「『ボーダーライン』(2015)および『最後の追跡』(2016)の脚...」モンタナの目撃者 f(unction)さんの映画レビュー(感想・評価)
『ボーダーライン』(2015)および『最後の追跡』(2016)の脚...
『ボーダーライン』(2015)および『最後の追跡』(2016)の脚本を務め、『ウィンド・リバー』(2017)で初監督。
メキシコ、テキサス、ワイオミングと、その土地に根ざした画面作り、そしてストーリーテリングに定評のある、テイラー・シェリダンによる監督第2作。
モンタナ州はアメリカ合衆国の北西部、カナダとの国境に接している。森林が広がり、山火事の多い土地として知られているそうだ。
前作『ウィンド・リバー』では、冬のワイオミングが舞台。画面を支配するのは雪原で、登場する人間たちもみな寒さに凍え、氷点下の気温が致命的な死をもたらす。
そのような「大自然の支配力」が、今作では山火事に置き換わり、オレンジ色の火炎が画面を占有する。
アンジェリーナ・ジョリー演じる消防士は、隊のリーダーを勤めるほどに優秀な人物であるが、過去の活動中に少年たちを救えなかったことを今でもトラウマとして抱えている。
そこに投入されるのが、暗殺者に追われる少年だ。
「山火事を背景にした、少年との逃避行」が、今作のメインビジュアルを形成する。
※少年の父親は会計士で、とんでもない不正行為を暴いてしまった結果、暗殺者に追われることとなる。(そちらの設定は大まかで、ざっくりとしている)
「過去のトラウマを抱えたまま、現在の事件に対応する主人公」というのは、前作『ウィンド・リバー』にも現れた構図。
かつて娘を失った男が、友人の娘の死の真相を暴き、復讐する(罰を与える)ことを目的に行動する。
過去の喪失を埋め合わせる存在のために行動する人物を、主人公に選ぶことで、物語は深みを増す。
正直に言って、体育会系でマッチョなイメージを持たれやすい消防士という役柄に、アンジェリーナ・ジョリーが説得力を持たせているといは言い難い。
(確かに『トゥーム・レイダー』という実績があるけれど...)
彼女は、あまりにスターとしての話題性が多く、どうしても『何を演じてもアンジェリーナ・ジョリー』な気がしてしまう。
(「何を演じても木村拓哉にしか見えない」というフレーズが、一時期日本のネット掲示板で頻繁に見られたものだった。同様のフレーズが、ハリウッド映画においては、レオナルド・ディカプリオやブラッド・ピットに当てはまるというのが個人的な感想だ)
また、暗殺者を演じるエイダン・ギレンとニコラス・ホルト。
この2人もまた、あまりに愛嬌があり過ぎて観客側が感情移入してしまいそうになる。
確かに有名・豪華キャストを使えるようになるのは喜ばしいことだが、今回の主要キャストがが作品やストーリーに馴染んだものであるかは疑わしい。
認知度にこだわらず、配役を厳選していれば、ビジュアル面での説得力が増すように思える。
作品の内容としては、『最後の追跡』や『ウインド・リバー』でも見られたような「サバイバル主義」ないし「自治主義」というものが根底にあるように思えた。
困難を解決する特効薬のような救世主、いわば神(デウス・エクス・マキナ...?)が存在しないので、敵を倒すには絶対に自らの手で処理しなければならない。
そのような状況を引き立てるのに、ワイオミングやモンタナのように、大自然に囲まれ、時に厳しく、そして人口密度の低い地域という舞台設定は効果的だ。
(個人的にはイニャリトゥ監督の『レヴェナント』もまた同様の設計思想を持つ映画だと思う。)
また「自治主義」に関しては、『最後の追跡』において、住人たちがみな銃を所持・携行し、事件を自分たちで修めようとしている姿や、義賊を応援し、「トップダウンに与えられる法律ではなく、自分たちの正義感に基づいてルールを決めるんだ」というボトムアップ的な姿勢に見られる。
本作でも同様に、主人公の知り合いである夫婦もまた(サバイバル教室の主催者という設定はあれど)、自力で悪役に立ち向かい、力強さを観客に与える。
こう言ったサバイバリズム(?)は、リアリティや時に冷酷さを持って、暗殺者たちの犯行のスマートさにも現れており、彼らの手際の良さはとても良かったと思う。
過去のシェリダン作品の核となる「土地柄」「サバイバル」「救世主の不在」「自力・自治」といった要素を受け継ぎつつ、予算面で余裕ができたので映像・カメラ・CG・キャストへの投資を拡大した作品だったのかな、という感じだ。
最初の監督作品よりも、娯楽性は高まっているのではないかと思う反面、雪の世界とは違って、「山火事」が作為的な画面作りに利用されていたかな。