サンマデモクラシーのレビュー・感想・評価
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「これが最後の高等弁務官になりますように」
敗戦後の米国統治下の沖縄にて、最高権力者である高等弁務官相手に、漁師の妻である霊長類最強のおばぁ(佐藤栄作似)とだいたい法律に触れるタイプの強キャラ弁護士と米軍が最も恐れた男が立ち向かっていく作品。
…と書くとなんのこっちゃ?ですが。
この映画を観るまで全然知らなかったです。沖縄がこんなにガチでアメリカに統治されて、しかも収奪されてたなんて。
米軍の基地に対しても、彼らが起こす暴力事件に対して立腹してるんだろうなとしか思ってなかった。
この映画を観たら、考え方が変わった。
改めて、戦争ってクソだなという視点を、統治下の沖縄の県民の目線を通して再確認出来ました。
映画館の大人料金=サンマ一匹の値段だった時代には、二度と戻りたくないもんです。
なお、すごく真面目なレビューですが。
登場人物は全員強キャラ、結構ブラックジョークの効いてる場面も多いので、全世代満遍なく楽しめる作品だと思います。
神は細部に宿る。サンマは神?、民主主義は神話に過ぎないという物語。
たかがサンマ、されどサンマの物語。
ウシさん、幼い時分の娘さんを亡くし、夫にも先立たれ、エネルギーの矛先がサンマ裁判に集約されたのでしょうね。何れにしても太っ腹で、大したものです。
実は発端から運命的に繋がっていた弁護士の厚かましくもたくましい人生、占領時代の高等弁務官の交代(首のすげ替え)が相次いだ(占領期間四半世紀で十五人以上?)わけの一端が垣間見られたこと(サンマ以外にも普通に考えれば苦しい立場)、どうしたってこの人抜きには沖縄は語れない、瀬長亀次郎の貴重な記録、、、、つながるつながる沖縄ワールドヒストリーが集約されていました。
つながるといえば、時は下って終盤、菅官房長官(当時)が「辺野古しかない」と最後通牒を突きつけるカットがあり、翁長知事(当時)が思わず口にした一言が刺さりました。
統治者にとって、「民主」とは、「民が主(あるじ)」なのではなく「民の主」なのだそう。法治国家ゆえ、法律(統治下の沖縄では布令)さえ変えれば裁判結果何するものよの精神。今の日本、民の主(あるじ)は誰なんだろう?
沖縄の落語家や川平慈英をナレーターに据えたのは、重苦しさ・事の深刻さをストレートに訴えるよりも、テンポ感を重視する事でこういった構造が決して過去のものでないことを示唆するかのような、クリエーティブの考え方だと思いました。
沖縄の歴史
の中にはまだまだ知られていないことが、たくさんあると思います。
アメリカ世の沖縄の人々に、自治は神話と言い放ったアメリカ人トップ。
しかし、それはまさに今の沖縄。
そして沖縄にとって自治が神話なら、どの都道府県に住んでいても、地方自治は神話となる。
日本という国だって、本当にアメリカから独立しているのか?
核兵器禁止条約に署名もできないでいる国、
危険な軍事基地を無条件に返してくれと言えない国。
そんな事を考えながら観ました。
一市民の声
難しいことは分からないけれど、自分が生まれる前に、沖縄でこんなことが起きてたのか……と、知られざる日本を知る、いい機会となった。
うしさんという、一市民の声が、沖縄中の人々を奮い立たせたことに、驚きと、尊敬と、こうでなくちゃ!という思った。
自分に何ができるのか分からないけど、おかしいと思ったことには、しっかり、声を上げていかなきゃなって思い知らされた。
日本はいつか沈没する
沖縄はもともとは琉球という独立国だ。しかし江戸幕府成立時のゴタゴタした情勢の間隙を突いたのか、薩摩藩が武力で征服してしまった。そして島津は徳川家康に上手いこと取り入って、琉球の統治権を託された。それでも江戸幕府は琉球王国そのものは認めていて、江戸幕府統治下の王国という妙な立ち位置のまま江戸時代が終わる。その後明治政府によって沖縄県とされて、琉球王国は終わった。沖縄県という名称の歴史はこの140年ほどである。
琉球に限らず、土地の名称は支配者が交代すると変わることが多々ある。明治政府による廃藩置県によって日本全国も土地の名前が変わってしまった。琉球も沖縄県となった。政府による府県の整理は何度もやり直されて、現在の47都道府県に落ち着いたのは130年ほど前だ。県民の郷土愛を言う人は多いが、その県名はたかだか130~140年ほどの歴史しか持たない。人も流浪し、土地も流浪する。日本は国土がほぼ安定しているが、ヨーロッパでは国名や国境さえ流動的である。
人は政治とは無関係に生まれてくる。生まれてきた場所は赤ん坊にとって名称など関係ない。生まれた場所が故郷である。政治的な区分けよりも、その場所で話される言語や風習、文化といったものが故郷の証だ。何県でも何国でも関係ない。沖縄を故郷とする人は、沖縄県という名称を故郷とするのではなく、沖縄の言語や文化を故郷とする。沖縄の人が愛するのはウチナーであって、沖縄県ではない。他の都道府県も国も同じで、国が変わろうが件名が変わろうが、言語と文化がその人の故郷なのだ。
他の言語、他の文化に親しめば、そこが第二の故郷になる。もっと別の言語、文化に親しめば、第三、第四の故郷も出来てくるだろう。そうなるとどの言語、どの文化にも親しみがある訳で、もはや故郷などなくなる。旅人がいつか故郷に帰る日は来ない。
本作品では熾烈を極めた沖縄戦を生き延びた、玉城ウシさんによる税金の返還要求裁判に端を発した民主主義運動が描かれる。戦後の沖縄は琉球政府が置かれたものの、その上部組織としてアメリカによる国民政府が置かれた。その長である高等弁務官は拒否権を持ち、琉球政府の決定を無効にできる。さらに布令と称した命令を次々に発して沖縄の民衆を縛っていく。食うや食わずやの状況に追い詰められた沖縄の民衆は立ち上がり、集会やデモを始める。
そこに合流したのが政治家の瀬長亀次郎だ。この人は映画「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー」(2017年)とその続編である「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯」(2019年)で当方にとってはお馴染みの顔である。彼は独特だが流暢な弁舌によって人々の心を掌握していく。
映画は当時の様子と現在の様子を映像によって並べて見せる。米軍のために辺野古の珊瑚の海を埋め立てるアベ~スガ政権。高等弁務官に唯々諾々と従ってきた琉球政府と同じじゃないか。特にスガは、官房長官の時代から一貫して沖縄の民衆を弾圧し、環境を破壊してきた。玉城ウシさんや瀬長亀次郎が戦ってきたのは何のためだったのか。
想像力がなければ他人の痛みはわからない。沖縄の苦しみは本土の人間に忘れ去られてきた。福島第一原発事故の被災者の苦しみも忘れ去られようとしている。自民党と公明党は選挙に勝ち続け、そして我が物顔に「国民の信任を得た」といって「粛々と」辺野古を埋め立て、コロナ禍オリンピックを開催する。こんなことを続けていたら、日本はいつか沈没するだろう。その日は近いかもしれない。
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