ムーンライト・シャドウのレビュー・感想・評価
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原作ファンとしては悲しい
頭の中がずっと疑問符(?)ばかりだった。こんな登場人物だっけ?こんな設定だっけ?こんな台詞だったっけ?と。吉本ばなな先生の原作ファンだったので期待していたんですが、解釈違いなのか、監督さんの趣味なのか、全く別の作品を見ているようでした。自分の頭の中で幻想的にイメージし過ぎていたのかなぁ、あまりにも違いすぎて……原作未読の方がいいのかもしれません。
さつきと柊の会話って原作では結構快活なところもあって、絶望を背負いながら痛々しく傷をなめ合ったり今にも崩れ落ちそうにみえたり、危なっかしくも辛うじて立っている二人がいてそのバランスを見事に綴られていたんです。映像で見せるのはやはり無理があったのかな。喜びから苦悩へと変わる表情の落差、美しい月光と朝焼け、神秘的な設定、見せたいのは分かるけど物語の本質はそこじゃないという。ラストの川を隔てた対岸にいる等が笑って手を振るシーンが好きだったのに、無くて残念です。
眺むる人の心にぞ澄む
美しい作品である。甲子園で活躍した上宮高校の校歌「月影」を思い出した。「月影のいたらぬ里はなけれども眺むる人の心にぞ澄む」という歌詞は、日本一短い校歌として知られている。
主人公のさつきを演じた小松菜奈の表情がいい。この人は全体にスリムだが、長い脚にほどよく筋肉がついた素晴らしいバランスの身体をしていて、映画の中で何度も走るシーンが出てきたのも頷ける。ヨウ監督の趣味もあるのかもしれないが、小松菜奈の身体の美しさは、健康は即ち美しさであり、即ち善であるということを印象づける。
宮沢氷魚の演じたひとしの言葉には一片の毒もなく、これほど心の美しい慈悲に満ちた青年がいることは奇跡と言っていい。同じように美しい心と美しい身体の持ち主であるさつきと惹かれあったのは当然だ。
ひとしとの時間を語るさつきは、ひとしがくれた愛と青春に胸が一杯になって涙がとめどなくあふれる。小松菜奈の渾身の演技である。どちらかと言えばクールなイメージの彼女だが、これほど情緒のある優しい表情ができることに感動した。
台詞の少ない作品だが、表情や行動から読み取れる青春の喜びと悲哀、それに身体から放たれるエネルギーと身体に取り込まれるエネルギーが立体的な感覚として伝わってくる。さつきが食事をするシーンは特に印象的で、食べ物を口に入れて、咀嚼するのだが、食べ物をちゃんと味わい、香りを楽しんでいるのがわかる。
人間は楽しいときは意外と無表情だ。食事のときもセックスのときも大抵は無表情である。しかし楽しい。本作品にはこういうシーンが多く、戸惑う観客もいるかもしれない。笑顔を浮かべることなく楽しさを伝えた小松菜奈の演技は大したものだと思う。
さて冒頭に紹介した法然上人の和歌は、仏の慈悲が届かない場所はないけれども、という上の句に、見ようとしない人には見えず、見ようとする人にははっきりと見える、という下の句が対応する。原作者の吉本ばなながこの和歌を意識していたのかは不明だが、本作品はこの和歌に見事に呼応している。見ようとしない人には何も見えないのだ。
幻想的で困惑の虚構が自分には・・・
複雑に絡み合う幻想的な映像には魅力を感じたけれど、あらゆる演出が─演技セリフ装飾交わり音声等々─ことごとく自分には合わなくて、悲しい作品だという印象しかありません。
小松菜奈に2点あげよう
小松菜奈美しいなー以外に褒めどころがみつけられない。。
宮沢氷魚ってカッコいいすかね、、俺には全然わからない、、ドアップに耐えられない、、演技がうまいとも思えない、、役によってはハマることもある気はするが。。このレベルで小松菜奈とキスシーンは許し難い、、というかキスシーンが下手だった。。
弟カップルは最初から見た目が濃すぎて感情が入ってこない。。なんで踊るんだ、弟くん。
臼田あさ美は結局なに?怖い、笑。
てか、もうなんか全体的に内容全然入ってこない、笑
原作知らないけど、いらないシーンがあるわりにほんとはもっとこの人たちに感情移入するために必要なシーンがカットされてるんじゃないかと思う。脚本ミスってるんじゃないかしら。。もしくはもともと映画化に向かない作品なのか。
ひとつのキャラバンが終わり、また次がはじまる
恋人との別れを乗り越えようと、もがく2人。
とにかく走り続け、橋で倒れ、セーラー服を着てしまい、食べることを忘れ、
月影現象に導かれていく。淡々としていて、分かりにくいところもあるが、
独特の世界観を出していた。
臼田あさ美が、ハマリ役でした。
「いまが一番辛いよね、おそらく死ぬよりも。でもこれ以上の辛さはない。本人さえしっかりしていれば。そういう仕組みだから。」
だから人は、次の一歩を踏み出す。小松菜奈の最後の表情が良かったです。
これから原作読もうかな・・・
原作を知らないおばちゃんです。
冗長なセリフと、小物(小道具というか)
と、顔アップの多さが気になって、入り込めないままでした。
私の理解力欠如ですね、クライマックスの月影現象って、等にだけ現れたように思えたので、えっ?とモヤモヤでした。
主役お二人のファンの作品と理解しました
原作を大事にしてほしかった
原作のラストを大事にしてほしかった。
※何十年ぶりかに原作読み返し観賞
唐突に居なくなってしまった大切な人への思い、喪失感から立ち直る気持ちの整理と別れの幻想的なシーンが台無し・・・子供達に弄られるって!!
キャストは良かった
小松菜奈ちゃんの演技力・役作りが素晴らしく
さつきを映像にすることで原作を超える感動を与えてくれたのに・・・
残念だったのは、さつきとうららの出合いのシーン・・・うららが別人に描かれいた。
柊のラストシーン
セーラー服消失のくだりは原作を尊重して描いてほしかった。※洗濯機ではないな
小松菜奈ちゃんは本当に綺麗で演技に引き込まれてしまいました。
小松菜奈ちゃんファンは必見です。
※小松菜奈ちゃんに★2.5です
原作を知る方だと思われるのですが
ラストシーンの仕上がりにガッカリしたのか数名の方が立ちあがり退出
エンドロールでも余韻に浸らず席を立たれてました。
行間しかない
これは、、、小松菜奈と宮沢氷魚を見るだけの映画かな。少し独特な演出で、2人のドアップが画面中央を占拠します。
とても独特な間で、単純な話をとても薄く伸ばしています。行間が多く、見る人次第とも言えるけど、行間しかないので「へぇー」という感じ。
肝心のキャラが描ききれてないので、感情移入出来ません。仮に全員死んでしまっても(死にませんが)、「へぇー、かわいそうだね」と思っても泣くことはないでしょう。
ストーリーなのか、脚本なのか、演出なのかは分かりませんが。
小松菜奈のポニーテールは「見た目」が魅力的ですが、かわいい、、、とにかくかわいい、でもキャラの内面はなんとも、、、
綺麗な絵や、可愛らしい小物や部屋など、頑張ってる方向が間違っているような。
不思議系フィクション?
不思議ちゃんと不思議君のラブストーリーとしてみれば、小松菜奈と宮沢氷魚は雰囲気も演技もあっていたと思う。
原作を読んでいないからオリジナルの空気感はわからない。何か大事なものをそぎ落としてしまったのかな。
まず、柊のもみ上げが気になってしょうがない。それに図太そうな顔つきと精神的に不安定という気質があっていない。演出が悪いのか、本人の演技の問題なのかはわからないが、変化のない表情が喪失感を抱えた人間ものと思えないし、棒読み感のある会話ってどうなの。
もう一つは時代設定。テープレコーダーを使いたかったら昭和のままでいいんじゃない。吉本ばなながその時代で感じたことを作品にしたはずだから、映像化しても時代は昭和でいいと思う。宜保愛子とかノストラダムスとか、死者との一夜限りの再会を自然に受け入れる素地があったと思う。
4人で過ごしたシーンは、監督が撮りたかったよ映像ありきなんじゃないかな。なんかアルバムのスナップショットを見せられた感じがして、正直退屈だった。
92分の尺なのにえらく長く感じた。逆に原作を読みたくなった。
わかりにくい
さつき(小松菜奈)と等(宮沢氷魚)が鈴をきっかけに出会い、恋に落ちた。等の3歳年下の弟・柊と、柊の恋人ゆみこの4人は食事を一緒にしたり多くの時間を共に過ごした。しかし、等とゆみこが死んでしまい、悲しむさつきと柊。愛する人を亡くし、悲しみに向き合っていく話。
全体に暗くて、恋人の死を乗り越えようとする姿を描いているのだろうけど、彼の弟との関係も含め、どうみれば良いのかわからなかった。
小松菜奈は良いけど、彼女の良さが発揮できてるようには感じなかった。
原作は最高!映像化はしない方がよかったかも
原作との設定の違いに違和感を感じるところが多かった。登場人物たちのとても大切な特徴や出会いが、かなり簡略化されている気がして残念。
さつきと等(主人公2人)が重ねた時間や出会いの描写が物足りなさすぎて、お互いを何をもって好きなのか、2人の間の愛の大きさがイマイチわからない。
そもそも、よしもとばななさんは、言い表しだったり、心理描写だったり、文章の表現力に魅力あふれる作家さんだと思うので、それを映像にしてしまうのは合っていなかったのかも。
小松菜奈は相変わらず圧倒的に可愛く、美しかった。
小物やファッション、インテリアもとても素敵!
青のインナーに青いマスカラが似合いすぎていた!
ストーリーの軸がヒョロヒョロで、見終わった後に、一体何を見ていたんだろうという気分になった。
朝、目覚めて少しだけ覚えている夢みたいな。
【プーアール茶】
昔、僕が付き合っていた女性の、その時の彼氏が、交通事故で亡くなった。
彼女は相当憔悴していた。
一体どうなるんだろうと心配したりしたが、何年かして、彼女は教師になって、更にしばらくして、結婚もして、子供も出来た。
僕は、この間に、吉本ばなな作品「キッチン」に収められている「ムーンライト・シャドウ」を読んで、彼女に”さつき”を重ねることになる。
原作は、静かで物悲しいしが、不思議で力強くもある。
そして、柊がちょっと…変だったのも印象的だった。
唐突に現れる”うらら”は象徴的な存在なのだと思った。
こうした悲しい別れを共有するような存在で、どこかで愛する人を探し求めてしまう。
ところで、僕は、この原作を読んで、プーアール茶なる中国茶を初めて知った。
ジョギング中に休憩しているさつきと、うららが川辺で出会う場面で出てくる。
ちょっと癖のあるコクの強いお茶で、発酵した何十年ものというランキングもある。
丸いお餅状に固めた茶葉を削ってお湯に入れて飲むが、当時、中国本土の茶葉は汚いので、一煎目は捨てるように教えてもらった。
映画は、少し手は加わっているが、原作の淡々としたリズムを概ね踏襲しているように感じる。
原作を読んだ時に感じた胸が張り裂けるような感覚は、同様に映画を観た人に委ねるような演出なのかもしれない。
過度な演出は避け、観る側の想像力に委ねるような感じだ。
キャスティングは小松菜奈さんをはじめ、とても良いように思う。
だが、原作を読んだことがあるという前提で考えても、もう少し、等を失った喪失感や悲しさに演出は欲しかったように思う。
なぜだろうか。
自分でも合理的に説明できない。
プーアール茶だって、飲んだことのない人は、名前を聞いただけで味など分かるはずもない。
そんなところだ。
反対に、うららは謎で象徴的な存在でも良かったと思う。
ただ、前に進もうとする場面は、僕の昔の彼女のことが思い出されて、やっぱり胸が苦しくなる。
それに、人は、”死”ではなくても、多くの別れを経験し、それを受け入れ、なんとか生きてると考えると、きっと、みんなに重なるところはあるのだろうと思う。
そんなことも考えた。
まあ、ちょっと惜しい作品の感じだった。
選択順位20位。的な。
最近感じるんですが、劇場にお客さんが戻って来た。と言うより、2019年あたりに比べるとむしろ増えてるんじゃないかと思うくらいで。ガラガラの場内に3人、なんてのがザラだったのに、ここんとこ10人を切る事が珍しいですもん。遠出が出来ないんで、近場で映画でも、って言う感じでしょうか。
で、言いたい。
今、他にも面白い邦画、たくさん掛かってますよぉ。
小松菜奈が痩せてた。のは嬉しいけど、彼女、作品に恵まれないよねぇ。ちょっと前の吉岡里帆状態w
時間感覚的にも、台詞量も、感性に訴える情緒的な面も、あらゆるものが「疎」で、100分が長く長く長く感じられましてですね。
月影現象は「オカルトネタ」なんですが、幻想的な演出が皆無に近く、肩透かしを食らった感じです。原生林の残る様な東南アジアならまだしも、現代日本の設定で、このネタは難しいなぁ、って思いました。
オッサンには合わないだけ、って言ってしまえば良いんでしょうかね。
合わなかった。とことん。
オシャレな店でハーブティー頼んだら白湯みたいなの出てきた感じ
パンフレットが製作されていないので劇場映画としてまず減点。
出会いからつき合うまでもなんかそんなので恋に落ちるか?という感じでした。あんなので小松菜奈と付き合えるならみんな河川敷でゴミ拾いするよ!
起承転結どの部分も、常にうっすい香りもするんだかどうか怪しい、味なんて全くしないハーブティーを飲まされている気分でした。
いや、これで終わりじゃないよね、後からケーキ位出てくるよね、と思っていたらハーブティーだけで伝票置いていかれました。
苦手
149本目。
残り席わずか、マジか?
席の間空けてるから、しゃーないと思ったら半分以上余裕で空いてる。
でも、作品とは真逆な4DXのスクリーンで、座り心地が苦手。
作品もアート感強めで、苦手ではあるけどストーリーが面白ければとは思ったんだけど。
なよっ、てした感じでシックリこないし、草食系な映画。
やっぱ苦手。
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