は、食事の支度をしない。後片付けもしない。掃除もしない。洗濯もしない。
- 男の父親に至っては、”当たり前のように”優しい言葉で、”私の衣類は洗濯機を使わないで。傷みが早くなるから・・””米は炊飯器ではなく、蒸し器で炊いて”と新妻に頼む。ー
・男性達の食事をした後のテーブルの汚さ。新妻は、黙々と片付ける。
- だが、男は外で食事をする際には、食卓を汚さない。それを指摘した新妻に怒りを向ける男。こんな輩が、女子生徒の先生をしている・・。-
・男は、新妻の依頼”台所の配管の穴が開いているから、業者を呼んで・・”と言う言葉にも生返事。
・新妻が生理になった時の、男の接し方の変化。身体に触らせない。部屋に閉じ込め、叔母さんが代わりに新妻の仕事を引き受ける。この叔母も、旧弊的な考え方に支配されている。
<インドの男尊女卑思想を、リアリズム溢れる映像で見る側に伝える映画。
ラスト、新妻が、台所の配管から漏れた水で、お茶を淹れるシーン及び、その水を夫と舅にぶちまけるシーンは爽快であった。
あんな家に居て、人生を無駄に過ごす必要はないよ。
念願だった、ダンスのコーチになった女性の別人のように輝く表情が印象的であった作品である。>
かつて日本にもあった家庭の風景を見ているよう
タイトルとポスターから幸せな夫婦の生活を描いていると思って鑑賞すると面食います。
女性に対しての差別が凄まじいインドの姿を目にする作品でしょう。
高位カーストの男女がお見合い結婚をし、一息つくまもなく翌日から“家事労働”が始まるところなど「この世界の片隅に」とよく似ています。夫婦の関係性の行く末は全く異なりますが。
※↓以下ネタバレです。未見の人ご注意を!
包丁がリズム良くまな板を叩く音
フライパンにジュワーっと勢いよく跳ねる油
クツクツと鍋が煮る音
彩り良い野菜に、手際良く作られていく美味しそうな料理
見ているだけでスクリーン越しにスパイスの良い香りが漂ってきそうな料理のシーンが沢山映し出されます。
こんなに手の込んだ料理を毎日妻や義母が作り、キッチンを使い終わった後も隅々まで綺麗に片付けて掃除を。広い家の床を拭き掃除して、生ゴミや汚水の処理をして何度も何度も手を洗います。
その間義父や夫はスマホやテレビを見たり、ヨガをしたりと優雅な時間を過ごしています。一番驚いたのは義父です。「ご飯は釜で炊け」「洗濯機を使うと衣類が痛むので手洗いしろ」と。さらに驚くことに、歯ブラシさえも嫁や妻に持って来させます(私なら歯ブラシ投げつけるわ)。ふざけるな!と。極め付けには、食べかすをテーブルに散らかすなど(家のルールらしい。しかも外食時はしっかりマナー守っとるやないかい!)これには呆れ果てて空いた口が塞がりません。
重労働と呼ばれるような家事が終わり、疲れ果ててすぐにでも寝たいのに、寝室に行けば、愛もない前戯もない夫の下手くそなセックスが待っています。もう、人権なんてあったもんじゃないです。こんなの奴隷じゃないか!
結婚=奴隷契約、台所に女性を閉じ込めて自由を奪う。鎖に縛り付けて家から出さない。
でも、これってちょっと昔の日本の風景とも似てとれる。私が子供の頃に見た祖父母もこんな感じで、親戚が集まったら祖母は主人公の女性と同じようだったような。
決定的に違う点は生理中など関係なく生活できていたところだけど。
インドの宗教的背景や家長制度、ミソジミーを思い知った作品だった。
インドってこんな感じなの?と思っていたら、主人公の女性の友達夫婦は夫が週4料理してくれお茶も淹れて持ってきてくれていた。結局のところ家庭によるのかしら?
お茶ぐらい自分で入れなさい。飲んだコップは洗いなさい。たまーに料理を作ったくらいで料理した気にならないで。
もう突っ込みどころが多すぎる本作に登場する男たちに終始イライラしっぱなしでした。
一つ言えることは、日本に生まれただけでも幸せだと。そして、私は息子には料理も掃除も洗濯も一通りできるように家事の教育を頑張らねばと痛感しました。
最後のダンスシーンからは女性の解放と自由を表している。ダンスの先生になれてよかったね!
。
語られずにいる物語はまだどこにでもある
トマト、紫キャベツ、バナナ、オクラ、ミルクなど色とりどりの食材はとても美しい。毎日毎日三食作ってさらに夫の為のお弁当。美味しい食事につきものなのは残飯の片付けと皿と鍋の洗い物とガスコンロ周りの掃除。その洗い物作業のポイントのシンクの排水管から汚水が漏れている。何度も夫に修理の手配を依頼してもやってくれない。夫は家でヨガしかやってない。濡れた残飯と汚水は匂う、臭い!何度も何度も彼女は手を洗う。でも匂いは消えない。洗濯機も炊飯器もあるけど使われることを嫌がる舅は日がな食べてるか新聞読んでる。広い邸宅、豊かな家なのにメイド居ない。二階から一階の各部屋、階段、トイレの掃除、壁に掛かっている写真の額一つ一つを拭く。夜は夜で夫中心。月に7日間だけは個室に閉じ込められて家事はしなくて済むけれど、夫や舅の目に触れてはならない。そこではゆっくりスマホでSNSを見ることができる!自分は一体なんなんだ?と考えることができる。
最後のダンスシーンは晴れ晴れと力強く希望で胸がいっぱいになった。そこで歌われていた躍動することばの数々:勇気、自由、太陽、星々、火、大地、奔流、世界、知恵、力強き女、前に進め。
そして「語られずにいる物語」はインド中の女性の心を掴んだ。以下はパンフレット(6~7ページ)からです:
Amazon Prime もNetflixも配信を拒否し本作を受け入れたのは弱小の配信会社「ニーストリーム」(顧客ターゲットは本作の舞台でもあるケーララ州民と世界に散らばったケーララ系移民)、2021年1月15日。英語字幕付きで宣伝はほぼゼロ。にも関わらず怒涛の反響。本作に衝撃を受けた主に女性の観客が自主的にプロモーションを始めた。本作を勧めるために生まれて初めて映画レビューを執筆した女性も多かったという。あまりのアクセス集中にニーストリームのサーバは数日間ダウン、その後復旧。ここにきてAmazon Primeは考えを改め2ヵ月遅れで配信開始。母語以外の映画を英語字幕で見ることの抵抗も以前ほどなくなったことも影響し、視聴者はマラヤーラム語を母語とするケーララ人以外にも広がった。そうして本作は汎インド映画となった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ケーララ州に始まりインド全土に広がりそして世界中の女性の心に届いて欲しい。
インドの勉強になる
インドのことをよく知らないので見てみようと思った。インドについて知っていることと言えば、2012年ごろにひどい女性暴行殺害事件があったことだ。それからしばらくインドでは女性のためにマシな社会にしようという人たちが頑張って活動していたような話を聞いてはいたが、結局何が問題なのか、どんな人たちが何をどうやって改善しようとしているのか、などは全然知らない。それで今回、この映画がインドの女性の境遇を描いたものだと知り、見てみようと思った。
映画自体は、インドの新妻=専業主婦の話なので単調なペースで進む。キッチンと題名に入っているくらいだから、キッチンでの作業が中心に描かれる。家の男たちのために毎食、毎日、女たちが繰り返すキッチンでの労働。他の家事や夜の勤めも単調に描かれる。あまりにも静かな繰り返しなので、美味しそうな食事が映っているのに不穏な気分になってくる。こういった繰り返しの中で、日常のふとした出来事から新妻の主人公の気持ちが徐々に変わっていき、女として、自分として正しいことを決断、実行する瞬間が訪れる。
この映画はフィクションだけども、主人公の経験する抑圧や感情は実際に存在するものだろうと思う。というか昭和初期生まれの自分の祖母がこんな感じだったかもしれない、と思ってしまう。「結婚こそが女の幸せ」と言って旦那や長男の尻ぬぐいをし、夜の勤めを誰にも楽しく語ることもなく粛々と遂行し、体を壊しても自分が悪いと思い込み、旦那や息子に先立たれ、今や神か仏かに祈ってばかりの祖母。映画で描かれるほどの抑圧は無かったかもしれないが、女には男ほどの価値が無いという差別の犠牲者なのは同じだと思う。
インドは広いからこの映画を見ただけですべてを学んだとは全く思わないが、勉強になったことは確かだ。個人的なことは政治的なこと。インドであれ日本であれ、一人一人の女の話を丁寧に聞いて、考えていくのが大事だと思う。
全25件中、21~25件目を表示